偽りのコッペリア⑥

1.最初で最後の姉妹喧嘩


 背中を押されたリグレット――否、アーデルハイドの行動は早かった。

 即座に帝都全域に魔法を用いたレーダーを展開しアンヘルの魔力を探す。

 しかし、帝都にその姿がないと知るや遠方にいることを悟り探知方法を変更し発見。

 何の逡巡もなく廃棄大陸へと転移した。


(ありがとう、ゾルタン先生)


 かつて師に連れて来てもらっていなければ、もっと時間がかかっただろう。

 廃棄大陸までの距離、そして嵐の障壁を抜けるためにかなり骨を折ったはずだ。

 その手間を省いてくれた師に感謝しつつ、アーデルハイドは飛ぶ。


「……アンヘル」


 大陸の中心部で繰り広げられる巨大な力と力の衝突。

 その片割れがアンヘルであることはアーデルハイドにも分かっていた。

 何故そうなっているかは分からない。

 だが、今は一刻も早く妹と――その一心で現場に急行するアーデルハイド。


「うげ!? あ、あああアーデルハイド!? き、君……何でここに……」


 現場に辿り着くや結界を張りアンヘルの戦いを見守っていたゾルタンが驚愕を露にする。

 そのリアクションに気付いたのか、アンヘルとシャルロットも一時戦いを中断。

 揃ってアーデルハイドに視線を向ける。


「いやそうか、そう言えばあの子も昔ここに連れて来たっけ」

「おいゾルタン、君そういうとこだぞ。甘いんだよ、教え子に」

「う、うううううるさいな! 優秀な教え子を可愛がらない教師がどこにいるというんだ!?」


 ギャーギャー言ってるシャルロットとゾルタンは無視。

 いや、何故護衛の任を受けているはずの流浪の騎士が主人に刃を向けていたのかは気になるが。

 それにしたって、ゾルタンが静観している以上、謀反とかそういうことではないのだろう。

 ならば問題はない、そう判断しアーデルハイドはアンヘルを見つめる。


「――――へえ、マシな顔になったじゃない」

「そういうあなたは、形容し難い姿になっているわね」


 四肢を覆う闇と、そこを奔る血管のような紅いライン。

 漆黒に染まった白目と真紅に染め上げられた虹彩。

 どう言い繕っても今のアンヘルは魔に属する者としか見えない容姿をしている。


(禁呪? いや禁呪と通常魔法のミックス? 捧げている対価は……人格か)


 と、そこまで考えたところでアーデルハイドは軽く首を振った。

 今はそんなことをしている場合ではないと。

 未知の魔法だからと興味を抱くのは後で良い。


「それで? 何の用かな姉上」

「謝罪に――あなたに、謝りたくてここまでやって来たの」


 早鐘を打つ心臓。鼓動がうるさくてうるさくてしょうがない。

 ああ、こんなに煩わしいのならばいっそ抉り取ってやりたいぐらいだ。


「わ、私は……私は……」


 怖い。


「あなたに、とても酷い仕打ちをしてしまった」


 体が震える。


「ずっと、ずっと謝りたくて」


 身が竦む。


「でも、自分の罪と向き合うようで……顔を合わせることさえ出来なかった」


 そう、逃げたのだ。自分は。心に蓋をして償いの名を借りた逃避に出てしまった。

 最低だ、最低の行いだ。吐き気がする。

 カールに偽りの仮面を砕かれたことで直視させられた現実。その重さと痛みが心を苛む。

 だがこれは当然のツケ。甘んじて受け入れるべき責め苦なのだ。


「ごめん……ごめんなさい……アンヘル」


 誠心誠意の謝罪を。


「わ、私……お姉ちゃんなのに……」


 酷いことをしてしまって。


「た、助けてあげられなくて……ごめんなさい!!!!」


 感情のままに吐き出された、まとまりのない謝罪。

 だがそこに込められた想いだけは嘘ではない。

 それはきっと、この場にいるゾルタンやシャルロットにも伝わっただろう。


「……はあ」


 黙って謝罪を聞いていたアンヘルが深い溜め息を吐いた。

 その顔に浮かぶのは呆れ、だろうか?


