私のせいで苦しんでいるなんて気づきもしなかった。

八子巴絵

――


 いつからだろう、京太郎君の事を好きになっていたのは。


 物心ついた時には側にいてくれて、私が何か困ると直ぐに手を差し出してくれた彼の事を好きになるのは、私の中では当たり前の事なのだと思ってしまっていた。


 武大君も一緒にいてくれたけど、彼はどちらかと言うと一人突っ走るタイプ。困っても巴絵一人でどうにかできるだろ? そんな風に突き放してくる武大君の事は、友達としては良かったけど、心から好きになる事はなくて。


 ある日、二人を家に招待してピアノを弾いた事がある。


 まだ小学校低学年の頃で、有名な曲なんかではなく、両手で弾けるようになる為の練習曲にしか過ぎなかったのだけど。興味無さそうに本を読む武大君とは違って、京太郎君は笑顔で拍手をし、私の演奏を凄い凄いと褒めてくれた。


 彼に褒めて貰えるのが嬉しくて、私は隙あらばピアノの練習をしていた。有名な曲もいくつか弾けるようになり、先生からも褒められる程度に上達したけど、私の願いはいつだって京太郎君の笑顔と拍手だった。


 中学生の頃、雑誌で知ったけど、彼みたいな人を全肯定の人って言うらしい。


 彼氏にするには一番良い、疲れた時に癒してくれて、何か困ると直ぐに助けてくれて。気を使わなくて良くて、側にいて安心する人の事だと書かれていた。


「……京太郎君そのままじゃん」


 思わずニヤついてしまった事を今でも覚えている。


 海外へも行く機会が増え、私はあらゆる場所でピアノを弾いた。それに伴って英会話も習い始め、段々と京太郎君と過ごす時間が減っていく。だけど、そのどれもが最終的には彼の笑顔に辿り着けるのだからと、それだけを心の糧にして毎日のハードスケジュールをこなしていた。


 だけど、ある日を境に、京太郎君は私から距離を取る様になった。

 理由を聞こうをしたけど、時間がない。


 私の周囲には常に誰かがいて、雑音の様に耳元で囁いていて。邪険にする訳にもいかなくて、作り笑顔で対応する毎日に、段々と嫌気がさしていた。


「最近、京太郎の奴にも友達が出来たらしいぜ?」


 そんなある日の事だ。京太郎君とは疎遠になっていくのに、何故か武大君と二人になる時間が増えていて。そんな中で聞けた唯一の京太郎君に関する情報だった。


 同じクラスではなかったから気付かなかったけど、休み時間にトイレに行くふりをしてそっと京太郎君の教室を覗くと、確かに男子生徒数名と京太郎君は楽し気に過ごしていた。


 相手が女子じゃないなら大丈夫。きっと私がまた何かしたら京太郎君は喜んでくれるに違いない。そう信じて私はその後も変わらぬ生活を送った。


 会えない時間が長すぎて、いつからか私はロケットペンダントに彼の写真を忍ばせる様になった。側に居れなくても、想いだけは側に居たい。


 どんどん降り積もる雪のように京太郎君への想いが募っていくのを感じた私は、京太郎君に告白しようと一人決意をする。


「まだ、京太郎の事が好きなのか」


 これは、武大君から言われた言葉だ。うん、と返事をすると、そうかって。


 幼馴染の彼にだけは、私は自分の想いを伝えていた。一番安心できるのは京太郎君だけど、一番信頼しているのは武大君だったから。私が京太郎君に告白したいと相談すると、武大君は先の言葉を発し、ただただ頑張れよって応援してくれた。


 二人とは大人になっても、ずっと一緒にいて欲しい。

 それが、どれだけ酷い事を言っているのか、その時の私には分からなかった。


 私は意外と勇気が無くて、意気地も無くて。京太郎君との今までの距離が分からなくなっていた私には、彼を誘い出す事がいつまで経っても出来なかった。


 そんなある日のこと。私はまたピアノのコンサートの件で表彰される事となり、全校生徒が集まる中、一人壇上へと上がる。もう慣れたもので、緊張とか歓びとか、そういうのは余り感じなくなっていた。


 校長先生からのお言葉を頂戴し、ぺこりとお辞儀をすると、次は振り返って全校生徒へとお辞儀をする。私はその一瞬で京太郎君を探し出すのが好きだ。彼はいつだって私を見て、笑顔で拍手してくれる。


