帰省⑥

1.夏の終わり


 帰省二日目にしてジジイとの殺し合いという、

 朝からステーキの山を喰うにも等しい胃もたれイベントがあったものの、以降は実に平穏だった。

 思い出の場所の案内を頼まれたり、ダンジョンを冷やかしてみたりと、まったり過ごすことが出来た。


 ダンジョンアタックはまったりじゃなくね?

 と思うかもしれないが、よくよく考えてみて欲しい。

 規格外の魔道士二人が居るんだぞ。

 入り口の時点でマッピング完了、モンスターとエンカウントしても自動迎撃魔法で殲滅。


(正直、幼稚園児を引率して行っても楽勝だったろうなあ)


 ま、そんなこんなで楽しい帰省はあっという間に過ぎて行った。

 明日には転移で戻る予定だが……最後の最後にイベントが一つ。

 そう、今夜は夏祭りがあるのだ。

 街が活気付いているからだろう、例年よりも規模が大きくなっている。

 出店の数も多いし、親父が言うには花火もド派手なものになるそうな。


「あ、おっちゃん。串焼き十本な。タレと塩、半々で」

「あいよ!」


 で、俺は今、出店で買出しに赴いている。

 四人で祭りを回るのもそれはそれで楽しいが……ちょいと騒がし過ぎる。

 なので祖父さん宅の屋上で出店の食い物を食べながら花火を観ようということになったのだ。


「しかし兄ちゃん……凄い量の荷物だが……それ、全部食い物かい?」

「おうよ」


 天高く詰まれたパックの山。

 これ、ぜーんぶ食べ物だ。

 傍からは危なっかしく見えるかもしれないが俺のバランス感覚を舐めるなよ。

 皿回しをしながら玉乗りだって出来るぜ俺は。


「…………宴会でもすんの?」

「いや、宴会ってほどでは……俺含めて四人だし」


 一応、親父やジジイなんかも誘ってみたんだがな。

 親父は運営側で忙しいし、ジジイに至っては若返りの反動で未だ寝込んだまま。

 結局、何時もの面子になってしまった。

 ああいや、何時もの面子というには二人足りないか。

 何時もは何だかんだシャルと伯父さんも一緒だしな。


「明らかに量が多過ぎると思うんだが……」

「大丈夫大丈夫」


 女子三人はちょこちょこ広く浅く摘まむ程度だろうが、

 俺はその気になれば幾らでも食べられるしな。

 それに、ジジイとの戦いがまだ尾を引いてて消耗してんだよ。

 食って寝てを繰り返さないといけないから、どうしても一回の食事量も多くなるのだ。


「それなら良いんだが……はい、お待ち」

「ありがとよ」


 ふむ、屋台は大体制覇したしそろそろ帰るか。


(賑やかやのう)


 祭りの喧騒を楽しみながら祖父さん宅に向け歩き出す。

 こうして歩いていると、改めて街が変わったことを実感させられる。


(ちょっと寂しいな)


 絡んで来たチンピラを蹴り飛ばしながら、ちょいとセンチに浸る俺なのであった。


「父ちゃんが帰ったよー……っと」

「……兄様、せめて玄関から入って来てください」


 扉開けるのも面倒だったから外壁蹴って屋上に上がったんだが、庵に叱られてしまう。

 確かにちょっと行儀が悪かったな。反省反省。


「うわ、いっぱい買って来たねえ」

「おうさ。多分、屋台全部網羅したと思うぜ」


 どさどさとテーブルの上に戦利品を置いていく。

 事前にテーブルを複数用意させていて正解だったな。

 一つじゃとても収まり切らん。


「ふう……っと、ありがとよ」


 デッキチェアに背を預けたところで、さっとジョッキが差し出された。

 中身はキンキンに冷えた麦酒だ。定番だな。


「っかぁああああああああああああああっっ……!!」


 グビっと、半ばほどまで飲み干す。

 しゅわしゅわとした炭酸と麦の苦味が体内に広がっていく。

 大人は何でこんなもんを美味しそうに飲んでるんだと前世では疑問に思ってたんだがな。

 うん、やっぱ実際に飲んでみなきゃ分からんわ。


(……二十歳になる前に死んじまったからなあ)


