極東への誘い③
1.清算に向けて
少し早めの夕食を済ませた後、腹がこなれるまでは自由時間ということになった。
いやまあ、俺がそうしたんだけどな。
今俺は屋敷の屋根に上って風を浴びながら、幽羅の話を思い返している。
「…………プランはもう組みあがったが……」
問題はそれが糞ほどめんどくせえってことなんだよな。
いや、やるけどさ。
やらないって選択肢は存在してないもの。
だが足りない。何もかもが足りない。
「ん?」
ふっ、と気配を感じ振り返るとティーツが片手を挙げ笑っていた。
「俺を殺しに来たか?」
真正面から奴と向き合う。
少なくとも今回の一件に限っては茶化すつもりはない。
これは俺が真っ向から受け止めねばならない問題だ。
「随分な物言いじゃのう」
「抜かせ。何も感じていないなら俺はお前を軽蔑するぜ」
何のために闇へと堕ちたんだ?
道を外れてでも貫かねばならぬと定めた信念があるからだろう。
その信念に照らし合わせれば俺は見過ごしちゃいけない。
無関係な赤子まで手にかけると宣言したんだからな。
「わしと一戦交えてでも進むか」
「温い。少なくとも俺は決別を覚悟してお前の前に立っているつもりだぜ」
「ハッ……敵わんのぉ」
苦笑を浮かべたと思った次の瞬間、
その表情が鬼のそれに変わり神速の踏み込みと共に刀が抜き放たれた。
袈裟懸けに振り下ろされたその刃を、俺は無防備に受け止める。
「…………何で、避けんかった?」
俺の返り血を浴びながらティーツが問う。
あまりにも、あまりにもズレた問いだ。
「ダチを殺してでも前に進もうってんだ。心に一点の曇りも残しちゃいかんだろうが」
これから手前の信念をぶつけ合い、それを踏み越えて行こうと言うのだ。
僅かな曇りも残しちゃいけない。そうすれば逆に喰われちまうからな。
だから敬意と共に最初の一太刀は必ず受けると決めていた。
「…………その一撃で死ぬとは思わんかったんか?」
「死なねえよ」
俺には成さねばならぬことがあるのだから。
例えどんな一撃であろうとも耐え切る、耐え切ってみせる。
そう心に決めていた。だから俺は死なない。
……まあ、今回の一撃に限ってはちょいと事情は違うけどな。
「それより、どういうつもりだ?」
傷を塞ぎながらティーツを睨む。
「今の一太刀、迷いがあったぜ」
ティーツは溜め息と共にどさりと腰を下ろした。
「ほんっと……敵わんのぉ。ああ、カールの言う通りじゃ。
わしは皆殺しと聞いた時、そいつはどうよと思った。
実際に指示を出した連中まではまあ、殺られても当然じゃがそれ以上はな」
それでこそだ。
じゃなきゃ、世直しのために人斬りなんざやってんじゃねえって話だもの。
「が、同時に迷いもあった。おんしへの友情もそうじゃが……」
ぽりぽりと頬を掻きながら、恥を告白するようにティーツは告げる。
「その揺ぎ無い信念の前に立つだけのものがわしにあるのか? そう、思ったんじゃ。
だからこそ、ここへ足を運んだ。そして言葉を交わそうとしたんじゃ」
黙って耳を傾ける。
「これでおんしが、わしとの対立の可能性なんぞまるで考えとらんかったら……」
「躊躇いなく斬れたか?」
「おう。その程度ならここで死ねと胸を張って言えたわ」
「情けねえ奴だな」
呆れたような俺の言葉にティーツが苦笑を浮かべる。
「ああ、ほんまにのう。完全に心を定めとったカールを前にして怯んだ。
もう、その時点でわしの負けじゃ。刃を振るうまでもなかった。
じゃが、おんしに気圧され……わしゃあ刃を抜いちまった」
だからか。だからあんな、生温い一撃だったわけか。
「覚悟が違う。熱量が違う……わしの負けじゃ。
