老婦人のお願い①

1.伯父さんの成長


「……う……むぁ…………」


 何とも言えぬ呻き声を上げながら、のそりと起き上がる。

 寝起きのせいだろう。

 ただでさえ愛想のない顔はマイナスを突っ切って地獄レベルの陰気臭さに突入している。

 が、ラインハルトは一人暮らし。

 幸いにして地獄の面を拝む不幸な者は誰一人として居なかった。


「く、くそぅ……」


 甥の前では絶対吐かないような悪態。

 別段、何か嫌なことがあったわけでもなく朝は大体こんな感じなのだ。

 ラインハルトは全てを憎むような瞳のまま、水差しから水を呷った。

 冷蔵庫に入れておらず、季節もあって酷く温い。

 だが不思議とこれで覚醒が始まるのだ。


「…………ふぅ」


 気分が落ち着いたところで寝台から降り洗面所へ向かう。

 温かろうが水で顔を洗えば大概は完全に目が覚める。


「…………髭」


 顔を洗い、歯を磨いたら次は髭剃りだ。

 うっすらと生えている程度だが、こまめな手入れが肝要だ。

 しっかり髭を蓄えるつもりがないなら、さっぱり刈り取らねば。

 飲食店を経営している以上、身嗜みには気をつけねばならないのである。

 ただでさえ陰気なのだから、この上無精髭まで生やして不潔感を追加するわけにはいかないのだ。


「……うむ……こんなものか」


 鏡を見て親しい人にしか分からないであろう微かな笑みを浮かべるラインハルト。

 満足げに一度頷くと洗面所を後にする。


「…………もう、半年以上経ってるんだな」


 朝食(時間的にはもう昼だが)の準備をしようとしたところで、ふとカレンダーが目につく。

 甥のカール・ベルンシュタイン。

 彼がやって来たのが一月の半ばで今は八月。


「……驚くほど馴染んでいるな、アイツ」


 カールが居ない時間の方が長かった。

 だというのに今はどうだろう?

 カールが居ない生活というのは考えられなかった。

 自分だけでない、バーレスクに来てくれる常連の皆さんもそうだ。


「……やっぱり、カールは凄いな…………」


 新しい環境に溶け込むというのはとても難しいことだと思う。

 だがカールは何なくそれをこなせてしまう。

 するりと輪の中に入って、

 気付けばそこに居るのが当たり前だと思うほどに馴染めてしまう。

 ラインハルトは心の中で師匠と敬うぐらい、カールのコミュニケーション能力を尊敬していた。


「親父やハインツも似たようなものだったが……」


 あの甥は二人を凌駕している気がしてならない。

 この間もこんなことがあった。


『お兄さん。ひょっとしてカールさんの身内だったりしますかい?』


 備品の買出しに出かけた際、いきなり見知らぬ男に声をかけられた。

 どう見てもカタギではない男に、ラインハルトは内心かなりビビっていた。

 ビビりながらもそうですと答えると、


『おお! やっぱりそっくりだと思うたんですわ。

買出しですかい? ほなら、ここはわしが持たせてもらいますわ』


 遠慮したものの、カールには世話になっているからと押し切られてしまった。

 これは大丈夫なのか?

 と思い帰って直ぐにカールに事の次第を話したのだが、


『大丈夫だよ伯父さん。そいつは付き合っといて損はないタイプの筋者だからね』


 とのこと。

 何でもカールが言うにはそのヤクザはカタギに好かれ、必要とされるタイプの者らしい。

 そういう位置に収まれるアウトローは人格的にも能力的にも信を置けるのだと言う。


『え? どうやってそんなのと知り合ったかって?

