反撃⑥
1.裸の王様
黒のパンツに胸元が大きく開いた白いシャツ。肩に引っ掛けた紅いコート。
玉璽を受け取った男――カール・ベルンシュタインはあまりにも皇帝らしくない装いをしていた。
だと言うのにテレビを見ていた者達は何の関わりもない一般人はおろか、敵である貴族達でさえ息を呑んだ。
画面越しにでも伝わるその覇気に気圧されたのである。
《……》
皇女アンヘルが持っていた時よりも強い輝きを放つ玉璽を片手で弄ぶカール。
その表情からは何を考えているか窺えず、誰もが緊張を強いられていた。
が、
《――――やーめた♪》
《え》
緊迫した空気をぶち壊すようにへにゃりと笑う。
皇女達ですら予想外の事態だったのだろう。呆気に取られているのは明白だ。
《台本だとここで俺が民衆の心に訴えかけるような崇高な志を語って建国と即位を宣言するはずだったんだが……なあ?
心にもないことを聞かされるお茶の間の皆さんが可哀想だ。
いや、本当にヤバイ敵なら形振り構わず嘘でも何でも並べ立てて戦力を確保するんだがね。
でも今回は第一皇子と第二皇子……名前は何だったかな? まあ屑で良いか。屑二匹が敵なわけだろ? どうもね》
皇子二人を馬鹿にしているのは誰の目にも明らかだった。
《だから嘘偽りのない本音を語ろうと思う。お前らも知りたいだろ?
皇帝暗殺の汚名を被せられた男が一体何を考えてるのか。まあ、世間話の種にでも聞いてってくれよ》
軽い口調。こうして見ればどこにでも居る気の良い兄ちゃんにしか思えない。
だが誰もが理解していた。画面の向こうに居る男はそんな可愛い存在ではないと。
薄皮一枚隔てた先にある激情は化生のそれであると本能で悟ったのだ。
《この国をぶっ壊して俺の国を作る。それはもう決定事項だ。
だがそれは大義だとかそういう御立派な動機に基づくものじゃない。私欲だ。俺は屑二匹を虚仮にしたいがために国を、帝位を望んでいる》
大陸で最も古く最も大きな国。それがプロシア帝国である。
そんな歴史ある国が一般人に謂れのない罪を着せた皇子二人のせいで滅びたとしたら後世の人間はどう思うだろう?
《屑二匹は人の営みが続く限り語られ続けられるだろう――――救いようのない大馬鹿者としてな》
カールは心底楽しげだった。
《そんなことのために戦を起こすのか? 起こすよ。起こさない理由がないだろう。
別に俺だけなら良い。俺だけが被害を被ったんならまあ……我慢出来なくもないさ。
だが違う。奴らは俺の家族に、俺の女に手を出した。自分の大切なものを傷付けられて泣き寝入りしろってのか? 冗談じゃねえ》
ぞっとするほど冷たい声。
この放送を見ていた多くの者は無意識の内に自らの身体を抱き締めていた。画面越しでも伝わる殺気に恐怖したのだ。
《傷付けられた挙句、一生日陰で暮らせってか? ふざけるなよ。
ああ、巻き込まれる方は堪ったものじゃないだろうさ。自分達の暮らしのために我慢しろって気持ちは分かる。
だがそれは俺達に犠牲になれって言ってるのと同義だ。だったらもうお互いの守るべきもののために潰し合う以外の道はねえわな》
立ち塞がるのなら皆悉く殺す。
短い言葉ではあったが、そこに込められた極大の殺意に誰もが震え上がった。
《とは言え、だ。敵にならないなら俺も手を出すつもりはない。
屑二匹は俺に罪を被せたように無関係の民間人であろうと平気で犠牲にするだろうが俺は違う。
味方になれとは言わんさ。仮に敵対することになっても降伏するんなら受け入れるし無碍に扱う気もない》
だが、と強く言葉を区切る。
《――――貴族は別だ。屑二匹と奴らに尻尾を振る連中は当然として他の貴族もそう。味方にならないなら敵だ。
最優先は屑どもの抹殺で基本的に手を出すつもりはないが全部終わった後で俺に従うなんてのは許さない。皆殺しだ》
だから精々、よく考えるんだな。
カールの言葉は中立に属する貴族達の胸に楔となって深く突き立てられた。
《さて。こんな私情塗れの人間が皇帝になろうってんだ。皆、不安だろ?
