気付かない馬鹿野郎と、言わない馬鹿野郎。
降矢武大
――
俺には二人親友がいる。
小さな頃から一緒にいるけど、俺からしたら二人は弟と妹みたいな存在だ。
誕生日ってのもあるが、それ以上に京太郎はなよなよしていたし、巴絵は俺達二人にくっついて回っては転んで大泣きする様な、ちょっと手間の掛かる女の子だったってのが大きい。
幼稚園からの腐れ縁は小学校に上がっても続いた。その頃から肉体派の親父に連れられて、俺は空手、しかもフルコンタクト空手に入門する事となる。防具無しの直接打撃制空手、痛いし訓練はキツイしで、何度逃げ出そうと考えたか分からない程だ。
巴絵も同じく親の勧めでピアノを始めていたらしく、練習時間が多くて大変って愚痴をよく溢していた。一番何も無かったのは京太郎だろう。ただ、奴の家は父親の稼ぎが余り良くなく、習い事に使うお金が無かったんだって両親から聞いた事がある。
習い事をしているから偉いって訳じゃない、むしろ何もしていない京太郎が俺達二人からしたらとても羨ましい存在だった。たまに三人揃うと互いの家に行き、自由気ままに過ごした。俺は覚えたての技や型を披露したり、巴絵はピアノを弾いて俺達を楽しませたり。
もっぱら俺はピアノとかに興味が無くて、適当に相槌打ってただけだけど。
中学に上がる頃になると、更に俺と巴絵の二人は自由な時間が無くなっていった。部活に習い事、休みの日は昇段の為の勉強までやる羽目になって。もう全部投げ出したかったけど、父親が怖くてそれも出来なくて。
何度か家出も計画したことがある。だけど、その度に「止めときなよ」って京太郎に笑いながら止められた。行くんなら僕も一緒に行く、どうせ暇だからね。そう言われてしまうと、京太郎の兄としては家出する訳にもいかない。
親友っていうのは、きっと京太郎の様な存在を言うんだと思う。少なくとも俺はそう思っていたし、京太郎もそう思っていたに違いない。
だけど、ある時を境に段々と京太郎は俺達と距離を取り始める様になった。高校入って直ぐだったと思う。巴絵も心配して聞きに来たこともあったけど、遠目に見て京太郎の周りには新しい友達が出来ていたみたいだし、俺達も昔みたいにはいかない。
道場には後輩も出来ているし、俺も巴絵も今を頑張らないと未だ見ぬライバルに負ける未来を味わう事になる。それほどまでに、俺は空手にのめり込んでいたし、巴絵はピアノで結果を出していた。家出を計画するほど嫌だったはずなのに。
「武大、お前一組の
二年に上がって隣の席の男に言われた言葉だ。付き合ってないって言っても信用してくれなかった。何でも女子の間では俺と巴絵がカップルとして成立してるって噂になっているらしい。しかも一年の頃からだと聞かされた時は正直呆れもした。
幼馴染なだけで巴絵とは何ともない。そう何度も説明したけど、暖簾に腕押し、その内いつしか俺も聞かれても相槌を打つ程度で終わる様になってしまっていた。
俺と巴絵は幼馴染。だけど、周囲から言われ続けると、次第にその気になっている自分がそこにいた。巴絵は幼馴染っていう色目もあるかもしれないけど、そんじょそこらの女の子とは比べ物にならないほど可愛い。
性格も子供の頃から知っている。優しくて、泣き虫で、怒りっぽくて、だけど笑顔が可愛くて。コンクールに出る様になってお化粧も覚えたって前に言っていた。そしてその言葉通り、巴絵はどんどん綺麗に化けていく。
いつしか煮え切らない俺と、何も気づいていない巴絵に配慮してか、周囲が積極的に俺達をくっつけようと画策する様になった。突然二人きりになったり、俺と巴絵が出くわすと蜘蛛の子を散らす様に居なくなったり。
俺が巴絵を妹という存在から、一人の女性として意識していくのに時間は要らなかった。それほどまでに巴絵は魅力的だったし、俺の心の支えでもあったのだから。
「相談したいことがあるんだけど、武大君、今日暇?」
ある日、俺は巴絵に誘われて彼女の家に上がる事となった。おじさんやおばさんに挨拶しても、久しぶりだね、大きくなったねって昔同様に受け入れてくれて。
俺も色々と期待してしまった。家に呼ばれた以上、男女関係に発展するんじゃないのかって。洋服も香水も全部ばっちり決めてきたし、プレゼントも忍ばせて来た。ABCの全部を全て今日で完遂できるんじゃないかって期待したその日。
