絡め取られる心⑤
1.マッサンとテリー(ウヰスキーは造らない)
(こ、ここが……テリーさんのお部屋ですか……)
キョロキョロと忙しなく視線を彷徨わせる久秀。
(殿方の部屋に訪れたのは初めてですが……想像より、綺麗なものですね)
いや、そもそも散らかるほど物がないのか。
店主の言によれば追い剥ぎに遭い行き倒れていたテリーを拾ったのは十二月の下旬。
そして今が二月半ばに入りかけと言ったところ。
それだけの短い時間では私物を増やそうにも増やせまい。
「お待たせデス、マッサン! 粗茶デスガ、ドウゾヨロシク」
「あ、はい」
差し出された湯のみを手に取る。
そこまで良い葉を使っているわけではなさそうだが、この香り……。
(中々に茶を淹れるのが上手ですね)
安い葉でも淹れ方次第でグレードは変わるものだ。
現に今、渡された茶も値段より一段、二段上のものになっている。
匂いを嗅げばそれぐらいは分かる。
「ほぅ」
そっと一口。やはり美味い。
何時かは自分も返礼として茶を立ててあげても良いかもしれない。
その時は平蜘蛛を使ってあげようか。
などとポワポワ妄想を膨らませている久秀だったが、
(はっ!? 違う違う、そうじゃないでしょう。何ほっこり和んでいるんですか私は)
ふるふると首を振り改めてテリーに向き直る。
「……」
視線で促す。
どうか、その痛みを打ち明けて欲しいと。
テリーはゆっくりと頷き、語り始めた。
「……八歳の頃、ワタシは父母と祖母を事故で失いマシタ」
家族を失う。
戦国乱世においてはそう珍しいことではない。
が、彼は異国の人間だ。
争いとは縁遠い日常の中で生きていたのならばその痛みの感じ方も違うだろう。
久秀は平和ボケした人間だ、などと見下すつもりはない。
平和ボケて居られる方がずっとずっと良いに決まっているから。
「生き残ったのは同じく事故に巻き込まれたものの、奇跡的に一命をとりとめた祖父。
そしてそもそも、友達の家に遊びに行って事故に遭わなかったワタシの二人ダケ。
喪失の哀しみと共に、ワタシと祖父――二人だけの新生活が始まりマシタ」
当時を懐かしんでいるのだろう。
色の異なる両の瞳が寂しげに揺らいでいる。
「祖父は幼いワタシを慮ったのデショウ。
悲しい顔など見せもせず、努めて明るく振舞ってイマシタ。
そんな祖父の横顔と、それでも寂しげな背中は……幼いワタシの心に深く焼き付きマシタ」
だから自分も、そう在ろうと決めた。
祖父の心が少しでも軽くなるようにと明るく振舞った。
最初は無理をしていた、背伸びをしていた。
だが、続けていれば何時かそれは本当になっていくのだとテリーは言う。
「時間ハ……いいえ、時間ダケガ喪失の痛みを癒してくれる。
それが幼い子供の心ならば尚更デス。
幼い心は傷付きやすいケレド、癒されやすくもありますからネ。
ワタシは祖父と二人ダケの生活にも何時しか慣れて、それなりに幸せに暮らしていマシタ」
それは良いこと、なのだろう。
逝ってしまった者はもう二度と帰って来ないし微笑みかけてもくれない。
それで、生きねばならない。取り残された者は生きていくしかないのだ。
「……ダケド、祖父は違っタ。ワタシがそれに気付いたのは成人を迎えた日のこと。
ワタシの国は十五で成人と看做されマス。
ちょっとした成人の儀式を受けて家に帰ったワタシを迎えたのは……抜け殻の祖父デシタ」
「……抜け殻?」
思わずそう問い返すとテリーはコクリと頷いた。
「椅子に座ってぼんやり虚空を眺める祖父。
話しかけても反応はナクテ、ようやっとワタシの存在に気付いたと思ったら……。
こう言いマシタ――――お前は誰だ? と」
「それ、は……」
加齢によるボケ、ではないのだろう。
話の流れと、痛みを堪えるようなテリーの表情を見るに。
「…………当たり前の、当たり前のことデスヨネ?
