絡め取られる心⑥

1.ベルンシュタイン式挑発的勧誘法


 久秀からの突然の呼び出し。

 それ自体は昨今の予断を許さぬ情勢を鑑みれば珍しいことではない。

 問題は呼び出された場所だ。


(……まさか天守の隠し部屋に、とは)


 天守の隠し部屋はぶっちゃけてしまえば久秀の私室だ。

 別に屋敷は用意されてあるが、あれは松永久秀(♂)の住まいで、

 そこに居る際は寝ている時であろうとも偽装を解除することはない。

 とはいえ、それでは心身が持たないというのも揺ぎ無い事実。

 久秀が久秀(♀)に戻るための完全な私的空間――それが天守の隠し部屋なのだ。

 密談するだけなら他にも部屋は用意してある。

 だというのに隠し部屋へ呼ばれた。


 はてさて、これはどういうことなのか。


「兄上、失礼致します」


 何もない壁の前で立ち止まった長頼はそう一声をかけ、壁に突っ込んだ。

 するとどうだろう?

 土壁が波打ち、ちゃぷんと長頼を飲み込んでしまったではないか。


「待っていましたよ長頼」


 中で待ち受けていたのは偽装を解除した久秀(♀)。

 数年ぶりに見た本来の姿に面食らいつつ、長頼は軽口を叩く。


「此度の呼び出し……まさか、そちらの用向きで?」

「仕事仲間としてはともかく、そういう意味であなたを選ぶことだけはありません」

「それは良かった。僕も姉上相手だとね。血は繋がっていませんが……」


 面白みも何もない、つまらない女だ。

 一人の人間として見るならともかく異性としては落第。

 それが長頼の久秀(♀)に対する私的な評価であった。


「で、単刀直入に聞きますが僕は何故ここに呼ばれたんですかね」

「紹介したい方が居るからです」

「紹介したい人間……」

「さ、どうぞ」


 久秀の言葉に呼応するように天井の板が外れ、そいつが姿を現す。


「拙者の名はパットリ肝臓。見ての通り忍者で御座る。出身は”イカ”の里に御座る」


 見覚えのある忌々しい黒装束を身に纏った謎の巨漢。

 その装いに一瞬、苛立つ長頼であったが直ぐに冷静さを取り戻す。


(一族の人間……じゃないな。腐った臭いがしないし)


 ならば一体何者か。

 頭巾から除く金色の御髪や左右で色の違う瞳を見るに異人のようだが……。


「はぁ……この御方の名はカール・ベルンシュタイン。

遠く海の向こう、プロシア帝国から参られた益荒男」


 やはり異人だったか。

 だが、この異人は何者だ?

 久秀とはどんな関係なのか。何故、自分と引き合わせたのか。

 めまぐるしく回転する思考だが、久秀が次に放った言葉を聞き長頼は言葉を失うことになる。


「――――今代における草薙の担い手です」

「な……」


 唖然、呆然。

 しかし長頼も伊達に久秀の右腕をやっているわけではない。

 即座に落ち着きを取り戻し冷静に現状を把握し始める。


「復讐……では、ありませんね。姉上と一緒に居るところを見るに」


 義輝と長慶が最優先に復讐対象となるのは間違いない。

 だが、それは久秀も同じだ。

 櫛灘姫にちょっかいを出すことに反対していたとはいえ久秀は長慶の腹心なのだから。


「姉弟揃って察しが……あ、いや。久秀の方は直ぐには気付かんかったか」


 殺せ、とか言ってたし。

 などと異人――カールが笑えば久秀は顔を真っ赤にしてそれは……などと言い訳を始める。

 その光景を見て長頼は思った。


(あれ? これ、そういう……)


 カールの方はさておき、久秀の方は随分入れ込んでいるように見える。

 あの堅物糞真面目な姉上が……と長頼は内心、驚愕していた。


「あー、それはさておきカールさんでしたか? 僕に何か御用なので?

