きれいなもの③

1.ロイヤルチャレンジ四日目(そろそろ心が折れそう)


 夕刻、クリスとの面会を終えバーレスクに帰還。

 初日はゾルタンも一緒だったが、翌日からは俺だけを転移してもらっている。

 俺が帰った後の反応を探って欲しいからなんだ今のところ成果はなし。


「おや、おかえりカール」

「おかえりなさいませ兄様」


 シャルと庵が俺を迎えてくれた。

 軽く手を挙げ、二人に答えカウンター席に座る。


「…………カールか……えっと、大丈夫か?」

「……酒を」

「……え?」

「とりあえず、キツイ酒を」

「……わ、分かった」


 困惑しつつも、伯父さんはボトルと氷の入ったグラスを出してくれた。

 だが俺はグラスを使わず、デコピンでボトルの口を吹き飛ばし酒を呷った。


「ちょ、ちょっとカール!? それ、そんな勢いで飲むものじゃないよね?!

いや、君なら気でアルコールを飛ばしたり出来るだろうけど……ちょ、おい、聞け!!」


 喉を焼くアルコール。

 だけど、何故だろう。その刺激さえ、今はどこか遠く感じてしまう。


「あ、あの……兄様……?」

「……」


 空になったボトルをカウンターに置く。

 視線でお代わりを促すと伯父さんは顔を引き攣らせながらも新しいボトルを出してくれた。


「俺さあ……何だかんだ……これまで、結構上手くやって来たと思うんだ」


 男女関係なくね、良い具合に関係築けてたと思うの。

 そりゃ中にはどうしようもない屑も居たよ? 凶衛とかさ。

 でも、そういう敵は除く、日常の人間関係は順風満帆だったの。

 帝都でも、帝都に来る前からも。

 なのに、


「お、俺はね……頑張って……頑張ってるんですよブフッフンハアァア!

頼まれたからね……ど、どうにかしようってウワッハッハーーン!!

これまでとオンナジヤ、オンナジヤ思っでえ! でも、あかんぐ……ファアアアアア!!!」


 クッソァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!

 お前らなあ! 想像してみろよ!

 喪服姿の儚げな女の子から、ひたすら帰れ帰れコールされる男の気持ちを!!

 それでも帰れない男の気持ちを!

 何やねんこのカース! 舐めとんのか!?


「心がなあ! 折れそうなんだよ! あんなんどうすりゃ良いんだ!?

どうにもなんねえよ! あぁああああああああああああああああああああああ!!!」


 ゾルタンめ! ゾルタンめ! ゾルタンめぇええええええええええええ!!

 何て、何て話を持って来やがったんだ!

 ここでさあ! 辞めるのもさぁ!? しんどいだろ!


「……カール、君、ここ最近一体何をしてるんだい?」

「それは言えん。俺にも守秘義務というのがある」

「急に素に戻った」


 クリスのはね、流石に漏らせるような個人情報じゃねえよ。

 ちょっとご令嬢の話し相手をしているとか誤魔化すこともできるが、

 伯父さんと庵はともかくシャルのアホは鼻が利くからな。

 予測不可能な状況になって話がこれ以上拗れるのは嫌だし隠しておくのが吉と見た。


「…………ゾルタンの奴を問い詰めてみるか」


 そりゃ無駄だ。

 シャルとゾルタンは友人なのだろうが、内容が内容だ。

 幾ら友達と言えども一般庶民に大貴族のスキャンダルは話せまい。

 え、俺? 俺は良いんだよ。俺は結果的にアンヘルとアーデルハイドの一件を解決してっからな。

 そもそも、その実績を買われて今回も抜擢されたわけだしぃ?


 まあ、クソの役にも立ってないのが現状だがな!

