大帝カール⑧
1.セクハラ神拳だ
「――――まず一つ、お前は“視野狭窄”だ」
言葉と共に拳が打ち込まれる。
打撃の威力自体はこれまでとそう変わらない。なのに、
(……響く……芯に……身体よりも、もっと深い……!)
たたらを踏みながら反撃を繰り出すが拳に合わせて頭突きをぶつけられ、拳が砕けてしまう。
あちらの頭蓋にも皹が入っているだろうがカールはまるで気にせず、言葉を続ける。
「真実の己を取り戻す。お前にとっては死活問題なんだろうが他にもやり方はあっただろ」
一国を滅ぼしかねない戦争に加担する。どう考えても正気の沙汰ではない。
そう言うカールに真実男も反論を口にする。
「き、君だってそうだろう? 汚名を晴らすために国を滅ぼすなんて考えるのは狂人の所業だよ」
「頭おかしいって点ではまあ、傍から見れば同じだろうよ。だが決定的に違う点がある」
選択肢の有無だとカールは指摘する。
「俺は数ある選択の中から選んだ結果がそれだった。他の選択肢が見えていなかったわけじゃない。
が、お前は違う。これしかない! と他の可能性があるかどうかも考えず真っ直ぐその道を選んだ。
それだけ必死だったってのもあるんだろうさ。だが、何が何でも叶えたい願いだからこそ普通は考える。
このやり方は一回選んじまえば後戻りは出来ない。失敗したら何の意味もなく死ぬだけだ。
だからこそ、それを選ぶ前に他の可能性があるかどうかを考える。でも、お前はそんなことしなかっただろ?」
見透かしたような瞳に一瞬、怯む。
カールの言う通りだった。真実男はこれしかない! これが唯一の正答だと疑うこともなく突っ込んだ。
「お前が視野狭窄だって根拠は他にもあるぜ?
神崎から聞いたが食事をする時、口元にソースやら食べかすがついてても言われるまで気付かないらしいじゃねえか」
一つのことに集中して他が疎かになる典型だ。
カールの言葉に真実男は言葉を詰まらせる。
と、同時に確かにそれは自分の欠点だと“自覚”していることに気付き愕然とする。
『一つの事に真剣に取り組めるのは良いことだがお前の場合は行き過ぎだ。
歩いていてもよく転ぶだろう? 他が疎かになっているせいだ。もう少し視野を広げなさい』
欠けたものが戻って来たような感覚。
何時かどこかであった温かい記憶が脳裏をよぎった。
「さあ次に行こう。“お前は不自由のない家庭で育った”」
「ぶっ……!」
鞭のようにしなる回し蹴りが真実男の頬を打ち据えた。
「かと言って貴族なんかの上流階級ではないな。ちょっと裕福な中流家庭ってところか。根拠はさっきと被るが食べ方だ。
口にソースをつけたりぽろぽろ食べかすをこぼしたりはするが、そりゃ注意力散漫だからであって作法そのものに問題があるわけじゃない。
ナイフやらフォークの使い方はしっかりしてたみたいだしな。
品を求められる上流階級の生まれならそこの部分も徹底的に躾け直されていただろうがそれはなし。
注意はされていただろうが体罰を伴うような厳しい躾が行われるほどではなかった。兄弟姉妹の有無は分からんが少なくとも両親はどちらかと言えば甘い方だったはずだ」
そうだ。その通りだ。
注意はしても、手を出されるようなことはなかった。
(……お父さん、お母さん)
怒られた後の困ったような笑みが最初に浮かび、次に全体の輪郭が思い浮かんだ。
そうだ。父と母はこんな顔をしていた。
「良い家庭だったんだろうな。何もかも分からなくなっても辛うじて残るものがあった。だから俺は残滓を拾ってやることが出来た」
優しい声色と共に放たれた前蹴りが腹部に突き刺さる。
吐しゃ物を撒き散らす真実男の髪を引っ掴みカールは地面に叩き付けた。
「何をやっているかはもう分かったな?」
「……ぁ、ぐ」
「他者は自分を写す鏡だ。わざわざこんな大掛かりなことをしなくても誰かと語らい絆を深めりゃ少しずつ失くしたものを取り戻せただろうよ」
