番外編③

1.IFもしもカールが一人で帝都に向かっていたら


「…………何で、こうなったんだろ」


 独りごちる。

 今、俺は膝下までを覆うスパッツだけを穿き上半身裸で控え室の中に居た。

 俺が座っているベンチにはこの日のために作られたマスクが乱雑に置かれている。


「何で、こうなったんだろう」


 思い返すのは一ヶ月前のこと。

 夢の軌道修正を行い、親父の紹介状を手に俺は故郷を飛び出した。

 だがまあ、ちょっと寄り道しちゃったんだよ。

 ヘルムントの外に出るの初めてだったし?

 途中の地元より栄えてる街でぶらり途中下車。

 貯金もそこそこあったからちょっと遊んで行こうかなって思ったのだ。


 それでその……何だ。

 ちょっとエッチなお店で遊んで?

 深夜、ほろ酔い気分で取っていた宿に戻ってる最中のことよ――見つけちまったんだ。

 大橋の欄干の上に立ち、結構な高さがある川の水面を見下ろしていた女を。

 流石にこれは無視できないなと思い、俺は即座に駆け寄った。


 ……まあ、正直、下心もあったよ。


 ウェーブのかかったプラチナブロンドの眩しい長髪をした品のある美女。

 遠目でも、生唾を呑んじまうような美しさだったよ。

 まあ、中身は残念極まる感じだったが。


『姉さん、早まった真似はしちゃいけねえ!!』


 などと声をかける俺。

 今にして思えば早まったのは俺の方だった。


『放って置いて! 私なんて、もう生きててもしょうがな……あら、あなた良い筋肉してるわね』


 ほら、もうこの時点で何かもうアレじゃん。

 ほっといても勝手に盛り返して自殺取りやめてただろこれ。

 だが、当時の俺は酔っているせいか頭が働いてなかったんだなあ。


『え、そう? い、いやあ……へへへ』


 照れてる場合じゃねえぞお前。

 時を遡れるのならば、あの時の俺の頬にキツイビンタをくれてやっただろう。


『そ、それよりどうしたんだい姉さん。こんな時間にこんなとこで、こんな……』

『絶望、していたの』


 絶望してる奴が止めに来た男の筋肉を褒めるかよ糞が。


『絶望? どういうことだ? 良ければ訳を聞かせちゃくれねえか?』

『…………あなた、格闘技やってるでしょ』

『ん? ああ……ま、齧る程度にだが』

『謙遜するのね。見たところ、かなりのやり手でしょうに』


 ふふ、と儚げに笑う女。

 正直、勃起した。何で勃起したのか分からないがあの時の俺は勃起してた。

 深酒はするもんじゃねえなって、深く反省してます。

 性欲がさあ、表に出ちゃうとさあ。

 どうしてもさあ、それに引っ張られちゃうんだよなあ。

 男の悲しい下心が、ワンチャン狙って頑張りマックスハイテンションになっちゃうの。


『格闘技をやってるなら分かるでしょう?

この国……ううん、全体的に見ても徒手空拳の技術がマイナー寄りだって』


『それはまあ……そうだな』


 なくはないんだ。

 女性向けの護身術とかを教えてるとこはあるし、

 剣術習いに行っても得物を失った場合を想定しての格闘の技術を仕込まれたりする。

 ただ、格闘術オンリーとなるとなあ……うん、教えてるとこはグッと減る。


『やれ武器術、やれ魔法。どいつもコイツも素手で戦おうとしない奴ばっかり』

『いやあ、しょうがないと思うけどねえ』


 人間同士の戦いであろうと、モンスターとの戦いであろうと。

 武器や魔法を使った方が強いのは一目瞭然なんだから。

 いや、格闘術が劣るって言いたいわけじゃねえぜ?

 鍛えりゃあ武器持った人間や魔道士とも互角以上に渡り合える。


 ただまあ、そこまで行くのが……なあ?