深酒してた野郎に絡まれてボッコボコにしてやったのが切っ掛けだったかな』


 開いた口が塞がらないとはこのことだろう。

 そんな切っ掛けでありながら、何故仲良くなれるのか。

 件のヤクザ者だけではない。

 男、女、老人、子供、兵士、冒険者、主婦。

 性別も年齢も職業も違う人と知らぬところで友誼を結んでいる。


「……そのお陰か……俺も街や店でも声をかけられることが多くなったんだよな……」


 自分ではイマイチピンと来ないのだが、

 他人様から見れば自分とカールは一目で血縁だと分かるほど似ているらしい。


「ああだが……昔も似たようなことを言われたな……」


 カールの父、ハインツとそっくりだと。

 だがラインハルト自身は、やっぱりピンと来ないのだ。

 弟にせよ甥にせよ、溌剌とした魅力ある男ぶりをしている。

 自分のような陰気極まる男とは似ても似つかない。


「…………なのに……」


 カールとほぼ同時期に関わるようになった女性の姿を思い出す。

 シャルティア・カスケード――本名、シャルロット・カスタード。

 言わずと知れた流浪の騎士。

 世情に疎い自分ですら知っているようなビッグネームだ。

 そんな有名人が足繁くバーレスクに通っていたのも驚いたが、


「……何故、俺なんかに惚れているのか…………」


 理由は聞いた。

 聞いたが、ラインハルトにはイマイチピンと来なかった。

 そもそも恋愛って何だ? 好きってどういうこと?


「分からん……何一つとして分からん……」


 シャルロットの気持ちを嬉しくは思う。

 だが、どうするべきなのかが分からない。

 分からないが、誠意には誠意を。分からないなりに考えねばならない。


「……むむむ…………だめだ……」


 これはもう、本格的にカールを頼るしかないのかもしれない。

 数多くのお客様のお悩みに向き合う対人関係のプロであるカール。

 甥っ子相手に恋愛相談なんて情けないにもほどがあるが、背に腹は変えられない。

 折を見て相談に乗ってもらおう、ラインハルトはそう決意し朝食の準備に取り掛かった。


「……スイーツか…………」


 味噌汁を啜るラインハルトの視線の先、

 テレビの向こうでは夏の帝都スイーツ特集が流れていた。


「ふむ」


 本職の菓子職人と比べれば劣るものの菓子作りの心得はある。

 今でも多少のデザート類は出しているが、ここらでメニューを追加するのも良いかもしれない。


「……だが何を出そうか……?」


 バーらしく、酒を使ったスイーツというのはどうだろう?

 だが、その手の菓子は好き嫌いが分かれる。

 いやしかし逆に普通の甘味は苦手だが酒が入ったものなら、

 というのもバーを訪れるような人の中では珍しくない。


「…………む、もうこんな時間か……」


 本棚の資料を引っ張り出してあれやこれやと思案していたら結構な時間が流れていた。

 そろそろ店に出て準備をしなければとラインハルトは支度を整える。


「……窓は閉めた……火元も大丈夫……よし」


 確認を済ませ部屋を出る。

 無論、扉の施錠も忘れない。

 鍵をかけた後、二、三度ノブを回し、しっかり鍵がかかっているのを確認し満足げに頷く。


「……行くか」


 と廊下を歩き、階段を下りようとしたところでふと気付く。


「…………はあ」


 アパートの入り口で箒を持った老婆が物憂げな顔で溜め息を吐いていた。

 彼女はこのアパートの大家だ。

 顔を合わせたら会釈ぐらいはするが、会話をした記憶はあまりない。


「……」


 立ち止まり、思案するラインハルト。

 大家は彼に気付いていない。


(別に、俺とは、関係ないのだが…………)


 カールであればどうしていただろう?

 考えるまでもない。

 きっと、想像通りに明るい声で話しかけに行ったはずだ。

 カールのようには一生かけてもなれない自信がある。

 だが同時に憧れてもいる。あんな風になれたら、と。


「…………こ、こんにちは」


 たっぷり悩んだ後、ラインハルトは恐る恐る大家に声をかけた。

 カールと出会う以前の彼ならば気まずそうにスルーしていただろう。

 そしてスルーした事実に後ろめたさを感じ、半日は引き摺っていた。

 そう、ラインハルトも変わり始めているのだ。


「? ああ、ベルンシュタインさん。こんにちは。良いお天気ねえ」


 大家はラインハルトに気付くと穏やかな笑みと共に挨拶を返してくれた。

 普通なら普段とは違う陰キャの様子にワンリアクションしてしまうだろう。

 だがそこは年の功。大家は触れられて困るような部分は完全にスルーしてのけた。


「……は、はい……」


 声が上擦る。

 おい、大丈夫か客商売?

