大帝カール⑪

1.それでは皆様、ごきげんよう


 実のところ、エリザベートも余裕があるわけではなかった。

 堕天の弾丸により力は殆ど使い果たしてしまったし、それ以前に魔王化による反動もあった。

 正直、指一本動かすことさえ辛い状態だった。


 ――――が、全てのカードを切ったわけではない。


 最後に一枚だけ切れる札を温存していたのだ。

 それさえも乗り越えたのなら……ああ、認めよう。彼こそが父の求めた男であったのだと。

 ゆえにこれが最後の試練。口付けと共にエリザベートは自身の裡に巣食っていた“ナノマシン”のリミッターを全てカットしカールに注ぎ込んだ。


(始原魔法と超科学が合わさり生み出された最悪の生体兵器である“魔王”の細胞ナノマシン

幾重にもリミッターをかけた上でも尚、その力を抑え付けることは容易ではない。少しでも油断すればその瞬間に心と身体を染め上げられる)


 エリザベートを通して希釈したものを与えた兵士達でさえあの有様なのだ。

 リミッターを外してしまえばエリザベートとて数分と経たず呪詛に呑まれてしまうだろう。

 ゆえに、最後の試練としては打ってつけだ。


(それにしても、咄嗟の判断力に関しては流石と言わざるを得ませんわね)


 唇を奪った瞬間、カールは融合を解除し三人を体外へ弾き飛ばした。

 何が起こるかは分からずとも不味いと思ったのだろう。


「う、ぐ、ぉおおおおおおおおおおおお!!!!」

「カールくん!」

「カールさん、御気を確かに!!」

「お兄ちゃん! お兄ちゃん! 何がどうなってるのよ!? どう考えてもクリス達の勝ちだったのに!!」


 全身を駆けずり回る呪詛に絶叫を上げるカールと必死にその名を呼ぶ妹達。

 それを眺めながらエリザベートはやはり無理だったかと小さく溜息を吐く。

 すると、


「お前ぇえええええええええええええええええええ!!!!!!」


 クリスが憤怒の形相でエリザベートの顔面を殴り付ける。

 地面に叩き付けられ血を吐き出すエリザベートだが、その顔には恐れも怯えもない。


「吐け! 何をした!? お兄ちゃんに何をしたァ!!」

「ふ、ふふふ……さて、何をしたのでしょうね?」

「この……!」

「殺しますか? 結構。もうやるべきことはやり終えましたし」


 悔いがないと言えば嘘になる。

 だがその後悔はもう取り返しがつかない。あの日、あの時、父を殺せなかった時点で。

 妹達にも愛しい男を奪ってしまったという多少の申し訳なさはあるが、ここでダメならどの道ダメなのだ。

 であれば良い時期に殺してやれたのだからまあ、問題はなかろう。

 口には出さないがエリザベートはそう思っていた。


「ああでも、念のために言っておきますがわたくしを殺しても陛下がどうにかなるとかはありませんのであしからず」


 殺すなら殺せ。

 そっと目を閉じるエリザベートの耳に信じられない言葉が飛び込んで来る。


「――――つまりこれが正真正銘、最後の切り札だったわけだ」

「「「「え」」」」


 目を開け勢い良く身を起こすと、そこには平然とした様子でカールが立っていた。

 妹達も目を丸くしているところを見るに知らなかったようだ。


「良いこと聞いたわ」


 フン! とカールが小さく気合を入れると蠢いていた呪詛がぴたりと止む。

 そして驚くほどスムーズに魔王化が成された。

 自分のような不完全なそれではない。六対十二枚の翼を見れば分かる。明らかに自分のハイエンドだ。


「な、なぜ……」


 カールの精神力が狂気の域に達しているのは知っていた。

 だとしても、直に魔王因子を取り込んだからこそ分かる。

 如何なカールであろうとこうもあっさりと支配下に置けるはずがないと。

 確率で言えば最大限高めに見積もって零でなければ良いなというのがエリザベートの見立てだった。

 それぐらいでないと最後の試練にはならないから。


「……その反応からしてやっぱり毒に類する何かだったらしいな。それも高確率で俺を仕留められるとお前が確信を持つほどの」


 そうだ、その通りだ。

 だからこそ意味が分からない。一体、何が起きている?


「やっぱアンヘル達を放り出して正解だったな――……ああ、何が起こってるかは俺にも分からんぞ?