「変に拗らせず最初からそうしてくれていればね、私も……」


 左手で顔を覆い、天を仰ぐアンヘル。

 アーデルハイドには妹が何を言おうとしているのかが分からない。

 分からないが、この先に待ち受ける結末だけは何となく予想ができていた。


「まあ良いか。結論だけを言うと、謝罪は受け取る。でも、私はあなたを許さない」

「……そっか」


 予想していた通りだ。

 当然だろう。あんなことをされて許せる人間がいるものか。

 そう思うアーデルハイドであったが、続くアンヘルの言葉に目を丸くする。


「ああ、勘違いしないでね? 私が姉上を許せないと断じた一点は昔のことが原因じゃないから」

「え」

「むしろそっちに関しては感謝すらしてるよ。お陰で、大切なものを手に入れられたからね」


 真っ直ぐ禍々しい笑顔を向ける妹に、

 これまでのことが嘘であったかのように胸を苛む痛みが消えていく。

 酷い仕打ちをした、決して許されはしない、そう思っていたのに……。

 だが同時に、それなら妹は何に対して許せないと言っているのかが分からなくなった。


「姉上はさ、そういうとこあるよね」


 呆れたように。


「無自覚に人を傷付けるって言うかさ」


 隠し切れない怒りを滲ませながら。


「……姉上は、償いのつもりで自分を殺したんでしょう? 人形になったんでしょう?」

「……ええ」

「そこだよ。よりにもよって、私の前にそんな姿を晒す? その苦しみを知る私の前で」

「あ」


 アーデルハイドはようやく、自らの過ちを悟った。

 アンヘルに、妹に与えてしまった責め苦。

 それを自らも受けることで少しでも罰になれば良い、そう思った。

 だが視点を変えてみれば、それは最低の所業だ。


「…………捨ててしまったのね。簡単に、あなたが心から欲していたものを」

「そういうこと」


 その絶望を知り、それを取り戻せた喜びを知るからからこそ許せない。

 そう語るアンヘルにアーデルハイドは何も言えなかった。

 ただただ、己の愚かさを噛み締めることしか出来ない。


「謝らないでね。もう遅いし、許す気もないから」


 謝罪とは自己満足のためにするものではない。

 そうカールに諭され、それを正しいことだと思った。

 だから何も言えない。言えぬまま、道は分かたれてしまった。

 俯き、震えるアーデルハイドだが、


「でもまあ、これで終わりっていうのも申し訳ないよね」

「え」

「許す気はないけど、同時に感謝してるって気持ちも嘘じゃないから」


 アンヘルはちらりとシャルロットを見て、


「後はまあ、ここまで付き合ってくれたシャルロットさんの顔も立てたいし」


 再度アーデルハイドに視線を向けた。


「――――やろっか、最初で最後の姉妹喧嘩」


 真っ直ぐ自分を見つめ、晴れやかな笑顔を浮かべ妹はそう告げた。

 唖然とするアーデルハイドをよそにアンヘルは更に言葉を連ねていく。


「したことなかったでしょ? 私たち」


 それは……その通りだ。

 悲劇が起こる前は、仲の良い姉妹だったから。

 アンヘルは自分を尊敬してくれていたし、自分もまたアンヘルを尊敬していた。

 だから喧嘩なんてするはずがない。喧嘩というものは仲が悪い人たちがするものだから。


「だからやろう、思いっきり」


 いがみ合うための喧嘩ではない。

 思いの丈を全部ぶちまけて、全力でぶつかりあって、

 気持ち良く”さよなら”するために本気の姉妹喧嘩をしようとアンヘルは言う。


「……何それ意味が分からないわ」


 本当に意味が分からない。


「でも、悪くないわね」


 理屈では納得できていないのに、

 心はアンヘルの提案に乗り気なのが我がことながら本当に理解できない。


「でしょ?」


 悪戯に笑う妹を見て思う。

 あの子の時間は十年前から止まっていたはずだ。

 だけど、凍り付いた時間が動き始めて、自分よりもずっとずっと成長したのだ。

 その切っ掛けは……多分、アンヘルの人格を取り戻してくれた誰かさん。


(素敵な出会いがあったのね)


