顔合わせ

1.最近真面目な空気が辛い(by庵)


「…………兄様は、元気でやっているのでしょうか」


 この廃寺を拠点にしたのが十二月の下旬頃。

 既に年も明けて二ヶ月は経過しているが、カールは一向に戻って来ない。

 自分のために頑張ってくれているのは分かっているが、それでも寂しいものは寂しいのだ。


「はあ」


 やることもなく手持ち無沙汰。

 日がな一日、カールを想い縁側で黄昏る日々。

 子供の庵にとっては中々苦痛だった。


「兄様も時々で良いから私に……と思うのはワガママなのでしょうか」


 誰に聞かせるつもりもない独り言だったが、


「…………別にんなこたぁねえだろ」

「!?」


 突然、背後から聞こえた声に身体を大きく震わせる。


「あ、明美さん……ですか……驚かせないでください」


 振り向くと柱に背を預けて佇む明美を発見。

 一体何時からそこに居たのだろうか。


「わ、悪い……その、そんなつもりじゃなかったんだ」

「あ、いえ……その、私も護衛をして頂いている立場で偉そうなことを」


 デリヘル明美。

 血縁上は叔母にあたる彼女だが、ある時期を境に急にこちらを気遣い始めたのだ。

 時期を考えれば原因にも想像はつくのだが……正直、やり難い。


「そ、それで……何だ? 話を戻すがよ。

カールに会いたいってのは別にワガママでも何でもねーだろ。

お前は子供だし、それに……あー……あ、アイツの女なんだから」


 顔を赤らめそっぽを向きながらの発言である。

 庵は思った。

 この三×歳、十三歳(数え)の自分よりも初心なんじゃないかと。


(いやまあ、相当波乱万丈な人生を送って来たようですし色恋にかまけてる暇もなかったんでしょうが)


 にしても初心が過ぎるだろうと思わなくもない。


「カールが帰って来たら……い、いっぱい甘えてやりゃあ良い。

アイツも、その、喜ぶだろうしな。お前が我慢する必要はどこにもねえんだ」


「……そう、ですね」


 と、そこで珍しく庵に悪戯心が芽生える。


「ところで明美さん」

「あん?」

「明美さんは好いている殿方などは居ないのですか?」

「ぶっ!? い、いきなり何を言い出すんだお前!!」

「いきなりも何もないでしょう。明美さんだってもう良い齢ですし」


 というか葦原的には適齢期はとうにぶっちぎっている。

 明美の双子の姉である母に自分という娘が居るのだから。

 とはいえ見た目は若いし、身体つきも良い。

 今からでも男を作ろうと思えば作れるだけの潜在能力はあるはずだ。


(兄様も中身はともかく身体は良いと言っていましたし)


 最低極まる発言だが、中身が好きとか言われたら困るので心に棚を作った。

 流石に叔母にあたる女と男を共有する気はない。


(そういう意味で……アンヘルさんたちは凄いですね)


 血を分けた姉妹が同じ男を愛し、関係を持っている。

 冷静に考えればかなりアレな事態だ。

 自分ならば色々な意味で耐えられそうにはない。


「で、どうなんです? 例えばそう、ティーツさんとか」


 自分が知る限り、明美は大体ティーツと一緒だった。

 情報によるとティーツの好みは年上らしいし……これは怪しい。

 一緒に居れば憎からず想っていても不思議ではない。

 好奇心を隠しもせず明美を問い詰める庵だが、


「いや、アイツはねーわ」


 真顔だった。


「わしもねーわ」

「!?」


 ギョっとして声の聞こえた方を見やると庭の石にティーツが腰掛けていた。

 護衛してくれるのはありがたいのだが、この二人もう少し見える場所で待機してくれないものか。


「わしゃ年齢相応に老けとる女が好きじゃけえ。こういう似非ババアはちょっと」

「おい、誰が似非ババアだ。殺すぞ」


 抉り込むようにメンチを切り合う二人の間に色っぽい空気など皆無。

 本当に、そういうことはないようだ。


(……ガッカリです)