 と思うかもしれないが、こんなでも割りと何とかなるのだから不思議なものである。


「……そ、その……何か、あったの、ですか?」

「え? ああ、ごめんなさいねえ。辛気臭い顔しちゃって」


 ふふふ、と困ったように微笑む大家。

 辛気臭い面で言えばラインハルトの圧勝なので気にすることはない。


(……駄目だな)


 こうして気遣われているようでは大家の悩みは聞き出せない。

 即座にそう理解したラインハルトは若干情けなく思いつつ、

 胸ポケットからあるものを取り出し大家に差し出す。


「あ、あの……これ……」

「あら、これは?」

「……う、うちの店の…………わ、割引券です……」


 デフォルメされた庵が描かれた手作り感満載の割引券。

 これの発案並びに作成はカールである。

 長く休んでいたしお客様に何かお詫びをしたい、

 そう相談されたカールがだったら期間限定で割引券でも配れば良いとこれを作ったのだ。

 伯父さんも知り合いとかに配ってあげたら?

 と渡されはしたが使う機会がないまま仕舞い込んでいたのだが、ようやっと使い道が生まれた。


「……その……う、うちで働いてる甥っ子は……話上手で……聞き上手だし……」


 これまでも多くのお客さんの相談に乗って、その心を軽くした実績がある。

 しどろもどろに甥っ子のアピールをするラインハルトに大家はしばし目を丸くしていたが、


「……そうねえ。じゃあ、一回お邪魔させてもらおうかしら?