 何かさ、自信なくなっちゃったよ。いや違うか。

 これまでがたまさか上手くいってただけなんだ。

 俺なんて大したことねえんだ。

 所詮、俺はヒャッハー! 系男子。

 カウンセラーの真似事なんて出来るわけがねえんだ。


「俺に出来ることなんて世紀末ファッションで暴れまわることぐらいなんだ……」


 モヒカンに……モヒカンにしなきゃ……。

 火炎放射器は……まあ、気で代用すれば良いよね。


「…………兄様って、実は酔うと面倒臭い人だったんですね」

「私も初めて知ったよ」


 二本目の酒瓶を飲み干す。


「伯父さん、お代わり」

「お、おい……流石にそのペースは……」

「お金は俺の給料から天引きしといてくれたら良いからさあ」

「い、いや……そういうことではなくて、だな……」


 伯父さんはあーとかうーとか唸りながら、やがて何かを決意したように俺を見つめる。


「……カール」

「?」

「…………俺は、お前を……尊敬している……」


 お、おう?

 いきなりどうしたんだろうこの人。

 ちょっと止めてよ、そういう日頃お世話になってる人に改めて感謝を系の話は苦手なんだよ。

 嫌いじゃないよ? ただちょっと、涙腺へのダメージが大きいから……。


「……お前は……俺にはないものを、沢山持っている…………。

社交的で、華があって、皆に好かれる……自慢の甥だ……」


 伯父さん……。


「つ、つまりは……そういうことだ……」


 うん、どういうこと?


「惜しい……! 惜しいよラインハルトさん……! でもよく頑張った!!」


 シャル、うるさいから黙ってろ。


「え、えっと……そ、そう自分を卑下するな……。

に、人間……たまには……その……あれだから……上手くいかないこともあるから……」


 必死に、必死に言葉を探しているのだろう。

 その姿を見て……申し訳ないのだが……その、笑ってしまった。


「! げ、元気が出たか……?」

〈元気になったと、いつものように笑ってくれ〉


 はは、カースが自動発動するレベルか。

 いやはや、そんなに心配してくれてたとは冥利に尽きるねえ。


「――――あれ?」


 何だ、何かが引っ掛かるぞ。


「……兄様の顔が変わりました」

「だねえ。多分、もう大丈夫だろう。スイッチが入った彼なら出来ないことなんてそうそうありはしない」


 しっくり来ないんだよな。

 何かが欠けてる? もしくは正しく捉えられていないような。

 俺は今、どこで、この感覚を覚えた。

 何が切っ掛けだった?


(伯父さんの言葉でカースが自動発……ああ、そういうことか)


 どうやら、随分と目が曇っていたらしい。

 下手に前情報があったせいだな。先入観だ、先入観があったのだ。

 そのせいでこんな単純なことすら見落としていた。


「しかし、俺の考えが正しいなら何で……」


 理由は何だろう?

 現在判明している情報を一つ一つ脳内で確認していく。

 そして、ある推測に辿り着いた。

 もしも、もしも俺の予想が正しいのなら……。


「ゾルタンだな」


 奴の全面的な協力が必要不可欠だ。

 今直ぐ連絡を取りたいが、アイツの住所も知ら――――


「――――僕がどうかしたのかい?」

「うぉ!? 何しに来やがったテメェ!!」


 集中してたせいで転移の予兆に気付かんかったわ。

 しかし、ホントにどうしたんだろう?

 明日の約束の時間まで顔を合わせることはないと思ってたんだがな。


「ひ、酷い言い草だな……まあ良いけど」


 こほんと咳払いを、ゾルタンは頭を下げた。


「ごめん……流石に今回の頼み事は無茶が過ぎたよね。

いやうん、しょうがない。あれはしょうがないよ。

これ以上は意味がないだろう? だから、明日からは行かなくて良い。

ああでも、お礼はさせてくれ。いや、迷惑料かな?