 唇を尖らせる庵。

 一度ぐらいは年頃の娘のように他人の色恋沙汰で盛り上がってみたかったのだ。


「つか、ティーツじゃなくても同じだがな。あたしは色恋に現を抜かす気はねえ」


 姪がガッカリしていることなど知らず真面目なトーンで話し始める明美。

 ちなみに今、丁度ティーツとの睨み合いが殴り合いに移行したところだ。


「姉さんや両親は外の世界で普通の女として生き、そして死んで欲しかったんだろうが……」

「そうするにゃあ、おんしは裏の世界に浸かり過ぎたのう」


「ああ、その通りだ。だが望んで踏み入った世界だし後悔はねえ。

自分の信念を貫くため命を賭すことにだって何の躊躇もねえ」


 庵は思った。


「あたしはここに生きてここで死ぬ――そう決めてるんだ」


 真面目な話が辛い。

 無聊を慰めるつもりの雑談からどうしてこんなに重い話になってしまったのか。


(辛い、真面目な空気がとても辛いです……)


 十中八九カールやクリスの影響だろう。


「だから庵。お前だ、お前なんだよ。一族の、あたしらの希望はな。

姉さんや母さん、他のご先祖様たちがどれだけ望んでも得られなかった普通の女としての幸せ。

愛する男と結ばれて子を成し、沢山の子や孫に見守られながらの大往生。

有り触れた、けれど何よりも貴いその幸せを一族で最初に掴み次に繋げるのはお前の役目だ。

お前が幸せになってくれることが、あたしらにとっては何よりもの救いなんだよ」


 分かる、言いたいことは分かる。

 でもそういう真面目な話は時と場所を選んで欲しい。

 気を抜いてダラダラしてるような時にそんな話をされても困るのだ。


「プレッシャーをかけるつもりはねえが、それだけは覚えておいて欲しい」

「は、はい」

「……って、偉そうなこと言っちまったな。んなこと言えた義理でもねえのに」


 今更身内面するのも酷い話だよな。

 などと自嘲する明美に庵はたまらずティーツを見つめた。

 頼む、この空気をどうにかしてくれと願いを込めて。


「……」


 さっと目が逸らされた。

 万策尽きたか! と軽く絶望していた庵だが、


「おーい! 父ちゃんがかえったぞーーーぅ!!」


 暢気な、それでいて何よりも聞きたかった声が寺内に響き渡った。

 庵は一目散に外へと駆け出し――――


「兄様!!!!」


 その姿を認めるや否や勢い良くその胸に飛び込んだ。


「ワッハッハ! 俺に会えず寂しかったか? 俺は庵に会えなくて寂しかったぞ」

「庵も同じです。兄様に会えなくて、ずっとずっと寂しい思いをしておりました」

「そうかそうか。じゃあ、たっぷり甘えるが良い」


 うりうりと頭を撫でてくれる大きくてごつごつとした優しい手。

 心底から今を楽しんでいる弾けるような笑顔。

 大好きな人の大好きな部分は全然変わっていなかった。

 これまでも、これからも、ずっとずっとそうなのだろう。


「お、ティーツと明美も一緒か。留守中の護衛、ありがとな」

「なぁに、護衛っちゅーても襲撃があったわけでもなし。何もしとらん」

「それより、そっちの首尾は……上々みたいだな」


 明美の言葉で、気付く。

 カールの後ろに控えている男女の存在に。


「…………そちらのお嬢様が、今代の姫君ですか」


 一人は二十代後半か三十前半ほどの眼鏡をかけたショートカットの女性。

 美人かどうかで言えば美人に分類される。

 だが、全体的に漂う疲れた雰囲気や目元の隈が魅力を損ねているように思う。


「俺の女と、主から聞いてはいましたが……いやはや……」


 もう一人は片眼鏡をかけた二十代後半ほどの男性。

 女性の方もそうだが、緊張した面持ちでこちらを見ている。


「…………兄様、この方々は」

「女の方が松永久秀。男の方は松永長頼。一応、世間的には兄と弟ってことになってるな」


 世間的には、とか兄弟? とか気になることは幾つかある。

 だがそれよりも、


「……」


 じっと二人を見つめる。

 二人が息を呑むのが分かった。


(……それほどでは、ありませんね)


