絡め取られる心④
1.泥沼
「またか畜生がぁああああああああああああああああああああああああ!!!!」
自身が構築していた諜報網の一部が破壊されたと知り、机を叩き割る久秀(皮被り)。
報告を持って来た部下がビクついているが、今の彼女にそれを慮ってやる余裕はなかった。
またか、という言葉からも分かるように幾度も繰り返されているのだ。
諜報網の破壊だけに留まらず物資の焼却、流言などなど……。
一々久秀が出張るほどではないが、無視は出来ない嫌がらせがここ最近頻発していた。
そのお陰で遂に堪忍袋の尾が切れたのだ。
「兄上兄上、部下が怯えております。ああ、君君。ご苦労だったね、もう下がって良いよ」
「は、はっ! し、し失礼致します!!」
長頼が笑顔で部下を部屋から逃がす。
兄(血縁関係なし)とは違い、こちらはまだ幾分か心に余裕があるようだ。
「…………長頼ィッッ!!」
「はいはい。まあ、十中八九今回も筒井でしょうなあ」
三好――ひいては松永家を敵視している者は多い。
だが、この大和の中で一番松永憎しで動いているのは筒井家だろう。
「……」
「兄上?」
「なあ、昨今の嫌がらせ――本当に筒井なのか?」
「と、言いますと?」
「しつこくうちに噛み付いて来る狂犬ぶり。わしも最初は筒井かと思っていたが……」
それにしては、どうにも腑に落ちない点がある。
久秀は自身を過大評価することもなければ敵を過小評価することもない。
過不足なく冷徹にあるがままの評価を下すことが出来る。
ゆえに被害が出るや否や、久秀は筒井家に対する過不足ない対策を講じてみせた。
無論、完璧に被害を防げるものではない。
しかし、十分な効果を発揮するであろう手立てだった。
だというのに予想よりも大きな被害が出続けている。
「どうにも腑に落ちん」
そう渋面を作る久秀に長頼はさらりとこう告げた。
「居ますよ、筒井にも。出来る者が」
「何だと?」
「前に小競り合いで偶然見かけた男で名前は島左近。
若く家内の序列は低いようですが、その才覚は目を見張るものがありますね」
初耳だった。
そういう情報は早く寄越せよと久秀が抗議すると、
「言いましたよ」
「……そうだったか?」
「ええ、しかと伝えました」
「…………すまん、わしの手落ちだ」
「いやまあ、色々忙しかったですしね。僕も兄上も」
誰のせいで、と言わないあたり今日の長頼は多少機嫌が良いらしい。
「そう言ってくれるとありがたい。して、その島何某が動いているというのは確かなのか?」
「確実に、とは断言出来ませんがその可能性は高いでしょうね。。
探りを入れてみましたが表面上、島の地位が変わったとかそういうのはありませんでした。
ただまあ、どうにも引っ掛かる妙な動きをしているのは間違いないようで。
例えばそう、どんな伝手を辿ったのか術者どもを雇い入れたりと言ったような……ね」
「ふむ」
筒井が賢しい人の使い方を覚えたと見るべきか。
表面上は重用も厚遇もしていないように見せれば、島を警戒すべき対象とは思えない。
現に長頼が島を知った経緯も偶然だし、やり方としては間違っていない。
むしろ巧いと言えよう。
「長頼」
「既にこちらでも動いていますよ」
「わしの手は必要か?」
「今のところは。必要になれば頼らせて頂きます」
「相分かった」
と、そこで夕刻を告げる鐘が鳴り響いた。
「兄上」
「うむ、今日はこれで仕舞いにしよう」
油断は出来ぬ情勢。
それでも、張り詰め続けていればいずれ緊張の糸が切れるは必定。
ゆえに久秀はなるたけ定時で仕事を終わらせるようにしていた。
それは下の者も同じだ。
夜勤で今から出て来る者らを除けば残業は基本禁止。
松永家はホワイト企業なのである。
まあ、トップ二人はブラックな奴隷なのだけれど。
「……兄上、今日もですか?」
隠し部屋へ行こうとしたところで背中に呆れたような声がかかった。
久秀は振り向き、半目で答える。
「そういうお前は今日も女郎屋に商売女を抱きに行くのだろう? それよりはマシだ」
「権力を笠に着て女漁りしてるわけじゃないんですから別に良いでしょう。
お金だって自分の給金から出してますしね。
兄上こそ贅沢三昧をしろとは言いませんが、
庶民の酒場に入り浸って煮しめつつきながらチビチビやるってのは……しょっぱ過ぎません?」