だって、何十年と連れ添った愛する人と、その人との間に生まれた子供。
そして我が子が心の底から愛した人を喪ったんデスカラ」
平気なわけがない。
大人だからなんて言葉で割り切れるようなものではない。
辛い、辛いに決まっている。
自責の念が四六時中心を苛んでいたはずだ。
絶えず心の傷口から血が流れていたはずだ。
痛い痛いと心はずっと悲鳴を上げていたはずだ。
「だけど我慢してイタ。耐えていイタ」
それは、それは何のため? 誰のため?
「……――――ワタシの、ためでした」
テリーの祖父にとって孫は唯一残された希望であり光だったのだろう。
テリーが居たからギリギリのところで踏み止まれた。
「せめてワタシが一人前の大人になるまではと」
そう思って、頑張ったのだ。
痛みに耐えながらテリーを育て上げたのだ。
自分のことなんか後回しで、ただただテリーのために。
それは紛れもない愛情だ。
嘘偽りない、崇高で、美しい、愛情。
「ワタシは……何も知らなかっタ。気付かなかっタ。
他人の心の痛みを理解してあげられるような男にナレ。
そう、そう教えられていたのに……他人どころか唯一の家族が抱える痛みにすら気付けなかっタ」
テリーを責めることは出来まい。
言い方は悪いが、気付かなかったのは彼の祖父の目論見ゆえだろう。
せめて子供の内ぐらいは何の憂いもなく健やかに日々を過ごして欲しいと、
そう思ったから彼の祖父は自らの弱さを必死に隠し通したのだ。
「気付いた時には、全部もう、手遅れダッタ」
それで逃げ出し――――
(……いや、違いますね。彼はそんな男ではない)
逃げ出した方が楽な道を選んだのだ。
「ワタシは……壊れてしまった祖父を、必死にお世話シマシタ」
やはりか、と苦い顔をする。
捨ててしまえば楽になれるのに優しい彼にはそれが出来ない。
寄り添い続けることを選んでしまった。
「辛かったデス。祖父がワタシのことなどまるで見ていないのもそうデスが……」
唇を噛み締めながら俯くテリー。
その巨体がぷるぷると悲しげに震えている。
「もう居なくなってしまった人達に謝り続ける姿ガ……何よりも、辛かっタ……!!」
堪えきれなくなったのだろう。両の瞳から涙が零れ出す。
テリーはそれを拭うこともせず語り続ける。
「今度はワタシが、そう思って頑張っタ……でも、無駄デシタ。
結局、祖父は去年の十二月頭にこの世を去ってしまっタ。
最後の最後までワタシを認識せず、謝罪の言葉を繰り返しながら……逝ってしまっタ」
「テリーさん……」
「どうしようもない無力感だけが残ッタ」
虚ろな瞳で宙を見上げるテリー。
今の彼にどんな、どんな言葉をかけてやれば良いのだろう?
久秀もまた無力感に苛まれていた。
「ワタシはそれから逃げるように故郷を飛び出しマシタ。
兎に角、遠くへ……その一心で気付いたら海を越え、葦原に来ていマシタ。
この国に来てからも、ふらふらと彷徨い歩いて……追い剥ぎに遭って……ハイ。
正直、ここで死んでも良いやって思ったデス」
力なく笑うその姿が、どうしようもなく胸を締め付ける。
「もう何もかもが嫌になってぼんやりとしてた時、大将が手を差し伸べてくれマシタ。
大将、何も事情を聞かず、手当てをして行くところがないならしばらく家に居れば良いと言ってくれたデス」
あの人らしい不器用な、それでも温かみのある優しさだと思った。
そしてその優しさがテリーを救ったのだろう。
「大将のお陰で少し、持ち直して……まあ、その、今に至るデス」
「そう、でしたか」
「ハイ」
やっぱり、何を言えば良いのか分からない。
逃げ出して、もう帰りたくないのならずっとこの町に住めるように取り計らう?
違う、違うだろう。今、彼に必要な言葉はそんなものではない。
(…………つくづく、無様ですね)
彼はあんなにも自分の欲しい言葉を言ってくれたのに。
自分は何一つとして返せやしない。
俯き、打ちひしがれる久秀だが……。
「……――――ごめんなさい」
「え」
突然飛び出した謝罪の言葉にハッと顔を上げる。
「マッサンに初めて会った時、偉そうなこと言いマシタ。
……でも、結局……それは……他の皆さんへのこともそう……代償行為……」
自分の弱さ醜さから目を逸らしたくて、
自分は何か出来る人間なんだと思いたくて――お節介を焼いた。
「ワタシは……最低な人間デス……本当に、本当に――――」
違う! そうじゃない!!