まさか姉上と懇ろになったから弟の僕に挨拶を……なんて理由じゃありませんよね?」


「そりゃな。つか弟って言っても表向きの立場で血縁関係はないだろうに」


 こちらの内情は知られているらしい。

 久秀が話したのならばまだしも、独力で……と言うのなら少し気をつけるべきだろう。

 カールに悟られぬよう長頼は笑顔の裏で警戒度を引き上げた。


「ま、単刀直入に言ってアレだ――――長慶裏切って俺に着けよ」

「断る」


 そうキッパリ跳ね除けるとカールは嬉しそうに笑った。


「ほう、これは意外だ」


「あなたは恐らく僕らのことを知っているのでしょう。ですから正直に言いましょう。

確かに僕は義輝――いえ、長慶の現状を良くは思っていませんよ。

でも、勝手に期待して勝手に失望したからって裏切るのはあまりにも格好が悪過ぎる。

自分で選んだ船だ。泥舟だったと言うのならジタバタせず潔く共に沈むまで」


 と、そこまで言い切ったところでカールの変化に気付く。

 その瞳に浮かぶのは……がっかり?

 誘いを断られたことに対する失望ではないように見える。

 では、何に対しての?

 長頼は抱いた疑問についての考察をしつつ相手の出方を窺う。


「長頼、話は最後まで聞いてください。それと、カール殿。あなたもそう。

理由も告げずにいきなり裏切れと言われてはいそうですかと従う者が居ますか」


「…………今回に限ってはそれで正解だったみたいだがな」


 カールのぼやき。

 それは当然、久秀も長頼も聞いていた。

 だが、その言葉の意味するところまでは理解出来なかった。

 カールは軽く肩を竦め、久秀に譲ると言って後ろに下がる。


「とりあえず一度、話だけでも聞いてくれませんか?」

「……ふむ、ま、良いでしょう」


 長頼も気にはなっていたのだ。

 あの久秀が裏切りを良しとした理由が。


(僕は単純に長慶様の才覚に惚れたクチだが……)


 久秀は違う。

 一人の人間としても長慶を慕っていたように見える。

 そんな久秀が長慶を裏切った理由は何なのか。

 これが釣りのための偽装ならば分かるが、恐らくそれはない。

 久秀は心底から長慶――ひいては室町の幕府を見限っている。

 その決断を下すに至った理由が気にならないわけがない。


「――――彼の最終目標は八俣遠呂智の完全消滅です」

「ッッ……!」


 驚きに一瞬、言葉を失う。

 そんな長頼を気にかけることもなく久秀は淡々と説明を続ける。


 そして……。


「…………成るほど、理解しました」


 確かに魅力的だ。

 心の奥底で望んでいながらも言葉には出来なかった。

 言葉に出来ぬまま期待し、裏切られ、泥濘に沈んだ。

 長慶とは違う――と言うのは長慶に失礼か。

 そもそも彼女は八俣遠呂智をどうにかしようなどと思ってもいないし口にもしなかったのだから。

 自分たちが勝手に期待しただけ。


(だが、彼は……)


 言葉に出来ぬ期待を口にしてみせた。

 夢の旗頭になると言ってのけた。

 心が揺らがなかったと言えば嘘になる。


「とは言え、だ。デカイ目標を打ち上げることぐらいなら誰にでも出来る」

「お前らは出来なかったみたいだけどな」

「……はは、これは手厳しい」


 若干、苛立つ。

 成るほど、デカイ口を叩ける程度には強いのだろう。

 近接戦闘の心得もあるが、基本的に自分や姉も術者寄り。

 正確な力量は測れないが、カールが強いことぐらいは分かる。


 ――――だが認識が甘過ぎる。


 目の前の小僧の認識が甘過ぎるのだ。

 姉が説明したカールの策。それ自体は筋が通っている。

 だが、彼は理解しているのだろうか?

 八俣遠呂智との戦いにおいて、自身が矢面に立たねばならないことを。

 最前線で神と戦う、一身にその暴威を受け止めることを理解しているのか?