 悪感情がないと言えば嘘になる。

 しかし、長慶や義輝に抱いたそれとは比べるまでもない。

 まあ、全面的に許容出来るかと言えばそれは無理なのだが。


「はじめまして、私は櫛灘庵と申します」

「…………今は松永久秀と名乗っております」

「同じく、松永長頼に御座います」


 改まった物言い。

 櫛灘の姫だからか、被害者の娘だからか。

 まあ、どちらでも良い。


「御二方は“私の復讐”にも手を貸して頂けるそうで。

何かとご不便、ご苦労はかけると思いますがどうかよろしくお願いします。

一度は心から慕った方を裏切るというのは、とても心苦しいことでしょう。

ですが、無辜の人間の人生を滅茶苦茶にすることに比べれば“屁”でもありません」


 二人の顔が引き攣る。


「そもそもからして原因は裏切る側より裏切られる側にありますからね。

そう考えるとあのような人間の“屑”を裏切ったところで何の痛痒がありませんね。

何かを感じるのであれば、それは同じような救いようのない塵だけでしょう

ああすいません。御二人には何ら関係のない話をしてしまいましたね。

ともかく、御二人の尽力に心よりの期待を寄せさせて頂きますのでどうぞよろしくお願いします」


 笑顔でそう言い切る。


「「……」」


 二人の顔色が悪い。

 一体どうしたと言うのか。


「兄様、私は何かおかしなことでも言ってしまいましたか?」

「いいや」

「では何故、何も仰ってくれないのでしょうか」

「さて、何でだろうな。俺は引き入れたつもりだったが……獅子身中の虫なのかもしれん」


 カールが意地の悪い援護射撃を放つと、二人は血相を変えて否定した。

 そんなことは決してない。自分たちは覚悟を決めてこの場に居るのだと。


「だったら小娘一人の厭味にビクついてんじゃねえよ。

過剰に反応するぐらいならハナっからやれることをやっとけば良かっただけの話だろうが。

それもせずに惰性で流れて来たんだからこれぐらいは表情一つ変えずに飲み込んでみせろ」


「「…………はい」」


 項垂れながら返事をする二人。

 悪感情どうこう以前に、この調子で役に立つのだろうか?


「やれやれ……良いか? うちには術者が一人居てな。

多分、裏切ったら死ぬとかその手の呪いもかけられると思う。

だが俺は敢えてお前らにそれをしない。何故だか分かるか?」


「……試されている、ということでしょうか?」


 久秀が答える。カールがその通りだと頷く。


「呪いがありゃ楽だろうなあ。

信用も担保されるし、何かあっても命を握られてるからって自分に言い訳が出来る。

だが俺は易きに流れる小物にゃ用はねえ。

試され続け自分に問い続けながらも厳しい道を歩いて行けるような“本物”をこそ求めてるんだ」


 お前たちはどっちだろうな? カールの瞳は雄弁だった。


「長慶と義輝の抹殺は復讐譚の終章だが、次に始まる物語への序章でもある。

お前たちにとっての本命は後者の物語だろう?

