征夷大将軍カール・YA・ベルンシュタイン③

1.再会


 季節でもないというのに咲き乱れる桜を筆頭とした色とりどりの花々が目を楽しませ、暑気を払う涼風が花の香りを運ぶ。

 天女の楽隊が奏でる調べは一時、何をも忘れるほどの幸福を感じさせてくれた。

 さながら天上楽土。だが、それらが全て霞むほどに輝きを放つものが二つ――否、二人居た。


 一人は帝。纏う豪奢な衣装すら襤褸に思えてしまうほどの圧倒的な存在感。

 さりとてそれは決して威圧的なものではなく、むしろその逆。優しく包み込むような慈愛だ。

 式典を見ていた者らは身分の区別なく、誰に言われるでもなく頭を垂れた。


 一人は新たな将軍。葦原では異物とも言える黄金の御髪、緋蒼の瞳。

 それらが気にならぬほどの凄烈な覇気を将軍カール・ベルンシュタインは纏っていた。

 獅子か、虎か、龍か――否、人だ。その姿を直に見た者は理屈ではなく本能で理解した。

 なるほど、彼の方こそ征夷大将軍であると。


 山麓で行われた将軍就任の儀は葦原史上最も絢爛なものとなった。

 その興奮冷めやらぬまま迎えた夜のことだ。


「……――そろそろ良いでしょう」


 元康の提案に全員が頷く。

 松平+織田御一行は今尚続く山麓での宴にも参加せず、即座に市中に戻り宿を取った。

 式典を見たことで両当主は即座にカールとの謁見を決断したが、会おうと思って直ぐに会えるものではない。

 だから秘密裏に接触出来るであろう夜中に備え、宿を取ったのだ。


「改めて確認致しますが御所に向かうのは竹千代とクロス、それに信長殿の三人だけです」

「……正直、某としては今からでも考え直して頂きたいのですが」

「なりません。何度も言いましたが、将軍様の信を得られねば松平に未来はないのです」


 本音では忠勝に同意見だったが、信を得るため裸一貫で向かうという元康の考えも理解出来るのでクロスは何も言えなかった。

 あの式典でカールを見てより強く確信したのだ。あ、これマジでやばい事態だと。


「正直、クロスを同行させるのもどうかなと思っています」

「いやそれはしゃーないでしょ」


 思わず口を挟む。

 松平の人間として直接、カールに敵対したのは自分なのだ。

 いざとなったら元康の命と引き換えに首を差し出さねばならないのだから同行しないわけにはいかない。


「……分かっています。ですが、あなたを死なせるつもりもありませんから」

「も、元康様」


 ギュっと手を握られ、鼻から忠義が零れ出す。


「まあそう深刻に考える必要はないと思うがな」

「信長殿……そうは言いますがね」

「竹千代、お前が気後れするのは分かる。アレは並みの男ではないからな」


 だがクロス、と信長が水を向ける。


「お前は親友なんだろう? もう少しカールを信じてやれよ」

「う……そ、それは……」

「近くで見ていたからこそ誰よりもその恐ろしさが分かるのかもしれんが、友ならばドンと受け止めるべきだろう」

「…………そう、ですね。うん、その通りだ」


 久しぶりに会った友人は、自分が知る頃よりもずっとずっと強くなっていた。

 戸惑いと、置いて行かれたという焦り。

 そのせいで少し冷静ではなかったとクロスは自省した。


「よし、それじゃあ行くぞ」

「はい。それでは忠勝、正信。行って来ます」

「「はっ」」


 三人、連れ立って夜の街に繰り出す。

 結構な時間だと言うのにちらほら人が見えるのは人々がまだ熱気から抜け切れていないからだろう。


「時に竹千代。義元の後釜はどうなんだ?」

「氏真殿ですか? まあ、能力はありますよ。指揮官としては竹千代より上かと。ただ、やる気がありません」

「あぁ……そう言えば義元もそんなことを言っておったな。そこまでなのか?」

「嫁御と慎ましく暮らせればそれで良いって感じの人ですから。ただ、下手に能力があるものだから……」

「逃げられないか」

「はい。そして氏真殿自身も人好しなものだから余計に」

「不幸なものよな」

「人は生まれを選べませんからね――クロス?」


 後ろを歩いていたはずのクロスが足を止めている。

 元康の声にも反応せず一点を見つめているのは尋常ではない。

 どうしたのかと二人がその視線を辿ると、


「ガッハッハッハ! 葦原の酒はやっぱり美味いのう!!」


 上半身裸の蓬髪の青年が上機嫌で馬鹿デカイ瓢箪を呷っていた。

 どこからどう見ても浮かれぽんちにしか思えないそいつは、


「てぃ、ティーツ!?」