自らの意思で刃を振るえんかった以上、何を言う資格もない。
己の意を示せんちゅーことは、相手を正しいと認めたに他ならんからのう」
結局、俺の独り相撲だったわけか。
ただ、それでティーツを軽蔑するわけにはいかんだろう。
俺はティーツが強い人間だと思っているし、その信念にも敬意を払っている。
そんな男が戦う前に諦めた。
(…………これが、ジジイの言ってた俺の危険性ってやつなのかねえ)
俺からすれば当然のことを当然のようにやっているだけだ。
しかし、他者の目にはそうは映らないのだろう。
まあ、だからと言って俺は俺の在り方を変えるつもりは毛頭ないけれど。
「で、お前はこれからどうするんだ?」
「一連の因縁のケリが着くまでカールに協力する」
「何?」
「最後まで付き合って、改めて見極めようと思う。正しかったのか正しくなかったのか」
「後者ならば?」
「そん時は今度こそ腹ぁ括って、おんしと殺り合うつもりじゃ」
ティーツはハッキリとそう言い切った。
良いね、やっぱりコイツはダチだ。
鉄火場で信が置ける男ってのはこういう奴なんだよ。
「仕事は良いのか?」
「うむ。そもそもからして相方が関わる気満々じゃけえのう」
「ああ……アイツはバリバリの当事者だからな」
「ま、そういうことじゃ。戦うぐらいしか能はないが上手く使ってくれや」
「おう、存分に使い倒すぜ」
しかしまあ、そういうことなら改めて説明しておかなきゃな。
「ちなみにティーツよ、俺ぁ赤子やら何やらを殺すつもりはねえぜ」
「何? いやだが、さっきは……」
「ああ、本気だったぜ」
ついでに言うならティーツのことで翻意したわけでもない。
「一応、俺なりに今回の件にケリをつけるための大まかな絵図を描き上げたのよ。
ただ……どうにもこうにも駒が足りん。だから利用出来る者は全部利用しようと思ってな」
なので、正確にはこう言うべきか。
「殺す理由がなくなったんだよ」
帝都に屑を送り込んで来た連中を殺さず駒として利用する方針に転換したのだ。
元凶に近い奴らを殺さないなら、その他の奴らを手にかける理由はないだろう。
「最終的に駒が生き残れるかどうかは連中の頑張り次第だけどな」
仮に利用した連中が全員、死んだとしてもだ。
その後で非戦闘員の関係者を皆殺しにするつもりはない。
まあ、そいつらが恨み辛みをぶつけてくるなら話は別だがな。
将来にやばい火種になりそうなら摘み取るが、少なくとも積極的に殺しに行くつもりはない。
そうティーツに告げると、
「お、お、おま……そ、それなら先に言えやァ! 完全に最初のやり取り無駄じゃねえか!!」
「あぁん? 何甘いこと言ってんだテメェ」
口で言ってはいそうですかと引き下がるなら最初から突っ張ってんじゃねえよ。
「第一、信用出来るか?」
覚悟決めて立ち塞がったダチに、もうそのつもりはありませんなんて言う奴が。
その場凌ぎの薄っぺらい言葉にしか聞こえねえだろ。
「う……それは……まあ、そうじゃけど……何か腑に落ちんわ……」
「それに、今はその必要性を見出せないだけでこの先もそうとは限らんしな」
どの道、後顧の憂いを断つためにもここでぶつかる必要があったのだ。
「徹頭徹尾俺の都合だけどな」
「カール、お前そういうとこやぞ」
「あ、そういや気になってたんだけどさ」
「あっさり話題変えおった……」
「そもそもお前と明美は何で俺んとこに来たわけ?」
色々あったせいで聞きそびれてたが、今の内に教えて欲しい
幽羅の話が再開したらそれどころじゃないだろうし。
「ん? ああ……実はアダムの手の者から情報が入ってな」
「アダムの手の者って……あの爺さん、お前らの協力者になったのか?」