やべえ毒だ! で三人を放り出してから覚悟を決めてたんだけど何もないんだもん。

いや、何か身体の中を這い回ってるのは分かってたよ? 分かってたけど別にどうともなかったんだよな。

精々ちょっとむず痒かったくらい? でもまあ、これは使えるかなーってとりあえず“ぐぉおおおおお!?”してたってわけよ」


「ふ、ふふ」


 特に何もない? ちょっとむず痒かった? 何だそれは。


「あはははははははははは!!!」


 訳が分からない。意味が分からない。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、この現象にカールの精神力や強靭な肉体などは微塵も関係がないということぐらいか。

 それらの要素によって克服される可能性は確かにあった。

 だが呪詛そのものを最初から無効化していたのならば関係はなかろう。


「はぁー……予想外ではありましたが、まあこれはこれで。天運――それもまた必要な要素でしょうし」


 こんな形で証明が成されるとは思っていなかったが認めよう。

 カール・ベルンシュタイン。彼こそが父、そして世界が求めた男であると。


「…………よく分からんが、もう敵対の意思はなさそうだな。なら――――おい、何だそれは!?」

「あら残念。もう時間がないようですわ」


 ビキィ!? と不快な音が耳朶を揺らす。

 どうやら限界が来たらしい。


「ああ、回復魔法は結構ですわ。意味がありませんので」

「お前……」

「ええ、最初からこうなることは織り込み済みでしたわ」


 魔王の力は人の手には余るものだ。

 そんなものに手を出した以上、代償は避けられない。


「ですが陛下の場合は例外のようですし、存分にお役立てくださいな。

そして陛下がお知りになられたいことについてですが、そちらについても御安心を。いずれ別の者が御伝えに来るでしょう」


 一応、保険も用意しているが成功する可能性は低い。

 エリザベートは上品な笑みを浮かべ、最後にこう告げる。


「それでは皆様、ごきげんよう」




2.嘘だろマジかよ!?


 悪役令嬢は灰となり崩れ去った。人間の死に方ではない。

 これが、これが幕切れなのか。俺も、アンヘルも、アーデルハイドも、クリスも何とも言えずに灰溜まりを見つめることしか出来ない。

 つっても何時までもアホみたいに棒立ちしてるわけにもいかんのが辛いところだ。


「……はぁ」


 溜息交じりに俺の声を戦場全域に伝えるようゾルタンに指示を飛ばす。

 数秒で手筈が整ったと返事が来たので俺は声を張り上げる。


「首魁である馬鹿皇子二人を捕らえ、悪役令嬢の討伐も終えた――……この戦、俺達の勝ちだ!!!!」


 高々と拳を突き上げると大地を揺らすような雄叫びが上がる。

 後は帝都に入ればそれで終わりだ。

 馬鹿二人の公開処刑についてはまた後日で良いだろう。


「……情報が残っているかは怪しいですが、帝都に入ったらあの女が使っていた部屋などを調べてみましょう」

「ああ。駄目元でもやらんとな」


 後日使いが来るとか言ってたが、それを鵜呑みにして何もせんのはいかんだろう。

 ってか戦争が終わったのに全然すっきりしねえズラ。もやもやするズラ。

 悪役令嬢にしてもさぁ。あれ、勝ち逃げじゃん。どう考えても勝ち逃げされてるじゃん俺。

 何で俺に気持ち良くブン殴らせてくれないの? はー、萎えるわー!