だがまあ、安心しろ。例え私情であろうとも一国の王になるってんだからキッチリ責任は果たす。
皇帝になれば国も民も俺が守るべきものになる。俺の国を、俺の民を侵そうってんなら誰が相手でも関係ねえ》
全霊を以って戦おう。全霊を以って守ると誓おう。
その言葉にはこの上ない熱量が宿っていた。
《とは言え今の俺は治めるべき土地も民も持たない裸の王様だ。何が言いたいか分かるか?》
これまでの圧はどこへやら。悪戯小僧のような顔でカールは言った。
《自分を高く売り付ける絶好のチャンスだってことだよ。
この国をもっと素晴らしい国に! 崇高な志を持ちながらも愚かな
成り上がるという野望はあれど機を見出せず燻っていた者――何でも良い、誰でも良い。
身分も思いの貴賎も問いはしねえ。俺の前で己を証明出来るってんなら……良いさ、高値で買ってやるよ》
精々売り時を見誤るなとカールは不敵に笑う。
そして、
《さて。粗方言いたいことは言ったしそろそろ終わろうか。
俺もドラマの再放送が見たいんでね……ああでも最後に一つだけ。宣戦布告らしいことを言っとくわ》
すっ、と真紅と蒼の瞳が細められる。
《――――報いは受けさせる。必ずな》
2.午後のパレード
アンヘル皇女から始まった演説は終わった。
だが、終わったからとて元の穏やかな午後には戻れやしない。
人々が演説に抱いた感情は様々だが一つだけ共通の認識があった。
それは今日、この時を境に何の疑いもなく甘受していた“当たり前の日常”が崩れ去ったということだ。
そしてこれから訪れる嵐に向け、動き出している者達が居た。
「おぉ……おぉ……!!」
貴族街、某邸宅。
そこでは十数人の少年少女が涙を流しながら魔法テレビに平伏すという異様な光景が広がっていた。
「生きていることには何の疑いもありませんでしたが……こうして御健在の姿を目にすると……目にすると……嗚呼!!」
そう、カールの洗脳染みた教育によってあらぬ方向へ突き抜けてしまったライブラの面々である。
狂信の徒と呼んでも過言ではない彼らだが、これで存外冷静だった。
カールが指名手配された段階では目立った動きはせず密かにカールの捜索を行うだけに留め、成り行きを見守っていた。
そう、彼らは信じていたのだ。カールの生存は当然として、やられっぱなしで済ますわけがないと。
「待って皆。感極まる気持ちは分かるけど今は一分一秒が惜しいわ。これからのことについて話し合いましょう」
「む……その通りだ。閣下が遂に御立ちになられたのだからな。我らも動かねばなるまいよ」
「ああ。家を掌握出来ている者は反乱の準備を。そうでない者は家族を皆殺しにして持てるだけの財産を持って帝都を脱出――だな?」
とんでもないことを抜かしているようだがその言葉に異を唱える者は居なかった。
前者はまあ、良い。カールが拠点を持ったのなら兵を引き連れて合流するためということで妥当なやり方だ。
しかし後者。こちらはやばい。いや、効果的ではあるのだ。
当主や次期当主、その他血縁者を殺せばその家は確実に麻痺する。
皇子らがお家を取り潰して領土や財産を没収するにしてもだ。誰のものにするかで確実に揉める。
普通なら功績を挙げた者に与えられるべきだが勝手に潰れたのだからどうしようもない。
じゃあ皇子二人が半々にして自分のものに? そうもいかない。
彼らはそれぞれの派閥の象徴ではあるが権力が一極集中しているわけではないのだ。そう簡単に自分のものには出来ない。
長々と語ったが家族を皆殺しにするのは有効な一手である。
しかし、それを何の躊躇もなくやってのけるというのは人間として如何なものか。
「ああ。一つ二つならともかく複数ともなればそこそこの混乱を起こせるだろう」
「となると捜索に向かわせてる奴らも呼び戻さなきゃな。事を起こすならタイミングを合わせた方が良いし」
ともあれ、こうして(自称)カール総統閣下親衛隊ライブラの参戦が決まった。
だがカールの呼びかけに逸早く反応を示したのは彼らだけではない。
同刻。帝都にあるギルドの訓練場では若い冒険者達が車座になって顔を突き合わせていた。
彼らは皆、カールとヴァッシュの指導を受けた駆け出し冒険者達で放送が始まるまではそれぞれに尊敬する教官の心配をしていた。
しかし、
「…………馬鹿馬鹿馬鹿、散々罵られたけどさあ。教官も人のこと言えないじゃんかよ」
今、彼らの表情には心配の色なんて微塵もなかった。
あるのは無事であったという安堵とやってくれたなという静かな興奮だけ。
「普通、こんな状態になったら諦めるわよね」