「おう、あれから色々あってのう。ま、罪滅ぼしの一環だそうじゃ」
人斬り集団の懐がどんどん温かくなってくなあ。
「ま、それはさておきじゃ。幽羅が帝都行きの列車に乗るのを見たっちゅー情報を聞いての」
「アイツ、列車で来てたのかよ……」
「そこはどうでもええじゃろ。帝都っちゅーと、カールと庵ちゃんがおるじゃろ?」
「心配して駆け付けてくれたってわけか」
「うむ。したらまあ……おんしが襲われとって、ビックリしたぞ」
俺もだよ。
店の前で掃除してたらいきなり妙な気配が迫って来るんだもん。
「ちなみに、そっちの奴らはどうだった?」
戦う前に戦線離脱したからな。
俺に差し向けられた連中の実力とか知らねえんだよ。
「雑魚じゃった」
「そうか……」
うーん……駒として利用できるか心配になってきた。
いや、最悪でも肉の盾ぐらいにはなるだろうけどさ。
戦力として期待出来ないのはちょっと……使えねえなあ、あの屑ども。
「それより、そろそろ戻らんでええんか?」
「あー……そうだな。行くか」
「おう」
連れ立って屋敷の中に戻ると客間にはもう全員が集まっていた。
アンヘルとアーデルハイド、庵が俺を見てギョっとするが……まあ無理もない。
服が破れてるし血痕も付着してるからな。
「おいカール、お嬢さん二人がわしに殺気を向けとるんじゃが……」
しょうがねえなあ。
「アンヘル、アーデルハイド、これは男同士の話し合いの結果だ。
もう話は済んだし、俺もコイツもスパっと割り切ってる。だから気にするな」
そう言うと不満はありそうだったが大人しく引き下がってくれた。
でもとりあえずあれだ、ティーツはこれから色々気をつけてね?
「おい」
「冗談だよ。それじゃあ、再開しようか」
今度は全員がソファや椅子に腰を下ろす。
この件について幽羅は信が置けるという俺の言葉を信じてくれたらしい。
「あの、質問があるのですが」
おずおずと庵が手を挙げた。
邪魔をしたと思ってるんだろうが、別に気にするこっちゃねえ。
つーか、当事者は庵だしな。狙われた俺も含めて他は部外者だ。
ギリ、明美は当事者の一人と言えなくもないが……コイツもコイツでな。
とうの昔に家を飛び出してるわけだし。
「カールはん?」
「答えてやってくれ」
「分かりました。それで、何でっしゃろ?」
庵は軽く頭を下げ、疑問を口にする。
「ありがとうございます。
では……私が母様から何も伝えられていないのは何故なのでしょう?」
そう言えばおかしいな。
明美のように次女三女ってんなら分かるが庵は長女だ。
櫛灘の姫として情報を伝えられていて然るべきだ。
まだ幼かったからと考えられなくもないが、その可能性は低いと思う。
事の重さを鑑みるに物心つく頃には教えられていても不思議じゃないだろう。
「あと、周囲の人間についても。
使用人などは居ましたが恐らくは守人の一族とは無関係でしょう。
もし、関係があるのなら私を葦原から逃がそうとするわけがありません」
確かにそうだ。
もしも守人の一族なら命を賭して庵を国外に逃がそうとするとは思えないし、
そもそも守人の一族が近くに居たなら庵の母親が殺されることもなかったんじゃねえか?
「庵はんに質問なんやけど……庵はんは守人の一族に信が置けます?」
「無理です」
「それが答えですわ」
「は?」
ああ、そういうことか。
「距離を取ろうとしてたんだな?」
「ええ。まあ、実を結んだのは三十年ぐらい前やけど」
「あの、どういうことでしょう?」
櫛灘の姫と、その家族の立場に立って考えれば簡単なことだ。
自分の母を、妻を、娘を。
大義のためだと嘯いて生贄に捧げるような連中を信用出来るか?
犠牲を強いられ続けることに納得出来るか?
