きれいなもの⑥

1.クリスと庵


「まあまあ、可愛い店員さんね。新人さん?」

「うん! お兄ちゃんがどうしてクリスと一緒に居たいってお願いするから働いてあげてるの」

「あらあら、それは偉いのねえ」

「でっしょー? もっと褒めて良いんだから!!」


 調子に乗るな。

 ってのはさておきだ。昨日からクリスを働かせてるんだが、中々どうして。

 内心は知らんが表向きは上手くやれている。


(お客さんの年齢層が高いから生温かい目で見てくれてるってのもあるんだろうが……)


 これまで外に出たことのない箱入り娘とは思えない働きぶりだ。

 いや、料理の経験が活きる仕込みの仕事ならまだしも接客はね。

 正直、心配だったんだが……この様子を見るに心配は要らなさそうだ。

 昨日今日で今週の労働は終わりだが、これなら日数を増やしても良いかもしれん。


(それはそうと、髪をツインテールにしてるのは客受けを意識してのことだろうか?)


 言動は素に近いが素よりも若干あざとい。

 大人の保護欲に訴えるような振る舞いは意識していると思う。

 ツインテールもその一環なのかな?

 幼い女の子がするような髪型だからな、ツインテール。

 でもツインテール見てると奇声を上げる魔女っ娘を思い出すから俺的には少し複雑。


「ねえねえお兄ちゃん! お客さんに褒められたんだけど?」

〈偉い偉いって褒めて抱き締めるべきそうすべき〉


 パタパタと走り寄って来るや、即ドヤ顔。

 褒めろ褒めろと目がうるさい。態度がうるさい。雰囲気がうるさい。心の声もうるさい。

 何かもう全体的にうるさいので、テキトーにあしらう。

 しかしそれが不満だったようで、


「ちょっと! ぞんざい! ぞんざいなんですけど!?

もっと構って! 溶けちゃうぐらいにクリスを猫可愛がりしてよ!!」


 腰に抱き付き、うりうりと顔を擦り付けてくる。


「だってお前、言う通りにしたら調子に乗るじゃん」


 コイツは甘やかしてやると天井知らずで甘えてくるからな。

 雑なぐらいが丁度良いのだ。


「………………クリスさん、今はお仕事中ですよ」


 俺の横で待機していた庵が冷たい視線を向ける。

 何だろう、庵のこういう顔は稀だ。

 呆れた目で見られることは多いけど……クッソ、何故その視線を俺に向けてくれない!


「あの、ちょっと……お金払うから俺にもその目を向けてくれないかな?」


 気付けば俺は財布を片手に庵との交渉を始めていた。

 ロリに冷たい目で見られる。

 それはきっと、俺という人間の新しい扉を開いてくれる気がするんだ。


「兄様は黙っててください」


 バッサリ斬り捨てられた。

 でもそれが良い。興奮する。

 だが同時に嫉妬もする。クリスの野郎……羨ましいじゃねえか。


「聞いているのですかクリスさん」

「つーん」


 口で言うな口で。


「こ、この……!」

「別に良いでしょ? 今は注文も落ち着いて案山子みたいに突っ立ってるだけの時間なんだから」


 まあ、それはね。

 最初に沢山注文してゆっくり酒を楽しみながら食べる。

 誰が始めたのか知らんがバーレスクのテンプレートみたいになってるからな。

 追加注文が出始めるのはまだまだ先だろう。


「それでも! 今は仕事中です! 弁えるべきではないでしょうか!?」


「別にお客さんを不快にさせてるわけじゃないんだし良いじゃん。

お兄ちゃんと同じ年頃だったらうぜえ……ってなるかもだけどクリス子供だもん。

大人の人たちも微笑ましく見てくれてるから問題はないと思うんだけど?