部屋に入り、くだらない談笑に華を咲かせていたその時だった。
俺が巴絵のロケットペンダントに気付き、さりげなく中身を茶化しながら聞いてしまう。恥ずかしいから見せれないと言っていた巴絵だったけど、俺の中では、そのロケットの中は当然ながら俺の写真が入っていて、それを見られるのが恥ずかしいのだと思っていたのだけど。
「……じゃあ、武大君にだけ特別ね……」
そう言って見せてもらったロケットの中身は、笑顔の京太郎だった。
京太郎君の事が好き、小学生の頃からずっと大好きなんだと語る巴絵を見て、俺の心は信じられないまでに冷え切っていったのを覚えている。
何を浮かれていたのだろう、周囲に持て囃されてすっかりその気になった自分がいて。目の前が見えて無かった、巴絵は十年以上前から俺を見ていなかったんだ。
その証拠に、巴絵がロケットの中に忍ばせていた写真は、俺も見覚えがある。
あの写真はこの家で撮った写真で、そこには三人が映っていたはずなんだ。
だけど、そこには巴絵と京太郎の二人だけが映っていて。
俺だけがそこに居なかった。
良かった。俺はそう思う事にした。俺が告白なんてしていたら、きっと巴絵を困らせる事になる。アイツを泣かせる奴を、俺は許さない。兄として、妹を守るのは当然の義務なのだから。
握り潰したプレゼントを川に投げ捨てて、俺はまだ始まってもいない恋の終わりを嘆いた。殴られたり、蹴られたりとは違う。心の痛みはとっても痛いんだって、その時初めて気付いた。
その日以降、俺は巴絵と距離を取る様に徹する。
相変わらず相談したいと言ってきた巴絵だったけど、その時の俺は昇段試験もあったし、大会もあったりで冗談抜きに忙しい状態にあったってのもある。
……嘘だ、そんなの体のいい言い訳だ。俺は、巴絵を見ると諦めきれていない自分に気付いてしまって、心の底からそんな自分が嫌いになるんだ。
このままじゃ、親友も幼馴染も嫌いになってしまう。
そんなのは嫌なんだ。
「サロンコンサートを開く事になったの。私、そこで京太郎に告白する。出来たらでいいんだけど、武大君にも来て欲しいって思ってるんだけど……ダメ、かな」
多くの人に自分の告白を聞いて欲しい。そういう巴絵に対して、俺はフラッシュモブでもするか? って冗談交じりに聞いたけど、それはいいよって断られた。
ついにモヤモヤの全部が吹っ切れる、そう思った。このコンサートが終われば、晴れて京太郎と巴絵はカップルとなり、二人は延々と幸せに生きて行くに違いない。
俺は、兄としてそれを遠くから眺める。本当は、巴絵の側に居たかった。
だけど、それを表に出してしまうと、全部が壊れる。
あの日着た服装を再度着こんで、俺はレストランへと向かった。
知らなかったんだ、まさか京太郎が巴絵の誘いを断っていたなんて。
ピアノの前に座らされ、俯いたまま、巴絵は泣いていた。
この日の為に練習した楽譜が見えない、聞かせたい人が、ここにはいないと。
巴絵が退席した後の重苦しい空気の中、巴絵の両親が各席を回って謝罪した。俺にも「武大君、すまなかったね」と謝ってくれて。中には叱責する人もいたみたいだけど、それに対してもただただ謝罪していた。
今回の件で、多分巴絵は音楽界における信用を失ってしまった可能性がある。俺も空手をやっているから分かるけど、先生の信用と信頼っていうのはとても重要なんだ。推薦が命、それが無かったら昇段試験すら受けられない可能性だってある。
怒りのまま俺は京太郎を呼び出した。何も知らない顔をして、自分は平気ですって顔をした京太郎を見て、心の底から腹が立った。
「……あの日、結局巴絵はピアノを弾かなかった。聞かせたい人がいないって言ってな。いろんな先生達も集まってたのに、巴絵はお前の為に全てを捨てたんだよ。巴絵が人生を賭けて積み上げてきたものを、お前が壊したんだ!」
俺は、卑怯な男だ。
巴絵の想いを知っていたくせに、京太郎には教えなかった。
そして、それに何で気付かなかったと怒鳴り散らしたのだから。
結果、巴絵は泣いていた。泣かせたのは、俺だ。
――
次話「戻れない過去を悔やむよりも、未来を見る。そんなの、無理だと知った。」
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