否定の言葉を口にするよりも先に、
「ぁ」
久秀は力いっぱいテリーを抱き締めていた。
「そのように……自分を卑下しないでください……!!」
例え、そういう理由があったのだとしてもだ。
嘘じゃない。自分や他の客たちが救われたのは揺ぎ無い事実なのだ。
「私は……あなたのお陰で随分と気が楽になりました」
悩みが根本的に解決したわけではない。
それでも、随分と楽になった。余裕が生まれた。
こうして松永久秀の職務とは何ら関わりがない事柄に心を砕けるほどに。
「それは他の皆さんも同じでしょう。皆、あなたが好きなのです」
「マッサン……」
「私の大好きな人を、悪く言わないであげてください」
辛かったのだろう。
悲しかったのだろう。
悔しかったのだろう。
理解出来る……なんて口が裂けても言えやしない。
けど、一つだけ分かることがある。
「テリーさん……あなたは、あなたは幸せにならなければいけないんです」
「ワタシが、幸せに……?」
「ええ」
だってそうだろう?
テリーの祖父は心が壊れてしまうほどに耐えたのだ。
耐えて耐えて耐えて、孫が大人になるまで踏み堪え続けたのだ。
「あなたのお祖父さんがそこまで頑張れたのは何故です?」
答えは一つしかないだろう。
「――――愛していたのですよ、テリーさんのことを」
心の底から大切に想っていた。
「そこまでの愛を貰ったのだから、幸せにならなければ嘘でしょう?」
「デモ、ワタシは……」
「でもも何もありません!!」
「!?」
久秀は今、何もかもを忘れて燃えるような感情に身を任せていた。
松永久秀としての義務や責任なんて今は頭の隅にも存在しない。
あるのはただ一つ。
目の前に居る男の心を抱いてやりたいという純な想いだけ。
(嗚呼……長頼……あなたの言っていたことが、少し、理解出来たような気がします)
理性を超える感情。
我が身を焦がし尽くしても尚、足りぬ熱量。
(――――私は彼を愛しているのですね)
ならば、やるべきことは一つだ。
後のことなど今は何も考えない。
(今はただ、この胸の情熱が導くままに……)
2.悪い男
(――――勝ったな)
俺の胸に顔を寄せ安らかな顔で眠る久秀を見て、俺は自らの勝利を確信していた。
(コイツの胸に焼き付いた俺という存在はもう……消せやしない)
例え本性を露にしても、だ。
久秀はもう逃れられない。
だって、求めたのはコイツだから。
身体を重ねたのはテリーを慰めるため……ではないのだ、その実な。
求めていたのは徹頭徹尾久秀の方だ。
色々なものに翻弄されて擦り切れていく中で久秀は温かで優しいものを求めていた。
その結果が、これだ。
ありもしない幻影に囚われ久秀はもう、身動き一つ取れない。
(ま、本性を晒すだけ晒して放置するつもりはないがな)
だってそれじゃただ久秀の心をイジメただけだもん。
そもそも、俺は久秀を味方に引き入れるためにやって来たわけだしぃ?
(コイツがテリーに求めていたものを与えられるかどうかは怪しいが……)
もう一つ。
心の底から求めていたものは与えてやれる。
そしてそれが久秀を味方に引き入れてくれる。
(……ックク……悪いのはお前なんだぜ? 長慶さんよぅ)
実に罪な奴だ、三好長慶って女は。
「んぁ……」
腕の中で久秀が身じろぎをする。
顔を見ればゆっくりと目が開き始めていた。
多分、寒さで目が覚めたのだろう。
囲炉裏の火は消しちゃいないが、この部屋、隙間風とかも入って来るしな。
とりあえず、先手を打つか。
「――――おはよう、松永久秀」
「ッ!?」
流石にプロだ。
即座に反応し、俺から離れようとするがそうはいかない。
ギュッ、と俺がそうされたように久秀を抱き締め縛り付ける。
「おいおいおい、そうおっかない顔をするなよ……なあ?」
焦燥、困惑、怒り、悲嘆。
様々な感情が胸渦巻く久秀の耳元で囁きかける。
「…………あなたは何者、ですか」
さわさわと尻を撫でていたからだろう。若干、声が上擦っていた。
「テリー改めカール・ベルンシュタインだ」
っていうか何で俺、テリーって偽名にしたんだろう?