だがお前はこの道を選んだ。
ならば相応の責任を取っていけと言いカールはその後頭部を思いっきり踏み付けた。
「さあ続きだ」
それからもカールは苛烈な攻撃と共に言葉を叩き付けていく。
その度にひとつ、またひとつとピースが嵌まっていった。
バラバラで何も分からなかったパズルは徐々に徐々に輪郭を帯びていく。
「さて……ここまで来ればお前がどんな人間なのかは大体察しもつくがここで止めたら画竜点睛を欠く。
瞳を書き入れるためにもお前という人間の核心に触れなきゃいかんだろう――――立て」
髪を引っ掴まれ無理矢理立たされる。
カールはどん、と真実男を突き飛ばして距離を取らせた。
「ッ!」
これまでのような真っ直ぐな動きではない。
緩急を巧みに使い分けた足捌きでカールは真実男の背後に回り込んだ。
咄嗟のことに反応が遅れるも次の瞬間、頭が真っ白になった。
「…………へ、変態!!!!」
胸を揉まれたのだ。しかも、かなりイヤらしい手つきで。
全霊の裏拳をひょいと躱したカールはうむ、と頷き告げる。
「――――セクハラ神拳だ」
「わ、技名なんか聞いてない!!」
「ま、それはさておきその反応でどっちかは“判明”したな」
「?」
ふぅ、息を吐きカールは語り始めた。
「何でお前はそうなったんだろうな?」
「? それは、カースが暴走して……」
「何でカースが暴走した?」
「そ、それは……人の真実を見続けていたからじゃ……」
相手の虚飾を見抜く力。
優しく接してくれる相手のその笑顔が一片の真実もない嘘だということが分かってしまうような能力を持っていたら心を病んでも不思議ではない。
そして心を病んだ末にカースを暴走させてしまった。
真実男はそう考えていたが、
「それはおかしい。少なくとも貰った当初はキッチリ制御出来ていたはずだぞ」
カースの暴走は珍しくはあるが皆無というほどではない。
だがそれにしたってカースを使用し続ける内にという感じだ。
才能ではなく異能系のカースはON・OFFを切り替えられる。最初は真実男もスイッチを切り替えられていたはずだとカールは指摘した。
「……た、確かめずには居られなかったからカースを使い続けて……」
「ホントに? お前は本当にそう思うのか?」
「……」
真実男には少なくとも二人、嘘偽りのない愛情を注いでくれる人が居たはずだ。
カースを得てから息子/娘の様子がおかしくなったのなら直ぐに気付き、相談に乗っただろう。
「そのカースはお前の心を蝕む毒になるから使わない方が良い。両親にそう言われたらお前はどうする?」
「…………つかわない」
「だろうよ。なら何故、カースは暴走したのか。それはお前という人間が生まれながらに大きな矛盾を抱えていたからだ」
「大きな、矛盾?」
「そうだ。その矛盾によって誤魔化すためにカースは暴走した……いや、暴走させたと言うべきか」
「そ、それじゃあまるで僕が望んでこうなったみたいじゃないか。そんなことは……」
ない、と言いたいのに言葉が続かない。
縋るようにカールを見つめると、
「全部が全部そうではないだろう。原因の九割ぐらいは自己矛盾による崩壊を避けようとする防衛機制だと思う。
だが、残る一割程度はお前の意思も介在していたはずだ。じゃなきゃ、そうはならないはずだ」
そもそもからして何かおかしいとは思ってたんだとカールは嘆息する。
「お、おかしい?」
頷き、カールは続ける。
「俺は最初、お前を見た時性別も年齢もまるで分からなかった。それは他の奴らもそうだろう」
その通りだと真実男は頷く。
「だが人間であることに一度も疑いを持ったことはなかったし、性別は分からなくても容姿はハッキリ認識出来ていた。
そして言葉を交わし拳を交えることでお前がどんな人間であるかも知ることが出来た……おかしいだろ」
完全にカースが暴走していたのなら何一つ分からなかったのではないか?