何かが望みがあるなら言ってくれ。それがどんなことでも、僕に出来ることなら何でもしてみせる」


 ああ、そういうあれか。

 もう四日目だもんな。

 同席して成り行きを見守ってたんだから、そう思うのも当然だ。


「分かってねえなあ。ああ、ホント分かってねえよゾルタン」

「カールくん?」

「イイ男の条件ってやつを知ってるか?」


 それはな、


「もう駄目だ。無理だ。そんな状況で華麗に逆転して見せることさ」

「! まさか……」

「ああ、見えたぜ。光明が」


 正しいという確信はない。

 もしも間違っていたのなら、更にクリスの心を傷付ける結果になるだろう。

 そうなりゃ……罪悪感も半端ねえだろうなあ。

 下手をすりゃ、クリスの親父さんから恨まれて何かされるかもしれない。

 話を持って来たのは向こうでも……こういうのは理屈じゃねえからな。


「……それでも、君はやるのかい?」

「自分が傷付く事も厭わない情熱でノックするから、心の扉は開かれるんだぜ」

「…………今、僕、排卵したわ」


 出来るわけねえだろ。


「そのためにもちょいと聞きたいんだが良いか?」

「勿論、何でも聞いてくれたまえよ」

「食材とか必要な日用品は転移で送り届けてるんだよな?」

「ああ、週に一度、玄関ホールにね」

「その時、本とかも届けてたりする?」

「本? いや、そういうのはないね」


 む、そうなのか。

 それなら……。


「まあ、御母君が存命の頃なら確実にリストに入ってただろうけど」

「……母親?」


「ああ、彼女の母君は大層な読書家にして蒐集家でねえ。

あの屋敷の書架は凄いよぉ? 一生かけても読み切れない蔵書量だもの。

だが量だけじゃなく質も良いんだよ。国立図書館にないような貴重な資料まで収められてる。

かと思えば市井の娘が見るような恋愛小説なんかもあったり。乱読家だったからねえ、彼女」


 ほう、ほうほうほう。

 成るほどねえ。

 ますます俺の推測が真実味を帯びて来やがったなオイ。

 だが、本だけじゃない。他に考えられるとしたらあれとかこれとか……。


「おいゾルタン、ちょっと耳貸せ」

「?」

「……で……を……に……出来るか?」

「で、出来るかどうかで言えば出来るけど、一体何のために……」

「いずれ分かる。それとも何か、従えないのか? 俺に全面的に協力するってのは嘘だったのか?」


 だとすればテメェ、ただじゃおかねえ。


「い、いやそういうわけじゃないが……う、うん。分かったよ。君の指示に従う。

君ほどの男が何かを見出したというのなら、それは確かなんだろう。なら、僕もそれを信じよう」


「それで良いんだ。ああ……もしっかり漁れよ? それっぽいのは根こそぎだ」

「う……か、かなり気が引けるけど……了解」

「明日の面会までには済ませておけ。良いな?」


 ゾルタンが頷く。

 結構結構。こればっかりは俺じゃどうしようもねえからな。

 やれるかどうかで言えば俺にもやれるんだろうが、時間がかかり過ぎる。

 その点、優秀な魔道士であるゾルタンならば明日までに仕事を終えてくれるはずだ。


「それじゃあ、僕は行くよ。準備もしておきたいからね」

「おう、任せたぞ」


 ふう……これで何とかなりそうだな。

 俺の推測が当たっているのなら、だけど。


「伯父さん」

「! な、何だ」

「ありがとね。伯父さんのお陰で活路が見出せたよ」

「…………よく分からないが、俺が力になれたのなら……何よりだ」




2.ロイヤルチャレンジ五日目(反撃開始)


 時間通りにやって来たゾルタンと共にクリスのお屋敷へ。

 ゾルタンの野郎は後ろめたそうな顔をしているが……まあそれも当然か。

 指示にはキッチリ従ったみたいだが、そりゃあ罪悪感の一つや二つは覚えるだろう。


(さて、どうかな)