「あん? 誰じゃあお前」

「僕だよ僕! クロス、クロスだ!!」


 変装を解除し名乗りを上げると怪訝な顔がパァっと輝き始めた。


「おぉ! クロス、お前クロスか! 久しぶりじゃのう!!」


 わはははは! と酒臭い息を吐き出しながら背中を叩くティーツに顔を顰めつつ、クロスは問う。

 お前はどうして葦原に居るんだ、と。

 正直、予想はついている。ついているが確認はしておかねばなるまい。


「ん? わしか? ちぃとカールの手伝いでな。

そのカールからお前もこっちにおるとは聞いとったが元気そうで何よりじゃけえ」


 予想通りカール絡みだった。

 だがこれはある意味天佑だとクロスはティーツに詰め寄る。


「ティーツ! カールは何で葦原に来た? 何をしようとしている?」

「あー……」


 ティーツの視線は元康と信長に向けられていた。


「おれは織田信長という。聞いているかは知らんがおれは……」

「カールが目ぇつけとる女じゃろ? わしらも結構前から聞かされとったから知っとるよ」

「ほう」

「で、そっちは?」

「松平元康と言います」

「僕の主君だ」

「…………クロス、お前……いや、うん。性癖は自由じゃし、無理に迫っとるとかでないならまあ……」


 ダチが世話になっていますと頭を下げるティーツ。

 いえいえこちらこそと頭を下げる元康。

 何だこれはと思いつつ、クロスは軌道修正を図る。


「それより……」

「待て待て。説明してやってもええが、どうせならカールの口から直接聞かせてもらえ」

「いやまあ、僕らもそのつもりで御所に向かってたんだけど……」

「じゃったらそうせい。事が事だけに妙な齟齬を生むわけにもいかんからな」

「…………分かった。なら、繋ぎを頼むよ」

「おう。わしは顔パスじゃからな。それぐらいはやったるわ」

「頼む」


 ティーツの先導で二条御所へ。

 門前で守衛に止められはしたが、顔パスという言葉に偽りはなくティーツが口利きをするとあっさり通れた。

 何時葦原に来たのか知らないが、すっかりこちらに根を張っているらしい。


「おうカール! 客じゃあ!!」


 執務室の前に辿り着くやノックもなしにオープンザドア。

 そうだった、コイツそういう奴だったと呆れていたクロスだが……。


「松永くぅん……君、中々良い尻してるねえ」

「ひゃっ! ぶ、部長……困ります……」

「何が困るって言うんだい? んん?」

「だめ……だめです……」

「うっへっへっへーい♪」


 眼鏡の地味系美人の尻にアホ面で頬ずりをしている男が居た。っていうか幼馴染だった。

 人はここまで馬鹿になれるのかと逆に感心してしまう間抜け面を晒していたカールだが、


「あん?」


 ようやく闖入者の存在に気付いたらしい。

 唖然とするクロスらを見渡し、


「――――クロス、テメェよくも俺の前に面ぁ出せたな?」

「このまま続ける気なの!?」




2.仕切り直し


 クロスがギャースカやかましいので謁見の間で仕切り直すことになった。

 人のお楽しみタイムを邪魔しといて厚かましい奴である。

 でもまあ、信長と松平の当主も一緒だし流石に今日は帰れとは言えんわなあ。


「御初に御目にかかります殿下。私は……」

「松平の当主だろ?」

「……御存知でしたか。光栄に御座います」

「織田の城攻めてるの遠巻きに眺めてたからな」


 そう言うと元康が頬を引き攣らせた。


「別に責めるつもりはねえよ。信長とはまだ正式に同盟を結んだわけでもないしな。

それと桶狭間でクロスが俺の邪魔をしたこともな。ここに居るってことは敵対の意思はないんだろ?」


「…………カール、良いの? 嘘じゃないよね? 油断させて後ろからとかなしだよ?」

「しねえよ」


 よくも俺の前に、とか言ったがあんなん冗談に決まってるだろ。

 そりゃあの時は糞ほどムカついたけど、よくよく考えたら……なあ?

 アンヘルやアーデルハイドほどではないがクロスは腕の良い魔道士だ。

 後々のことを考えるなら敵対するよりも味方にした方がずっと良い。

 それを抜きにしてもダチだからな。八俣遠呂智討伐の邪魔をしない限り、どうこうするつもりはない。


「絶対? 絶対?」

「お前は俺を何だと思ってんだ」

「良い奴だけどやべー奴」

「し、失礼な……まあそういうわけだから松平の。お前さんも楽にしてくれや」

「……分かりました」


 言いつつも、まだちょっと硬い。

 クロスの奴。一体何を吹き込んだんだ……?