 していない。だからこその、大言。


「手厳しい? そりゃすまねえな。そこまで傷付き易い奴だとは思わなかったんだ」


 イキっているようにしか見えない。

 長慶への義理もあるが、姉への義理もある。

 長頼は聞かなかったことにして道を分かつつもりだった。

 だがここで芽生えてしまった。ちょっとした大人げなさ、意趣返しをしてやろうという稚気が。


「……姉上、僕は正直、心揺れています。

ですが、彼が信を託すに足る人間なのか。

彼方に見える栄光を引き寄せられる男なのかが分からない」


「試すと?」

「ええ――カールさんでしたか? 着いて来てください」


 天守から飛び降り屋根を伝って練兵場へと向かう。

 今日は使用予定もなかったので人気は皆無だが念のため人払いの結界を張る。


「試す……それもこんな場所でってことは戦えば良いのか?」


「その通り。とはいえ、僕とじゃありませんよ。

近接戦闘の心得がないでもありませんが、本業は術者なので」


 長頼は笑いつつ自らの親指の先を軽く噛み千切り血液を地面に垂らす。

 ぽたりと落ちたそれは途端にぞわぞわと蠢くように広がり陣を成した。


「これは……」


 ぞる、ぞる、と陣の中央からそれは姿を現した。

 全身に呪符が巻き付けられた漆黒の鎧武者。

 カールの倍はある体躯に、それとほぼ同程度の巨大な太刀。

 顔を覆う翁面の口元からは禍々しい瘴気が漏れ出している。


「僕は屍傀儡かばねくぐつという術の使い手でしてね。

どんな術かは……名前で想像がつくでしょう?

これはかつて覇を夢見て朝廷に――いいえ、帝に弓引いた大罪人の死体に僕が手を加えました」


 端的に言って長頼の切り札だ。

 通常の死体はある程度、こちらで動かしてやらねばならないがコレは違う。

 簡単な命令を与えてやれば勝手に戦ってくれるのだ。

 肉体に刻まれた闘争の記憶がそうさせるのか……ともかく、自分で操るよりも強い。


「名は覇夢太郎。これからあなたには……」

「待て」

「はい? 怖気づきましたか?」

「違う、そうじゃない。名前、名前だよオイ」

「覇夢太郎ですが?」

「馬鹿にしてんのかテメェ!!」


 ? ああ、偽名を使っていることかと思い至る。

 恐らくは感じる覇気でその正体を感じ取ったのだろう。

 だから本名を名乗らせろとキレているのだ。


「生前の名は使えないのですよ。そうすれば制御下を離れかねない。屍傀儡という術は……」

「…………いや、もう良い。とりあえず俺はこれとやり合えば良いんだな?」


 呆れたような顔をしてカールは練兵場の中央へと歩いて行った。

 釈然としないものの長頼もまた覇夢太郎を中央へ行かせ、カールと向き合わせた。


「準備は良いかな?」

「お優しいんだな、わざわざ確認してくれるなんて」

「……何時でも構わないというわけか」


 声には出さず、命令を下す。

 目の前の男を本気で殺しにかかれ――と。


「経卦ッッ!!!!」


 瞬間、覇夢太郎が神速の踏み込みを以って太刀を振り下ろした。

 袈裟懸けに通った刃、噴き出す鮮血。

 あまりの速さに反応すら出来なかったのだろう。


「やれやれ、この程度の攻撃も躱せないのに八俣遠呂智を相手取るなどとほざくとはね」


 呆れを通り越して憐れみすら感じる。

 醒めた目でカールを見やる長頼だったが……何かがおかしい。

 今の一撃で絶命した? いや、それなら倒れるはずだ。

 だからカールは生きている。

 生きているのに何故、覇夢太郎は動かない?

 まだ命令を取り下げてはいないぞ。

 故障か? と訝しむ長頼だったが、


「なあ久秀」


 次の瞬間信じられない光景が目の前に広がる。


「――――やっぱコイツ要らねえよ」


 覇夢太郎の身体から光が溢れ爆発四散。

 肉片の一つも残さず覇夢太郎は在るべき場所へと還っていった。


「……カールさん、長頼に何か落ち度でも?」


 覇夢太郎には一瞥もくれず戻って来たカールに久秀が問う。

 彼女もまた、理解が出来ないのだろう。

 何を以ってして長頼を不要と断じたのか。


「これまでも微妙に減点はあったが……コイツ、認識が甘過ぎるだろ」

「認識が、甘い?」


 思わず口に出してしまう長頼。

 認識の甘さ、それは彼がカールを試すに至った理由そのものだ。

 それが自分に返って来るとは思わなかったのだ。


「さっき何て言った? この程度の攻撃も躱せないのに?

お前もしかして俺が回避するなり防ぐなりを期待してたのか?