夢も希望もありゃしないと長頼は肩を竦める。
「ほっとけ。それに……」
最近は酒と飯だけではない。
久秀の脳裏に陽気な異人の笑顔が浮かぶ。
その笑顔を見るだけで心が和む。
語らう度に心が軽くなる。
「兄上? どうかされましたか?」
「あ……いや、性交の何が楽しいのかと思ってな。
飯と酒の方が腹も膨れるし心も満たされるのだからよっぽど素晴らしいではないか」
誤魔化すように言葉を紡ぐ。
長頼は特にそれを不審に思うこともなく小馬鹿にしたように笑う。
「そりゃ兄上に経験がないからでしょう」
「経験ぐらいある。というか、貴様も知っているだろう」
「そうじゃない、そうじゃないんですよ兄上。いやさ、今は姉上と呼びましょうか。
里で男女問わず一定年齢に達すると行う性交はあれ、術のための儀式じゃないですか。
あれを指して経験があると言うのは如何なものかと。愛がありませんよ愛が」
途端に久秀の視線に哀れみの色が滲み始める。
「愛って……お前、相手は……」
「商売女だから愛がない? 浅薄、浅薄にもほどがありますよ」
それは商売女に入れ込む駄目な男のパターンなのでは? 久秀は訝しんだ。
「女郎屋に売られる女はその多くが悲惨な境遇の者だ。
親に売られたりなんてのも珍しくはない。そういう者らは仕方なく身体を売っている。
ええ、愛想を振り撒きながら腹の中では憎悪しているのかもしれませんね。
でも、居るんですよ。中には本物の娼婦って人種がね」
コイツは一体何を熱く語っているのだろう?
疑問に思う久秀であったがとりあえず話に付き合ってやることにした。
「彼女らは誇りを持って女を売っている。一夜の夢を男に見せてくれている。
本物の娼婦はね、逢瀬の間は本気で愛してくれるんですよ」
「だがそれも……」
「偽りだ――その通り、そうでしょうよ。
朝になれば消える愛など本物の愛ではありません。所詮は作り物だ」
でも、と長頼は笑う。
「例え作り物であろうと、本気で作ってくれているのならそこには確かな価値がある。
だってそうでしょう? 好きでも何でもない、行きずりの男のため。
その心と身体が少しでも癒されるようにと本気の嘘を吐いてくれる。
それって凄いことだと思いません?
彼女らの見せる
思いの外、真っ当な論理展開に面食らう。
まさかそんな心持ちで女遊びに臨んでいるとは思ってもみなかったのだ。
「もし僕が征夷大将軍になれたのなら真っ先に娼婦関連の法整備をしますよ、ええ。
キチンと法で彼女らを守護し、劣悪な環境を整え、社会的な立場も……」
「そこより先にやることあるだろ」
呆れつつ執務室を後にし隠し部屋に向かう。
素早く偽装を解除し、着替えを終え、何時ものように飛び降りようとするが……。
「……」
ふと、“それ”が目に付く。
とりあえず用意はしたものの、使う機会がなかった代物。
似合わないし、らしくない。
一考の余地もないものだが……久秀は逡巡の末、それを手に取り天守閣を飛び降りた。
(もう、一ヶ月以上になるんですね。彼と出会って……)
冬の寒さが厳しい二月の空気を肌で感じながら町を歩く。
自然と、頭の中には彼の顔が浮かんでいた。
(すっかりこの町にも馴染んでいるようですが)
元は傷心旅行でやって来ただけ。
何時かは去ってしまうのだろうか? そう考えると少し、胸が痛んだ。
(思えば……)
自分は彼について何も知らない。
何時も何時も話を聞いてもらうだけ。
踏み込んだ内容は話していないが、彼のお陰で随分と気が楽になったのは確かだ。
なのに自分は何もしてあげられていない。
時折、悲しそうな表情をしていることも知っているのに。
(今日は少し、話を聞いてみましょうか)
無論、嫌がるようなら踏み込みはしない。
しかし、力になれそうなら力になってあげたい。
もしも……そう、例えば、郷里に戻りたくないとかそういう事情があるのならば、だ。
自身の立場を使って永住権を与えることぐらいは出来る。
(よし、そうしましょう)
そう静かに決意していると、店が視界に入る。
店先ではテリーが提燈に灯りをつけている真っ最中だった。
「OH! マッサン! 今日も今日とてお買い上げありがとございマース!!」
「こんばんは。今日も今日とてお元気そうで何よりです」
「身体が資本デスからネー♪」