何ならあなたとのこの口喧嘩だって酒の肴にされてる感あるし」


 その言葉を聞き、俺は店内を見渡す。

 お客さんは皆、さっと目を逸らす。

 でもその口元が緩んでいるのは見逃さなかったぞ。


「って言うかぁ? 他人とか仕事を理由にするとか庵ってずるっこだよね」

「な……?!」

「単純に私が嫌なんですぅ、って言えば良いのに」


 ずけずけとものを言うよなコイツ……。

 いや、俺にもそういう面があるから偉そうには言えんけど。


「な、な、な、な」


 ぱくぱくと口を開閉させる庵。

 羞恥とか怒りとか、感情がごっちゃになってるなこの表情。


「無礼な!!」

「あーもう、うっさい!!」


 ぎゃーぎゃー口喧嘩する二人を見てると、幼馴染のアホどもを思い出す。

 俺らもこんな風に喧嘩してたっけなあ。


(にしても……やっぱ似ているようで正反対だよなこの二人)


 表面的な部分もそうだが、もっと深い部分でも。


(その人格形成に”喪失”が深く関わっているのは同じだが……)


 庵は背伸びをしがちだ。

 母を早くに喪い、大人にならざるを得なかったのだろう。

 だが今は無理をしなくても良い。俺という庇護者が居るからな。

 でも庵はそれを良しとしない。俺の隣に並び立とうとしている。

 大切な人を隣で支えたいという気持ちが強いのだ。


(だから早く大人になりたがっている)


 とはいえ歳相応に甘やかして欲しいという願望がないわけではない。

 たが、それを素直に発露できないのが庵だ。

 どうしても遠慮がちになっちまう。

 俺がウザ絡みして構い倒してるのも、そういう部分があるからだな。


(や、半分以上は俺の純然たる欲望だけどさ)


 対してクリスだが、コイツは大人にならざるを得なかったわけじゃない。

 ”子供で居ることができなくなった”のだ。

 しかもそれは母親を喪うよりも前の段階でだ。

 周囲の大人たちの無理解且つ無責任な視線がクリスに失望を抱かせた。


(大人に失望しちまったら、子供は子供のままじゃ居られねえよ)


 母親の自殺が決定打だろうと思う。

 親がよ、子供を置いて苦しみから逃げるために命を断っちまったら……どうしようもないだろ。


(クリスの母親にも事情はあるとはいえ)


 ひでえ話だ。

 産んだのは誰だよ、お前じゃねえか。

 親としての責務を何一つとして果たさないまま逝くのは無責任が過ぎる。


(でも本当に酷いのはクリスが母親をどうとも思ってないことだよな)


 憎んで良い、恨んで良い。自らの不幸の責任を押し付けても良いのだ。

 クリスにはその権利があるし、親としてもそうしてくれなきゃ立つ瀬がない。

 だがクリスにとって母親はどうでも良い存在なんだ。

 痛切な心の叫びに母親というピースが一欠けらも混じっていなかったのがその証明だ。


(子供では居られなくなって、かと言って大人にもなれなくて)


 宙ぶらりんのまま、無為な日々を過ごすことになった。

 でも、だからこそ今、素直に甘えられるのだと思う。

 大人にならざるを得なかった庵はしっかりしなきゃという意識が根付いてしまった。

 でも子供で居られなくなっただけのクリスにはそんなもんは欠片も存在しないからな。


(庵とクリス……どっちがより不幸なんだろうなあ)


 親を殺され異国の地に流れ着き、衣食住もままならぬ暮らしを強いられた庵。

 言い訳のしようもなく不幸だ。

 だが、庵はクリスがどう足掻いても手に入れられないものを持っている。


 ――――幸せな記憶だ。


 庵の話を聞いてりゃ分かる。

 お袋さんは、ホントに良い母親だったんだろうな。

 凶衛が訪れるまでは親子二人、仲睦まじく幸せな日々を過ごせていた。

 輝ける時間は今もその胸の中に色褪せず残っている。


(でも、クリスにゃそれがない)


 特別な不幸はなかった。

 だが幸福もそこにはなかった。

 どっちがマシなのか……いや、違うな。

 どっちがマシかなんて他人が決めて良いこっちゃねえだろ。

 庵もクリスも、その辛さは本人にしか分からないんだから。


(……無礼が過ぎたな……反省せんと)


 言葉にしてても二人は俺を責めはしないだろうが、

 他ならぬ俺自身が今、すっげえ罪悪感を覚えてる。


「兄様!」

「うぉ!? な、何だよ……」


 庵の怒声が俺を現実へ引き戻す。

 ぷくーっと頬を膨らませた庵ちゃんが大変キュートで御座いますわ。


「兄様からもこのあーぱーに何か言ってやってください!!」


 あーぱーて。

 おハーブが生えますわ。


「ハァ!? 言うに事欠いてあーぱーとは何よ!