そんな腹積もりで俺を試したのか? おいおいおい、冗談はよしてくれ」


 心底呆れているといった様子。

 長頼は思わず言い返そうとするが、


「――――お前は八俣遠呂智と戦う時、逃げ場所を探すのか?」


 その一言が何もかもを封殺した。


「なあ、仮にも神を真っ向から相手取るんだぞ?

だってのにさっきの雑魚程度に回避だの防御だの言ってるようじゃ駄目だろ。

八俣遠呂智の分かたれた頭の一体、それも不完全な復活だ。

そんな状態でも攻撃の一つ一つから感じる圧は尋常じゃなかったぞ。

今戦った雑魚の攻撃ぐらい真正面から受け止められないで、八俣遠呂智と戦えると思ってんのか?」


 実際に八俣遠呂智と戦う段になれば、回避や防御も必要となるだろう。

 だが、そういうことではないのだ。

 八俣遠呂智と戦うに値するか。

 それを試すための場が今この時だと言うのならば、見極めるべき点を見誤ってはいけない。

 カールはそう言って深々と溜め息を吐いた。


「切れ端とはいえ、奴と戦った経験があるから言える。

限りなく完全に近い八俣遠呂智は正真正銘、理外の存在だってな」


 これが人ならば欺き、偽り、策を弄して封殺も出来よう。

 だが理外の存在に理を以って当たっても最終的には届きはしないだろう。


「断言する、最後の最後に必要になるのは“我”だ」


 例え理外の存在を前にしても一歩も退かず、

 自らの真実を叩き付けて押し通す“我”が勝負を分かつ。

 確信と共に吐き出されたカールの言葉に長頼と久秀が怯む。


「無法を天に通す気概……ということですか」

「ああそうさ。その通りだよ久秀。それが、それこそが必要なんだ」


 はぁ、と何度目かになるか分からない溜め息。


「俺は百点満点の解答を返したつもりだ。だが、出題者が赤点じゃなあ」


 偉そうな物言いだが、間違ってはいない。

 小揺るぎもせず真っ向から太刀を受ける胆力と一瞬で覇夢太郎を爆散せしめた実力。

 揺ぎ無い心と力、その両方をカールは示してのけたのだから。


「しかしカールさん、それを言うなら私も……」


「理解してなかったってか? ああ、そうかもな。

だが久秀とそこのじゃあ、意味合いが違う。

謙虚な小物は自らの不足がよく見えるからそれを補おうと努力する。

半端に賢しい小物は他人の不足はよく見えるが自らのそれは見えないから足元がお留守になりがち」


 ほら、正にお前のことじゃん。

 そうせせら笑うカールに長頼は何も言えなかった。


(…………試していたのは、あちらだったわけか)


 淡々とこちらの不足を指摘する中で、聞き逃せない言葉があった。

 彼の口ぶりでは大陸に封印された邪神との交戦経験があるようではないか。

 しかも、あの様子だと恐らくは勝利を収めている。

 久秀は知っていたと見て間違いない。だが、敢えてそこは伏せた。カールの指示だろう。


(最初に知っていれば……)


 対応も違った。

 しかし、それを口にするのはあまりにもみっともない。

 自分に本質を見抜く力がないと喧伝しているようなものだ。


「言いたいことは分かりました。ですが……」


「ああ、分かってる分かってる。

コイツを紹介したのは戦闘員ってより政治工作のための人員なんだろ?