登場人物として望んだ結末を得るために戦おうってんなら甘えてんじゃねえよ」


「「……御意」」


 二人は深々と頭を下げた。

 感情を面に出していないところを見るに最初よりはマシになったのかもしれない。


「よし、じゃあ説教は終わりだ。

庵もチクチク厭味言いたくなる気持ちはあるだろうが勘弁してやってくれ」


「分かりました。というか、もう良いです。

ちょっとした意趣返しのつもりでやっただけですし、あそこまで凹まれると逆に白けますから」


 逆に申し訳ない、普通の相手にならそう言っていただろう。

 だが白ける――割り切れても好感度が上がるわけではないのだ。


「そいじゃあ、顔合わせ……といきたいんだが何人か足りねえなあ」

「幽羅の奴なら竜子と虎子連れて、何ぞしとるようじゃぞ」

「そうか……ならまあ、一先ずはこの面子だけで良いか。おら、名乗れお前ら」


 促されティーツが名乗りをあげる。

 ここまでは問題ない。問題は次だ。

 一歩前に出た明美が二人を睨み付けるように口を開く。


「…………櫛灘明美だ。庵の母親の妹にあたる」


 そう、櫛灘の血族は庵だけではないのだ。

 庵は一先ずは割り切ったが明美は違う。


「あたしに姉さんのことでとやかく言う権利はねえ。

だが、庵を裏切ったら承知しねえ。何処に逃げようと必ず追い詰めて殺す……覚えときな」


 そう言って明美は再度、だんまりを決め込んだ。


「おめーはちったぁ愛想良く振舞えないわけ? ギスギスすんだろうが」

「な……て、テメェだって随分なこと言ってただろ!!」


 ガーッと捲くし立てる明美をカールは鼻で笑い飛ばす。


「俺は良いんだよ。だってこの二人の主になったんだもん。

でもおめーはちげーだろ。コイツらと同じ俺の駒。それも肉体労働専門の。

そういう意味では久秀や長頼のが貴重なんだからな」


 そう言われてぐぬぬと唸る明美。

 歳の割に本当に子供っぽい人だなあと思う庵だが口には出さない。


「つーわけでだ。久秀、長頼。

明美は馬鹿だが指示したことをこなせるだけの能力はあるから上手く使ってやれ」


「承知致しました」

「了解です」

「良い返事だ。じゃ、そろそろず中入るぞ。いつまでも外で立ち話ってもの何だしな」


 話し合いをするということで場所は本堂が選ばれた。

 車座になっている大人たちを見て、庵はふと思った。


(…………これ、大丈夫なんでしょうか?)


 この集団の最終目的は神殺しにある。

 そんな連中が仏様の眼前に居て良いのだろうか?


(いや、よしんば八俣遠呂智は邪神だから良いとしても……)


 そこに至るまでに沢山の血が流れるし、そもそも自分だって復讐者だ。

 直接手を下せるだけの力がなくて、カール任せだが無関係ではない。

 むしろ一蓮托生。これから流れる血は全てカールと共に分かつものだ。


(な、何かドキドキして来ましたね)


 ここで暮らしていても神仏などを意識したことはなかったが、

 こうして計画が進み始めている今だと酷く背徳的なことをしている気分だ。


「のうカール、松永姉弟を攻略したっちゅーことはもう大和におる必要はないんか?」

「ん? ああ、それなんだが……」

「私が説明致しましょう」


 コホンと咳払いをして説明を始める久秀だが、庵はそれどころではなかった。

 一度気になってしまうと、どうしても頭から離れない。

 ちらちらとカールの背後にある仏像に目をやってしまう。


「ここ大和も京からは近くありますが、

それでもそこそこの距離はありますし実際に統治しているのは私です。

ですが三好三人衆は京に滞在し長慶……の膝元で実務に取り組んでいます。

京は義輝の拠点ですからね。長慶も特別、気を張っています。

私ですら把握していない目や耳があちらこちらに配置されているのです」


 心なしか、仏像の表情が険しい気がする。


「カールの正体が露見する可能性が高いってことだな?」


「ええ。術を用いて姿形を変えるという手もありますがおススメはしません。

勘の良い者だと妙な違和感を覚えますからね。

出来る“目”に見られでもしたら、余計にあちらを刺激することになるかと」


 やはり罰当たりな会話に怒っているのだろうか?