何気ない会話を交わしながら久秀は密かに期待していた。
気付くかな、気付いてくれるかな、気付いて欲しいな。
態度には決して出さないけれど久秀は確かに期待していた。
「そいえばマッサン」
「何でしょう?」
「その髪飾り、とてもお似合いデスネ! ベリーベリー可愛いデス!!」
満面の笑みと共に告げられた言葉。
カァッ、と頬が熱くなっていくのを感じた。
ありがとう、何でもないようにそう返せば良いのに言葉が舌先で解れていく。
「えと、あの、ワタシ、何か失礼をば……」
「い、いえ……そういうわけでは……」
決してない。
何となく、何となく着けてみただけ。
変装の小道具として買ったけれど結局使っていなかった髪飾り。
それを何となく、勿体ないからと使ってみただけ。
そう、ただそれだけだ。
それだけ……なのだが……ああ、褒めてもらったのだ。
感謝の一言ぐらいは告げねばならないだろう。
なのにどうして上手く言葉に出来ないのか。
戸惑う久秀に助け舟を出したのは、
「バカヤロー! テリーゥ! テメェ、何時までお客さんを外に立たせてやがんだ!?」
「OH! 大将! ごめんなさいヨ! 御一人様、禁煙席までご案内するヨー!!」
「あ……」
自然に、そう、極自然に手を握られて店の中に連れ込まれた。
「ったく、この糞寒い中でくっちゃべってんじゃねえやい」
「ごめんないヨー……」
「あの、大将。テリーさんは悪くありませんので」
「やれやれ、松さんは優しいねえ」
「マッサンの太っ腹は五大陸に響き渡りマース!!」
「そこは懐が広いとかそういうのだろうが……頓狂なこと言いやがってからに」
正月も終わったので多少は賑わいも失われた。
だが、正月以前よりも客の数は増えているように見える。
(テリーさんのお陰でしょうね)
ただそこに居るだけで場を明るくしてくれる。
それはとても稀有な才能だ。
ただそこに居て、笑っているだけで何故だかこちらも救われたような気分になる。
そんな人が店員を務めているのだ。ついつい通ってしまうのも無理はなかろう。
「はいよ松さん、いつもの」
「ああ、どうも」
パタパタと忙しなく店内を走り回るテリーの姿を見つめながら、今日も今日とて煮しめ。
じんわりと味が染みた昆布が心と身体を優しく包み込んでくれる。
「しかし松さんよ。俺が言うのも何だが、飽きないのかい?
最近はテリーから教わった異国のハイカラな品も出してるのに、見向きもせず煮しめ……」
「全然飽きませんね。ええ、大将の煮しめは天下一ですよ」
「普通に作ってるだけなんだがなあ」
もしゃもしゃとレンコンを食べる。
これもまた、良い具合に味が染みている。
思わず白飯を注文したくなるが、グッと我慢。
飯と一緒に食べるのも悪くないが煮しめ単体をつつきながらの一杯が一番合うのだ。
「それに、松さん確かお城で勤めてるんだろ? もっと良い物食べられるんじゃねえのかい?」
「この煮しめ以上の物はありませんよ」
「お、おう……そうか……」
最近、よく大将に話しかけられるようになった。
定位置がつけ台ゆえ、距離的には近かったがこれまでは最低限の挨拶程度。
なのに会話が増えたのは、
(気を遣ってくれているのでしょう)
テリーの仕事が落ち着くまで付き合ってくれているのだ。
毎度毎度一人で飲みに来る適齢期を過ぎた寂しい女に。
(大将も変わりましたね)
悪人ではない、元々善人だった。
とはいえ、どこかぶっきらぼうというか……愛想が足りていなかった。
しかし、テリーが来てからは大将も随分と明るくなったように思う。
様々な人間に良い影響を与えてくれるのは、本当に素晴らしいことだ。
(だからこそ……)
彼の悲しみにも触れてあげたい。
何が出来るかは分からないけれど、何かをしてあげたいと……強く、そう思うのだ。
「大将! 注文、全部、運び終わったヨ!!」
「おう、ご苦労さん。軽く腹に入れられるもん作ってやるよ」
大将がそう言うとテリーは自然に久秀の隣に腰掛けた。
「御酌シマース!!」
「……ありがとうございます」
酌をしてもらって、そこから取り留めのない雑談が始まる。
もうすっかり定着してしまった流れだ。
途中、注文を運ぶためや客の話し相手になるため席を立つこともある。
だが、必ず戻って来てくれた。
自分にばかり構っていて良いのか?
