極東への誘い④

1.嬉しくも心苦しい優しさ


「カール……今日はもう、庵と一緒にあがって良いぞ」

「ん、ああ。分かったよ。お疲れ」

「うむ……お疲れ……だ」


 伯父さんに挨拶をして庵と共に二階へ上がる。

 普段なら仕事終わった後は、寝るまでまったり怠惰な時間を過ごすんだがな……。


「庵、俺は伯父さんと話があるから」

「はい、承知しています」


 昨日は本当に色々なことがあった一日だった。

 屑どもの襲来とそれに伴うエトセトラ。

 だがどうにかこうにか、昨日中に話はまとまった。

 一日仕事を休んだ甲斐はあったが……また、しばらく店員はお休みしなきゃなんねえんだよな。

 そこも含めて伯父さんには話を通しておかにゃならん。


「遅くなりそうなら先に寝てて良いから」

「分かりました。あの……」


 申し訳なさそうな顔をする庵。

 自分のせいでと気に病んでいるんだろう。


「それ以上は何も言うな。お前は俺の女――違うか?」

「……違いません」

「なら、余計なことは言わんで良い。好きな女のために折る骨だ。限りはねえよ」

「兄様……」


 仕事着から私服に着替え一階に戻る。

 伯父さんが店を出ようとしているところだったので丁度良い。


「伯父さん、ちょっと歩かない?」

「……? ああ、構わないが……」


 すんなり頷いてくれるよね、伯父さんって。

 仕事終わりで疲れてるだろうに……。


(……何か、伯父さんの優しさに甘えてるみたいで罪悪感が……)


 いや、みたいってか甘えてるんだけどさ。


「…………夜は、流石に少し冷えてきたな」

「そうだね。昼間はまだ暑かったりするんだけど夜はなあ」


 肩を並べて夜の帝都を歩く俺と伯父さん。

 傍から見ればどんな関係に見えるのかな。

 容姿は似てるから親子か兄弟?

 ああでも、俺も伯父さんもガタイが良いし伯父さんの場合はそこに仏頂面も追加されるからな。

 筋者だと勘違いされる可能性も無きにしも非ずか。


「まあでも俺は暑いよりかは寒い方が好きだな……伯父さんは?」

「そう……だな……ううむ……」


 眉間に皺を寄せ、うんうん唸ってるけどさ。

 あの、そこまで真面目に考えなくても良いのよ?


「…………俺も冬だな……夏場は……食材が傷み易い……」


 そういう理由か。やっぱ筋金入りだな伯父さん。


「ああ……そうだ……冬と言えば……お前の誕生日も……近付いて来てるな……」


 そう言えばそうだな。

 一月一日、新年の始まりに俺は生まれた。

 前世は……何時だったかな? 祝う人はもう居なくなってたから忘れちまったぜ。


「ってあれ? 俺伯父さんに誕生日とか言ったっけ?」

「……いや、お前からは聞いてないが……ハインツから聞いた」

「親父から?」

「うむ……少し前に届いた手紙でな……良ければ自分の代わりに祝ってやって欲しいと……」


 親父にしては気が利いてんな。


「何か……欲しい物とかはあるか……?