例えば言葉。何もかもが曖昧になっていたのなら意思の疎通さえ不可能だったはずだ。
都合良く分かる部分と分からない部分が分けられているなんておかしい。
ゆえにカールは暴走には真実男の意思が介在していると断定したのだ。
「一つ一つピースを嵌めていくごとにこれまで曖昧だったものが正されていった。
パズルと一緒だな。完成はしてなくてもある程度まで来ると全体像が想像出来るようになる。
直接指摘していない部分についても見えるようになって来たよ。だが一つだけ。頑なに曖昧な部分がある」
それこそが核心。暴走を引き起こした大きな矛盾であると言う。
「性別だよ」
「…………さっき胸を触ったのはそれを確認するため?」
「そうだな。ただ、これは俺がそういう知識を持っていたからってのもあるんだろうな。知らなきゃ多分、触っても分からなかった」
「?」
カールはすぅ、と大きく深呼吸をし真っ直ぐ真実男を見つめ……告げる。
「――――性同一性障害」
2.ホントの私、デビュー
心は男なのに身体は女。心は女なのに身体は男。
時たま、そういう心と身体の不一致を抱えたまま生まれて来る人が居る。
それが性同一性障害。この世界にもその名前があるかどうかは知らんが真実男はそれだった。
「心は女で身体は男。その矛盾がお前を苦しめていたんだろう?」
人は異端を嫌う生き物だ。それはこの世界でも変わらない。
前世においては性同一性障害に悩む人々は社会に認知され受け入れられていたが、最初からそうだったわけではない。
症例自体は昔からあっただろうが社会で受け入れられるまでにはン十年もかかったことだろう。
そしてそれにしたって個人の自由と権利が尊重される社会という土壌があってのことだ。
この世界も不自由を感じることはないけど根底にあるのは王政、帝政。
皇子らが俺にそうしたようにいざとなれば権力者が簡単に個人の自由と権利を踏み躙ってしまえる社会なのだ。
そんな社会に心と身体の違和を持って生まれて来た真実男は……さぞ、苦しんだことだろう。
「両親にも相談出来なかった。それは否定されることを恐れてではない。両親を苦しめたくなかったからだ」
性自認についてカミングアウトしたら親に否定された、みたいな人が前世にも居た。
それを恐れてならばまだ良かったが、真実男の両親は善良で優しかった。
カミングアウトすれば“ちゃんと生んであげられなかった”と苦しむことは想像に難くない。
それが嫌だったから真実男はずっとずっと己が真実を胸に秘め続けていた。
「そんなとこによりにもよって真実を見抜くなんてカースを宿しちまったもんだから……なあ?」
気取られないために、心配をかけないために男として生きて来たのだろう。
必死に自分は男だと思い込んで、な。苦痛だったろうさ。心は常に軋んでいたはずだ。
それでも誤魔化し誤魔化しやっていたが真実を見抜くカースはその誤魔化しを許してはくれなかった。
その目は男として振舞う己の欺瞞を見抜いてしまった。
「だからと言ってどうすれば良い? 心は女だけど身体は男なんだ。どう生きれば良い?」
分からん、分からんよな。
自分はどうしてこうなんだって散々、葛藤したはずだ。
性自認の問題についての知識が一般レベルにまで普及してる世の中なら少しは道も見えようが……。
「自問自答を繰り返して、遂には心が限界に達しちまった」
その結果が真実男の誕生だ。
俺の話を俯きながら黙って聞いていた真実男はゆっくりと口を開く。
「…………そうだ。その通りだ。ああ……思い出したく、なかった……これが、こんなのが真実なら僕は……」
今ならハッキリと分かる。真実男の肉体は華奢ではあるが確かに男のそれだ。
が、ここで終わりというわけではない。
ここで終わりなら戦力としては使い物にならんだろうしな。
「それは違うな」
「え?」
「思い出したくなかったなら何故、俺はその答えに辿り着けた? 言っただろ、暴走にゃお前の意思も介在してるって」