 格闘家にとっての武器とはそれすなわち己が五体。

 武器術においても身体を鍛えはするが、格闘術だとより徹底的に肉体を練磨しなきゃいけない。

 手っ取り早く強くなるには向いてないんだ、これがな。


『私は……私は、それが悲しくて悲しくてしょうがないの。

己が五体のみを以って、どんな相手にも向かって行く。

その崇高な姿を知らず、格闘技を馬鹿にする奴が多過ぎるのよ』


 まあ、素手で名を残した英雄が少ないってのもあるんだろうなあ。

 剣士や魔道士なら誰か有名なのをと言われたら数名は直ぐに挙げられる。

 だが拳士となると……正直、拳帝ぐらいなんじゃねえのか?


『天覧試合に出て来る奴らも、近接戦闘はやるけど……大概は武器持ち。

歴代優勝者もそう。素手のみとなると、片手で数えられるほどしか居ない。

それにしたって、もうどれだけ昔のことか』


 はらはらと涙を零す女。

 俺はまだ勃起していた。


『このような状況では数少ない流派も廃れて行くばかり』


 それは一理あると思う。

 俺の流派である最強無敵流も門下生とか俺だけだからな。

 師匠は老い先短いジジイだし、唯一の門下生である俺も伝える気はゼロ。

 最強無敵流は歴史の闇に埋もれる運命にあるのだ。


『最早、格闘技に……未来はないのよ……』


 だからって死ぬ必要はないだろう。

 それよりも格闘技を盛り上げるために動いた方がよっぽど建設的だ。

 俺がそう告げると、


『やったわよ! 色々と! その素晴らしさを説いて、少しでも格闘技人口を増やそうって!!』

『アプローチの仕方を間違えてたんじゃねえの?』


 実用性や華って面では、どうしたって劣る。

 特に魔法大国である帝国で格闘技を広めようってんなら余計にだ。

 ハードルが高過ぎるわ。


『兎にも角にも人が増えないことには話にならない。

まずは興味持ってもらうのが先決だろ? つっても、素晴らしさを説くとかじゃねえぞ?

多分、姉さんディープな演説ぶったりしたんだろうけど駄目駄目。それじゃあ駄目』


 ニュービーには敷居が高過ぎる。

 お、何か面白そうとかその程度で良いんだよ。最初は。


『俄かなんぞこっちからお断りだわ!!』


 めんどくせえファンそのものじゃねえか。

 こういう奴らが特定ジャンルを先細りさせてくんだよ。


『良いじゃねえか俄か、大歓迎だよ。枯れ木も山の賑わいってね。

盛り上がってるように見えたら人も自然と増えてくる。

人が増えれば本気で格闘技をやろうって奴も数は少ないだろうが出てくるだろうさ』


 ハナっから高望みしちゃあいけねえよ。

 理想を高く持つのは結構だが、目の前の現実を直視出来なきゃ転んでしまう。


『ぐぬぬ……それは、そうかもだけど……でも、どうやって人を呼び寄せるのよ?』

『そらエンタメ方面を攻めるのさ。ああ、プロレスとか良いかもなあ』

『ぷろれす……? それより、エンタメ方面って――崇高な肉のぶつかり合いを見世物にしようと言うわけ!?』


 肉のぶつかり合いって表現がとても気持ち悪い。

 あの時の俺は特にどうとも思ってなかったが今振り返るとすげえキモい。


『見世物っつーならさっき姉さんが口にした天覧試合もそうじゃねえか』

『それは……』

『それに、だ』


 この時の俺は感傷に浸っていたのだと思う。

 プロレス――前世において最後の家族だった祖父が大好きな格闘技だったからな。


『プロレスは確かに見世物だ。筋書きだってある』


 だが、


『――――レスラーってのは本当に強い人間にしか務まらねえんだ』


 鍛えて見栄えの良い肉体を作り、そこそこ動けるようになったらレスラーになれる?