本当はサプライズにするべきなんだろうが……まあ、その、何だ……俺だからな」


「伯父さん伯父さん。悲しい自虐はやめて」


 何か泣きそうになるから。


 ま、それはさておきだ。

 誕生日を祝ってくれる気持ちは嬉しいんだがな。


「…………ごめん伯父さん、今年――ってか来年か。来年の誕生日、俺、帝都に居ないんだ」

「? あー……すまん……そうだな、お嬢さん方と一緒に……」

「いや違う。そういうことじゃなくてね」


 気付けば例の公園にやって来ていた。

 テキトーに歩いてたらここに辿り着くって、俺どんだけ公園好きなんだよ。

 いやまあ、好きだけどさ。俺と少年の語らいの場だしね。


「年が変わる前には、葦原に行かなきゃいけないんだ」

「!」

「伯父さんも何となく察してると思うけどさ。庵、あの子はかなり重い事情を背負ってる」


 その事情を完全に解決するためには葦原に赴くしかないのだ。

 葦原に赴き全ての因縁を清算する。


「俺のため、庵のため、往かなきゃならない」

「……」

「正直に言うけど、危険な事に首を突っ込む必要がある」


 死ぬ気は更々ない。

 俺は一度だって成し遂げられれば、それで死んでも良いなんて気持ちで戦ったことはない。

 前世であの屑野郎に引導を渡しに行った時もそう。

 最後にトチってしまったが生きて帰ると、新しい日常を始めるのだと決意し戦いに臨んだ。

 今回もそのつもりだ。

 でもまあ……それはあくまで俺の意気込みだ。

 伯父さんに説明するなら客観的にしなきゃいけない。


「命の危険も、当然ある」

「…………それは……それは、お前がやらなければいけないことなのか?」

「うん」


 それは、それだけは断言出来る。

 これは俺が――ううん、俺と庵がケリをつけねばならない問題なのだ。

 一度愛すると決めた以上はな。

 たかだか神如きが相手で芋引くわけにはいかんだろ。

 じゃなきゃ、あまりにも情けなさ過ぎる。


「葦原に向かうまでは庵は普通に働けるが俺はそうはいかない。

だから明日からしばらく仕事を休ませて欲しいんだ。下手すりゃ年単位になるかもだが……」


「……それは、構わないが……何を、する気なんだ?」

「可能な限り自分を鍛える」


 具体的には冒険者になるつもりだ。

 冒険者になって実戦を繰り返しつつ資金も稼ぐ。

 実戦に勝る経験はないからな。

 とりあえず大物を片っ端から狩る予定だ。

 伸び悩んで来たらジジイを訪ねて指導を願うつもりだが……。


(ジジイからは実質、免許皆伝貰ってるしな)


 それでもジジイと実戦形式の組み手を繰り返すのはタメになるだろう。

 ただ、歳が歳だからなあ。

 あんまり無茶させるのは忍びない。

 俺がヘルムントから帰る日に挨拶をしたが、反動が全然抜けてなくて寝込んでたし。


(他の実力者って言えば明美と幽羅、ジャッカルだが……)


 前者二人には他にやってもらうことがあるので却下。

 ジャッカルについては……どうだろう。

 アンヘルに頼めば話は通してくれるかもしれないが、何かと世話になってるしな。


(あんまり頼み事をするのも……だが、うーん……背に腹は変えられんし……)


 まあ、後々考えよう。

 今は大金を稼ぐ必要もあるからな。

 指導を頼むにしろ実戦形式の組み手を頼むにしろ、

 人間相手はあくまで行き詰ってからの話だから無理に今結論を出す必要はなかろう。


「…………カール」

「何、伯父さん?」

「帰って……帰って、来るんだよな……?」

「勿論」


 不安げな伯父さんに笑いかける。


「伯父さんの飯食って、仕事して、遊んで、女とイチャついて……それが俺の日常だ」


 俺の日常は帝都ここにある。

 何の気兼ねもなく日常に戻るために俺は戦うんだよ。

 俺の日常を乱すカスどもを全員ぶち殺してな。


「でも、さっきも言ったけど命の危険がないわけじゃない。

つーか……これまで俺が関わった厄介事の中でも危険度は上位に位置すると思う」


 ……何つーか、しんどいな。

 自分を大切にしてくれる誰かが居る。それはとても幸せなことだ。

 でも、そんな人にこんなことを話すのは……気が重い。


 前世ではな。戦いを選ぶ頃にはもう誰も居なかったもん。

 復讐の道を進むと決めた時、俺は独りだった。

 一応仲間は居たが……俺は周りを省みてなかった。


 いや、そもそも仲間とも思ってなかったのかもな。

 真実を明かされた程度で初志をブレさせたアイツらを俺は心のどこかで軽蔑していたのかもしれない。

 奴の目的が正しいことだとしても、俺らの大切な人が殺されたのは揺ぎ無い事実だろ?