 ゾルタンが何時ものように客間の扉をノックする。

 中からは少し沈んだ、どうぞという声が聞こえた。


「いらっしゃいませ、ゾルタン様。ベルンシュタイン様」


 あからさまに浮かない顔をしたクリスが俺たちを出迎える。

 カースのスイッチは入れていない。

 声は、聞こえない。


「こんにちはクリス」

「こんにちは、クリスさん」


 カースをONにする。

 やっぱり、声は聞こえない。

 もう、ほぼ確定で良いだろうこれは。

 俺はカースをONにしたまま事の成り行きを見守る。


「…………」

「あ、あの……クリス、どうかしたのかい?」


 そんな露骨にビクビクしてんなよゾルタン。

 お前には図太さが足りない。

 命令に従っただけだから俺は悪くないって開き直れば良いんだよ。

 悪いのは全部、カールくんですってな具合にな。

 お前がビクビクするもんだから、ほら、見てみろよ。

 クリスの疑惑が更に強まったみたいだぜえ。

 まあ、ぶっちゃけバレても何ら問題はないんだがな。


(でもゾルタン、とりあえずお前はもう口を開くな)


 視線でそう告げると、奴はコクコクと頷いた。


「……いえ、少し物盗りが入ったようでして」

「ほう、それはそれは」


 ドカッと椅子に背を預け足を組む。

 初日からは考えられないような礼儀を欠いた対応だ。

 でも、今日はこれで良いのだ。


「近頃、帝都も物騒ですからねえ。防犯には気をつけないと」


 ニヤニヤと笑う。

 この場面だけを切り取れば、俺は真性のロクデナシだろう。


「そう、ですね」

〈自分がやったと白状しろ、盗んだ物を今直ぐ返すと誓え〉


 おや、おやおやおやぁ?

 悲劇のご令嬢らしからぬ、粗暴な声ですねえ。

 これまでは帰ってくださいまし、なんて言ってたのにどうしちゃたのかなあ?

 怒りで内面を取り繕う余裕がなくなっちゃったのかにゃ?


(ま、何にせよ確認はこれで済んだと見ても良いだろう)


 カースをOFFにする。


「おや、今気付きましたが……テレビがなくなってますね。盗まれたので?」

「……ええ」


 昨日まで客間にあった、最新型のデケエ魔法テレビが消えていることを指摘。

 するとどうだ、クリスの眉間に皺が寄っていくではないか。

 憂いを帯びていたはずの瞳にも剣呑さが見えてるぜ。

 駄目だなあ、駄目じゃないかクリスちゃん。

 猫の被り方が甘いぜ。アンヘルを見習えよ。アイツはすげえ女だぜぇ?


「魔法家電狙い、ですか。こんなお屋敷に忍び込んでまた、妙な物を盗む」

「……魔法家電狙い、ではないかと。他の物も盗られているので」

「へえ、他の物も」


 大仰に驚く。

 隣でハラハラしているゾルタンの足を踏み付ける。

 今良いところだから邪魔すんじゃねえよ。


「例えば、書架に収められている書籍が丸ごと盗まれてたり?」

「…………ベルンシュタイン様」

「はい、何で御座いますでしょう」


 ヘラヘラと笑いながら答える。

 自分でやっといて何だがこの舐めた敬語もどき、殴りたくなるな。


「何か、御関与されておられるので?」

「はぁ!? おいおいおいおい! いきなり何ですかぁ? 酷い言いがかりだなぁ!!」


 バッと両手を広げ、さも心外ですという顔をする。

 舐めきった態度と今日のために用意したチンピラファッション(紫スーツにド派手な赤シャツ、グラサン)。

 二つが相まって今の俺、最高にクソ野郎をやれていると思う。


「あーあ、やってらんねえっすわ。無実の罪を擦り付けられて……カール、心外」


 カール、ショックぅ。


「……え」


 隣のゾルタンから唖然としたような呟きを漏らす。

 まあ、それも当然だろう。

 何せ今のクリス、心に傷を負ったご令嬢とは思えないツラしてるからなあ。

 憂いを帯びた瞳は苛立ちも露に瞳孔ガン開き。

 怒りを少しでも隠そうとしているが隠し切れず頬は引き攣っている。

 俺よりもクリスを知るゾルタンからすればこんな表情は”あり得ない”んだろうねえ。


(しかしまあ、あっさり剥がれたな)