出来るわけがない。
「何時からかは知らんが少しずつ連中の干渉を跳ね除けられるよう準備してたんだろうさ」
「何時からと言うなら割と最初の方からやね。
代々の櫛灘の姫は守人の一族に不信感を抱いとってん。
まあ、そもそもからして守人の制度は初代櫛灘姫が設定したもんやないんよ」
あー……押し付けられたのか。
立場上、断れんかったから受け入れたけど本意じゃなかったんだな。
「現に櫛灘姫が危惧した通り、生贄を強いられることになったわけですし」
「私のご先祖様は……」
あくまで子孫の自由意思に任せたかったのか。
出来る限りの仕込みはしたが、最後に決めるのは当事者だと。
なのに守人の一族はそれを歪めて犠牲を強いた……と。
(だが、自由を求める意思は死ななかった)
長い時間をかけて勝ち取ったわけだ。
自分たちの尊厳というものを。
「庵はんの御祖母様も曾御祖母様も若くして死を強いられた。
お母上としても思うところはあったんやろなあ。
だから最低限、必要なことだけしか伝えへんかったんちゃいます?」
最低限ってのは……。
「草薙の剣を託す方法ですわ。庵はん、お母上に何と言って教わったんです?」
「私の幸いになる人に出会えたなら、と」
そう想える男なら庵をきっと護ってくれる。
そして仮に八俣遠呂智が復活したとしても、
庵を生贄にさせまいと戦うことを選んでくれると……そう考えたのかもしれない。
「…………愛してはったんやねえ、心の底から」
しみじみとそう呟く幽羅。
庵は少し、泣きそうな顔になっていた。
「……大丈夫か?」
「はい……大丈夫です。ありがとうございます、兄様」
これからいよいよ、庵にとっての核心に踏み込んで行くのだ。
精神的な負荷はこれまでの比にはならないだろう。
もう既に色々あった後だからな。日を改めても良いと思うんだが……。
(言っても無駄か)
今までの話から推察するに庵の母親を殺したのは守人の一族ではない。
庵もそこは分かってるだろうが、もう完全に火が点いちまってる。
ここで以前のように聞かずに終わるのは無理だろう。
いやまあ、幽羅が詳細を知らないなら話は別だけどな。
「さて、と。ここからは何を話しましょか」
「……庵の母親を狙った奴については知ってんのか?」
「そらもう」
「なら、それと……一ヶ月ぐらい前、ディジマに謎のモンスターが襲撃して来たのは知ってるな?
奴は間違いなくあの蛇の同類――多分、八俣遠呂智って奴の眷属か何かだろう」
誰があれを送り込んで来たのか。
知っているならそれを教えて欲しい。
別に確証がなくても構わない、推測程度でも良いから今は情報が欲しいのだ。
俺がそう告げると、
「ああ、それ同一人物ですわ」
「何!?」
「下手人は幕府――いや、正確には現将軍足利義輝とその右腕か」
瞬間、隣の庵から濃密な憎悪を感じる。
横目で庵を見ると、怒りも露に歯を食い縛っていた。
「よろしおす。順序立ててお話しましょ」
「…………お願い、しま、す」
途切れ途切れになりつつも続きを促す。
庵は今、爆発しそうな感情を必死に堪えているのだろう。
「さっきも言いましたけど櫛灘の御家は守人の一族から距離を取ったんですわ。
櫛灘家からすれば万々歳やけど、守人の連中にとっちゃそうはいきません。
焦った奴らは再度、櫛灘家を管理下に置くため、
そして日陰者の一族が表立って権勢を得るため幕府に接触」
何度言わせるつもりだろうな。
守人の一族が糞過ぎる。何だよコイツら。マジでロクなことしやがらねえ。
「今の幕府――室町幕府言うんですけどね。
これがまあ……名ばかりのハリボテなんですわ。
その前の鎌倉幕府や穢土幕府なんかはまあ、将軍が絶対の頂点やったんやけど……」
鎌倉の前がエド幕府かよ。
似通ってる部分はあるけど、やっぱ世界が違うんだな。
「今は実権なんぞ欠片もあらしまへん。
幕府から統治を任されたに過ぎん土地土地の大名……こっち風に言うと領主?