 その程度の決意しかないならハナから戦うな……って感じで。

 だから一人で突っ走って一人で終わらせた。


 そんな俺だから、純粋に俺を心配してくれる伯父さんの視線が……どうにも、辛い。

 ただ、辛いからって逃げたり誤魔化したりするわけには……いかんのだよな。


「何せ、最終的に戦うのは神様なんて呼ばれてる奴だからね」

「……」

「いや……それ以前に、神様の前まで辿り着けるかどうかも不透明かな?」


 葦原は閉鎖的な国だ。

 一応、幽羅や明美から情報は得ているが……二人とも他国で活動してる身だからな。

 精度の高い情報をリアルタイムでってわけにはいかない。

 だから、予想だにしない強者と相対する可能性だって十二分にある。


「ああ、単純な力だけじゃないか」


 その頭脳を以って謀を巡らせ俺を抹殺しようとする輩も現れるかもしれない。


「それなのに……分かってるのに……お前は……行くのか……?」

「うん、全部承知の上で行くんだ」


 行かないという選択肢はハナから存在しない。

 例えどれだけ弱くたって、俺はこの道を進んで行くだろう。


「これも性分なんだろうね」


 馬鹿は死んでも治らない。

 よく聞く言葉だが正にその通りだ。

 俺の馬鹿は死んでも治らなかった。

 処置なし、つける薬なんぞありゃしないよ。


「でも、これが一番すっきりする生き方なんだよ」


 軽い事でなら、嘘も誤魔化しもする。

 でも、本当に大事なとこでは無理だ。

 自分の気持ちに嘘を吐けない。

 肝心要のところで嘘を吐いてしまえば、自分を曲げてしまえば必ず後悔する。

 それは、それだけは嫌だ。


「…………は、ハインツは……どうする? お、親より先に子が死ぬなんて……」

「ああ、不孝にもほどがあるよね」


 でも、天秤にかけたら自分を貫くことの方に傾いちまうんだ。

 どうしようもない馬鹿息子だと思うよ。


「でも、親父は俺がそういう奴だって知ってるから」


 俺がジジイに目をつけられた例の一件。

 長期の仕事でヘルムントを離れててさ、俺の現状なんざまるで知らなかったんだ。

 ようやっと帰って来たら馬鹿親どもが乗り込んで来て事情を把握して……叱られたなあ。


 やり過ぎだーとか、そういうことじゃない。

 何で一人で無茶したんだ、それで何かあったらどうするつもりだ。

 報復してえなら俺が帰るまで待ってろ……ってね。

 俺は勿論、反論した。それで色々話し合って、俺が梃子でも譲らないって分かったんだろうな。

 しょうがねえ奴だと溜め息交じりに頭を撫でてくれた。


「だから親父には何も言わない」


 仮に俺がどこかで死んだとしても、だ。

 悲しむし……ひょっとしたら復讐なんかも考えるかもしれない。

 でも、俺が俺を貫き通して死んだことだけは理解してくれるはずだ。

 それなら、わざわざ何か言うこともない。


「……」


 辛そうな顔で俯く伯父さんを見てると……胸が、胸が痛いっす。

 でも、嘘を吐いたり誤魔化したりするよりはな。

 俺がモヤモヤするし、伯父さんもモヤモヤするだろう。

 伯父さん、こう見えて存外鋭いとこがあるしな。

 明らかに様子がおかしい俺や庵を見てただならぬことが起きてると察するはずだ。

 察した上で、どう話を切り出せば良いか分からなくて結局だんまりって感じになると思う。


「…………お、俺は…………」

「?」

「俺は…………お前を……実の息子のように想っている」


 意を決したようにそう告げる。

 伯父さんからすれば一大決心だったんだろう。

 普段なら、こんなことを言えば俺がどう思うか。

 気持ち悪いって思われたらどうしようとか色々考えて結局何も言えなかったんじゃないかな。

 でも、言った。ハッキリと、俺の目を見て。


「だから……危ないことなんてして欲しくない……。

ハインツは……ああ見えて、達観してるところがあるから受け入れるんだろうが……」


 俺には無理だ。

 伯父さんはハッキリとそう言い切った。


「でも、俺は……お前を止めるための力も言葉も持っていない……情けないにもほどがあるな……」

