罪過の弾丸③

1.たった一人の正しき憎悪を


『人類の永続的な繁栄と恒久的な平和――それが私の目的だ』


 怨敵の言葉を私達は否定出来なかった。

 奴が私達を騙しているとも思わなかったし、到底実現不可能な絵空事だとも思わなかった。

 奴が真剣に人類の幸福を願っていることも、それを成し遂げられるであろうことも理解出来た。出来てしまった。

 その瞬間、一点の曇りもないと信じていた憎悪に迷いの色が混ざり私達はこれまで歩んで来たふくしゅうを見失ってしまったのだ。


『君達の愛する者が私の歩みによって犠牲になったことへの謝罪はしない。それは私達だけではない君達の想いにさえ唾を吐くようなものだから』


 だが、と奴は続けた。


『事が成った暁にはこの命を君達に差し出そう。やがて訪れる新世界。そこに私が居る必要はないからね』


 だからこれ以上の敵対行為は止めろと奴は言った。

 それは自分達への不利益になるからではない。こちらへの気遣いだ。

 邪魔をしようとするのならばこちらも抗うしかない。そして抗えば潰えるのそちらだと。

 復讐相手からそんなことを言われたら憤慨するのが普通だろう。

 けど、私達は何も言えなかった。だってその通りだと思ってしまったから。

 一人残らず命を使い潰しても精々、幹部を皆殺しにするのが関の山で本丸には絶対に手が届かない。

 そして仮に本丸に手が届いたとして復讐の刃を突き立てることが出来るのか? 実力的にも心情的にも無理だ。今の私達には到底、出来ない。

 奴が去った後も私達は動けずに居た。

 これまで見えていたはずの道を見失い迷子のように立ち尽くすしかなかった。


 ――――そう、たった一人を除いて。


『は、ハハ――ハハハハハハハハハハ!!』


 笑っていたのだ。彼は、私がこちら側に引き込んだ少年美堂螢は腹を抱えて笑い出したのだ。


『あー……ようやく復讐相手の面ぁ拝めたと思ったら……ククク、正気かよアイツ』


 顔は笑っている。だが、その瞳は笑っていない。

 そこにはグツグツと煮え滾る憎悪だけがあった。

 私達は悟った。美堂くんだけは復讐を諦めていないのだと。


『ふぅ。元より尋常ならざる相手だと思ってたが予想以上だ。

単純なスペックじゃ万年かかっても届きそうにないが、そうかそうか。あれはそういう人間なわけね』


 だったらやりようはある。

 勝ちの目は見えたぜ! と美堂くんは本当に嬉しそうに私達を見て笑った。


『…………螢、キミは……復讐を、続けるのかい?』


 美堂くんに銃器の訓練をつけていたロドリゲスが問うと、


『はぁ? ったりめえだろ。何で止めなきゃいけねえんだよ。事が終わったら首を差し出すぅ?

それに何の意味がある。だってアイツが全てを賭してでも叶えようとしている望みが叶うんだぞ。

勝ち逃げじゃねえか。それでこの胸を焦がす怒りが、憎しみが、悲しみが、晴れるのか? 晴れるわけねえだろ』


 ぺっと唾を吐き捨てながら彼は続けた。


『人類の永続的な繁栄と恒久的な平和~? 知るか馬鹿。何で俺がそれを受け入れなきゃなんねえんだ。あぁ?