 まあ、生まれ変わってもまだ二十歳になっちゃいねえんだがな。

 でもこっちは十五が成人だからな、酒だって合法だ。


(うーむ、空きっ腹が刺激されやがるぜ)


 気をマジックアームのように使い串焼きを取り寄せ、齧り付く。

 甘辛いタレがたっぷりかかった鳥モモの串焼き。

 もう、脂がね、脂がすっごいの。

 噛んだ瞬間にじゅわわわ! って肉の旨味やタレの味と一緒に口内を蹂躙しやがるんだよ。


「んぐッ」


 雑に噛んで飲み込む。

 しっかり噛んだ方が良いのは分かってるが、身体がさっさと肉を寄越せって言うんだもん。

 で、でだよ? この脂っぽくなった口にね? 麦酒をね? グーッ! と流し込むの。

 ハァーッ! スッキリ爽やか!!

 よっしゃ、次は塩やな。


「……ねえ、カールくん」

「あん?」

「その、さ。結局、何でエリアス……さんと殺し合ってたの?」


 少し躊躇いがちにアンヘルが問う。

 少し間が空いてさんを付けたのはジジイの好感度が急降下したからだろう。

 どんな事情があれ、俺に手を出したわけだからな――愛が重いぜ。


「何か深い事情があったみたいだからさ、聞いて良いのか分かんなかったけど」

「我慢できなくなったと」

「うん」


 正直、このままスルーしてくれてた方がありがたかったんだが。

 庵やアーデルハイドも言葉にはしないが、知りたいって顔してるしなあ。


「まー……何つーかなあ」


 二本目の串焼きを齧りつつ思案する。

 うん、タレとはまた違う良さがあるな。

 タレがじわぁ……と口の中で美味しさが広がっていくとするなら、塩はキュっと美味しさが締まる感じ。


「ジジイはな、昔から俺のこと怖かったんだって」

「…………ヴォルフ氏がカールさんを?」

「兄様より、ずっとずっと強かった……はずのエリアスさんが?」


 腑に落ちないって感じだな。

 っていうか庵、強かったはずって……。

 俺がジジイと互角以上に渡り合ってるのを見てそう思ったんだろうが、あれドーピングだぞ。

 邪法も解除されたし今はもう無尽蔵に気を捻出することは出来ない。

 まあ、後遺症なのか以前に比べると総量と出力も増えたけどな。


「恐怖を抱く相手に何で格闘術を教えたりしたの?」

「選択肢を増やすため、そして枷を嵌めるため……だそうだ」


 俺は正直、今でもピンと来てないが、


「ジジイ曰く、分かり易い力を持たない俺が一番怖いんだとさ」


 今の俺と、ジジイに教えを授かる前の俺がそのまま成長したとして、だ。

 後者の方が恐ろしいってのはどうにも納得が出来ん。

 形振り構わない怖さってのは確かにある。

 だがな、何でもするつもりがあってもそれが成功するとは限らんしな。

 前世のことを考えてもそう。

 俺がこのままの状態でやり直したとすれば、最期に死ぬことはないだろう。

 楽に事を成し遂げられるはずだ。

 あ、いや……あの糞野郎は無理か。

 だが取り巻きの糞どもは正面からぶち殺せるだろう。


「兎に角、俺の人格に少々難アリってことで見極めようとしたのよ」


 ザックリとした説明だが、これで納得してもらおう。

 ジジイの説明をそっくりそのままするわけにはいかんしな。

 何せジジイの言を信じるなら、コイツらも原因の一端ってことになるし。

 それで変に罪悪感を抱かれでもしたら、申し訳ないにもほどがある。


「…………兄様の見極めは、良い方向に終わったんですよね?」


 説明不足だから納得はできてないんだろうな。

 でも、これ以上は話してくれないのも分かってる。