 羨ましい、素直に嫉妬してしまう。

 でもああ、自分だって負けてはいない。


(……ベルンシュタインさん)


 自らで縫い付けた偽りの仮面を砕き、胸倉を引っ掴んで立ち上がらせてくれて前に進めと言ってくれた大恩人。

 ちょっと乱暴だけど、愚鈍な自分にはあれぐらい強引な人の方が良いのだろう。


(駄目でした、望んだ結果は得られませんでした)


 でも、そこまで悪い気分ではない。

 二度と妹を妹と呼べなくなることを、二度と自分たちの道が交わらないことを悲しく思う気持ちがないと言えば嘘になる。

 けど、不思議と奇妙な晴れやかさも感じているのだ。


(ありがとうございます)


 甘えよう、最初で最後の姉妹喧嘩が終わったら。

 約束通り、甘えさせてもらおう。慰めてもらおう。

 そうすればきっと、自分は新しい人生を歩き出せるはずだから。


「……これは、僕の有能さが恐ろしいな」

「いやどう考えてもこれ、彼のお陰でしょ。君、丸々ぶん投げただけじゃないか」

「いやいや彼を選んだ僕の慧眼がね? 普通、皇族の相手を庶民にさせないでしょ」

「当たり前だ」


 ゾルタンとシャルロットがぼそぼそと何かを話している。

 どうでも良いが、彼らはいつまでここにいるのだろうか?