「いや、そんなことはないさ」


 心の底から自分を想ってくれる人をどうして馬鹿に出来るよ。


「だから……頼む、ことしか、できない……。

頼む、カール……危なくなったら……逃げてくれ……生きることを最優先にして……逃げてくれ。

恥ずかしいことなんて何もない……生きてること以上に、大切なことなんてありはしない……。

どんな姿になっても良い、お前が生きて帰って来る以上のことを俺は望まない……」


 俯き、肩を震わせながら伯父さんは言う。

 本当に、本当に優しい人だ。


「ありがとう、伯父さん」


 その言葉はきっと、俺が生きて帰るための力になってくれる。

 真っ直ぐな気持ち、ちゃんと伝わったよ。

 でも、だからこそ俺も言わなきゃな。


「でもごめん。逃げることは出来ない。俺は刺し違えてでも奴を殺さなきゃいけないんだ」


 もしも、俺が死んだらアイツらはどうするかな。

 アンヘルやアーデルハイドは多分、後を追う。

 クリスは……後を追いこそしないが……一生、消えない傷を負うだろう。

 そして庵。庵の場合は後を追うのもあり得るし傷と共に生きていくのもあり得る。

 だが、どんな道を選ぶにせよ自由な状態で選ばせてやりたい。

 血に縛られず、一人の人間として決断を下して欲しい。

 だからこそ、八俣遠呂智は殺す。絶対に殺す。


「…………そう、か」

「うん」


 これで話は終わりだ。

 告げるべきことは全て告げた。


「良い時間だし、送ってくよ」

「…………いや、良い。俺はもう少しここに居るから……先に、帰ってくれ」

「ん、分かった」


 ベンチに腰掛け項垂れる伯父さんに背を向け俺は公園を後にする。

 何か言葉をかけてあげるべきかもしれないが、


(……今の俺には何も言えねえや)




2.シャルロット・カスタード2


「む……んん……妙な時間に目覚めちゃったな」


 自室の時計を見れば午前三時四十分。

 早朝までは少し遠い、深夜と言っても良い時間。

 自分が指導をしているドミニクとの朝稽古は六時半。

 二度寝しても何ら問題はないのだが……。


「どうも、そんな気分じゃないんだよね」


 そう独りごちて、シャルロットは寝台から降りた。


「さてはて、何で私はこんな時間に起きちゃったんだろうか」


 意識しているわけではないが基本的に睡眠時間は決まっている。

 どれだけ疲れていても、全然疲れていなくても変わらない。

 ピッタリ、定められた時間を寝るのが常だ。

 例外は敵の襲撃を警戒しなくてはならないような状況ぐらいだろう。


 ――――だからこそ、引っ掛かる。


 何の変哲もない日常の安寧の中で突然目を覚ます。

 これは何かあるのではないか?

 シャルロットは虫の知らせや直感というものを殊の外、重視していた。

 それゆえ、この些細な変事を捨て置くつもりはなかった。


「……うーん、まったく分からないや」


 寝起きだし頭も上手く回らない。

 多分、今これ以上考えても無駄だ。

 そう判断したシャルロットはパパっと服を脱ぎ捨てラフな私服に着替える。


「この時間なら、人気もないだろうし……少し走るか」


 即断即決。

 部屋の窓を開け放ち、そのまま飛び出す。

 一足飛びで敷地外へど出たシャルロットは音もなく着地し、ゆっくりと走り始めた。

 特にコースは定めていない。

 身体に任せるがまま、あてもなく走り続ける。


「およ?」


 ふと、足を止める。気配を察知したのだ。

 今居る場所から大体六百メートルほどのところか。

 愛しい人の気配を感じるのだ。


「……こんな時間に何事だろうね」


 不安と、深夜に想い人と顔を合わせるというドキドキのまま足を向ける。

 辿り着いた先は公園で、中を覗き込むとラインハルトがベンチに座り項垂れていた。


「こんばんは」


 何があったのかと考えるよりも先に声をかけていた。

 声をかけられたラインハルトはビクリと大きく身体を震わせるも、

 声をかけて来たのが知り合いだと分かるとホッとしたように溜め息を吐いた。


「……シャルか……こんな時間に…………どうしたんだ?