「おう、だからもうあんなことは起こらんよ」

「それなら、良い……ってことにしておこうかな。うん」


 うん、そうしといてくれ。


「……ごめんね、楽しい気分に水を差しちゃって」

「いや、良いよ」


 申し訳なさそうな顔をするアンヘルを手で制する。

 俺も三人の気持ちは分かるので強くは言えん。

 仮に真逆の立場なら……あー、俺ならジジイの方を問い詰めてたな。

 うん、コイツらが理性的で助かったよ。


「あ、空になってますね。御酌します」

「おお、すまんな」


 空気を換えるためだろう、庵が酌をしてくれた。

 俺も援護射撃するかね。


「なあアンヘル」

「ん?」

「俺は今年帝都に来たばっかだから知らんけど帝都では夏祭りとかないのか?」

「小さいのなら、幾つかあったような気がするけど」

「大規模なのはないのか?」


 華の帝都だってのに意外だわ。


「うん。大きいお祭りは秋に控えてるからね。

収穫祭と、冬に向けての最後の馬鹿騒ぎって名目で大規模なお祭りが開かれるんだ。

まあ、前者はともかく後者はホント、名ばかりだけどね。

だって冬でも新年のお祝いに、って派手なお祭りやってるし」


「へえ」


 そういや、春は春で天覧試合の影響で祭りみたいになってるからな。

 そう考えると、夏は小休止ってことなのかもしれん。


「兄様兄様、私たちもお祭りでは出店をしたりすると思いますか?」

「いや……それはどうだろうなあ」


 期待してるとこ悪いけど、伯父さんぞ?

 他の飲食店は出張で屋台出したりするかもだが、うちのボスは伯父さんぞ?

 あの面で屋台で黙々料理作ってる光景想像してみろよ。客が寄りつかねえわ。

 バーレスクは常連さんの寛容さに支えられたお店で一見さん受けはしないのだ。


「ですが、マスターさんも内心ではやりたいと思ってるかもしれませんよ?」

「そうそう。カールくんと一緒なら、って考えてたりするんじゃないかな」

「ふむ」


 そう言われると、そんな気がするな。

 まあ、伯父さんがやりたいっつーなら協力しようじゃねえか。


「そうだ、もしやるんならお好み焼きの屋台とか良いかもな」

「名案です! それなら私と兄様でも出来ますからね!」

「ああ、伯父さんが祭りを楽しむ時間も取れるだろうさ」

「そういうことなら私も手伝いますよ」

「勿論、私も。それと、出来るならシャルさんにお祭りデートとかを楽しんで欲しいかな」


 そうだな、多少はフォローしてやっても良いかもな。

 まあそのフォローを活かせるかどうかは甚だ疑問だが。


「「「「あ」」」」


 飲み食いしながらお喋りに興じていると、夜空に大輪の花が咲く。

 ようやっと花火が始まったようだ。


「うわあ」


 一発、二発、次々に色とりどりの花が咲いていく。


 キラキラと目を輝かせ花火に見蕩れる庵。

 そこまで心を奪われてはいないようだが、頬が緩んでいるアンヘル。

 うっすらと笑みを浮かべ夜空を眺めるアーデルハイド。

 そんな三人の横顔を眺め、何だか嬉しくなる俺。


(…………良いな、こういうのって)


 去年までの花火。

 ティーツやクロス、ヴァッシュと馬鹿騒ぎしながら見る花火も十分楽しかった。

 だが、友達と見る花火とはまた違う良さがあると思う。


(でも、ちょいと寂しいか)


 まだまだ暑い日は続くだろう。

 だが、この花火を見てると夏も終わりかあ……って気分になるのだ。

 けど、季節はまた巡ってくる。

 来年もまた、皆で一緒に花火を見よう。


(――――ずっとこんな日が続きますように)