「ああ。一国……それも帝国は大陸で一番の強国だ。それ全部を敵に回すなんて正気の沙汰じゃないよ」
「教官のあの顔見た? 当たり前だろって感じでほんのちょっとの恐怖もなかったよね」
「そうそう! 俺らには恐怖を忘れるな。その恐れがお前を生かすとか言ってたのにさ!!」
「舐めた真似されたんだから報復するのは当然だろ? みたいな顔しちゃってさあ」
本当にあの人は馬鹿だと盛り上がる教え子達。
しばらくそれが続くが、ぴたりと止まり誰ともなく空を仰いだ。
雲ひとつない晴天。それはまるで誰かの前途を示しているかのようで……。
「……俺はさ。冒険者として成りあがるのが夢なわけよ」
「うん」
「教官はチャンスだぜって言ってたけどこんな形では違うかなって」
「僕もさ」
俺も、私も、と次々に賛意を示すひよっこ達。
元は市井で普通に暮らしていた子供達なのだから人間同士の戦争に忌避を持つのは当然だ。
「…………でも、面白くねえよな」
「私達の先生があんな目に遭わされて笑える方がどうかしてるわよ」
「教官にはまだまだ教えて欲しいことが山ほどあるんだ」
「だったら、勉強しに行くのも悪くないかもな」
突き抜けた大馬鹿野郎の背中を、見届けるのだ。
ひよっこ達は盛大に笑い、訓練場の入り口に立つジェットに視線を向けた。
ジェットは何も言わず、小さく笑った。
同刻、帝都にある色町のVIP専用の店でもシスタージブリールがグラスを片手に笑っていた。
二ヶ月前。何の前触れもなく皇帝暗殺の主犯として指名手配されてしまった友人。
当初からキナ臭い何かを感じ取っていた。十中八九、何者かの悪意によって嵌められたのだろうと。
同時にあのカールが黙ってやられるわけがないとも。ジブリールはカールの生存を確信し、密かに捜索を行わせていたのだが……。
「いや参ったね。こんな形で表舞台に躍り出るとはあたしも予想していなかったよ」
ジブリールにとってカールは歳の離れた気の良い友人である。
だが伊達に長生きしているわけではない。
その根っこの部分に苛烈極まる性を秘めていることは察していた。
察していたが、まさか真正面から国家そのものに宣戦布告をしてのけるとは予想もしていなかった。
「だが痛快だ」
対立と衝突は逃れ得ぬ人の性だ。
であればこそ忘れてはならぬことがある。
「“殴ったら殴り返される”――これは当たり前のことさね」
大人しく受け入れるか、相手を潰して我を通すため更に殴り返すのか。
どうするかはその人次第だが、これは決して忘れてはならないことだ。
しかし、件の皇子達はどうだ? 現状のお粗末な動きを見るに殴り返されるなどとは考えてもいなかったのだろう。
「それさえ分かっていない小僧どもの横っ面を殴り飛ばす様は、痛快としか言いようがないね」
今回のことを差し引いてもジブリールは次期皇帝候補の二人については厳しい評価を下していた。
皇子達の争いには裏の世界の住人も巻き込まれていたのは周知のこと。
色を商いの根幹に置いているジブリールも、半ば以上に裏の世界の住人と言える。
協力を要請されたがジブリールは頑として拒否した。
能力がないわけではない。どちらも共に為政者としての能力は十二分に満たしている。
が、国を治める器ではない。王とは能力もそうだがそれ以上に、その覚悟をこそ求められるのだ。
今回、カールは己が立つことを私欲であると断言した。その上で王になる以上はその責務を果たすとも。
カールの現状を考えれば建前を口にした方が良いに決まっている。
なのに彼は一切の躊躇なく私欲だと言ってのけた。
私欲で父を殺しその罪を他人に押し付け帝位を簒奪しようとした皇子二人との覚悟の差は如実に現れていた。
「シスター、どうされるので?」
この場には帝都に居るジブリール商会の主要な面子も集まっていた。
放送が始まった時点でジブリールが召集をかけたのだ。
「あたしは一般人だからねえ。自分と大切な子らの暮らしを守るので精一杯さ」
悲しげに目を伏せるジブリールに皆が困惑を露にする。
この女傑のことだから即決でカールに手を貸すだろうと思っていたのだ。
「ロクでもない奴が皇帝になっちまったらあたしらの暮らしも酷いものになるんだろうねえ」
ニヤリ、と悪童の笑みが浮かぶ。
「そうならんためには出来ることをしなきゃあね」
つまりはそういうことだ。
全員がキョトンとした後で、直ぐにニヤリとジブリールと同じ笑みを浮かべる。
「というわけで早速――――ん?」
ドラマを垂れ流していたテレビにノイズが走った。
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