お酒なんか随分と飲んでいないけれど、何だか久しぶりに飲みたくなっちゃったわ」


 ありがとう、そう言って頭を下げる大家。

 ここまでで既にいっぱいいっぱいだったラインハルトの顔はもう真っ赤っかだ。


「い、いえ……それでは……私は、これで……」

「ええ、いってらっしゃい」

「…………い、いいいいってきます」


 逃げるようにこの場を去るラインハルト。

 かなりアレだが、これでも彼なりに頑張った結果なのだ。

 温かい目で見てあげて欲しい。


「カールー! カールー! あれやってー!!」

「あ゛あ゛ん!? あれじゃ分かんねえなあ!?」

「変身だよ! 変身!」

「カールのー! ちょっとー! 良いとこー! 見てみたーい!!」


 店の近くまで行くと空き地ではカールが庵を含む子供たちと遊んでいる姿が目に入った。


「しょーがねえなあ! 行くぜ――――変身!!!!」


 そう叫ぶや、その身体からおどろおどろしい闇が噴出する。

 微笑ましく見守っていたラインハルトは大口を開け固まってしまうが、

 庵を除く子供らはキャッキャキャッキャと大はしゃぎしていた。


「始まりに闇ありき」


 芝居がかった大仰な仕草でカールが語り始める。


「殺せ」


 どこからか陰鬱な音楽が聞こえる。


「減らせ」


 カールの背後で雷が奔る。


「地より失せろ」


 無形の闇が徐々に形を成していく。


「混沌のかいなに抱かれて眠れ――――我が名はカール、魔王カールなり」


 漆黒の禍々しい鎧を身に纏う頭から角を生やしたカールが凄絶に笑った。


「す、すすすすすげぇえええええええええええええええ!!!!」

「何それ何それ!?」

「前に見たのと違う! 何それ、何それカール兄ちゃん!?」

「フフフ……すげえだろ? アンヘルが変身パターン増やしてくれたんだよ」


 魔王様がわちゃわちゃと寄って来た子供らにドヤ顔を披露している。

 紫色に染まった唇や邪悪を感じさせる刺青が顔に刻まれているのだが、台無しだった。


「ってあれ伯父さん? ああ、もうそんな時間だったか。

おいお前ら、魔王様はこれからお仕事だから、また今度な」


「兄様、私も……」

「良いって良いって。お前はまだ遊んでろ」


 ひらひらと子供たちに手を振りながら、こちらに向かってくるのだが、

 ビジュアルがビジュアルなのでラインハルトは軽く引いていた。


「こんちは伯父さん」

「あ、ああ……こ、こんにちは……」

「? どうしたの?」

「い、いや何でもない……と、とりあえず店に入ろうか……相談したいこともあるしな……」

「了解」


 カールを伴い店に入る。

 エアコンをつけ、涼しくなったところでラインハルトが切り出す。


「その、実は出掛けに……」


 内容は当然、大家のことだ。

 甥に丸投げというのは情けない話だが、自分ではどうにもならない。

 何とかしてくれ、とまではいかないが話しぐらいは聞いてやって欲しい。

 そう頼むと、


「任せてよ。伯父さんが世話になってる人だしね」


 何の逡巡もなくカールは頼みを受け入れてくれた。


「しかしまあ、初対面の相手に話せるような内容じゃないかもだし……」

「……ああ、そこらは承知の上だ……気晴らしになれば十分だろう……」

「よござんす。俺なりに頑張ってみるさ」

「……すまん、世話をかける」

「ハハ! おかしなこと言うなあ。俺だって世話になってんじゃん」


 こういうのは持ちつ持たれつだぜ?

 そう言ってカラカラと笑うカールはとても爽やかだった。


(……ハインツにそっくりだな)


 弟の笑顔もこんな感じだった。


(思えば、随分と顔を合わせていなかった)


 十五で郷里を飛び出して以降、

 弟とは手紙のやり取りぐらいは時たまやっていたが直接顔を合わせてはいなかった。

 カールを連れて店を訪れたあの時がン十年ぶりだ。

 家業を捨てて郷里を逃げ出したという負い目があったのだが、


(……機会があれば一度ぐらいは帰郷してみるか……)


 父母はとうに死んでいて、友人が居るわけでもない。

 それでも、あの街は生まれ育った大事な故郷なのだ。


「そんじゃ、そろそろ仕事に――――」

「ああ、待った。もう一つ……相談が……」

「ん?」

「新メニューを出そうかと考えているんだが……意見を、聞かせて欲しい……」

「新メニューとな? ほほう、そりゃ気になるな。つか、こっち帰って来てからやる気に満ちてんね」

「……フッ……良い、刺激になったからな…………」


 ジャーシンでの食べ歩きは実に良い刺激になった。

 中でもアダムが紹介してくれた七件は飛びっきりだ。

 流石大商人。良い舌を持っているものだと感心したものだ。


「それで? 新メニューはやっぱ葦原の?」

「ああいや……デザート……スイーツ系統をな……」

「プリンとかアイス作れるのは知ってるけど、菓子作りの心得も?」

「……本職に教えを乞うたわけではないが……まあ、それなりにはな…………」


 ただ、どんな方向性のスイーツを出せば良いのか。

 そもそもバーでスイーツは需要があるのか。

 などなど自宅で考えていた際に抱いた懸念をカールにぶつけてみると、


「じゃあアンケート取れば良いじゃん」

「え」


 あっさりとそう言われてしまった。


「注文持ってく時に伯父さん的に気になるとこをリストアップした用紙渡してさ。

もしよろしければご協力を、ってことで書いてもらって会計の時にでも提出してもらえば良いじゃん。

ささっと書けるようにYES、NOの二択形式を基本にして、

後はちょっと大きめに自由欄を作っておけば参考になる意見集まるんじゃね?」


 言われてみればその通りだ。

 というか、極々当たり前のことである。

 ラインハルトが直ぐに思いつかなかったのは……まあ、性格ゆえだろう。

 お客様のお手を煩わせるのは申し訳ないとか、

 プライベートな時間に干渉されて不愉快な思いをしないかとか、

 つい、そういうことを考えてしまう性格なので客に協力を仰ぐという案が中々出てこないのだ。


「とりあえず一枚書いてみたら?

コピーは……アンヘルかアーデルハイドが来たらしてもらえば良いしさ」


「……うむ、そうする……」

「俺はそういうの分かんないから先に掃除でもしとくよ」

「……ああ、頼む」


 ガシャガシャと音を立てながらカールがバックヤードに消えていく。

 その背を見送りながらラインハルトは思った。


(…………何時まであの格好で居るんだろう?)


 ツッコミスキルがない伯父は甥(魔王)に何も言えなかった。

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