父さん、母さん、婆ちゃんの死が……爺ちゃんの無念が仕方のなかったことだと認めろってのか? 冗談じゃねえ。

俺の大切な人達は大義なんてもののために死ななきゃいけないほど軽くはねえんだ。

報いは必ず受けさせる。奴の願いを最悪の形で踏み躙って殺す以外に道は……』


 そこまで言ってようやく、美堂くんは気付いたらしい。

 信じられないと言った顔をして私達を見渡し、


『………………そっか』


 蔑んでくれたら良かった。失望してくれたのなら自分に言い訳も出来た。

 だけど彼は淡々と事実を受け入れたのだ。


『まあ邪魔さえしなきゃ良いよ。ああでも、俺の前に立とうってんなら覚悟しろよ』


 どんな手を使ってでも殺す。でもただでは殺さない。これまでの全てを後悔しながら死なせてやる。

 言葉はなかった。だけど、その憎悪は何よりも雄弁だった。

 でもそれはそうなりたくないのなら何もするなという不器用で優しい彼なりの忠告だったと今なら分かる。


『これまで世話になった。元気でな』


 その日を境に美堂くんと私達の道は分かたれた。

 先に進む彼、どちらにも振り切れないまま立ち尽くす私達。

 時間は残酷だ。どんな惑いの中にあっても止まってはくれない。

 美堂くんじゃ無理だ。美堂くんも強がりを言っているだけで思い直すだろう。

 そんな都合の良い妄想を抱きながら私達が腐り続けている間に約束の日はやって来た。


 24日から日付が変わってクリスマス。

 零時丁度に訪れるはずだった救済が何時までもやって来ないことに困惑した。

 私達がその可能性に思い至ったのは少し後のことだ。


『…………まさか、螢が?』


 あり得ない。できっこない。

 だが美堂くんは言っていた。勝ちの目が見えた、と。

 私達は焦燥を胸に抱きながらも儀式の場である東京タワーへと向かった。


『結界が、薄れている』


 表の人間が決して立ち入れないように張り巡らされた結界。

 現在進行形で展開されているが見る者が見れば直ぐに分かった。

 直ぐ様、トップデッキまで行き、そこから外に出て屋根の上に上がった。


『――――』


 憎しみと絶望に塗り潰された死に顔を晒す奴とその仲間達。

 そして少し悔しそうな、それでも満足げな顔で壁に背を預け眠るように息絶えた美堂くんの骸。


『あぁ……あぁああ……』


 取り返しのつかない過ちを犯したのだと実感した。

 奴の死体を見た瞬間、人類の救済が成されなかったことに対する絶望ではなくざまぁみろと思った。思ってしまったのだ。

 結局のところ、あれだけうだうだしていた癖に私も他の皆も憎しみを捨てられなかったのだ。世界よりも未来よりも憎しみが上だった。


『……何てことを』


 この手でなくとも復讐が果たせて万々歳? そんなわけがないだろう。

 私達はまた失ってしまった。自らの弱さと愚鈍さゆえに大切な仲間を……失ってしまったのだ。


『美堂くん……』


 彼の死体は酷い有様だった。

 潰れた右目、頬の肉が削げ落ち露出する口内、肩口から吹っ飛んだ左腕、胸に開いた大穴、抉られたわき腹。

 もしも、もしも私達が美堂くんと一緒に戦っていたのならこんなことにはならなかった。

 だってそうだろう? 彼には奴を殺す手段があったのだから。

 それを阻む邪魔者達の相手を私達がしていれば……死なずに済んだのだ。


『ごめ……なさい……ごめんなさい……!!』


 懸命に生きようとしていた。

 お祖父さんの愛を決して無駄にはしまいと全霊で幸せを追い求めていた。


『そんなあなたをこちらの世界に引き込んだのは私だったのに……!!』


 この日、私は大切な人の死と引き換えに生涯拭えぬ後悔と傷を負った。

 でも、足は止められない。何もしていなかったせいでこうなったのだから。

 美堂くんの弔いを済ませた後、私達は組織を再編した。


 “多数の正義より、たった一人の正しき憎悪を”


 もう二度と後悔しないために。憎悪に沈んだ誰かが先に進めるように。

 世界も大義も関係ない成すべきことを成し守りたいと思うものを守るための組織に生まれ変わった。

 名は美堂くんの死後も消えずに残ったその心を象徴する武器から頂戴して罪過の弾丸。

 そう、二度と後悔はしまいと決めたのだ。


「なのに……なのに……」


 姿かたちはまるで違っていた。

 でも分かる。あの目は、あの怒りは、美堂くんだ。彼以外には決してあり得ない。


「わ、わたしは」


 こちらにも理由はある。

 私は私情の人間だ。だから見知らぬ人間と見知った人間を天秤にかけ前者を取った。

 人質にされてしまった彼らのためにおうじたちの下で外道働きをすることも受け入れた。

 舐めた真似をした報いはいずれ必ず受けさせるつもりだが今は雌伏の時であると。

 でも、駄目だ。これは駄目だ。人質と美堂くん、どちらが重いかなんて考えるまでもない。

 だが知らなかったとは言え、私は……私は……!


「だ、大丈夫だよ」

「え」


 絶望に沈みかけていた私に声がかかる。

 ハッと顔を上げるとバディを組まされている真実男が私を見て笑っていた。


「ふ、ふひひ……彼は、死なない。カールくんは、死なない。生きてる。生きて必ず僕らを……ふ、ふひゃひゃひゃひゃ!!」

「……」


 少しだけ冷静になれた。

 そうだ、私は美堂くんの憎悪に火をつけたのだ。

 神を超える男さえもその執念で地に引き摺り堕とした彼があの程度で死ぬわけがない。

 きっと生きている。そして何時か必ず宣言通りに私達を殺しに来る。

 それはとても辛いことだけれど知らぬとは言え殺しかけたこと、そして何よりあの時、見捨ててしまった報いだと思えば受け入れられる。


(…………なら、私がすべきことは)