それが各々勝手に自分の土地を治めたり、領土拡大のため戦争したりと好き放題。
正に群雄割拠。幕府? 知ったこっちゃないわ――みたいな状態なんですわ。
まあ、だからこそ守人の奴らも目ぇつけたんやろうけど……」
分かる、もう先が読めた。
救いようのない屑の目論見なんぞ上手く行くわけがねえ。
「へえ、その通りですわ。むしろ、最悪な事態に話は転がってしもた」
「……自分の力を知った将軍が八俣遠呂智の力を利用しようとしたんだな?」
「ええ」
落ち目の権力者が考えそうなことだ。
「まあ言うて将軍も最初から露骨にそんな態度を取っとったわけでもないんですが」
「そりゃそうだろ」
情報を引き出すため、守人の一部を抱き込むため。
事を成すために必要な準備は幾らでもあるからな。
「幕府への使者として送り込まれた一族の才女とその配下が丸々将軍に取り込まれたそうで。
今は確か三好長慶っちゅー名で葦原の中央を支配する大名やっとるんやったかな?」
どうしよう。ちょっともう、眩暈がしてきた。
「で、この長慶。将軍に味方するとは決めたものの、
八俣遠呂智を利用することに関しては消極的やった……腐っても元守人やし」
「その危険性は知ってるってわけか」
幽羅が頷く。
「長慶は自らの才覚で幕府を再興しようとした。
実際、その手腕は大したもんで十数年で中央を抑え地盤を築いてみせた。
せやけど、そこが限界。野心燃ゆる群雄は多く、長慶の器は天下を獲るほどではなかった」
それで将軍は痺れを切らして八俣遠呂智の力に手を出すことを決めたわけか。
そして邪魔者になり得る櫛灘の一族を……。
「…………そんな、そんなくだらないことのために母様は……皆は……」
わなわなと震える庵、その顔色は赤を通り越し蒼白。
怒りが臨界点を超えてしまったのだろう。
「ふ、ふざけるなぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
母様が殺される謂れがどこにある!? ない! あってたまるものか!!
許さない……許さない……将軍も、将軍に協力した奴らも……許されて良いわけがないッッ!!!!!」
ああ、その通りだ。
庵は何一つ間違ったことは言ってない。
俺は怒りに震えながら涙を流す庵を胸元に抱き寄せる。
「あ……」
「以前とは違う。今、お前は俺の女だ。つまり、お前の憎悪は十分俺の戦う理由に成り得る」
報酬なぞ求めるまでもなくモチベは十分だ。
だが、問わねばなるまい。
「お前はどうして欲しい?」
力が足りないなら俺がそれを補おう。
悪辣さが足りないなら俺がそれを補おう。
だが、最後の決断を下すのは庵でなければいけない。
「…………を」
泣きじゃくりながらも庵は必死に声を絞り出す。
「奴らに……地獄を……ッッ!!」
「任せろ」
俺の得意分野だ。
自慢じゃないが俺の復讐対象は将軍なんぞより圧倒的に強大な存在だったんだぜ?
今の俺ですら武力じゃどう足掻いても勝てねえだろう。
だが、今よりも弱い前世の俺は復讐を成し遂げた。
絶望の泥に沈め、自殺にまで追い込んでやった。
「後悔させてやるよ、この世に生を受けてしまったことをな」
「……おねがい、します……」
「ああ」
だから今は好きなだけ泣くと良い。
そう告げるように背中を叩いてやると、俺の意思が伝わったのだろう。
庵は胸に顔を押し付け感情を吐き出すことに専念し始めた。
「…………あたしからも、一つ聞きてえことがある」
黙りこんでいた明美が口を開く。
今、奴が何を考えているのかは……まあ、予想がつく。
「何でっしゃろ」
「……あたしが、出来損ないとして家の中で虐げられていたのは……」
「ここまでの話を聞いとったら、察しはつくんちゃいます?」
「ッッ……!」
そういうこと、だったんだろうな。
守人の一族から離れられたとはいえ、何が起きるか分かったもんじゃない。
少なくとも、葦原に居ては当人に責のない因縁に巻き込まれることもあっただろう。
だから、家を――国を出るように仕向けたのだと思う。
当事者はもう生き残っちゃいないが確かめられずとも察しはつく。
「……馬鹿な奴らだ……あたしを逃がしても、自分らは縛られたままじゃねえか」
独立を果たせたと言っても一族が国を離れられるほどではなかったのか。
もしくは櫛灘姫の末裔であるという使命感か。
あるいは直系ではないとはいえ田村麻呂の子孫であるという負い目もあったのかもしれない。
何にせよ庵の母親や他の家族、関係者らは葦原を離れられなかった。
でも、せめて……せめて一人だけでも。
そんな願いを託され明美は広い世界に送り出されたのかもしれない。
「カール」
「何だ?」
「お前、全部ぶっ壊す気なんだろ?」
「おう」
俺のため、庵のため、絡み付く因縁総てを清算する。
それは決定事項だ。
「なら、あたしも使え。あたしにあれやこれやと考える能はねえが力だけはある」
「ああ、遠慮なく利用させてもらうさ」
明美は明美で完全にスイッチが入ったようだ。
ハッキリ言って頼もしいことこの上ないな。
「精々上手く使ってくれよ……ま、それはともかくだ。おい幽羅」
「はい、何でっしゃろ」
「テメェ、そもそもからして何が目的なんだ?
