幕間
1.確かならざる未来を想って
新年。これは未だカールが眠りについていた頃のことだ。
ジークフリートは一人、自室で物思いに耽っていた。
「…………四十年、か」
張りと艶のある肌には皺が刻まれ、夜の闇にも似た黒髪はすっかり白く染まってしまった。
鏡に映る自分の顔にあの頃の少年の面影は殆ど見えない。
だが、琥珀色の瞳に宿る輝きだけはあの頃と変わらず一点の曇りもない。
「思えば俺も随分、遠くまで来たもんだ」
今でこそ皇帝のジークフリートだが元々、彼は皇族の中でも継承権の低い立場にあった。
本人も皇帝など目指すつもりはなく母や使用人達と平穏に暮らせれば良いと思っていた。
なので皇族としての責務もお構いなく日々をのんべんだらりとすごしていたのだが、ある時転機が訪れた。
十五歳を迎える年のことだ。ジークフリートは自分達が悪意によって排除されようとしていることを知ってしまった。
下手人は皇位継承への野望を燃やす他の皇族達だった。
彼らにはジークフリートを皇位継承を阻む最大の障害として認識していたのだ。
当人にその意思はなかったが父である皇帝はそうは思っていなかった。
プロシア帝国の皇帝に必要な魔道士としての資質は当然として、その他の能力も他の子らとは隔絶していた。
そんなジークフリートを皇帝にしようと考えるのは当然の帰結だろう。
とは言え厄介なしがらみも無数にあるので表立ってそれを明言することはなく当事者であるジークフリートにさえ伝えてはないなかったが。
が、水面下で動いていたとしても気付く者は気付いてしまう。それがジークフリート達を排除する動きに繋がったのだ。
黙ってそれを受け入れられるほど彼はお人好しではない。
だが、
「……他の選択肢が無かったわけではない」
先帝がジークフリートを皇帝の器であると見定めた通り彼には力がある。
力とは何も単純な暴力だけではない。権謀術数を巡らせる頭脳もまた力だ。
ジークフリートならば自分と母、そして使用人達を連れて国外に逃れることも出来ただろう。
逃亡先でもその才覚ならば不自由はしなかったはずだ。
「けど、俺は“理不尽”に抗う道を選んだ」
血の繋がった兄姉、弟妹達に命を狙われるショックよりも理不尽に対する怒りが勝ったのだ。
どうして何一つとして悪いことをしていない俺がこんな目に遭わなければいけないのか。
その怒りを胸にジークフリートは理不尽な悪意を向けて来た者らを一人残らず処刑台へと送った。
ジークフリートを含めて百人近くは居た皇子皇女は彼の粛清により十数人へと数を減らした。
その果断苛烈な姿を見て残された者らはジークフリートに恐れを抱き服従の意を示し、皇帝への道は確実なものになった。
「あれが分水嶺だったんだろうな」
理不尽に抗う道を選んだことに後悔はない。
だが、あの選択を境に先の見えない闘争へと身を投じることになるとは予想もしていなかった。
終わりの見えない戦いの日々。何度も心が折れそうになったがその度に歯を食い縛って前だけを睨み続けた。
「……だが永い永い戦いの日々も、ようやく終わる」
最後まで見届けられないことは残念だが、
「あの子達が選んだ男を俺も信じようじゃないか」
アンヘル、アーデルハイド、クリス。
ジークフリートにとって三人の娘は数多く居る子供達の中でも特別な存在だった。
かつては負い目もあったが、今はそれ以上に喜ばしい気持ちが大きい。
愛する男と日々を健やかにすごす娘達はジークフリートにとっての救いだった。
「……父親らしいことは何もしてやれなかった俺だが、その幸福を願うことぐらいは許されるだろう」
三人を除く子らは皆、どいつもこいつもくだらぬ権力争いに腐心する有様だ。
自身に非がまったくなかったとは言わないが、それでも子らには最初に伝えていた。
ジークフリート自身の経験に基づく肉親同士が憎み合う権力争いの愚を、継承権の高い子らには特に重点的に。
だがその教えを受け取ってくれた子は殆ど居らず権力争いは加速するばかり。
それだけに権力なぞ知ったことかと争いの外側で愛する男との穏やかな暮らしを追い求める三人の娘達の姿は殊更、輝いて見えた。
心の底から幸せになって欲しいと思う。
「頼むぞカール・ベルンシュタイン。俺はお前の勝利に賭けたのだから」