 とんでもねえ勘違いだ。

 プロレスってのは華やかな見た目に反して、その実滅茶苦茶シビアな格闘技なんだ。

 本物のプロレスをやろうってんなら並大抵の努力じゃ済まない。

 客を楽しませるためには、何よりも強い身体と心が必要なんだよ。


 俺がそう力説すると女は少し考える素振りを見せてから、こう言った。


『……じゃあ、ちょっとやって見せてよ』

『いや、やって見せてって言われてもな。一人じゃ出来ねえよ』


 や、仮に相手が居ても難しいけどな。

 だってお約束を知ってるのは俺だけだし。

 俺の筋書き通り十全に踊ってくれる相手が居なきゃプロレスは出来ん。


『そこは心配要らないわ』


 女はスカートのスリットから覗く太股のホルスターに収められていた杖を引き抜く。

 そして杖を軽く振るった。

 すると宙に魔法陣が浮かび上がり、そこから禿マッチョが降って来た。


『うぇ!? な、何だコイツ……』


『ふふふ、私が造り上げた魔法生命体”スーパー兄貴28号”よ。

この子の創造と運用にリソースを全て割いてるから他の魔法は一切使えないけどね!!』


 ははーん、コイツ馬鹿だな?

 このあたりで若干酔いは醒めたんだが、俺は止まらなかった。

 祖父のことを思い出していたせいだろう。


『あなたの指示通りに動かすわ。これなら出来るでしょ?』

『ふむ……ま、良いだろう』


 俺は服を脱ぎ捨て上半身裸になった。

 プロレスって言えば肉体美を見せ付けるのも必要な演出だからな。


『ふぅ――――っしゃオラァ!!!!!』


 腹の底から叫びながら28号に向かって行く。

 流石に格闘技愛を語るだけあって、俺が何を望んでいるかは察してくれたらしい。

 手四つでガッツリと組み合う。

 ミシミシと筋肉が軋み血管が肉体に浮かび上がる。

 とはいえこれは両者の力が拮抗しているからじゃない。


(俺のが膂力は上だ)