 いやだが当然か。

 対人経験少ないだろうしな。

 そうと見えるような皮は上手く纏っていたようだが、それを維持出来るだけの土壌がない。

 ちょぉっと煽ってやれば、直ぐに剥がれちまう。


「ったく」


 もう十分だ、ここらでチェックと行こう。


「――――これだから怠惰な引き篭もり娘は嫌いなんだよ」

「ッ!?」


 あからさまに動揺するクリスと間抜け面を晒すゾルタン。

 後者は俺が何を言っているのか本当に意味が分からないんだろう。


(そもそもからしてなあ、おかしかったんだよ)


 俺のカースの特性を思い出せ。

 必要な時以外はOFFにしてるカースが自動で立ち上がる条件は何だ?

 強い感情の発露だ。

 そうなると、なあ、ありゃ一体どういうことだ?

 初日、怒涛の帰れコールに心折れそうになって俺はカースをOFFにした。

 するとどうなった? 声が聞こえなくなったんだよ。


 なあ、これっておかしくねえか?


『怖い、人の目が怖い……そう告げた、あの子の顔は……今も忘れられない……』


 ゾルタンにそう言わしめるような人間がだぜ。

 強く拒絶の心を見せないってのはおかしいだろう。

 カースをOFFにしてようがガンガン帰れコールが鳴り響いている方が自然なんじゃねえか?

 なのにそうはならなかった。

 つまりどういうことだ?


 ――――コイツは別に心に傷なんざ負っちゃいねえんだよ。


 母親が目の前で自殺したっつーけどよお。

 それもよくよく考えてみるとな。

 クリスのお袋さんは随分と追い詰められてたようだ。

 それこそ、クリスが生まれた時から余裕はなかったんだろうよ。

 その辺をゾルタンは言及してなかったが、

 真っ当に子供と接することが出来る精神状態ではなかったんじゃねえの?

 ほぼ接点がなかったんだと俺は見てる。


 というのも、だ。

 ゾルタンの話を聞く限りクリスの母親は随分と出来た人間っぽい。

 そんな彼女のことだ。

 余裕のない状態で娘と接していたらこの子を傷付けてしまうのかもとでも考えたんじゃねえかな。

 クリスに罪はないが、お袋さんのことを考えると八つ当たりしても不思議じゃないもの。

 だから接点は皆無だと判断した。

 同じ屋敷に住んでても接点がないのならそりゃもう、


(他人と変わらんだろう)


 そんな奴が目の前で自殺したから何だってんだ。

 そりゃあショックは受けるだろうさ。

 だが心に深いを傷を負っていたのなら。

 ゾルタンの話を聞いて万人が想像するような道を辿っていたならさあ。

 心は常時悲鳴を上げてて当然なんだよ。

 そして俺のカースはその悲鳴を俺の意思に関係なく拾い上げちまう。


(それこそ、アンヘルやアーデルハイドのようにな)


 俺はまずカースをOFFにした状態で声が聞こえないことに疑問を抱いた。

 これはどういうことだろうってな。

 それに理屈をつけたら心に傷を負ってないんじゃね? という仮説に辿り着いた。

 衝撃が大き過ぎて逆に不感症になっちまったっていう可能性もあったが、

 もしそうなら帰れというのも妙だ、他人の存在そのものがどうでも良くなる方が自然だろう。

 じゃあ何のためにコイツは人を遠ざけてんだと考え、更なる仮説を立てた。


「なあオイ、お嬢さん。悲劇的な背景を利用してぬくぬく引き篭もる生活は楽しいか?」

「な、何を……」


 コイツ、ただ単に悠々自適な引き篭もりライフを送りたいだけじゃね?

 そのための大義名分に自身の背景を利用してんじゃね?