どこから来たんだテリー。
お前は何者なんだテリー。
思い当たるのは大人をからかっちゃいけない人か、引換券のどちらかだと思うんだが……。
「ああ、こう言った方が早いかな? ――――草薙の所有者だよ」
「――――」
息を呑む久秀。
顔を見なくても分かる。その表情はさぞや強張っていることだろう。
「あの妙な仮装をしていた……いやですが、確かに似た身体つき……」
「へえ、お前も見てたんだな」
照れるな。
「何故、私に接触を……復讐? いや、だとしても……」
流石に頭の回転が速いね。
私の状態は随分とポンコツだが、公に切り替えた途端に冴え渡りやがった。
いやまあ、順序立てて考えれば分かることだけどさ。
草薙の剣を託せるのは生死不明だった幼い姫君だけ。
草薙の剣を持つ人間が現れたということは姫君の生存は確定。
剣を託されたってことは、それだけ姫が深い信を預けているということに他ならない。
で、草薙の所持者が自分の前に現れたってことは……ねえ?
復讐のためと考えるのが自然だわな。
だが復讐のためだとしても、疑問が残るよな?
何で自分たちの存在が露見したのかってさ。
でも、この状況で即座にそこまで辿り着けるのは流石だわ。
やっぱり使える女だよ。
「不思議だよなあ? 草薙の剣のことはまあ、小さなお姫様に聞いたとしてだ。
お姫様の心を陵辱した屑野郎どもについて何で知ってるんだってさ。
や、お姫様は草薙の剣のことも知らなかったんだけどね。
自分や母親がどんな存在か、何故狙われたのかもなーんも知らなかったよ」
久秀の耳を甘噛みしながら楽しげに言葉を紡ぐ。
ビクビク身体を震わせる久秀の反応がたまらんね。
股間がドンドン元気になってきましたよ、ええ。
「じゃあ何で知ってるかって? 藪を突いて蛇を出した馬鹿が居るんだよ」
あれ? これ激ウマギャグなんちゃうか?
「馬鹿……」
「――――お前らの元々の所属さ」
「!? あ、アイツら……!!」
察したらしい。
しかし、これは久秀らの手落ちでもあるだろう。
奴らが草薙の所有者の手がかりを得たのは例のデモンストレーションが切っ掛けだったわけだし?
幕府に忍び込んでいる内通者がそれを里に伝え、連中は人を大陸に派遣。
それでまあ、色々調べて俺らに辿り着いたわけだ。
「お前らに余裕がなかったのは分かるが……悪手だなあ。
俺の存在が露見した時点でお前か三好三人衆が大陸に渡り、
連中よりも先に俺らを見つけ出してれば上手いこと俺らを利用出来ただろうに。
例えばそう……姫様の母親を殺した咎を別人に押し付けたりとかね」
「ッ……」
まあ、幽羅や明美は幕府の仕業だって知ってたから無駄なんだけどな。
が、それを久秀に説明してやる義理はない。
「姫様の確保と草薙の剣を異人から回収するために刺客を送り込んで来やがった。
五十人ぐらいだったか? まあ、あんな雑魚どもにこの俺がどうにか出来るはずもないんだがな」
事細かに屑どもをどう殺してやったかを説明してやる。
「傑作だったぜ! ありもしない蜘蛛の糸に縋り付こうと仲間同士で殺し合う様はよォ!!
どいつもこいつも芯のねえ屑ばっか。大義だ何だと嘯きながら覚悟の一つもありゃしねえ。
同情するぜ、なあ? お前ら可哀想だなあ。あんなどうしようもない一族に生まれてさ」
「…………否定はしませんよ」
自嘲交じりの返答。
外から見てもああだったんだ。
中から見てた久秀はそのどうしようもなさについては嫌ってほど知ってるよな。
「ちょろっと拷問してやりゃあ、簡単に吐いたぜ。何もかもな」
「…………その結果が、これですか」
「あん?」
久秀の声は震えていた。
どうしたんだと顔を覗き込めば……ぽろぽろと涙を流していた。
「ええ、ええ、あなたの思惑通りですよ」
何言ってんだコイツ?