良い子ぶるのは勝手だけどクリスたちを巻き込まないでくれる!?」


「い、良い子ぶるですって!? 何て無礼な!!」


 とりあえず、そろそろ仲裁に入るか。


「はいはい、ちょっとは落ち着きなさいな」


 言いつつ庵をお姫様抱っこし、その顔を胸に押し付ける。


「な、な、な……に、兄様! 何をするのです、いきなり!!」

「庵」

「お、おろしてください! おーろーしーてー!!」

「庵」


 少し強く名を呼ぶと庵はビクリと身体を震わせた。


「俺は、そんなに頼りない男か?」

「え」

「俺は、そんなに狭量な男か?」

「そ、そのようなことは……」


 そうかい、それなら良かった。


「だったら甘えてくれよ。甘えたい時は存分に甘えたら良い。

それを受け入れられないほど、俺は情けない男じゃねえ」


 変に背伸びしたりする必要はないんだ。

 変に言い繕ったりしなくて良いんだ。

 庵はまだまだ、それが許される年齢なんだから。


「兄様……」

「焼き餅妬く姿も可愛くはあるが、遠慮されるのは寂しいんだぜ?」


 庵にとって俺はそんなに頼りのない男なのかってな。

 いやまあ、俺も別に自分が立派な大人だとは思ってねえよ?

 それでも、女の子一人ぐらい受け止められるぐらいの器量はあるつもりだ。


「だからまあ、あれだ。俺を立てる意味でも甘えたい時は遠慮せんで甘えてくれ……な?」

「…………はい」


 恥ずかしそうに庵は頷いた。

 でも、俺はちゃんと見たぞ。その口元が緩んでるのをな。


「ね、ねえ……ずるい……ずるくない? 庵にだけ優しくない?」

「あん?」

「もっとクリスにも優しくすべきそうすべき! 存分に甘えさせてよ! 遠慮させないでよ!」

「馬鹿野郎、お前に同じこと言ったら際限なく甘えるだろうが」

「そらそうよ」


 躊躇いなく頷いたなコイツ。


「だからだよ。お前がこれ以上駄目人間にならないために厳しくしてんの」

「厳しさとか要らないです。人生イージーモードがクリスの信条だもんで」


 うーん、この。

 だがある意味、この正直さは美徳かもしれんな。

 逆に大物感が漂って……いや、ねーわ。


「ふふん」

「あ、笑った! 庵今、クリスのこと笑ったでしょ!?」

「さて……どうでしょうね?」

「こ、コイツ……!」


 俺を挟んでやいのやいのと言い合う二人。

 だが、険悪さはまる感じない。

 本当に、ただ子供がじゃれ合ってるだけ。


(……うん、やっぱクリスを連れて来て正解だったな)


 バーレスクで働かせることにしたのはクリスに社会経験を積ませるため。

 そのことに嘘はないが俺には別の狙いもあった。


(良い悪友になれそうだ)