 組んだ瞬間に分かった。

 だからこそ俺が筋肉を操作しているのだ。

 あたかも、互角の力で組み合っているかのように。


『弾かれたように距離を取るッッ』


 バッと両者同時に手を離し後退。


『大振りの前蹴り! 俺の顔面!!』


 距離を詰めようとする俺を迎え撃つように足が振り上げられた。

 俺はそれを真っ向から受け止め吹き飛ぶ。

 派手にバウンドし、大仰な動作で勢い良く立ち上がる。


『な……!?』


 女の驚いた声が聞こえる。

 それに応えるように俺は言う。


『レスラーは避けちゃ駄目なんだ。防いじゃ駄目なんだ。捌いちゃ駄目なんだ』


 真正面から受け止めなきゃいけねえ。

 だが、ただ受け止めるだけじゃ意味がない。

 打点をずらしたり、脱力したり少し後ろに飛んでダメージを減退させようなんてしちゃいけない。

 相手の攻撃が120%の威力になるよう”当たり”に行くのだ。

 とは言っても、そうとは悟られぬように。あくまで自然に。


『だってレスラーだから』


 横っ面に拳を叩き込む。

 28号の顎を引っ掴み、己の身体を弓なりにしならせる。

 めいっぱいの勢いをつけて顎に拳を叩き付ける――ナックルアローだ。


『レスラーは相手の技から逃げちゃいけないんだ』


 たたらを踏んで後ずさる28号目掛け更に追撃のナックルアロー、


『全部、受け止めなきゃ』


 を放つように見せかけて空振りをし無防備な背中を晒す。

 前蹴りのダメージが残っているのだとアピールする。


『延髄に浴びせ蹴り!!』


 瞬間、延髄に重い衝撃が走る。

 たまらぬとばかりに倒れる。


『追撃!!』


 倒れた俺を踏み付けるように蹴りの連打。

 幾らか受けた後、思いっきり左手を振るい足を掬い上げる。

 バランスを崩れて倒れた28号を尻目によろよろと立ち上がる――次は俺の番だ。


『おいおい、このままじゃ負けちまうんじゃねえか? そう思わせなきゃいけない』


 無理矢理28号を立たせグルンとその身体を回転させ背後から抱き付く。

 力強く大地を踏み付けその巨体を持ち上げ、頭から落とす。

 ジャーマンスープレックス――祖父が大好きだった技だ。


『そう思わせてからの逆転』


 再度立ち上がらせ、再度ジャーマンの姿勢に入る。


『逆転に次ぐ逆転の繰り返しが観客を熱くさせる』


 さりげなく足を誘導し、ジャーマンに入った俺の足を引っ掛けさせる。

 体勢を崩した俺に背中から圧し掛かるようにして後頭部を叩き付けさせた。


『髪を掴んで立ち上がらせつつ、脳天に手刀打ち!!』


 チョップを受け仰け反る俺に指示を出していない追撃のタックルがやって来た。

 どうやら、女も理解し始めたらしい。

 俺はタックルを受けながら28号をホールドし、勢いのまま背後に放り投げる。

 たん、たん、たんと足踏みしながら勢いを殺し28号が振り返る。


『これが――――プロレスだァ!!!!』


 助走をつけ、両足で踏み切る。

 俺の方に向かって来ようとしていた28号にカウンターのドロップキック。


『……ふぅ』


 ここらで終わり。そう告げるように片手を突き出す。

 意図はしっかり伝わったようで28号はいずこかへと消え去った。


『とまあ、こんな感じなんだが……』


 未だ欄干上に立つ女を見ると、何故か俯いていた。

 そしてどうしてかプルプルと震えていた。


『……前』

『は?』

『名前、あなたの、名前』

『か、カール・ベルンシュタインだけど……』

『カール……ベルンシュタイン……』


 思えば無防備過ぎた。

 テキトーな偽名でも名乗っておけば良かったのに何で本名名乗っちゃうかな。


『……私はマリアンヌ。マリアンヌ・ツー・グッテンベルク』


 バッ! と女――マリアンヌが顔を上げる。


『マリーと呼んで頂戴!!』

『お、おう』


 最初のブルーフェイスはどこへやら。

 精気に満ち心なしか艶々した顔、キラキラした瞳。


『プロレス……こんな、こんな素晴らしいものがこの世にあったなんて……感動したわ』

『お、おう』

『成るほど、確かに”本当に強い者”以外に本物のレスラーは務まらない』


 うんうんと頷くマリー。

 心なしか発情しているようにすら見えた。


『華やかなエンターテイメントに見えて、その実根っこの部分はこれでもかと骨太ッ!

一歩間違えば安っぽい見世物に成り下がるけれど、

真に心身を磨き上げた本物の格闘家がやれば神域の芸術へと昇華するァ!!』


 するァ!! って。

 女が出して良い声じゃねえよ。


『惚れたわ、プロレス』


 でも、と夢見るような表情でマリーは続ける。


『それ以上にあなたに惚れたわ! カール! 私と一緒に世界を変えましょう!!』


 その後、奴は困惑する俺を口八丁で言いくるめて、

 一緒にプロレス団体を立ち上げることを約束させた。

 ツー、ということからも分かるようにマリーは貴族だったのだ。

 しかも子女ではない。彼女自身が当主だった。


 奴は侯爵としての立場と自らの才覚をフル活用し、

 一ヶ月でデモンストレーションの場を整えてみせた。

 会場は天覧試合にも使われる闘技場で観客は満員御礼。

 噂じゃ大貴族なんかも今日のプレゼンに顔を出しているとか。


(ああ……帰りてえ……おら、故郷に帰りてえだ……)


 俺、帝都に居るのに未だ伯父さんに顔を出してすらいねえんだぞ。

 ずっとグッテンベルクの屋敷で鍛錬したりプロレスの話させられてたからな。


「カール! そろそろ時間だけど準備は良くって!?」


 バァン! と控え室の扉が開かれた。

 現れたのはプラカードを小脇に抱えたバニースーツを着たマリー。

 何でそんな格好してるのか?

 俺と一緒に入場するキャンペーンガールを務めるからだよ。


「ここからよ……ここから、私たちの……いいえ、プロレスの歴史が始まるの」


 異世界転生し早十五年。


「さあ、伝説を打ち上げに行くわよ!!」


 俺は思った。


(何でこんなことになっちまったんだ……)

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