「上げて上げて……突き落とす。単純ですが、ええ、効果的でしたよ」
あ、そういう……。
いやでも久秀の立場になって考えればそっちの方が自然か。
まさか仲間に引き込むために接触して来たとは思わんわな。
「…………殺しなさい」
「おいおい、勘違いするなよ久秀――いや“マッサン”」
テリーの声色を作り耳元で囁く。
するとどうだ? 分かり易いぐらいに反応しやがったよこの女。
「長慶と義輝は殺す。だがお前は別だよ久秀。むしろその逆だ」
「逆……?」
「そうとも。俺はな、お前にゃ味方になって欲しいんだよ」
「ハッ! 長慶様を裏切れと? 例え何をされようがそのつもりはありません――殺しなさい」
お前は女騎士か。
あ、俺の知ってるリアル女騎士とは関係ないぞ。
あっちは“くっ、殺せ!” ってより“よし、殺す”って感じだもの。
「殺さねえよ。ま、仲間になってくれないならしゃーねえや」
ホールドを解除し、起き上がって距離を取る。
とりあえずマッパは寒いので服を着よう。
「…………何のつもりですか?」
ごそごそと着替えていると後ろから声がかかる。
疑心暗鬼にかられてるってのがよーく分かる声色だあ。
「お前もさっさと着替えて長慶に事の次第を報告しに行った方が良いんじゃね?」
「……私を見逃すと?」
「ああ、見逃すよ。別に俺らの存在が露見したところで何の問題もないからな」
例えば軍勢を集めて護りに入るとして、だ。
真正面からぶち抜いてその首を狙えば良いだけの話だし。
「ああでも、敵は俺らだけじゃないし軍を動かすのは難しいか?
何にせよ、とっとと長慶んとこ行って判断仰いだ方が良いんじゃねえの?
お前だけで判断を下せる案件ではあるまいよ」
「……」
未だ疑心に囚われたまま。
それでも、今この場で仕掛けるつもりがないという言葉に嘘はないと悟ったのだろう。
久秀がゆっくり立ち上がろうとする――今だ。
「“何も変えられないまま”阿呆どもと心中する……ま、それも本人の自由だわな」
はらりと布団が落ちた。
中腰、全裸で固まる久秀。
「……何が言いたいのですか?」
「いや別に? お前は結局のところ、誰かに期待するばかりで自分じゃ何もしないんだなって」
目に見えて動揺が浮かぶ。
「何だよその顔は? 事実じゃねえか。
くだらねえ一族に失望して、現状を歯がゆいと思いながらも何もせず。
屑どもの中で唯一変わった動きをした長慶に期待して一緒に着いてったが奴はお前の思うような人間じゃなかった。
だが長慶を正すでもなく、自ら何かを変えるために動くでもなく……現状維持に甘んずる」
自分じゃ何もしない、出来ない。
流されるだけの弱い女。
餌を与えられることを口を開いて待つ雛鳥と何も変わりゃしねえ。
「なまじっか優秀だから余計に残念さが際立つなあ」
「ッ……利いた風な口を……!!」
「俺にはその権利がある。俺はお前らが出来なかったことをやろうとしてんだからなあ」
「え」
揺らぐ、揺らぐ、心が振り子のように揺れ続けている。
もっと、もっとだ。もっと激しく揺れろ。
「なあおい久秀。俺が……いや、俺たちがただ復讐のためだけに葦原に来たとでも思ってんのか?
真正面から長慶と義輝の首を獲れると自負してる人間が、だ。
わざわざ味方を増やそうなんて回りくどい真似したってことに疑問を抱かないのか?」
ハナから除外してたんだろうな。
そんなの無理だって。
自分に出来ないからって、俺まで一緒にするんじゃねえよ。無礼にもほどがあるぜ。
「俺はな、ぶっ壊しに来たんだよ。何もかもをな」
「壊しに、きた……?」
その瞳に微かだが期待の色が混入したのを俺は見逃さなかった。
「小さな姫君――庵は俺の女だ。愛してる、心底から惚れてる。
だからああ、認められるかよ。
愛した女や何時か生まれて来る俺のガキがだぜ?