だが、どうしても必要ってわけじゃない。だって、お前が居るからな」


 長頼が居れば久秀も随分楽になる。

 だが、居なくても問題はないはずだとカールは言う。

 悔しいがその通りだ。

 擁護してくれている姉には悪いが長頼はカールが言わんとするところを理解していた。


「替えが利く人材だ。別にコイツじゃなくても良い。

コイツじゃなきゃ駄目だって言うのなら能力以外の部分。

そこに信を置くに足る何かがあるかどうかだろう。俺はそこを見たかったんだよ」


 だが、見せられなかった。


「…………カール殿。どうせなら、微妙な減点とやらについても御教え頂けますか?」


 純粋に気になった。

 彼が自分をどんな風に見極めていたのか。


「ん? ああ……別に良いぜ。

俺がおいおいって思ったのは俺の誘いをキッパリ断った後のことだ。

勝手に期待して勝手に裏切られて云々抜かしてただろ? そこだよ」


「……やはりですか。何やらガッカリされていたようですしね」


 その理由を知りたいのだ。

 そう長頼が促すとカールは至極つまらなさそうにこう答えた。


「逃げる口実作りが達者だなって」


 苛立ちがないと言えば嘘になる。

 だがここは我慢。

 あちらは今示せるものをしっかり示した。

 言い分も示して見せたものも正しいと他ならぬ己が認めているのだから覆すことは出来ない。

 だから我慢。


「勝手に期待して勝手に失望したからどうこう言う権利はない。

まあ、一理あると思うよ。でもそれと破滅に向かう長慶を黙って見送るのは違うだろ。

一度主と仰いだんなら、主が破滅に向かってるのを止めろよ。

義輝に入れ込んで愚行を重ね続けりゃどうなるかぐらい猿でも分かるわ。

諸共に破滅するんじゃなくて不興を買ってでも道を正す――本当に筋を通すってそういうことじゃねえのか?」


 紅と蒼の双眸がこちらを射抜く。

 心の奥底までを覗かれているような気分に、長頼は一瞬たじろいだ。


「なのにお前は、いやお前だけじゃない。他の連中も誰一人としてそうしない。

ああ、苦言を呈すぐらいはしたのかもな。でも、断固たる行動には移していない。

それは何故か? 言ってやろうか? 誰にも分かる言葉でハッキリとさ」


 皮肉げに頬を釣り上げ、カールは言い放つ。


「“怖かったんだろ”」


 その一言は的確に心臓を穿つ刃にも等しいものだった。

 なまじっか、自己を見つめる客観性があるだけに理解してしまった。

 いいや、理解させられてしまったのだ。


「変に更正でもしたら……なあ?

ひょっとしたらお前らが望むような人間になっちまうかもしれねえ。

変革と破壊を願いながらも、心のどこかでそれを恐れている。

“勝手に期待した”――こりゃまた、随分な言葉だと思うぜえ?」


 何故、長慶に着いて行く時に誰もその期待を口にしなかったのか。

 長慶は、自分たちは泥濘を踏破し何もかもを変えるために行くのですよね?

 そう言えばもっと早期に誤解は解けていたはずなのに。


「結局のところ、都合が良かったんだろ? 何も言わない長慶がさ。

糞みてえな一族を出奔する切っ掛けになり、尚且つほんのり期待も抱かせてくれる。

だがその期待が叶ってしまうのもそれはそれで怖い」


 そんな内心から目を逸らし、さも筋を通すとばかりに心中しようとしている。

 成るほど、カールが失望するのも無理はない。


「俺は別にそういう弱さを否定するつもりはない。

ただ、自分の弱さを棚に上げて偉そうなこと抜かしてる奴は糞だと思う。

そういう意味で久秀と長頼は違う。久秀はうじうじうじうじ悩み続けてたもんなあ?

そうとは悟らせぬよう必死に取り繕いながらも心の中はいっぱいいっぱい」


 酷い物言いだが、久秀を見つめるカールの視線は優しい。

 弱さを否定しないという言葉通り、その弱さを肯定しているのだろう。


「が、長頼。テメェは違う。悟った風に飄々と振舞ってるのが滑稽且つ醜悪だ。

よくもまあ、そのザマで舐めたことほざけるなってのが俺の素直な感想だよ」


 呆れと失望が入り混じる眼差しが容赦なく心を突き刺す。


「お前が俺の立場に居たとして、お前みたいな奴を欲しいと思うか?」

「……」

「思わねえよな。少なくとも俺はそうだ。こっちから誘いをかけるだけの必要性は見出せない」


 そこまで言ってカールは長頼から視線を外した。

 見るべきものは見たと言いたいのか、もう微塵も興味はないようだ。


「…………ではカールさん、仲間に引き入れないということは……」


 久秀の表情が強張っている。

 長頼も理解していた。まあ、そういうことだろうと。

 だがそれもしょうがないことだと思う。


(道を譲るべきはどちらかなど、明白だからね)