「ところでお兄ちゃん。それ、ホントに大丈夫なの?」

「え? ああ、これね。大丈夫大丈夫」


 十二枚の翼を小刻みにバサバサさせてアピールする。


「……後でゾルタン先生にしっかり調べてもらうべきだと思う」

「分かってる」


 頷き、元の状態に戻る。今んところ制御は出来ているし害もなさそうだがそれはそれ。

 貴重な遺失技術の産物だろうし万が一が起きる可能性もあるのだから調べないわけにはいくまい。


「っと、来たな」


 シャルや新帝国軍の将軍達がやって来る。


「陛下」

「ああ」


 シャルが引いて来た馬に飛び乗る。

 徒歩で凱旋じゃ流石に締まらないからな。

 アンヘルとアーデルハイドもゾルタンが用意した馬に乗っている。

 どちらも馬術の経験なんてないのに実に様に……いや、馬の瞳が虚ろなところを見るに操っているようだ。

 クリスは運動神経こそ悪くないが馬に乗る経験はないので念には念を入れて庵と二人乗りをしている。

 庵も馬術の心得はないのだが代わりに櫛灘姫の力で動物との意思疎通を可能にしているから問題はない。


「それでは凱旋と洒落込もうか」


 俺が先頭を切り軍を率いて進む。

 決戦に勝利したこともあって、かなり浮ついた空気が全体から漂っているが……まあ良いか。

 これまでの戦いで勝利した後に無法を働く馬鹿どもは徹底的に粛清して来たしな。

 ここに居るのは最低限のモラルを持った奴ばかりだ。であれば多少の浮かれ気分ぐらいは許容して然るべきだろう。


「……俺もはしゃぎてえわ」

「はしゃげば良いじゃないか」


 俺の独り言に少し後ろを走っていたシャルが反応する。


「そうもいかねえよ。俺ぁ、皇帝様だからな」


 すっきりしない勝利ではあるが勝ちは勝ち。面倒事が一つ片付いたのは事実だ。

 それでも一般兵と同じように浮かれるわけにはいかない。

 悪役令嬢の問題を差し引いても戦後の処理がある。皇帝としてはむしろここからが本番だろう。


「皇子を筆頭としたアホどもの処刑。論功行賞。内政、外交……考えるだけで頭が痛くなるわ」


 俺は素人だから基本的には本職に任せることになるだろう。

 だがテキトーに判子ぽちぽちするわけにもいかん。

 しっかり話を聞いて理解した上で決を下す必要がある。想像するだけでしんどい。


「大変だねえ」

「他人事みてえに言ってるがお前はお前で大変だからな」


 シャルは流浪の騎士を捨て、皇帝カール・ベルンシュタインの騎士となった。

 戦争が終わったからとてその立場を放り捨てることは出来ない。

 これからも皇帝第一の騎士として生きていかねばならないのだ。


「それは勿論、覚悟の上さ。でもまあ、私のやることなんてそう大したことではないだろう?」


 あながち間違いではない。

 名実共に皇帝になる以上、その周りを固めるのは当たり前だ。

 シャルを筆頭とする親衛隊を結成しなければいけないが、その人選には他の奴らも加わるし事務仕事も専用の人員が用意されるだろう。

 とは言え、とは言え、だ。コイツにはかなり面倒な仕事をやってもらわねばならない。


「…………親衛隊を結成するにあたってな、数十人はもう決まってるんだわ」

「? それは良いことじゃないか」

「…………ライブラの奴らをそっくりそのまま組み込もうかなって」

「!?」


 ライブラ。かつて教鞭を執った帝都魔法学院の生徒達で構成されている俺の親衛隊を名乗る不審者の群れだ。

 市井で普通に活動する分には関わりたくねえしと放置していたが……もう、逃げるわけにもいかない。

 奴らは確かに俺の役に立ってくれた。ああ、そこは認めよう。

 だが俺のためならと自分の身内を躊躇なく殺し、何もかもを投げ打って俺の下にやって来る忠誠心は危険極まる。

 今のところ大丈夫だがこのまま放置したら俺のためにとヤバイことをしでかしそうでとても怖い。


「…………だったらもう、俺の目の届くところに置いとくしかねえじゃん?」


 ああなったのは一応、俺の責任でもあるし有能は有能だし忠誠心に関しては文句のつけどころがない。

 単純な戦力という意味では皇帝直属になるには心許ないが最初は下っ端から始めさせるつもりだし、下っ端としてはまあ……許容範囲だろう。

 それに奴らの向上心なら鍛えればそれなりのラインにまでは到達すると思う。


「奴らの教育はお前の仕事です」

「嘘だろマジかよ!?」


 当たり前だろ。全幅の信を置ける奴ぐらいにしか任せられんわ。

 下手な奴に任せてその忠誠心がまたぞろおかしな方向に進化したら目も当てられん。


「お前マジ、責任重大だからな」

「…………頭が痛くなって来た」


 だから他人事じゃねえって言っただろ。


「はぁ……ところで戦場には出ず帝都に留まっていた連中に関しては大丈夫なのかい?」

「問題ない。随分と前からシスタージブリールの手引きで明美の組織の人員をコッソリ帝都に仕込んでたからな」


 それに加えて敵軍の兵士らの異形化が解除された時点で明美と久秀に帝都へ行くよう指示を出しておいた。

 まず逃げられんだろう。仮に逃げられても地獄の底まで追いかけて殺す。


「抜け目ないねえ」

「昔はこういうことばっかやってたからな。それにしても……クク、楽しみだなぁオイ」


 先のことを考えるとげんなりするが公開処刑でストレスを発散することが出来るのは素直に楽しみだった。


「奴らの尊厳を徹底的に踏み躙って殺してやるんだ」

「……皇帝として無用な悪名を被ることは避けるべきじゃない?」

「立場が立場なら悪名も役に立つ。特に俺はまだ二十にもなってない小僧だからな」


 内外問わず、舐められ易いのだ。

 ゆえに公開処刑を利用して俺に舐めた真似した奴がどうなるかを見せ付ける。

 皇帝として国を背負う以上、俺は何が何でもこの国を守らねばならんのだ。


「…………何となく、君という人間がわかった気がするよ」

「?」


 何だ急に。


「背負うものが増えれば増えるほど君は善に近付く。大切なものを守るためにね

だが逆にそれらを悪意によって失ってしまえばその心は漆黒に染まり如何なる悪徳も躊躇しなくなる。

ああ、なるほどね。君を守るために君の大切なものを守るのが騎士たる私の役目ってわけか」


 何一人で納得してんだコイツ。


「ま、あれだよ。これからもどうぞよろしくってことで」

「おう。問題児どもの世話は任せたぞ」

「…………どうしてこの空気で目を背けていた現実を突きつけるの?」


 ダメだよシャル、現実から逃げちゃ。

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