そう訪ねると、
『ハイ! マッサンが一番ほっとけマセンカラ!!』
笑顔でそう返された。
まあ、彼の目から見ればそうなのかもしれない。
こうして話し相手にはなってもらっているが、未だ悩みを打ち明けられてはいないから。
他愛のない雑談で一時心が慰められはしても、根本的な解決には繋がっていない。
だから彼も気にかけてくれるのだろう。
(…………話しても良い、とは思うんですけどね)
打ち明けても良いと思える程度には心を許している。
だが、話した結果を考えると……足踏みしてしまう。
(可能性は低いでしょうけど、万が一こちらの世界の荒事に巻き込まれでもしたら……)
悔やんでも悔やみ切れない。
彼は陽だまりの中を歩く善良な一般人なのだ。
光届かぬ掃き溜めに堕ちる理由なぞどこにもありはしない。
「それでデスネー、銀さんが開き直ってこう言ったんデス。
三年目の浮気ぐらい許せやァ!! と。それが引き金になりマシタ。
そう、時間無制限、三本先取で慰謝料の額が決まる離婚調停デスマッチの始まりデース!!」
「あの」
「ハイ?」
テリーとのお喋りは楽しい。
だが、当初の予定を忘れるわけにもいくまい。
「…………テリーさんは、何時も皆の悩みや愚痴を聞いていますが」
「OH! 全然大したことないデース!!」
「いいえ、私を含めて皆、あなたに感謝していると思いますよ」
だから、
「あなたの話も、聞かせてくれませんか?」
「え」
キョトンとしたような顔をする彼に向け、更に続ける。
「……大将からちらっと聞きました。葦原を訪れたのは傷心旅行だと。
私自身も、時折、あなたが寂しそうな顔をしているのは知っていました。
恩返し――というわけではありませんが、私で良ければ話を聞かせてください」
あなたがそうしてくれたように、私もそうしてあげたい。
久秀は少しどもりつつも、真っ直ぐ偽らざる想いを告げた。
「……」
テリーは痛みを堪えるような表情をしていた。
踏み込み過ぎたか、久秀の中に後悔の念が生まれる。
「……出過ぎたことを言ってしまいましたね。ごめんなさい」
「! ち、違いマス! 全然、そんなことないデス!
嬉しいし、優しさ、ありがたく存じ上げ候デス!! ただ……そのぅ……。
アーット、こういう場所でするような話ではありませんカラ……」
ああ、周囲に気を遣っているのか。
確かにここならば会話は第三者にも漏れ聞こえる可能性は高い。
特に、それが色々と世話になっているテリーの話であれば聞き耳を立てる者も居るだろう。
だが話の内容が重ければ重いほど、空気を悪くしてしまうかもしれない。
楽しく飲んで欲しいと願う彼だから、それは避けたいのだろう。
「それなら、仕事終わり。テリーさんのお家に行って良いですか?」
そこなら話を聞かれる心配はないだろうし、自宅なのだから幾分か気も楽になるはずだ。
そう思っての提案だったが、
「わ、ワタシの家ですか!? えっと、その……ふ、二人きりで……」
「ッ!? え、あ……ちが……そ、その変な意味ではなく……」
二人して、何となく気まずくなり沈黙してしまう。
とはいえ何時までも黙っているわけにもいかない。
出来ればテリーの方から沈黙を破って欲しいなどと久秀が考えていると、
「エット、あー……お、お言葉に甘えてよろしいデス?」
「え、ええ! 勿論です!」
「じゃ、じゃあ……お願いしマス!!」
グイっとお冷を飲み干したテリーは慌しく席を立ち、走り去って行く。
その背を見つめながら久秀は自身の胸に手を当て溜め息を吐く。
(な、何故でしょう……鼓動が……)
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