「さてカール。お前には諸々聞きたいことがあるわけだが、まずは一つ」

「ん?」

「復讐は成ったのか?」

「覚えてたのか……ああ、バッチリさ。義輝も長慶も、まとめて地獄に叩き落してやったよ」

「それは重畳。祝いの品でも持って来るべきだったな」

「何、気持ちだけで十分さ」


 ところで信長……その格好……歩き巫女だっけ?

 良いじゃん。ありじゃん。ドスケベ改造を施した巫女服を久秀あたりに着せて……いや待て庵も良いな。

 俺が新たな扉を開きかけていると、クロスがちょっと待てと水を差す。


「復讐? な、何で? 君、葦原とは何の関係も……」

「ああ待て待て。そこらもしっかり説明するから」


 でも、どこから話したものか。

 うーん……面倒だが、最初から話すしかないか。


「ちょいと長くなるが付き合ってくれるかい?」

「是非もありませぬ。竹千代はそのために来たのですから」

「おれもだ。どうも、お前の事情はおれとも無関係ではなさそうだからな」

「クロスは?」

「……聞くよ。取り乱してごめん」


 クロスの謝罪を手で制し、俺は語り始める。


「一年ちょっと前のことだ。俺はこの国で言う京みたいなとこで暮らしてたんだわ」

「……町を出て帝都に行ったんだ」


 そういうお前は何で葦原に居るんだと聞きたいが、まあそこは後で良いだろう。


「そこで俺は葦原人の女の子と出会った。その子はスラム……あー、何て言うのかな。

浮浪者やゴロツキの居る掃き溜めみたいなとこだな。そこで暮らしててさ。

ちょこちょこ掃き溜めに足を運ぶ内に仲良くなったんだ。名前は庵。で、ある時庵に頼みごとをされたんだ」


 母の仇を討って欲しい、と。


「下手人の名は捩花凶衛。奴はとあるやんごとなき御方の命を受け庵達の命を狙ったらしい」

「ひょっとして……」


 察しはつくよな。


「そう、義輝さ。正確には義輝の命を受けた長慶が遣わせたって感じだ」

「なるほど。しかし、何故彼奴らは庵とその母の命を狙った? 先々代将軍の庶子だったとか?」

「信長殿、義輝には他にも兄弟が居たはずでは? 邪魔だと言うのならばそちらをまず排除するでしょう」

「そういやそうだな。ならば一体……」


 話を続けるべく俺が再度口を開こうとしたところで、謁見の間の襖が勢い良く開かれた。


「庵……」

「織田様はこれからの戦いに必要な御方なのでしょう? であれば私が自らの口で説明するべきでしょう」


 見れば背後には明美も居る。

 そうか、コイツか。大方天井裏かどっかで話を聞いていたのだろう。

 で、庵にも関係ある話だから伝えに行ったって感じか。

 でもなあ……大丈夫だろうとは思うよ?

 真実を打ち明ければ手伝ってもらえるだろう。だが万が一ということもある。

 ギリギリまで庵本人には隠れていてもらおうと思ってたのに……余計なことしやがって。


「天下を統べる器量の持ち主に、ここで礼を尽くさずしてどうするのですか」

「う、ううむ」

「兄様が私を気遣ってくれていることは分かります。でも、守ってくださるのでしょう?」


 花のような微笑。

 そう言われてしまえば俺は何も言えな――――


「に、ににににいさまぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!?!?!?」


 突如クロスが発狂。

 いやまあ、庵が出て来たらこうなるだろうなとは思ってたけどさ。予想以上にリアクションがでけえ。


「おおおおおお、おおお前……か……かる……カカカカカ、キャアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 こうなったら致し方なし。

 俺は無言で庵を手招きし、その小さな体を抱き寄せた。

 そして髪に顔を埋めながらわさわさわと尻を撫でる。


「に、兄様! 人前で何を……」


 口ではそう言いつつも嫌がっている様子はない。

 ほんに可愛い奴よなあ。


「クロス、見ての通り俺と庵はこういう関係だ。ちなみに庵の年齢は数えで十三」

「あ、あ、あ、あ」


 小刻みに震えだしたかと思うと、


「――――カハッ」


 血を吐き出し、ひと夏を精一杯生きた蝉のようにコテリと倒れた。

 嫉妬が限界を超えたのだ。これで二時間ぐらいは起きて来ないだろう。


「よし、じゃあ話を続けようか」

「兄様!? あの方は放置ですか!?」


 放置です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る