 昔は会場まで来てくれたけど、京太郎君だってお付き合いがあるのだから、そこまで求めてはきっと迷惑になってしまう。だから、この時だけでも彼の笑顔を見れればなって。そう思っていたのに。


 京太郎君は俯いて、拍手の一つもせずに座っていた。


「うそ……」


 思わず声に出てしまった私の呟きは、雷鳴の様な拍手の渦に消えていく。


 京太郎君が喜んでくれないのなら、私は一体何のために頑張っているのだろう。京太郎君に何があったのだろう。


 分からなくて、でも聞けなくて。無駄に過ぎていく時間の流れを憎ましいと思いながらも、私達の高校生活は終わりへと突き進んでいく。

 

 その後も数回受賞して壇上に上がったけど、京太郎君はもう、私の事を見向きもしなくなってしまっていた。


「なんでだろう、私……何か京太郎君に酷いことしちゃったのかな」


 武大も最近は冷たくて、何か相談しようとしても「忙しいから」の一言で終わってしまう。持て囃される他人よりも、京太郎君か武大君の声が、私は聞きたい。


 思いは、言葉にしないと伝わらないものだ。

 だけど、私にはその勇気がない。 


 最近の私が余りに落胆しているからと。両親が心配してサロンコンサートの場を設けてくれた。たまには何も気にせずピアノを弾くと良い、賞とか成績とか、そういうのは全部無視して、自由に弾きなさい。そんな事をお父さんが言ってくれて。


 私は、これが最後のチャンスだと思った。

 これに京太郎君を誘って、家族の前で、皆の前で告白する。


 今までの全部を帳消しにする千載一遇のチャンス。証人は多ければ多いほど良いかと思い、武大君やピアノ仲間、それまでお世話になった先生まで誘ってしまった。思えば浮かれてたんだと思う。告白が失敗する未来なんて見えなかったから。


「今度、コンサートあるんだ。部活とか、大会とかじゃないの。サロンコンサートって言うんだけど……親が私の為にレストラン貸し切ってくれてね。それで、京太郎君にも来て欲しいと思うんだけど……今度の土曜日、空いてる、かな」


 久しぶりに側で見た京太郎君は、髪が前よりも少し伸びて、だけどそれを整える様な事もしてなくて。子供の頃と少し変わったけど、前髪から覗く瞳は昔と変わらない。笑顔になると細くなって、笑窪と共に笑うんだ。


 空白。何故か間が空いてしまって、私はそれに耐える事が出来なくて。


「あ、勿論レストランだから、食事もできるから、ご飯を食べにくるって感じでも大丈夫なんだ。それに武大君も来てくれるって言ってたから、だから京太郎君も――」


 つらつらと、でも焦りながら適当に言葉を並べてしまっていた。それが、京太郎君にとって、とてもとても辛い言葉だったとは露にも思わずに。


「――ごめん、僕その日外せない用事があるんだ。他の人誘ってよ」


 呼吸が出来なかった。無意識で握りしめたロケットペンダントがカチャカチャと音を立てる。他の人? 京太郎君の代わりなんて誰もいないよ? 外せない用事って、なに? 私がそれに合わせるから、だから聴いて欲しい。昔みたいに褒めて欲しい、拍手して、笑窪を作って笑って欲しい。……側にいて欲しい。


 京太郎君がいなくなってしまった後も、その場で私は泣き続けた。


 泣き声に気付いて数人の生徒が来てくれたけど、側にいて欲しいのは顔も名前も知らない貴方達じゃない。私が側に居て欲しいのは京太郎君ただ一人なのに。


 サロンコンサートの当日。


 ドレスを身にまとった私は、ピアノの前に座り鍵盤を眺める。

 何だったのだろう、私は一体何を求めてピアノを弾いていたのかな。


 楽譜が歪んで見えない。ぽたぽたと落ちてく涙が止まらなくて。居て欲しい人がそこにいない。空席になった一番前の席を見ては、頬を震わせながら口を引き結んだ。


 結局その日、沢山の人を呼んだ私のコンサートは、単なる食事会と名前を変える事となった。両親に叱られる事もなく、家に帰った私は一人ベッドで横になる。


「……もう、忘れよう」


 むくりと起き上がり、首から下げたロケットペンダントを外すと。

 それを、引き出しの中にしまい、私は、がちゃりと鍵を掛けた。


――

次話「気付かない馬鹿野郎と、言わない馬鹿野郎。」

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