 というのが第二の仮説。


 いやまあ、人嫌いなのは本当なんだろうがな。

 クリスの生い立ちを考えれば周囲の人間の視線は決して愉快なものではなかったろうし。

 普通は対人恐怖症に陥っててもおかしくはないだろう。

 たが、コイツは周りが想像する以上にタフだったのだ。

 他者を恐れるわけでも、心底から嫌悪するでもない。

 煩わしい存在だという程度にしか認識してないのだと思う。


「もう良いって。取り繕うなよ。その反応を見りゃ分かるんだからさあ」


 とはいえ、だ。所詮は仮説。確信には至らない。

 そのために俺はゾルタンに指示を出した。

 書架にある全ての本、テレビ……要は暇を潰せそうな物品だ。

 思いつく限りのものをリストアップしそれを根こそぎ奪わせたのだ。

 その上で今日、反応を窺って仮説が正しいかどうかの見極めをしようと考えたわけ。

 結果はまあ、ご覧の通り。俺の仮説は正しかったってわけだ。


「そ、そんなまさか……だ、だって……」


 ゾルタンはわなわなと震えている。

 よっぽど、目の前の現実が信じられないのだろう。


「現実を見ろよゾルタン。この様子を見ても、まだあらぬ幻想を抱き続けるのか?」


 心に深い傷を負った悲劇の令嬢なんざどこにも居やしないんだよ。

 あーあ、すっかり騙されたぜ。

 でもしょうがないよな。

 最初にあんな背景を聞いてれば勘違いもするさ。

 おかしいのはむしろ、クリスの方なんだよ。

 お嬢様の癖にメンタル強過ぎ……あ、いやそうでもないか。

 俺の知ってるお嬢様二人もアレな感じだし。


(……一度ぐらい、真っ当なお嬢様に会ってみてえなあ)


 男の幻想通りのお上品で優しいお嬢様。

 一度で良いからお目にかかってみたいものだ。


「う、ぐぅ……こんな……こんなことが……」


 クリスも最早、言い逃れはできないと悟ったのか。

 悔しそうに項垂れている。


「ま、何だ。このことは俺とゾルタンの胸に仕舞っておくからよ。

とりあえず、お父ちゃんに顔を見せて安心させてやんな。

そんでまあ、その後のことは……あー、ゾルタン?」


「ああ、僕に任せてくれ」


 外に出られるようになったとしてもだ。

 複雑な立場が変わるわけじゃねえからな。嫁入りも難しいだろう。

 でも、それを考えるのは俺の領分じゃない。

 話を持ってきたゾルタンと、父親の仕事だろう。


 これで一件落着。そう思っていたのだが、


「…………やだ」


 どうやらまだ終わりではないらしい。


「やだやだやだやだやだぁあああああああああああああああああああああああ!

小生、外に出ない! 働きたくない! 一生、引き篭もって怠惰な暮らしをするぅううううう!!」


 うーむ、清々しいまでのゴミだな。

 いやまあ、貴族なんだから別に問題はないのだろうけど。


「甘やかせよ! 私、可哀想でしょ!? 同情しろよ! 優しくしろよ!!」


 少なくともそんなことを言う奴に優しくするつもりはない。

 確かに可哀想な生い立ちだけど、お前殆ど気にしてねえじゃん。


「何はなくても全面的に私を甘やかすのが仕事でしょ!? ふざけるな!!」


 お前がふざけるな。


「家事はやってんだから十分だろ! 専業主婦と同じじゃん!!」


 夫の面倒もガキの面倒も見てねえだろ。

 世の専業主婦に謝りたまえ。


「…………あ、あー……カールくん……その、もう十分だし……」


 ああはい。

 ここから先はそっちでやってくれるんですね。

 いやまあ、心の傷が嘘っぱちだと分かった以上はね。

 別に俺じゃなくても問題ないからな。


 ゾルタンに促され一緒に客間を後にする俺だったが、


〈……――――!!!!〉


 扉が閉まる瞬間、俺は確かに聞いた。

 その叫びを、確かに、聞いた。


「……お疲れ様カールくん。何と言うかその……あー……」


 廊下を歩きながら言葉を探すゾルタン。

 だがまあ待て。ちょっと待て。


「まだ仕事は終わっちゃいないぜ」

「え」

「も一つ、お前にやってもらいたいことがある」


 それが終わってようやく、この頼まれ事はグッドエンドを迎えるのだ。

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