そう遠くない未来、何もかもを巻き込んだ未曾有の戦いの幕が上がる。
絶望以外の何も見えなかった未来に差し込んだ一筋の光。それこそが――――
「む」
ノックの音でジークフリートは我に返り、熱くなりかけていた心を鎮める。
彼が入室の許可を出すと二人の男が部屋の中に入って来た。
「ご機嫌麗しゅう父上」
「新年の挨拶に来たぜ」
第一皇子ロルフ、第二皇子エルンスト。
今も次期皇帝の座を巡って争う彼らだが流石に父親の前で態度に出さないだけの分別はあった。
とは言え、父親であるジークフリートはそんな息子の底の浅さに既に見切りをつけていたのだが。
「父上、何やら憂鬱な御顔をされていますが何かあったのですか?」
「俺らで良ければ話を聞くぜ? 月並みだが誰かに話すことで楽になるとも言うからな」
「お前達がそれを言うか」
「「?」」
わざとらしく溜息を吐く。
その過去から分かるようにジークフリートは必要とあらば血の繋がった者であろうとも切り捨てることが出来る。
好んでやりたいとは思っていないが、もうどうしようもないと判断すれば迷いはない。
ゆえに見切りをつけた子らについても利用するだけ利用して切り捨てる腹積もりだった。
「皇族としての本分を忘れ阿呆な諍いに腐心する愚かな子を持った父の気持ちがお前達に分かるのか?」
「「ッ……」」
「馬鹿な子ほど可愛いとは言うがそれにも限度があろうて。怒りや悲しみを通り越して呆れしか沸かぬわ」
「…………そう仰るのであれば正式な継承者を公表しては如何です?」
「そうしたところで何が変わる? 大人しく従うのか? なわけがなかろう。お前達とお前達に付き従う阿呆どもを見ればそれは明白よ」
選ばれなかった方は何が何でも選ばれた方を殺そうとするだろう。
そして選ばれた側も皇帝の座を渡さぬため選ばれなかった側を殺そうとする。
結局、何も変わらない。
「骨肉の争いの果てに玉座を手にしたのは親父もそうだろうが」
「同じ? 余とお前達がか? 思い上がりも甚だしいな」
皇子二人とジークフリートには決定的な違いがある。
「お前達は無能だろう」
ジークフリートが自身の危機を知ってから粛清までの期間は一年と少し。
たったそれだけの時間で権力争いを終息させたのだ。
何時までもだらだらと争い続けている皇子達と一緒にするのはおこがましいにもほどがある。
「お前達が真に皇帝の器に足る者ならばとうに決着はついておる」
次期皇帝の座を巡っての争いは内乱に繋がりかねない火種だ。
ゆえに皇帝を目指すと言うのであれば迅速に終わらせねばならない。
だと言うのに最有力候補の二人はこの有様だ。
「はぁ……カール・ベルンシュタインが余の実子であればこんな憂鬱とも無縁であったろうになあ」
「…………何故、あの男の名前を出す」
カールとは小さくはあるが因縁のあるエルンストが眉を顰める。
「多少、腕に覚えはあるんだろうが所詮は市井の……」
「天覧試合の際、余は言ったはずだぞ。あれは覇者の器であるとな。そしてその証明も既に成されている」
「証明?」
「エルンスト、葦原の人間を飼っておったお前ならば彼の国の政治形態も多少は知っておろう」
話を振られたエルンストが少し戸惑いながらも答える。
「あ? ああ。確か象徴としての頂点が帝。
実質的に国政を取り仕切るのが征夷大将軍って役職らしいが……とっくの昔に形骸化して今じゃお飾り状態。」
有力諸侯は各地で軍閥化し群雄割拠の時代が続いているとか言ってたな」
エルンストの説明は概ね合っている。
むしろ、外国人としてはよく知っている方だと言えるだろう。
「そうだ。余も若い時分に葦原に滞在しておったが何ともまあ、混沌とした情勢であったわ」
よくもまあ、あんな狭い島国で延々と殺し合いを続けられるものだといっそ感心してしまった。
「で、葦原とカール・ベルンシュタインに何の関係があるってんだ?」
「エルンスト。お前が今しがた語った葦原の情勢は間違ってはいない――が、それはあくまで二年前までの話よ」
「え」
「二年前、カール・ベルンシュタインは葦原に渡り一年と経たずして彼の国を完全に統一してみせたのだ」
皇子二人の目が大きく見開かれる。
事情を知らない彼らからすれば驚愕するのは無理もない。
