戻れない過去を悔やむよりも、未来を見る。そんなの、無理だと知った。

氷鏡京太郎

――


 武大は怒鳴るだけ怒鳴ると、僕の事を床に落とし、悪態を付きながらその場から立ち去っていった。巴絵がピアノを聞かせたかった相手が僕だった? 嘘だ、巴絵は武大に聞かせたかっただけじゃなかったのか。


 だから、ピアノのコンサートの誘いだって僕よりも先に武大の事を誘っていたし、僕にはピアノじゃなくて食事感覚で構わないって言ってたんじゃなかったのか。何で僕が怒鳴られないといけない。僕は、二人に遠慮して距離を取ってたっていうのに。


 僕が教室に戻ると「大丈夫だった?」と数人のクラスメイトが心配してくれた。


 あの日以降、巴絵も武大も僕に近寄って来なくなった。

 家が近いからどうしてもすれ違ったりはするけど、お互い顔も見ない。


 幼馴染の関係は、こうして終焉を迎えるんだなって、そう思った。

 事実、僕は高校最後の日にとある出来事をその目に収める事となる。


 巴絵は音楽関係の大学へ、武大は体育関係の大学へと進学する事が決まったと耳にした僕は、卒業式の日、最後に二人に挨拶しようと方々ほうぼう校内を探し回った。


 何だかんだいっても二人は親友であり幼馴染。昔みたいに……とはいかなくとも、こんな喧嘩別れみたいのは嫌だ。最後に会って、仲直りをしてから高校生活を終わらせたい。ただ、そう思っていただけだったのに。


 有名人であった二人はいくら探しても見つからなくて。

 もう帰ったのかと思い、一人校内を思い出探しにぶらついていた所。


 ふと、視界に入ったのは巴絵の通っていた教室だった。特に意味があった訳じゃない、僕が最終的に近寄りもしなかった巴絵が過ごした教室を見ておこうかな、そう思っただけだったのに。


 そこには、誰もいない教室で抱き締めあう武大と巴絵の姿があった。

 

「……ありがとう、武大」


「いいのか、本当に」


「……うん、もう、大丈夫」


 一年生の時から聞いてたんだ、何をいまさら。おめでとうの一言でも掛けてあげるのが幼馴染って奴だろう、何で僕は隠れてるんだ。何で心臓が締め付けられて苦しくなる、何で目から涙が出てくるんだ。おかしいだろう。


 歯を食いしばって、僕は教室の扉に手を掛ける。

 こういうのは勢いが大事だ。


「おめでとう! 二人とも! 一年生の頃から全部聞いてた! 二人はずっと付き合ってたって! 僕も幼馴染として嬉しいよ! 本当におめでとう! お幸せに!」


 扉の音と、僕の叫び声で驚かせちゃったのかもしれない。

 二人は僕を見て信じられないって顔をして。


「ち、違う、違うの、ねえ聞いて京太郎」


「……いいや、違くなんかない、ありがとうな、京太郎」


 何かを言おうとした巴絵を、武大が肩を抱き寄せて黙らせる。

 そして、まるで結婚式の誓いのキスの様に、武大は巴絵に口づけをした。


 僕は、これを望んでいたはずなんだ。幼馴染である二人が付き合って幸せになる、それをどんなに望んでいたことか。だから、喜べよ僕、笑えよ、いつもみたいに笑って拍手するべきなんだよ。なんで出来ないんだ、なんで、おかしいよこんなの。


 僕は、その場から逃げ出すことしか出来なかった。

 大好きな二人が幸せになるんだ、応援するしかないじゃないか。


 男二人に女一人、その関係がいつまでも並行線でいられるはずがない。交差して、ズレが生じて、そしてそのまま二度と交わらなくなる事だって往々に想像出来てたじゃないか。


 スマホが鳴り響いてたけど、今の僕には何も聞こえない。聞きたくない。


 息が上がってもう走れないってなってから、ポケットのスマホを取り出して、そこに書かれた文字に目を通した。そこには、巴絵からの数十回に渡る着信履歴が残っていたけど。僕は掛けることなく、そのままとぼとぼと歩き出す。