 なーんてな。



2.忍び寄るフラグ


 カールらが花火を楽しんでいる頃、

 ゾルタンは精一杯めかしこみ宮殿を訪れていた。


「陛下の愛の奴隷、ゾルタン・クラーマー、ここに」

「うむ、前半はスルーしよう。よくぞ参った、ゾルタン」

「陛下のためなら火の中水の中。でも、お嬢様方の喧嘩の中に割り込むのはご勘弁」


 ガチで死んでしまうから。


「それほどか」

「ええはい、帝国始まって以来のイカレタ魔道士ですし、あの二人」

「余の可愛い娘二人をイカレタとか言うでない」

「ああいえ、悪口ではありませんよ? むしろ褒め言葉です」


 アンヘルとアーデルハイド。

 共に性格に難あれど、魔道士としては素晴らしい実力を備えている。

 彼女らが魔道士として開花する一助となれたことは教師として無上の喜びだ。


 まあそれはそれとして姉妹喧嘩の中に突っ込みたくはないけれど。


「……二人は、日々健やかに過ごしておるか?」

「それはもう。イカレてんじゃねえかってぐらい元気ですよ」

「父親の前でイカレてるとか言うな」


 若干、ゾルタンのテンションがおかしいと思うかもしれないが、よく考えて欲しい。

 好きな人の前で浮かれてしまうのは自然な流れではなかろうか?

 教え子を伴っている時なら教師としての誇りが背筋を正してくれるが今日は一人だけ。

 存分に、胸ときめかせることが出来るのだ。


「はあ……カール・ベルンシュタイン。感謝してもし切れぬわ」

「彼は別に感謝なぞ求めてはいませんよ」

「だろうな。しかし、親としては感謝の気持ちを伝えたく思うのは当然よ」

「孤児院をお作りになったではありませんか」

「その金はあ奴のものだし、そもそも福祉の充実は為政者の仕事であろう」


 とはいえ、だ。

 幾ら感謝の気持ちをと言ってもそれは難しいだろう。

 そもそもからしてカールはアンヘルとアーデルハイドが皇女であることすら知らないのだ。

 身元を偽って感謝の品や金銭を、というのなら分かるが……。


(陛下は直接感謝を伝えたいだろうしねえ)


 だが流石のカールも皇帝の顔ぐらいは知っている。

 というか、天覧試合でアホな問答を交わしていた。

 皇帝が姿を偽るという選択もあるが、


(陛下の性格を考えるとなあ)


 まずあり得ない。

 そして素顔で相対するのはもっとあり得ない。

 アンヘルやアーデルハイドは自らの立場をカールに知られることを忌避しているから。


「いっそ」

「?」

「――――コイツをくれてやろうか」


 心底愉快で堪らない、そんな笑顔を浮かべ玉座を小突く皇帝。

 ゾルタンはギョっとした。


「へ、陛下……」

「冗談だ、冗談だよゾルタン。真に受けるでないわ」


 クツクツと喉を鳴らす皇帝。

 その瞳の向こうには形容し難い感情の色が宿っていた。


「…………余が譲り渡したのでは意味がないからな」


 ぼそりと漏れた言葉は幸か不幸か、ゾルタンの耳に入ることはなかった。


(……陛下は、陛下は一体何を考えておられるのか)


 娘二人に散々ディスられている皇帝。

 確かに彼女らの言葉は正鵠を射ている。

 皇帝のこれまでの行動をなぞれば、言い訳は難しい。

 しかし、ゾルタンは腑に落ちなかった。

 教え子二人よりも皇帝と長く関わって来たからこそ思う。


(家庭を築いたこと、老い、そのようなもので鈍るような御人ではないだろう)


 今の複雑怪奇な宮廷事情。

 アンヘルとアーデルハイドは面倒なことになるから皇帝は静観していると見ているが、

 ゾルタンの見解は違う、皇帝ならばこの状態からでも上手く舵を取れるはずなのだ。


(心根が歪んだ、国への愛情が薄らいだ――ってんなら納得出来るんだけどね)