夜に女性が独り歩きするのは……その、あまり、良くない……」


 思わず笑みが零れた。

 自分の正体を知っていて尚、女として気遣ってくれるのは素直に嬉しい。


「いえ、少し眠れなくて。それより、ラインハルトさんこそこんな時間にどうしたんです?」


 見た感じ、家にも帰ってなさそうだ。

 仕事終わりにここに来たのだとしたら……一体何時間こうしていたのか。

 間違いなく、目が覚めた理由はラインハルト関係だろう。

 シャルロットが柔らかく理由を問うも、


「……」


 返って来たのは重苦しい沈黙。

 だがシャルロットはめげない。


「力になれる。そう確約できるほど傲慢ではありませんが誰かに話すだけでも楽になると思いますよ」


 深刻そうな顔で黙り込むラインハルトにそう声をかける。

 そこから、しばらくの間沈黙が続く。

 シャルロットは嫌な顔一つせずにそれに付き合った。

 その忍耐強さが実を結んだのか、ラインハルトはようやく口を開く。


「……実は、カールから話があってな…………」


 ぽつぽつと、拙い語りながらも説明を始める。

 それに耳を傾けながら、シャルロットはアンヘルの話を思い出していた。


(……例の件か……カールめ、素直なのは良いけど……)


 葦原に赴き神を討伐する。

 その話は既にアンヘルから聞かされていた。

 不満そうな彼女を宥めるのは大変だった……っと、そこは今関係ない。

 今はラインハルトのことだ。


「俺は……俺は、何も、出来なかった……ただ、見送ることしか出来なかった……」


 我が子のように思っている甥が死地へと向かう。

 止めたくても、止める言葉を持っていない。

 少しでも生存率が上がるようにと手助けするだけの力もない。

 自らの無力に打ちひしがれるラインハルト。


(…………本当に、この人は優しい……優し過ぎるな)


 そこに惹かれたのだが、今この時に限っては難儀なものだ。


「アイツの、倍以上も生きてるのに……何て体たらくだ……」


 苦悩に歪むその顔は、見ているだけで心が痛くなる。


(……自分を卑下する必要はないのにね)


 これは慰めでも何でもない。

 純然たる事実として人には領分というものがあるのだ。

 ラインハルトにドラゴンを倒すような力はないが自分にはある。

 しかし、自分にはラインハルトのように料理で多くの人の心と腹を満たすことはできない。

 どちらが優れているとかどちらが劣っているとかではない。

 単なる向き不向きの問題だ。

 しかし、


(今それを言っても聞き入れてくれるとは思えないし……どうすれば良いんだ……)