 多分、誰にも言わないで欲しいとか、そう言った類のものだろう。二人は将来テレビに出る様な有名人なんだ。最強格闘家と美人音楽家、最高のカップリングじゃないか。僕はそれをモニター越しに見つめる一般人なんだ、二人の秘密を握っている、それだけで十分すぎるほどの立ち位置なんだよ。


 そうして、僕は巴絵と武大の番号を着信拒否にすると、一人大きく背伸びをした。

 輝かしい二人を見ていると、眩しすぎて前が見えなくなってしまう。


 僕にはきっと将来ふさわしい人が現れてくれるに違いない。平凡なお父さんとお母さんが出会った様に、平凡な僕にもきっと誰かが待っているんだ。


「じゃあ、行ってきます、お母さん」


 僕が卒業式の日に二人に挨拶に行ったのは、僕は地方の大学を受験したからというのも理由の一つだった。県を三つもまたぐ遠方の地、そこで僕は一人暮らしをしながら大学に通うこととなっていた。


 もう巴絵にも、武大にも会う事はない。だから最後に挨拶しておきたかったのだけど……。幸せな二人を邪魔しちゃ悪いよね。


 一人暮らしの荷物は思った以上に少なくて。二トン車一台で全ての荷物が積みこめてしまった。お父さんに運転をお願いして高速道路を走っていると、急にお父さんがぽつりと質問を投げてきた。


「なぁ、京太郎。お前、巴絵ちゃんと武大君と何かあったのか?」


「……別に? 何で急に」


「ん、昔のお前達なら、絶対に別れの挨拶とかに来ると思ってたからな」


「……そうだね、昔のままならそうだったかもね。でも、人間変わるもんさ」


 そう、人間は変わる。いつまでも子供のままじゃいられないし、いつまでも昔を引きずって生きて行く訳にもいかない。


 荷物を下ろして粗方の荷物を新居へと移すと、お父さんは夕食を食べてから「頑張れよ」と僕を励まし、トラックを運転して帰っていった。1Kロフト付きの何もない部屋だけど、ここが今日から僕の根城だ。四年の大学生活を終えるまで、バイトと勉強に頑張っていかないと。


 炊事洗濯家事掃除、一人で生きていく上で必須な事だけど、男一人暮らしだとそんなに苦にもならなかった。四年間の学費をお婆ちゃんが出してくれたってのもあるし、それ以外の生活費も両親が出してくれたし。


 バイトがそのまま小遣いになる生活は、高校生のそれとは訳が違う。だけど、衣食住の全てを自分で管理しないとと思うと、意外と無駄遣いは出来ないもので。 


「京太郎君お疲れ様、一緒に帰ろ」


 大学生活が始まって半年が経過した。意外にも今では僕にも彼女と呼べる存在が生まれていて。バイト仲間でもある同級生の女の子。奇跡ってあるのかなって思ったけど、その子は高校一年の時に僕に注意してきた女の子だった。


『京太郎君、君、あの二人の邪魔してちゃダメだよ』


 このセリフを思い出すと、嫌でもあの二人を思い出すのだけど。今は、彼女と出会った最高の言葉として僕の頭脳には記憶されている。


 綿島わたじま二千華にちか、僕と同じ大学に通う同い年の彼女は、同窓という観点からお付き合いが生まれ、今や告白こそしていないけど、自他ともに認める彼氏彼女の関係だ。


 サークルも僕の趣味がボドゲという事もあり、ボドゲ同好会に入った所、彼女も一緒にそこにいたっていう偶然も重なっている。とにかく、世界が僕達を結び付けたがっている。そう思ってしまう程に、二千華との接点は僕の生活全てに繋がっていた。


 そして、僕も二千華ももう高校生じゃない。いつかは僕も童貞を捨てる日が来るだろうと胸を昂らせる。そして、今日がその日だと思う。二千華と二人で薬局に行くと、僕はさりげなくコンドームを籠に忍ばせた。


 見られたらきっと恥ずかしいと思い、食べ物やお菓子の箱と一緒に。

 そして何も言わずとも手を繋ぎ、僕と二千華は1Kの家へと向かったのだけど。


「……京太郎」


 僕の家の前に座り込む女の子を見て、僕は驚き目を見開いた。

 もう、二度と会わないと思っていた巴絵が、玄関前に座っていたのだから。


――

次話「勘違いした幸せと、失ってしまった幸せ。」

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