 だがそれだけはあり得ない。

 愛する男が堕落したなら、直ぐに分かる。

 恋は盲目と言うが、惚れた部分が曇ったのならば乙男センサーは即座に反応するはずだ。


(むしろ、年々トキメキが強く……)


 ゾルタンの脳内が桃色に染まっていく。

 それを知ってか知らずか、絶妙なタイミングで皇帝が再度口を開いた。


「ところで、だ」

「! な、何でしょうか」

「そなたに一つ、頼みたいことがある。いや、正確にはそなた”ら”にか」

「ら?」

「余も良い齢だ。この先、何が起こるか分からん」

「またまたご冗談を」


 頼まれずとも魔法で定期的に皇帝のメディカルチェックをやっているゾルタンが笑う。


 ちなみに、ゾルタンの仕事は研究所の所長と皇女二人の家庭教師だ。

 皇帝のメディカルチェックなどは専用の人員が行っている。

 というか、定められた者以外がやってはならないことだ。

 つまり自主的にやっているということは……まあ、何だ。

 常識人ぶっていてもゾルタンはアンヘルの師匠なのだ。


「病気の陰どころか……おや? 陛下、太りましたか?

ああでも、これは脂肪じゃありませんね。筋肉ですか。いやはや、ナイスバルク」


「……」


 皇帝の表情が酷く微妙なものに変わる。

 このような顔をするのはレアケースだろう。


「まあ、それはともかくとしてだ。磐石な人生など望めるようで望めぬもの。

皇帝たる余であってもそれは同じこと。ゆえ、少しでも気がかりを減らしておきたくてな」


 皇帝が軌道修正を図る。

 ゾルタンも、それを理解したのか少しクールダウンし大人しく耳を傾ける。


「そこで、そなたらの力を借りたいのだ」

「……臣としては単刀直入に申して頂けますと、ありがたいのですが」

「――――クリスのことだ」


 その瞬間、ゾルタンの顔がこれでもかというほど引き攣った。

 この先の展開が読めてしまったからだ。


「く、クリス様ですかあ」


 クリスティアナ・プロシア。

 アンヘルやアーデルハイドにとっては末の妹ということになるのだが、

 この皇女、ある意味ではアンヘルやアーデルハイドよりも複雑な立場にある。

 理由としては二つ。


 一つ、クリスと同じ胎から生まれた姉、エリザベートのこと。

 過去、実父である皇帝の暗殺を目論み、

 今や世界に名を馳せる大悪党となった姉が居るという時点でもうキツイ。

 せめて腹違いであったのならば……と言わざるを得ない。


 そして二つ目の理由。これがまた致命的だった。

 クリスは皇族に生まれながら”魔法が使えない”のだ。

 才能の有無ではない。根本的に魔法の使用が不可能なのだ。

 魔法大国であり、皇帝の就任条件にすら魔道士としての資質を問われる帝国。

 その帝国の皇族に生まれながら微塵も魔法を使えないというのは非常にまずい。


(クリス様を……いや、気持ちは分かるけど……)