 シャルロットもまた自らの無力に打ちひしがれていた。


「「……」」


 吐き出すだけ吐き出したが気が軽くなることはなかったラインハルト。

 元気付けてやりたいのに冴えた方法が思い浮かばないシャルロット。

 場を気まずい沈黙が支配する。

 放って置けばずっと続くのではないかと思われたそれだが……。


「!」


 何かに気付いたようにハッ、と顔を上げるラインハルト。

 活路を見出したような表情。

 だがそれは直ぐにこれまでと同じ――いや、これまで以上の苦い顔に変わる。


「……、……」


 何かを言いかけて、結局止める。

 それを幾度か繰り返した後、隠し切れない自身への失望を滲ませながらラインハルトが口を開く。


「さ、最低なことだと自覚はしている。君の好意を――――」


 そこでシャルロットも彼が何を言いたいのかを察する。

 なまじっかカールの事情を知っているだけに最初から除外していた選択肢だ。


「それ以上は仰らないで」


 そっと自らの人差し指をラインハルトの唇に押し付け言葉を遮る。

 自分を傷付けるような真似を見過ごすつもりはない。


「仮に、そう、これは仮のお話」


 素のシャルロット・カスタードではない。

 流浪の騎士をしている時の自分を意識しつつ言の葉を紡ぐ。


「あなたが私にカールの助力をして欲しいと願うのであれば私は喜んで正体を明かしましょう。

自分への好意を利用する最低の行いだと、優しいあなたは自らを責めるかもしれない。

でもそれは要らぬ葛藤だ。だってそうでしょう? 愛する人に頼られて喜ばない者が何処に居ると言うのか」


 芝居がかった口調ではあるものの、言ってることは事実だ。

 頼まれれば何の逡巡もなくそうするだろう。


「――――しかし、他ならぬカールに拒否されるでしょうね」

「ッ……それは……何故……?」

「まず最初に言っておきますが、私はラインハルトさんよりカールの事情を知っています」


 カールと庵に何があって、これからどうするつもりなのか。

 アンヘルが愚痴と共に話してくれたのだ


「ラインハルトさんはご存知ないでしょうがカールと庵ちゃんは既に一度、襲撃を受けています」

「!?」

「命を狙った者の目的については関係ないので省きますが……まあ、余裕で返り討ちですよ」


 そう告げるとラインハルトはあからさまにホッとした。


「カールは強い。彼を殺せる者はそう多くはないでしょう。

ですがそれはあくまで正攻法の話。例えばそう、人質などを取られたら話は変わって来る」


「あ」


 ラインハルトもようやく察しがついたらしい。

 辛そうな顔をさせてしまったが……これは言わねばならないことだ。


「カールも当然、それは承知しています。

だから私が自らの正体を明かしたのなら、まず間違いなくラインハルトさんの護衛を任されるでしょう」


 他に人質になる可能性があるのはカールの父親だが、こちらは大丈夫だろう。

 同じ街にはカールの師匠が居る。

 アンヘルの話によればカールの恐ろしさを知っている人物とのことだ。

 カールの父親が狙われるようなことがあれば全力で阻止するだろう。


「他にも理由はあります。彼の計画に異国の人間は不都合な存在なんですよ」


 だからアンヘルとアーデルハイドも同行は許されなかった。

 彼女たちが居れば戦力としては頼りになるが、それでは望む結果を得られないから。

 二人は何もしないから同行を許して欲しいと願い出たが却下された。

 本当に危なくなれば、手を出してしまうのが目に見えているからだ。

 一度でも助力してしまえば、その場面を他の者に見られたら計画はパーになってしまう。

 ゆえにカールは同行を却下したのだ。


「カールも葦原の者からすれば異国人ですが……まあ、彼は当事者ですしね」


 何より計画の陣頭指揮を執る者だ。

 ハナから例外である。

 もう一人の例外はティーツだが、こちらは基本的に庵の護衛に使うだけなので問題はない。


「以上の理由から私が彼に受け入れられることはないでしょう」


 無理に同行しても足を引っ張るだけ。

 それどころか何もかもが丸く収まる計画を乱そうとするのだから敵と認定されるかもしれない。

 もっとも、そのことをラインハルトに告げるつもりはないが。


「……そう、か…………」


 見えかけた希望が虚構だと知り再度項垂れるラインハルト。

 だがそれは、あまりに早計というもの。


「だからまあ、別のやり方で助力しましょう」

「え」

「葦原へは共に行けない。でも、葦原に行くまでの間なら話は別だ」


 少しでもカールの生存率が上がるように尽力する。

 それでラインハルトの心が完全に晴れはしないだろうが……もう、決めたことだ。


「しゃ、シャル…………お、俺は……その……」

「おっと、そこから先は……ね?」


 さっきと同じように言葉を遮り微笑む。


「ですが、許されるならワガママを一つ聞いて頂きたい」

「……勿論だ。俺に出来ることなら何だって……」

「そこまで重く捉えなくても構いませんよ」


 瞳を閉じ、シャルロットはゆっくりと自らの願いを語り始める。


「全部が終わり、文句なしのハッピーエンドが訪れたのならば。

その時は他の誰でもない、私のためだけにとっておきのディナーを振舞ってくれませんか?」


 ラインハルトは最初キョトンとした顔をするも、直ぐに力強く頷いた。


「ああ……約束する……全霊を込めて……シャルのために腕を振るおう」

「フフ、楽しみにしています」


 心からの笑顔を返し、シャルロットは背を向けた。

 ゆえに気付かない。


(さて、これから忙しくなるな)


 ラインハルトがその笑顔に見蕩れていたことに。

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