完全な忘却が真の望みなら何もかもが曖昧になっていたはずだ。
にも関わらず俺は真実男を知り、その核心にまで辿り着けた。
それは、
「お前は知って欲しかったんだよ」
答えを求めていたのだ。
このままでは壊れてしまうから暴走したものの、真実男はそこで終わることを良しとはしなかった。
心は女。身体は男。この矛盾の先にあるものを求めていたから何もかもを曖昧にするわけにはいかなかった。
「真実を覆い隠す霧を超えて答えに辿り着くってことは、それだけお前をよく見ているってことだからな」
そんな奴なら答えをくれるかも、そう無意識に期待したのだ。
実際、さっきから俺のカースは発動しっぱなしだからな。
これまでは反応してなかったが霧を祓って核心に近付いたあたりからガンガン鳴り響いてやがる。
どうか僕に答えを、ってね。いやもうマジで背中が熱くてしょうがねえ。
「………………なら、教えておくれよ。僕は……」
「いや言わねえよ?」
「――――」
「ああ、別にお前に迷惑をかけられたからその仕返しにってわけじゃねえぞ」
腹立つのは事実だがこの後に控えているであろう悪役令嬢との戦いを考えるとな。
真実男を戦力として引き込みたいってのは俺の偽らざる本音だ。
「なら」
「お前は前提からして間違ってるんだよ。手前の真実なんてものは他人に決めてもらうもんじゃねえだろ」
奴曰く、俺は誰よりも輝く真実を胸に宿してるとのことだがそれは俺が確固たる己を持っているからだと思う。
俺は俺の基準において負い目がないのなら世界の全てを敵に回しても戦うことが出来る。
そういう揺ぎ無さが奴が言うところの誰にも負けない真実に繋がってるんじゃねえかな。
ならば、
「お前もそうするべきだ」
自分で選べ。他人に委ねるな。
「お前の真実はお前の中にしか存在しないんだよ」
俺の言葉を受けた真実男はしばらく黙って俯いていたが……。
「…………フリルのついたスカートをね、穿いてみたかったんだ」
顔を上げた真実男は瞳を潤ませながら、ぽつぽつと語り始めた。
俺は黙ってそれに耳を傾けてやる。
「近所に住んでいたジニーちゃんがつけてた花の髪飾り。素敵だったな」
「……」
「女の子達がお化粧の話題で盛り上がっているのを遠巻きに眺めてた。僕も混ざりたかったよ」
ぽたぽたと水滴が頬を伝い、地面を濡らす。
「許されるのなら……僕は……僕は……」
「違うな。許す許さないなんて話じゃないだろ。お前はどう在りたいんだ?」
「いい、のかな?」
だから、と口を開きかけるがそれよりも早く奴は言葉を重ねる。
「いや違うね。良いも悪いも関係ないんだ」
震える身体を抱き締めながら、真実男は告げる。
「――――僕は女の子だ。女の子で在りたい。身体が男でも、心のままに生きていたい」
瞬間、眩い光が真実男を包み込んだ。
咄嗟に手を翳して光を遮ったがこれは一体…………は?
「おいおいおい、そんなのありかよお前」
光の中から現れたそれに俺は盛大に頬を引き攣らせる。
「これ、は」
華奢で起伏は少ないが丸みを帯びたその身体は紛れもなく女のそれだった。
真実男自身も信じられないように目を見開いている。
認識だけじゃなく現実も歪ませることが出来るとかつくづく規格外のカースだ。
「それがお前の真実ってわけだ」
「……うん」
もう戦意も薄れているようだし、これで決着だな。
「真実男」
「分かってる。僕は君に従おう。死ねと言うなら喜んでこの命を捧げるよ」
「死ぬ気で働いてくれりゃ」
十分、そう言おうとしたが続けられなかった。
真実男もまた驚愕に目を見開いている。
「…………何だ、今のは?」
帝都の方角から何か大きな力の脈動を感じた。
その正体について考えを巡らせる暇もなく、異変が起きる。
突然、敵軍の兵士が次々に異形へと姿を変え始めたのだ。
「何がどうなってやがる!?」
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