 心がカールの正しさを認めてしまった以上、已む無しだ。

 切り札も瞬殺されたし抗う気はさらさらなかった。

 大人しく死を受け入れようとする長頼であったが、


「いや殺すつもりはねえよ」

「は?」

「だって何も出来ねえだろ、コイツ」


 頭の中が真っ白になる。

 唖然とする長頼にカールは更に追撃を放つ。


「俺に対する“ひょっとしたら”の期待があるから何も言えない。

かと言ってその期待を追うのも怖いからその場から動けない。

何も、何も変わらない。変わらないまま流されるとこまで流されて気付けば死んでるような手合いだ」


 自分がわざわざ手を出すまでもない。

 カールはハッキリとそう言い切った。


「待てッッ!!!!」


 頭に血が上り思わず叫ぶ。

 練兵場を出ようとしていたカールが足を止め、億劫そうに振り向いた。


「何だよ?」

「……ッ」


 呼び止めて、呼び止めて何を言うつもりだったんだ?

 長頼は返答に窮する。


「まさか矜持を傷付けられたとでも思ったのか?

おいおいおい、そもそも矜持なんて立派なもんがお前にあるのかよ?」


 呆れ。


「ないだろ」


 嘲笑。


「言ったよな? お前、デカイ目標を口にすることぐらいは誰でも出来るって」


 侮蔑。


「それさえ出来ない雑魚に矜持なんて上等なものがあるわきゃねえだろ」


 分を弁えろ。

 そう吐き捨てたカールに噛み付こうとするも、


「ぼ、僕は……僕は……」


 やっぱり言葉にならない。


(どうしたい……どうしたい……? 僕は、僕は一体どうしたいんだ……!!)


 いや、分かっている。

 分かっているのだ。

 自分の望みなんて考えるまでもない。

 だけど、嗚呼……怖い。恐ろしい。


(望みを口にすることがこんなにも……こんなにも……怖いなんて……)


 身体が震える。

 ガチガチと歯がぶつかり合う。


「……」


 待って、行かないで。


「ぼ、僕は僕は――――い、嫌だぁあああああああああああああああああああああ!!!!」


 カールの足が止まる。

 何の感情も浮かんでいない瞳でこちらを見ている。


「嫌なんだ! 女一人に縋り付いて薄氷の安穏を維持しようとする一族が!!」


 惨めで惨めでしょうがない。


「嫌なんだ! 邪神に縛り付けられた人生は!!」


 一族から離れても逃げられない。

 長慶や義輝から離れたってきっと無駄だ。

 知っているから、知ってしまったから。

 どこに居たって考えてしまう。

 忘れようとしてもきっと忘れられない。

 頭の隅にこびりついて、ずっとずっと心を苛む。

 怯えながら無為に時を重ね、怯えながら無為に死ぬ。

 そんなのは……嫌だ。


「ほう、それで? 嫌ならどうするんだ? どうしたいんだ?」

「はぁ……はぁ……! い、嫌なら……」


 嫌ならどうする? どうしたい?

 そんなのは決まってる。決まっている。

 ただ、それを口に出すのがこんなにも苦しい。


 頭がガンガン痛む。

 吐き気が込み上げてくる。

 目の奥が熱くて熱くてしょうがない。


 ――――でも、言わなきゃいけない。


「僕は……僕は、八俣遠呂智を倒したい!!!!!」


 言った、言ってやった。

 全身から力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 それでも、真っ直ぐ、目を逸らさず、カールを見上げてやった。


「成るほど……とりあえず“誰にでも出来る”ことぐらいはやれるようになったわけだ」


 カールがゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。


「一先ずは及第点」


 自分を見下ろすその視線は最初よりも柔らかい。

 だが、期待とかそういう感情は一切込められていない。


「一緒に来たいってんなら拒みはしねえ。だが、それだけだ」


 ああ、それで良い。


「そこから先は――――」

「行動で示せ、だろう?」

「ま、そういうこった」


 ポンと叩かれた肩が熱い。

 じわじわと熱が全身へと広がっていく。


「久秀、今日は俺もう帰る。後のことはそっちで良いようにしてくれや」

「分かりました。では、また明日」

「おう」


 そう言って今度こそカールは去って行った。

 残された松永姉弟の間に沈黙が降りる。

 最初にそれを破ったのは長頼の方だった。


「…………もう、後戻りは出来ません」

「ええ」

「でも、何故でしょうかね」


 これまでよりも、


「心が軽くなった気がします」


 ここから、ここから何もかもが変わっていくのだろう。

 行き着く先はまだ見えないけれど……不思議と、不安はなかった。

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