 庵とクリス、この二人は正反対の性格をしてる。

 でも、だからこそ良い悪友になれると思った。

 衝突し合うことがあっても、何だかんだ仲良くやってける友達ってのは得難い財産だからな。

 いや、庵にも同年代の友達ってのは居るには居るけどさ。

 ただ、アイツらも庵もスラム出身だからな。

 同族意識が根底にあるせいか友達ってよりも血の繋がらない身内に近いんだよ。


「――――って、何だよ二人とも」

「「……」」


 視線を感じ顔を向けると伯父さんとシャルが俺をじーっと見つめていた。


「いや、君は良いお父さんになれるだろうなって」

「…………そうだな、俺もそう思う」

「はは、そりゃどうも」


 でも、子供かあ。

 今は全然考えられないけど、俺も何時かは親になるのかねえ。


「というかですね。甘えたいなら他にも居るでしょう。シャルさんとかラインハルトさんとか」

「お兄ちゃんが良いの! あと、基本クリス人間不信だし」


 重いから止めろ。


「あと、シャルおばさんはともかく店主さんは……その、逆に気を遣う。

だってもう、普通に人と会話するのも大変みたいだし。

クリスが言うのも何だけど大丈夫? 客商売辛くない? 相談乗るわよ?」


「…………ちょっと、今、泣きそうだ」


 そりゃ子供に気を遣われたらね。

 でも伯父さん、残念ながら弁護出来ねえわ。

 今でこそ多少は改善したけど初対面の時とかもう……。


「このガキ……!」

「止めろシャル大人げない――っと、この気配は」


 庵を床に降ろし、腰に引っ付いたクリスを引き剥がし入り口へ向かう。

 扉が開かれると、そこには予想通りの二人が居た。


「いらっしゃい、アンヘル、アーデルハイド」


 一週間ぶりの対面だ。




2.ロイヤル三姉妹


 かつて姉妹喧嘩を繰り広げた廃棄大陸、その中心部にアンヘルとアーデルハイドは居た。

 以前のように姉妹喧嘩をするためではない。修行のためだ。


「…………何とか、期間内に形は出来上がったわね」

「うん。でも、これを完全にするためにはまだまだ改良が必要だけどね」

「それは分かってるわ」


 周囲に夥しい数の屍が転がる中、平然と会話をする少女たち。

 絵面がもう最悪だった。

 どっからどう見てもヤバイ二人組みにしか見えない。


「ヴォルフ氏の術式には魔力だけでなく、気も使われていた。

そちらの分野に関しては私もあなたも専門外だもの」


 アーデルハイドは足元を駆け回っていた黒い子犬を抱き上げ嘆息する。


「シャルロットさんか、カールくんのアドバイスを貰わなきゃね」


 アンヘルが自身の肩に座っている白い子狐を撫でる。

 この二匹の小動物こそが、二人の修行の成果。詳細はいずれ語られよう。


「でもまあ、とりあえず今はお疲れ様ってことで良いでしょ」


 そう言ってアンヘルはパチンと指を鳴らした。

 するとどうだろう?

 彼女を中心に劫火が奔り周囲の屍が一瞬にして灰になったではないか。


「そうね……じゃ、そろそろ行きましょうか」

「うん」


 二人は魔法で身を清めると同時に転移魔法を発動。

 帝都は幽霊区画に存在するバーレスクの前へと降り立つ。


「いらっしゃい、アンヘル、アーデルハイド」


 扉を開けるとカールが何時もの笑顔で迎えてくれた。

 それだけで、もう、胸がいっぱいになる。


「こんばんは、カールくん。久しぶりだね……本当に、本当に久しぶり」

「大袈裟だな。たかだか一週間だろう?」

「いいえ、そんなことはありません。体感的にはもう、数年レベルです」

「そ、そうか……ところで修行は上手くいったのか?」


 二人して頷く。

 ちなみに、あの小動物たちは消してある。飲食店に動物はアウトだからだ。

 まあ厳密に言えば生物ではないので問題はないのだが、

 知らない人間からすれば普通の動物にしか見えないので配慮したのだ。


「カールくんの方は、変わりはなかった?」


 修行に専念するため断腸の思いでストーキング魔法をOFFにしていた。

 それゆえ二人はカールの近況をまるで把握していなかった。

 いや、把握している方がおかしいのだけれど。


「ん? あー……まあ、そこらは追々」


 少し困ったような顔をするカール。

 何かあったのだろうか?

 アンヘルは少し身構えるが、


(まあ、この様子だと特に問題はない……のかな?)


 追々話してくれるようだし、それを待てば良い。

 そう判断したアンヘルはこの場で話を聞くのを諦めた。


「とりあえず席に案内するから」

「うん、よろしく――って、アーデルハイド? どうしたの?」


 不思議そうな顔で立ち止まっているアーデルハイドに声をかける。


「え、ああ……知らない子がこちらを見ているものだから」


 視線を辿ると、そこには十二、三歳ほどの少女が立っていた。

 ワインレッドの髪をツインテールにした可愛い女の子。

 エプロンを見るに新たな店員のようだが……。


(……あの子絡みで何かあったのかな?)


 もしそうなら考えたくはないが……”増えて”しまった可能性が高い。

 燃え狂う嫉妬を押し殺しつつ、アンヘルは首を傾げる。


(何であの子、私たちを見てるんだろ?)


 カールの女である自分たちを観察しているのか?