 これから始まる姉妹喧嘩、自分もアンヘルも手を抜くつもりは一切ない。

 そりゃ巻き込まれてもあの二人ならばどうにでもなるかもしれないが……。

 何と言ったものかと思案するアーデルハイドだったが、


「シャルロットさん、私たちの姉妹喧嘩……見て行くの?」


「ん? ああ……いや、そんな野暮はしないよ。もう心配はなさそうだしね。

というかね。飲まず食わず、不眠不休で七日七晩は流石の私もちょっと疲れた。

雑魚相手ならまだしも、今のお嬢様相手だと……ねえ? あと、切実にそろそろトイレに行きたい」


「あー……その、ご、ごめんね?」

「良いさ。私が好きでやったことだからね。というわけでほら、帰るよゾルタン」

「かえ……いや、言いたいことは分かるが」


 ゾルタンがアンヘルとアーデルハイドを交互に見つめる。

 悪いことにはならない。

 彼もそれは分かっているのだろう。

 分かっていても心配してしまうのが”先生”というもの。


「空気を読めよ。どう考えても私ら邪魔者だろ」

「そ、そうは言ってもだね!? 僕は二人の!!」

「選べ、ここで死ぬか大人しく帰るか」


 シャルロットがぽんぽんと剣の腹でゾルタンの首筋を叩く。

 力にものを言わせた酷い脅迫だがアーデルハイドもアンヘルも止めるつもりはなかった。

 魔法の師ゆえ遠慮があったが、邪魔だというのは偽らざる本音だから。


「わ、分かったよ! アンヘル! アーデルハイド!!」

「大丈夫だよ先生」

「私もアンヘルも弁えていますから」


 そう告げても不安は拭い切れないようだが、

 これ以上は何も言わずゾルタンはシャルロットと共に転移魔法で帰っていった。


「先生にも迷惑をかけてしまったわね」

「まあでも先生は良いかな」

「……シャルロット・カスタード氏?」

「うん。シャルロットさんには本当に迷惑かけちゃった」

「それを言うなら私もね。だって、ここで暴れてたのって……」


 さあ、準備を整えよう。

 何事にも流れというものがある。最初で最後の姉妹喧嘩なのだ。

 キッチリと段取りを整えようじゃないか。


「姉上のせいだよ」

「そうね。でも、あなたが我慢弱いせいでもあると思うけど?」

「……逆鱗に触れておいてよく言うよ。姉上のそういうとこ、私、嫌い」

「……私も嫌いだわ、アンヘルの身勝手なところ」


 険しい顔を作る。


「「本当に」」


 本当に、


「「大嫌い!!」」


 大好き。


 アーデルハイドとアンヘルの背後に夥しい数の魔法陣が浮かび上がる。

 高速で回転し爆ぜるような光を湛えたそれは、今か今かと号令を待ちわびていた。


闇の極光ダークネスレイ!!!!」

裁きの極光ガンマレイ!!!!」


 アンヘルの魔法陣から幾千もの闇の破壊光が吐き出され、

 それに応じるようにアーデルハイドの魔法陣から裁きの光が放たれる。

 ぶつかり合う黒と白の極光――こうして、最初で最後の姉妹喧嘩が始まった。




2.姉妹喧嘩のその後で


 あと二時間もすれば空が白み始めるだろう。

 そんな時間に、アーデルハイドはようやく帝都に帰還した。


「はぁ……はぁ……う、ぐ……っ!」


 身体は傷だらけで、眼鏡は割れてしまったし着ていた服もボロボロで疲労困憊。

 それでも意識を失うわけにはいかなかった。

 話したいことがあるから、聞いて欲しいことがあるから。

 だから部屋に戻って来たのだが、


「……ベルンシュタインさん?」


 テーブルの上の料理はすっかり片付いている。

 カールが持参した酒瓶も空だ。

 まあ、それは良い。だが彼の姿が見えないのはどういうことだ?