くだらねえ因縁に付き纏われるなんて許容出来るはずがない」
「! まさか……そんな……出来るはずが……」
一緒にするなって言っただろ?
お前や、お前が夢を見た長慶とかいう馬鹿と一緒にされるなんざ心外だぜ。
「殺すよ、八俣遠呂智を。この世から完全に消し去る。
奴の消滅を以って初めて俺の女は自由になれるんだ」
なら、躊躇う理由はどこにもない。
「既に大陸に封印してあった頭の一つは潰した」
「!?」
「後は八つ。この国に封じられた八つ首の蛇をぶち殺せばそれで仕舞いだ」
振り向き、歩み寄り、久秀を押し倒す。
突然のことに成すがままの久秀に向け、更に言葉を投げかける。
「ただまあ、無策で挑めるような相手じゃないからな。色々準備が必要なんだ」
「準備……」
「そのためにお前や三好三人衆の力を借りようと思ってたのさ」
手に取るように分かるぜ。お前の心の動きがな。
背中が熱くて熱くてしょうがねえよ。
「ただ、無理に協力を乞うつもりはない。
それならそれで別の方法を考えるまでの話だからな」
これは嘘じゃない。俺の本音だ。
久秀らの協力が欲しくないわけではない。
むしろ、喉から手が出るほど欲している。
だが、中途半端な気持ちで着かれても迷惑なんだよ。
俺が欲しいのは心底からの助力だ。
本気で俺と手を組み俺の目指すところにまで一緒に走ってくれる同志をこそ、俺は求めている。
「手間はかかるし、遠回りにもなるが……是非もない」
男が一度やると決めたんだ、ケツ捲くるなんてのはあり得ない。
無理を通して道理を引っ込ませるぐらいはやってやらなきゃな。
「俺には何が何でもやり遂げるって覚悟がある。
こっちはな、例え死しても八俣遠呂智は道連れにしてやるってぐらいの気概で事に臨んでんだ。
なあ、お前らにはあるのか? 誰憚ることなく胸を張って満天下に誇れるような何かがさあ」
「そ、それは……」
ないよなあ? あるわけねえよなあ?
流されるがままにやって来てだけなんだから。
今やってる仕事も真面目にやっちゃいるが、本質は惰性だ。
他にやることないからやってるだけ。
「なあ久秀よ。俺はお前が“テリー”に求めていたものを与えてやることは出来ねえ」
無償の愛情を捧げ合う。
何のしがらみもない純で美しい関係。
久秀がテリーに求めていたものはそれだ。
だけど俺にそれを与えてやることは出来ない。
惚れた腫れた以前に、打算ありきで近付いたわけだからな。
どうしたって久秀の望み通りにはならない。
「だが、もう一つ――お前が心から望んでいるものを与えてやることは出来る」
「わたしが、こころからのぞむもの……」
「感じてたんだろ? 生まれた時からずっとずっと」
どうしようもない閉塞感。
どうにかしたい現状。
どうすれば良いか分からない懊悩。
「全部、全部ぶっ壊してやるよ」
久秀のため――……ではない。
結果的にそうなるだけだが、嘘は吐かない。
全部、全部俺がぶっ壊す。
「この国を、櫛灘の血族を、そして何よりも庵を縛り付ける因果を跡形も無く破壊する」
見たくないか?
「何もかもが解き放たれた地平を」
見たいだろ?
「さぞや、良い眺めなんだろうなあ」
数千年。葦原を覆い続けていた夜が明けるその瞬間。
本当の意味でこの国が朝を迎えるその瞬間。
空に上った朝陽は富士のご来光も霞んじまうような美しいものなんだろうなあ。
「わ、わたしは……」
憐れなぐらい揺れてるなあ。
可哀想に、可哀想に。
こりゃあ、俺が救ってやらねばなるまいよ。
(良いよ、言ってやる)
かつて欲し、だけど遂には与えられなかった言葉。
長慶はお前にそいつをくれなかった。
でも俺は違う。
「久秀」
聞こえてる、ちゃんと俺には聞こえてる。
だから与えてやれる。
「“お前が欲しい”」
これまで以上の熱を背中に感じながら微笑む。
「――――“俺にはお前が必要なんだ”」
「ぁ」
お前はもう、俺から逃げられない。
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