 にしては視線にそういう色を感じない。


「おいクリス、どうしたんだ?」


 カールの声にも答えず、クリスと呼ばれた少女はつかつかとこちらに歩いて来た。

 そして自分とアーデルハイドの顔を見上げ、


「ひょっとしてだけど、アンヘルお姉様とアーデルハイドお姉様?」

「「「は?」」」


 突然の事に固まる三人。


「お、おいクリス。お姉様って一体どういう……あ、年上の女性への敬称的な?」


 真っ先に我に返ったカールがそう尋ねる。


「は? いや普通に兄弟姉妹のお姉様って意味だけど。

多分、二人がクリスのお姉ちゃんでクリスは二人の妹なの。

いや、あのお姉さんたちがアンヘルお姉様とアーデルハイドお姉様じゃないなら違うけど」


 アンヘルとアーデルハイドがダラダラと冷や汗を流し始める。

 まさか、でも、どうして……知らない、こんな子は知らない。

 しかし、明らかに向こうはこちらを知っている。

 どういう、これは一体どういう状況なのだ? 静かに焦る二人。


 そこへ、新たな訪問者が現れる。


「いやあ、遅くなっちゃったよ。ごめんねカー……ル……く……ん」


 転移で出現したゾルタンはアンヘルとアーデルハイド、

 そしてクリスの三人が揃っている状況を目にして何かを察したらしい。


「ごめんカールくん! 用事が出来たからまた明日!!」


 とりあえずこの場から離脱するべきだ。

 そう判断したアンヘルは転移魔法を発動し、

 アーデルハイド、クリス、ゾルタンと共にバーレスクから脱出した。


「え、ちょ、何? 何で? クリスまだ仕事中だったんだけど?

お兄ちゃんに怒られ……いや、拉致られたからクリス悪くないか。

あ、ソファすっごい柔らかい。ねえねえアンヘルお姉様、お茶とお菓子は出ないの?」


 バーレスクからアンヘルの私室に連れて来られ、

 慌てふためくクリスだったが自分に責がないと思い直すや普通に寛ぎ始める。


「「「……」」」


 一方、姉二人とゾルタンの空気は重い。


「とりあえず、執行は後回しにするとして……」

「執行!? 執行って何!? 僕は何をされちゃうんだい?!」

「別に誰に、とは言ってないんだけどね。そっか、先生は執行されちゃう覚えがあるんだあ」


 ゾルタンを無視し、アンヘルは溜め息と共にクリスに向き直る。


「その……お嬢さんの名前を聞かせてくれるかな?」

「クリスだって言ってるじゃん」

「いや、フルネームで」


 もうほぼほぼ確定だが、ワンチャンあるかもしれない。

 現実逃避だと自覚しつつも問わずにはいられなかった。


「クリスティアナ・プロシア」


 ふらりと、アンヘルとアーデルハイドの身体がよろめく。

 事実という名の痛烈な一撃。

 そこに一週間の疲れも合わさりダメージは甚大だ。


「……正直、顔を合わせる機会はないと思ってたわ」


 アーデルハイドの言う通りだ。

 魔法が使えない皇女、その存在は知っていても、

 いや知っているからこそ自分たちが顔を合わせることはないと思っていた。


(……私たち、存在そのものが厭味だもん)


 片や皇家の白を継ぎ、それに相応しい力を持つアンヘル。

 片や皇家の白を継いだわけでもないのに尋常ならざる力を持つアーデルハイド。

 クリスの立場から見ればこの上なく目障りな存在だろう。

 会話どころか顔を合わせるのも嫌なはずだ。


(まあ、何でかこの子に悪感情はないようだけれど)


 どうでも良い、そんな感情がありありと見て取れる。


「えーっと、その……あなたのことは何て呼べば良いかしら?」

「別にクリスで良いわよ」

「そ、そう。ではクリス、あなたはどうして私とアンヘルのことを知っていたのかしら?」


 それはアンヘルも疑問だった。

 精神寄生体が巣食うまでは舞踏会やパーティにも顔は出していた。

 だがその場でクリスを見かけた覚えは一度もない。

 精神寄生体に巣食われてからは言わずもがな。

 殆ど軟禁状態だったし、アーデルハイドも罪悪感から各地を放浪していた。

 顔を合わせる機会など一度もなかったはずだ。


(というか、聞いた話じゃこの子って一度も屋敷から出たことはないはずじゃ……)