 途端にどうしようもない不安がアーデルハイドの胸を苛むが、


「すぅ……すぅ……」


 寝息が聞こえた。

 まさかと思い、そちらを見る。居た。

 カールはベッドの上で布団に包まり幸せそうな寝息を立てている。

 アーデルハイドは一瞬、あれ? そのベッドって誰のだっけ? となるほどカールは堂々とベッドの上で惰眠を貪っていた。

 枕には彼が垂らしたと思われる涎の跡も見える。


「は、はは」


 思わず笑ってしまう。

 だが、すぐに自分が無理をさせたせいだと気付き反省する。

 そもそも彼は仕事終わりなのだ。

 後はもう食事を摂って風呂に入って寝るだけのはずだった。

 それなのにわざわざ自分の下に出向き、力を貸してくれたのだ。


「はあ」


 ぺたんと力なくへたりこむ。

 気が抜けてしまったのだ。

 本当は迎えてくれたカールの胸に飛び込み後悔、悲しみ、ほんの少しの怒り、

 消化し切れない最後の感情を吐き出してしまうつもりだった。

 だが今の彼にそれを求めるのは酷だろう。

 そう考え自分も寝てしまおうかなどと思っていると、


「む……ううん……おお、戻ったのか。随分遅――何でそんなボロボロなん!?」


 カールが目を覚ます。

 跳ね起きた彼はアーデルハイドに駆け寄りその身体に手を翳す。


「温かい……これ、は……?」

「癒しの気を送り込んでるのさ。え、ちょ、待って。お前謝罪に行ったんだよな? なあ?」

「あ、あはは……少し複雑な事情がありまして。さて、何から話したものか……」


 カールの治療を受けながらアーデルハイドはぽつぽつと語り始めた。

 無論、話せない部分はぼかして、だが。

 次期皇位継承者である皇女の心が殺されかけただとか、それを救うために人格を生成する魔法を編み出したなんて話せるわけがない。

 カールとしてもそんなことを聞かされても困るだけだろう。


 だからそういう部分は省き、謝罪をしたこと。

 謝罪は受け入れられなかったこと。

 だがそれは過去の所業が原因ではなく、別の過失によるものだということ。


「言ってくれたんです。最初で最後の姉妹喧嘩をしようって。ちゃんとさよならをするために」

「……」

「暴れたなあ……この十年、ずっと戦い続けて来たけど……」


 その比ではない。

 本当に、搾り出せるだけのものは全部搾り出して戦いに臨んだ。

 あの子は笑っていた、自分も笑っていた。


「楽しかったなあ……たのしかったなあ……」


 ぽたぽたと、零れ落ちた涙が絨毯を濡らす。

 拭っても拭っても涙は止まらない。止め処なく溢れてくる。


「泣くのがはえーよ」

「あ」


 乱暴に、抱き寄せられた。


「ほら、お前もここで泣きたかったから帰ってきたんだろ?」

「……はい」

「なら、もうちょっと我慢しろよな」


 呆れたような、でも優しい声だ。

 アーデルハイドはその温もりに包まれながら、泣いた。

 わんわんと泣き喚いたわけではない。ただただ静かに泣いた。

 カールは何も言わなかった。叱り付けることもなければ慰めの言葉もない。

 ただただ黙って頭を撫でてくれた。

 ぽんぽんと背中を叩いてくれた。


「わたしが、もうすこし、かしこかったらなあ」


 小さい頃から持て囃され続けていた。

 天才だ何だと。

 ああ、確かに魔道の才能に限って言えばそうなのかもしれない。

 だがそれ以外の部分は本当に駄目駄目だ。

 馬鹿で鈍間で間抜け――それがアーデルハイド・プロシアの正体なのだ。


 だから思う。


(……ありがとう、せんせえ)


 カールとの出会いは運命だった。

 喪失の痛みは埋められない。

 幾らカールでもアンヘルとの決別が生んだ欠落は補えない。

 でも、新しく始まる自分にとってはかけがえのない人だ。

 叱ってくれて、手を引いてくれて、抱き締めてくれた。

 厳しいだけでなく、優しい。この出会いは生涯の宝だと素直にそう思える。


「……落ち着いたか?」

「……少し」


 でも、まだ駄目だ。

 胸の中で燻る感情を発散するには、優しさだけでは足りない。

 だって、自分は駄目な女だから。

 叱ってもらわなきゃ、躾けてもらわなきゃ。


「!? お、おい……リグレット……お、お前何を……」


 カールの手を引きベッドの近くまで誘う。

 手を離し、背中からベッドに倒れ込む。


「滅茶苦茶にしてください」

「!」

「何も、考えられなくなるぐらいに」


 荒れ狂う感情を制御できないのなら、手綱を離してしまえば良い。

 今宵は、今宵だけは何も考えずに感情に身を任せて夜の底まで堕ちていこう。


「――――私を狂わせてください」


 両手を広げ、微笑む。


「う、ぉぉおおおおお……! ま、まずい……お、俺の性癖を刺激しやがる……!

い、良いのか? こ、これホントに良いのか? ま、マジで乱暴しちゃって良い感じなのか……!?」


 何やら葛藤しているご様子のカール。

 だが、割とゆらゆらしているので一押しがあればいけそうだ。

 そう判断したアーデルハイドはほんの少し、自身の欲望に正直になる精神干渉系の魔法を発動した。


「り、リグレット……!!」

「んむ!?」


 腕を掴まれ引き寄せられたかと思うと乱暴に唇を奪われた。

 こちらの意思などお構いなしにカールの舌が口内を蹂躙する。

 容赦のない口撃がアーデルハイドから酸素を奪っていく。


(く、苦しい……)


 そう思ったところでドン! と身体を突き飛ばされた。

 後ろはベッドだったので何てことはないが、あまりにも乱暴な振る舞いだ。


「……」


 闇の中、ギラリと光る紅と蒼の瞳。

 その眼光の鋭さは刃のそれ、猛々しさは獣のそれ。

 恐怖を覚える、だがそれを上回るほどに心と身体が疼く。


「あ……」


 手が伸びた――かと思えば直ぐに引っ込んだ。

 見ればカールは舌を噛み切り、正気を保っていた。


「何かまずい気がする……! 落ち着け、落ち着くんだ俺! 俺ジュニア!!」


 ひどい、ここまで来てそれはないだろう。

 今度はほんの少し、ではない。

 アーデルハイドは自分の意識すらスパークするほど強烈な精神干渉魔法を使った。


(――――嗚呼)


 なにも、なにもかんがえられなくなっていく。

 ふわふわと、こころとからだがかいりしはじめる。


(すき、だいすき)


 わたしはだめなにんげんだから。

 わたしはよわいにんげんだから。

 てをひいて、だきしめて、つよく、つよく、こわれてしまうほどに。


(あいして……います……)

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