「カールを動かさずにどう三好三人衆を篭絡すんだよ?」

「あちらに赴くのが危険ならこちらに呼び寄せるまでの話」

「呼び寄せるっちゅーても、どうやってじゃ? いきなり来い言われたらそれこそ不自然じゃろがい」


 気のせいか、妙な音まで聞こえ始めた。


「長慶が彼らを派遣するよう仕向けるのですよ。

具体的な方策としては火付け。

周辺の反松永反三好勢力が一斉に攻めて来るよう工作を行います。

私単独では捌き切れず大和が陥落するとなれば間違いなく長慶は三人衆を派遣するでしょう」


「とはいえ僕と姉上だけでは手が足りません」

「……分かってるよ。あたしらはお前らの指示通りに動いてやる」

「わしゃあ、その手の細々としたやつは苦手じゃけえ」

「分かってる。得手不得手は既に伝えてあっから久秀らも無茶振りはしねえよ」


 気のせいか室内の温度が下がったような気がする。

 季節が季節なので当然だと思うかもしれないが、


(幽羅さんが渡した部屋が暖かくなる符を貼っておいたはずなのに……)


 バキン! と何かが割れる音が響いた。

 何だ何だと周囲を見渡し……発見。木魚だ。木魚がひとりで真っ二つになったのだ。


(や、やはり仏様がお怒りに……? というか何でこの方たちは平然としているのですか)


 ああでもないこうでもないと物騒なことを話し合う大人たち。

 肝が据わっているとかそういうレベルではない。


「おいカール、実際のとこどうなんだ?