カールが天下を獲れたのは本人の器量もあるがそれ以上に八俣遠呂智という特殊な事情が絡んでいたからだ。
八俣遠呂智抜きでやるのなら一年では流石の彼も不可能だろう。
と言ってもジークフリートはそれを語るつもりはさらさらないが。
「これだけでも十分に凄まじいがまだあるぞ。
開闢の時より葦原を縛り付けていた邪神が解き放たれたのだが、カール・ベルンシュタインは葦原の全てを率い真っ向から邪神の軍勢と激突。
勝てねばただの愚者だが奴は勝利した。史上を見渡しても並ぶ者なき偉業よ。その名は葦原が続く限り未来永劫語り継がれるであろうなあ」
葦原など所詮は小さな島国。広大な領土を有する帝国を治めることとは比べ物にならない。
などと言い訳は幾らでも出来る。
だがそんな言い訳を並べ立てる時点でそいつの器は知れている。
ゆえに皇子二人は何も言えず歯噛みすることしか出来なかった。
「春になればカール・ベルンシュタインは帝国に帰って来るだろう。人に惜別の念を抱けど掴み取った権力には僅かな未練も残さず、な」
何かを成し遂げるために権力を求めたのに気付けば権力を保持することが目的に摩り替わっているなんて例は歴史を振り返ればざらにある。
一度手にした権力を躊躇なく手放せるかどうか。
それが権力を上手く扱える者と扱えない者を分かつ絶対の壁だとジークフリートは考えている。
「権力に取り憑かれ愚行を重ねるお前達と違い、カール・ベルンシュタインにならば安心して国を託せるであろうよ。
何故彼の者が余の子ではないのか……ああいや、実子ではなくともいずれ義理の息子にはなるのか。
であればアンヘルとアーデルハイドの継承権を復帰させた上で……――おお、これは案外妙案かもしれんな。
クリスも陽の当たる場所に出してやれるだろうし国も安泰だしで良いことづくめではないか」
そう語るジークフリートを見つめる息子達の目には燃えるような憎しみが宿っていた。
が、当人は敢えてそれに気付かない振りをしこう続けた。
「お前達が自らを省みぬのであればそのような未来も訪れよう。努々、忘れるなよ」
「……肝に銘じておきます」
「……分かったよ」
「それで良い。さあ、用が済んだのならば出て行け。めでたい新年にこれ以上、お前達の顔は見たくない」
わなわなと屈辱に震える息子二人を見送り、ジークフリートは小さく溜息を吐いた。
今日はもう酒をかっ喰らって寝てしまいたいがまだ一つやるべきことが残っているのだ。
皇子らが去った十分後、定刻通りにその男はやって来た。
「失礼致します」
ゾルタン・クラーマー。
帝国における最高峰の魔法研究機関である第十三国立魔法研究所の所長にして皇帝にとっては最も親しい友人(重要)でもある。
「うむ、よく来てくれたな」
「いえ。それで僕に何用でしょうか?」
こちらの意図を探ろうとする冷たい瞳。
カールの一件以来、二人の間には溝が出来てしまっていた。
友人(強調)にこんな目を向けられることに寂しさを覚えつつも、それを表には出さずジークフリートは口を開く。
「最近、どうにも宮中がキナ臭い。それはそなたも理解しておろう?」
「…………ええ。僕自身、政治屋じゃないと言っているのにあちこちから声をかけられていますので」
ゾルタンは魔法研究の権威であり、帝国でもトップクラスの暴力を持つ人間でもある。
彼を己が陣営に加えようとする動きは年々、活発化していた。
「いざとなれば血の粛清も辞さぬが……余も人間だ。我が子に対する情ゆえ、万が一が起こらぬとも限らん」
そう言ってジークフリートはある物をゾルタンに投げ渡した。
ゾルタンは受け取ったそれを見て驚愕に目を見開く。
「玉璽!? へ、陛下……一体何を考えて……」
「そなたに託す。余に万が一があればゾルタン――そなたが相応しいと考える者にそれを渡せ」
「い、いやそんなことを言われましても……」
「話は以上だ。わざわざ呼び出してすまなかったな。ああ、言うまでもないが他言は厳禁だぞ」
何か言いたげなゾルタンを追い出し、ジークフリートは天井を仰いだ。
「…………後は時を待つだけ、か」
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