 帝国の長い歴史を振り返ってみても魔法が使えない皇族はクリスだけ。

 口さがない者は皇妃が不貞を犯したのではないかと平然と口にしていた。

 無論、そんな事実は一切ない。皇妃たっての願いで調べてみたがクリスは皇帝の実子であった。

 だが無責任な噂はそれにすら難癖をつけるほど。


 皇妃はもう限界だった。

 ただでさえ自分の生んだ娘二人について苦悩を抱えていたのだ。

 最早耐えられぬと皇妃は幼いクリスの目の前で自ら命を絶ってしまった。

 皇妃も可哀想だが、もっと可哀想なのはクリスだ。

 姉は大罪人、母は自らのせいで自殺。

 幼い少女に耐えられるわけがない。

 クリスは一度も表舞台に立つことなく、屋敷に引き篭もったままでいた。

 親として皇帝が気にかけるのも当然だろう。

 いや、親でなくとも真っ当な良識を持つ大人なら何とかしてあげたいと思うはずだ。


「へ、陛下……陛下のお気持ちは重々承知しています。ですが……」


 自分は、まだ良い。

 アンヘルやアーデルハイドのように教師と教え子という関係ではないものの、

 そこそこの期間クリスと関わったので会うことぐらいは出来よう。


「――――クリス様がカールくんに、会ってくれるとお思いで?」


 皇帝はアンヘルとアーデルハイドの心を溶かしたカールに期待を寄せている。

 彼ならばクリスも、と思ったのだろう。

 だが、そもそもからして対面させることすら難しい。

 クリスがバーレスクに赴くのはまずあり得ない。

 ならばカールが出向くしかないのだが、クリスが初対面の人間に会おうとするわけがない。


「クリス様がひとりきりで居ることを強く望んでおられるのは陛下もご存知でしょう?」


 皇族でありながら一人で暮らすため家事すら覚えてみせたのだ。

 無論、皇族ゆえ完全には一人になれない。

 屋敷の外には護衛が配置されているが、内側は完全に彼女だけ。

 食料や衣類は転移魔法で送り届けていて外には一切出ようとしない。


「余がクリスに頭を下げれば良いだけの話だ」

「ッ! そ、それは……いや、確かにそれなら目通りは叶うでしょう。しかし……」


 ゾルタンの言葉を皇帝が手で制す。


「カールには皇族であることはぼかし、伝えられるだけのことは伝えろ。

その上で、彼の指示には全て従え。さすれば……何かが変わるやもしれん」


 これは決定事項、ということなのだろう。


「……分かりました。何とか、お願いしてみましょう」

「うむ、頼んだぞ」

「それでは陛下、僕はこれで」


 挨拶もそこそこに彼は転移魔法を発動し、自身の研究室へと帰還した。

 何時もなら何をしてでも皇帝との甘い時間(主観)を引き延ばしていただろう。

 だが、今の彼にはそんな余裕すらなかった。


「…………ど、どうすりゃ良いんだあ」


 頭を抱えるゾルタン。

 彼の脳裏にはアンヘルとアーデルハイドの顔が浮かび上がっていた。


「か、彼に接触しようとすれば……まず間違いなく問い詰められる……」


 ちょっと相談があるんだけど。

 カールにそう持ち掛けた瞬間、事の次第を問い質されるだろう。

 正直に話さない、という選択肢はない。

 嘘を吐こうとすれば、その瞬間に全面戦争待ったなしだ。


 ゾルタンは知っている。

 愛を知った二人がすっかり短気になってしまったことを。

 カールに害を成す可能性が僅かでもあるなら、師ですら躊躇いなく手にかけることを。


「い、いやだが二人も人の子。妹のためならと言えばワンチャン……あ、ねえな」


 クリスの救済はカールでも難しいのではと思っている。

 だが、一方で彼ならばとも期待してしまう。

 問題なのは何とかなってしまった場合だ。

 もし、もし、クリスが彼に恋をしてしまえば?

 馬鹿げていると思うかもしれないが、前例は二つもあるのだ。

 むしろ、恋する可能性の方が高い。

 自分をどん底から救いあげてくれた良い男、惚れてしまうのも無理ないだろう?


「僕だって陛下が居なければ、クラっと来てただろうに」


 怖いのは想像が現実のものとなった時だ。

 アンヘルとアーデルハイドは、現状を受け入れている。

 だが好んで新しい女が追加されるのを良しとする性格ではない。

 むしろ、全力で邪魔しに来るはずだ。

 クリスとの対面をさせまいと何でもするだろう。


 もしこれがクリスでなければ話はまた違う。

 クリスとの対面を邪魔するのは単純な嫉妬だけではない。

 嫉妬もあるが、それ以上に関係を持った皇女を増やすことの危険性。

 そこを問題視しているのだ。


「ぐぐぐ……だ、だが陛下のお願いは断れないし……」


 ゾルタン・クラーマーの苦悩は続く……。

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