呼び寄せるつっても接触する機会はそう多くねえだろ? 勝算は?」


「さあな。久秀攻略には時間かかったが弟は一時間もかかってねえしなあ。

じっくり腰を据えてやれば口説き落とせるだろうが……さてはて、出たとこ勝負かねえ」


 白い靄のようなものが室内に立ち込める。

 それは意思があるかのように蠢き形を成していく。


「出たとこ勝負って……」


「心配は要りませんよ明美さん。

人のことを言えた義理ではありませんが、彼らは随分と流され易い。

主の器もありますが、それ以上に僕や姉上が与していると分かれば尚更です。

主の口から目的を聞かされればまず間違いなくこちらに流れるでしょうね」


 幽霊!? と怯える暇もなく更なる衝撃が庵を襲う。

 カールの背面にある巨大な仏像が彼を押し潰さんと凄まじい勢いで倒れて来たのだ。


「! 兄様、あぶな――――!!」


 言い切るよりも早く、


「憤ッッ」


 カールが裏拳を放ち仏像を粉々にする。

 唖然とする庵だが仏像を破壊した当人は平気の平左。


「やれやれ、空気読まねえ仏像だなあ。いや、もう粗大ゴミか」


 砕かれた仏像の欠片がひとりでに燃えていく。

 カールが気を用いて発火させたのだろう。

 他の箇所には一切延焼していないので間違いなくそうだ。


「あ、あの……兄様……?」

「どうした? 何かさっきから一人で百面相してるみたいだったが」


 周囲の異変には無頓着でも自分のことは見ていてくれたらしい。

 そのことに頬が熱くなりながら、先ほどまで考えていたことを打ち明ける。


 すると、


「ハハハ、庵は信心深いなあ。

いやまあ聖なる気配っつーか、何か妙な力の拍動は感じてたけどさ」


「え、気付いてて完全に無視してたんですか?」

「おうよ。人の気配が介在してたなら監視かもしれねえし警戒するが、そうじゃなさそうだしな」


 人の気配は感じないのに聖なる力の拍動を感じた。

 それは本当に仏様が仏罰を下そうとしていたのでは? 庵は訝しんだ。


「庵、気にするこたぁねえよ。

仮に仏様が存在してて俺に仏罰を下そうとしていたとしても何一つ省みる必要はない」


 カールはハッキリとそう言い切った。


「だってそうだろ? どの面下げて仏罰とか寝言ほざいてんだって話だよ。

大罪人のカンダタには蜘蛛の糸を垂らしてやったのに、だ。

何千年と犠牲を強いられ続けてきた櫛灘の女たちに仏が何をした? 何もしてねえ。

死後に救いを? アホか。救って欲しい時に救ってくれねえ奴なんざ糞の役にも立ちゃしねえ」


 試練だとか悟りだとかしたり顔で語ってんなよ気持ち悪い。

 カールはそう吐き捨て仏像の灰に唾を吐いた。


「今救いを求めてる奴らを散々見逃してる癖に仏罰だけは下すってか?

テメェ何様だよ。俺より先にもっと沢山の人を不幸にする奴をどうにかしろよ。

八俣遠呂智なんてものが今もこの国に存在してる時点で仏にゃ何をする資格もねえ。

ただの腐れダブスタデブ野郎だ。

そんな相手に敬意を払うならお百姓さんに手を合わせる方がまだ建設的だ」


 美味しいお米をありがとう。

 カールは感謝の祈りを捧げた。


「それに寺の中で物騒の話をするなんざ序の口だぜ?

何つったって、俺らの敵の中には坊主どもも居るんだからなあ」


「あー……一向宗じゃったか?」


 そう言えば、と庵も思い出す。


「そうそう。そこのボスである顕如ってのがまーた調子乗ってやがるみたいでな」

「例の八俣遠呂智の力を信者集めに利用してるらしいな」


「おう。御仏の加護だなんだつってな。

どの道、勢力的にも邪魔になるから潰すつもりではあるが奴さん、調子に乗り過ぎだぜ。

順番的には三番目ぐらいになるかな……クク、生き地獄を見せてやるよ。

奴が積み上げて来たものが零になる瞬間、奴はどんな顔をするのかねえ」


 悪どい笑みを浮かべるカール。

 元々正義の味方とかそういうのには向いていないとは思っていたが、


(まるきり悪役ですね)


 さしずめ神仏をも畏れぬ魔王といったところか。


「主、質問良いですか?」


 長頼がどこか楽しげに手を挙げる。


「おう、言ってみな」


「仮に一向宗討伐の折、奇跡。

それこそ御仏の加護としか言いようのない事象が起きたらどうします?」


「その時は俺のぶち殺リストに仏の名が載るだけさね」


 カールはさらりと断言した。


「八俣遠呂智は放置したまま。戦国乱世を終わらせようともしない。

その癖、自分の信者だけは救う――――随分と人がましいことじゃねえか。

人ならざる超常の存在であろうと、敬う気も必要性もまるで見出せねえや。

そんな仏俺は要らん、だから殺す。むしろ殺してやった方が世のため人のためってもんさ」


 今、自分はカールの深い部分を覗いているのだろう。

 平穏無事な生活をしていればその片鱗を見つけることさえ出来ない。

 血生臭い闘争が直ぐ傍にある、非日常の中だからこそ見える知られざる一面。

 今自分が見ているのはそんなものなのだと……理解した。


(恐怖はない、嫌悪もない)


 むしろ……。


「兄様」

「ん?」

「何というか、兄様は凄いですね」


 きっと、世界の全てが敵に回ったとしてもこの人は自分の味方で居てくれる。

 例え神仏が相手であろうとも、決して揺るぎはしないと根拠もなく信じられる。


「兄様の傍に居れば怖いことなんて何もないのだと、強くそう思いました」

「ああそうさ。何があろうとも大丈夫だ。何てったってこの俺が居るんだからな」


 不敵に笑うカール。

 この人を選んだのは間違いではなかった、庵は改めてそう確信するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る