何のためにカールに接触し、今こうして懇切丁寧に説明なんぞしてやがる?
カールの奴はこの件に限っては大丈夫だとか言ってたが……」
ああ、明美はまだ察しがついてねえのか。
いや、コイツだけじゃなく他の連中もそうだな。
「八俣遠呂智をこの世から完全に消し去るためだよ」
「あ゛ぁ゛!? おいおいおい、何言ってやがる。カール、お前、忘れたのか? コイツは……」
「だから、ジャーシンでの暗躍も結局はそこに繋がってるんだよ」
「…………は?」
幽羅を見る、奴は笑っていた。
「多分、俺がぶっ殺したアイツには帰巣本能みたいなのがあるんだろうな」
仮に奴が完全に解き放たれていたら、
元の形――九頭竜に戻るため葦原を目指していたんじゃねえかな。
「したらどうなる? 葦原にゃあ……正確には守人どもには打つ手がねえだろ。
何せ頼みの綱である櫛灘の姫は国外に居るんだからな。
可能性があるのは将軍だが、それも暗殺しちまえば良い話だ」
「は、いや……意味が分からねえんだが?」
察しの悪い奴だなあ。
アンヘルやアーデルハイドあたりはもう気付いてんぞ。
「九頭竜を復活させんだよ。復活させて葦原を滅ぼす。
葦原が滅んだら九頭竜はそこで満足するか? 恐らく、そりゃないな。
破壊と殺戮のためこっちの大陸にまで乗り出すだろう。
そうなれば事は葦原だけの問題じゃなくなる。世界全体の問題になるんだよ」
そこまで言ってようやく気付いたらしい。
明美は驚愕も露に幽羅を見ている。
「今の人類総ての力を結集すれば……何とかなるかもしれない。そうだろう?」
「む、無茶苦茶な……どうにかなるなんて保証は……」
「それでも現状よりは何かもが解決する可能性は高い。
俺だって草薙の剣なんてものが存在しない状態で話聞かされてたら同じ事をやってただろうぜ。
討伐されるならそれで良し。改めて封印するにしても……まあ、それはそれで良し」
ちなみにそのプランを取る場合、守人の一族は皆殺しだ。
守人含め僅かでも櫛灘姫についての情報を知ってる奴は事前に殺して回ってただろう。
櫛灘姫の血族が有効な手を打てるという情報が白日の下に晒されなければ、
庵や……あー、まー……何だ……俺との間に生まれる子供が巻き込まれる心配もないしな。
「少数が向き合わなきゃいけない問題から、
世界全体で向き合わなきゃいけない問題にする……プランとしては正直、悪くないと思うぜ」
今のところ、俺はこのプランを選ぶつもりはない。
一番綺麗に収まるカタチで決着をつけるつもりだからな。
それよりも、だ。
(気になるのは何故幽羅はそこまでして八俣遠呂智を何とかしたかったのかだが……)
今聞いても答えてはくれそうにない。
ま、後々知る機会が訪れるかもしれないし、その時を期待するとしよう。
「のうカール、おんしはこれからどうするつもりなんじゃ?」
「具体的なことは幽羅から情報を聞きだせるだけ聞き出した後で詰めていくことになるが……」
うーん……そうだなあ……。
「とりあえず年内には葦原に入りたいかな」
面倒な宿題はさっさと片付けるに限るし、そもそも猶予はあまりなさそうだしな。
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