 暗殺を命じた屑二人。そして真実男。理由は違えど美堂くんに仇成す存在だ。

 今直ぐにというのは難しいが機を窺って後ろから刺そう。直接本人を狙うのが不可能なようならそれ以外の部分を削る。

 美堂くんに殺されるその時までに、少しでも彼の役に立たねば。


「…………真実男。とりあえず報告に行きましょう」

「ぼ、僕はそんな名前じゃないんだけどなぁ……ま、ままあホントの名前も分からなくなっちゃんだけどね!!」


 あひゃひゃひゃ、と奇妙な笑い声を上げながら真実男と共にこの場を後にする。

 屑二人が居る屋敷に向かうと、真実男と同じように奴らに雇われていた女と出くわす。


「あら、お疲れ様。そちらは上手くいきましたの?」

「ど、どうかな。わ、わかんないや」

「まあ。実はわたくしも失敗してしまったのよ。奇遇ね?」


 悪役令嬢エリザベート。何度か一緒に仕事をしたが得体の知れない不気味な女だ。

 しかし、強い。怖気が走るほどに。

 そんな女が決して軽くはない傷を負っていることに私は少なからず衝撃を受けていた。


「そうなんだ。と、とりあえず一緒に報告に行こうか」

「ええ。一緒に叱られましょう」


 屑二人が待つ部屋に入ると奴らは笑顔で私達を迎えてくれた。

 成功を疑いもしていなかったのだろう。おめでたい奴らだ。


「ご機嫌ようロルフ、エルンスト。その顔を見るに上手くいったようですわね」

「ああ、君のお陰で父上の暗殺は滞りなく終わったよ」

「悪いな。ホントはお前がやりたかったんだろ? 何せ俺らよりも先に暗殺を目論んでるわけだしな」

「お構いなく。私は過程ではなく結果を重視する性質ですもの」


 本来の予定では美堂くんと皇女二人に暗殺の濡れ衣をかけて処刑する予定だった。

 まあ、美堂くんの方は生け捕りではなく暗殺なので処刑されるのは皇女だけだが。

 どうも皇女二人は美堂くんの恋人で、その死体を妹達に見せ付けてやるつもりだったらしい。

 後のことを考えれば一緒に処刑する方が良いだろうに……私情を優先するあたりコイツらも私と同じ穴の狢だ。まったく嬉しくはないが


「そうかい。で、そっちの首尾はどうだ?」

「失敗しましたわ」


 あっけらかんと口にしたエリザベートに第二皇子エルンストが食って掛かる。

 あれだけお膳立てしてやったのに一体どういうことだと。


「それはむしろこちらの台詞ですわ」

「…………何?」

「あなた達、言いましたわよね? 脅威と呼べるのはアンヘルとアーデルハイドだけだと」

「……シャルロット・カスタードか? あちらにも人はやっていたはずだが……」

「クリスですわ」

「「は?」」


 皇子二人が間抜け面を晒す。


「アンヘルとアーデルハイドは無傷で無力化出来ました。

ええ、片方を落とした段階で激するのは分かっていたので楽勝でしたわ。

ですが二人を回収しようとしたところをクリスに不意討たれ、ほらこの有様」


 重傷を負った挙句、捕縛対象を奪われてしまったのだと言う。

 何故、クリスのことを教えなかったと迫るエリザベートに皇子二人は困惑しきりだ。


「……重傷と言っても動けないほどではなかったのだろう?」


 第一皇子ロルフの問いにエリザベートは大きく頷く。


「ええ、当然追いましたわよ。でも途中でゾルタン様が乱入して来て転移で逃げられましたわ。

転移の阻害はあくまで屋敷の周辺だけである程度離れてしまえば意味を成しませんもの。ねえ、ゾルタン様に関してはそちらの管轄ではなくって?」


「ゾルタンが? まさかあっちも失敗したのか……?」

「……真実男、そちらは成功したんだろうね?」

「えへへ、どうだろ?」

「どういうことだ!?」


 食って掛かるロルフに真実男はヘラヘラと事情を説明する。


「……どう思うエルンスト?」

「生きているとは思えねえが……」

「男らしくありませんわね。多少、予定は狂いましたがだからと言ってやるべきことに変わりはないでしょう」

「…………その通りだ。予定が狂ったのならそれに合わせて手を打たねばな」

「とりあえず逃げた連中を国賊として手配するか」

「身内が居るのなら人質として使えるかもしれんし、その確保もだな」


 目の前で美堂くんを陥れる計画を練り始める屑どもに殺意が沸くが、必死に押さえ込む。


(まだ、駄目。まだ我慢しなきゃ)

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