 だが、バーレスクでの発言を鑑みるにクリスは自分たちの顔を知っていた。

 一体どこで知ったというのか。


「屋敷の隠し部屋にお姉様たちの写真がたーくさん貼ってあったから」

「「は?」」

「今よりずっと小さい頃のだから最初は分からなかったんだけどねえ」

「あの、それは僕も初耳なんだが……」

「そりゃまあ、クリスが一人暮らしするようになってから見つけた部屋だし」


 ぽよーん、ぽよーんとソファの上を跳ねながらクリスが答える。


「ちなみに写真全部にぶっとい釘が刺さってたわ。

部屋に残されてた日記を見るに、お母様が呪ってたみたいね。

どうしてアイツらだけ、何故クリスは……みたいな恨み言がびっしり」


 平然とそう答えたクリスと、負の感情を露に自分たちを呪っていた母親。

 どちらが健全なのかアンヘルには判断がつかなかった。


「…………ねえ、アンヘル」

「…………分かってる」


 いい加減、現実逃避は止めよう。

 クリスを拉致ったのは、知らなければいけないことがあるからだ。


「ねえ、クリスはカールくんとどんな関係なのかな?」

「深い関係」


 ロイヤル三人抜きがこれで確定してしまった。

 アンヘルとアーデルハイドの身体が再度、よろめく。


「…………どうしてそうなったか、聞かせてくれる?」


「え、知りたい? 知りたいの? ねえねえ知りたいの?

参ったなあ……恥ずかしいし、こういうのって公言するものじゃないと思うのよね。

でもでも? お姉様たちがどぉおおおおおおしてもって言うんだからしょうがないか!!」


(うぜえ)


 内心を隠し、クリスの言葉に耳を傾けるアンヘル。

 クリスの自慢だか惚気だか分からない説明は一時間は続いた。


「ってわけなの。お兄ちゃんったらクリスのこと好き過ぎだと思わない? ねえ、そう思うでしょ?」


 クリスの戯言を華麗に受け流し、アンヘルとアーデルハイドはゾルタンを見やる。


「「キサマノセイカ」」

「ひっ!?」


 三人目、これで三人目だ。

 皇族三人に手を出す庶民など前代未聞が過ぎるだろう。


「ねえ、先生。もしも、このことが馬鹿どもに露見しちゃったらどうなるかなあ」

「カールさんにその野心がなくとも勘繰られますよね」

「もう先手を打って皇帝含めた皇族皆殺しにして私が皇帝の椅子に座るべきかもしれないね」


 元々それも視野に入れていたのだし。

 そうアンヘルが告げるとゾルタンの顔が蒼白になる。


「ヘイトを逸らすためにクリスを傀儡にするって手もあるわよ」

「ああ、それも悪くないか」

「は? 嫌なんですけど。何でクリスが皇帝なんて面倒な仕事しなきゃいけないの? 意味わかんない」

「ま、待て! 待ってくれ! 二人とも、落ち着こう。一旦冷静に……冷静に……ね?」


 誰が冷静さを奪ったのだ。

 二人の冷たい瞳は何よりも雄弁だった。


「隠蔽には僕も全力で協力する! 決して彼に害が及ぶようなことはさせない!!」

「既に先生が害を成す存在になりかけてるんだけど?」

「いや、それは……その……これには深い事情が……」

「アンヘル、先生の処刑は後回しにしましょう」

「ああうん、そうだね」


 二人の視線がクリスに注がれる。


「……念のために確認しておくわ。クリス、あなた自分が皇族だなんて言ってないわよね?」

「当たり前じゃん。それで引かれたらどうするの? お姉様が責任取ってくれるの?」

「だったら迂闊にお姉様なんて呼ばないでよ!!」


 何にせよ、これで隠し事が一つバレてしまった。

 クリスの背景を知っている以上、下手な誤魔化しは意味がないだろう。

 皇女であることは伏せつつ、ある程度事情を明かす以外に道はない。

 一先ずはそれで乗り切れるだろうが、問題はその先だ。

 クリスとはこれから嫌でも関わらなければいけないわけで……。


(ああ……頭が痛い……胃が痛い……)

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