偽りのコッペリア⑤

1.詐欺師の手管


 リグレット攻略のため、とりあえず情報を集めよう。

 そう決めた俺はゾルタンとの接触を目論んだ。

 だが、よくよく考えなくても俺はゾルタンが何者で、どこに住んでいるのかも知らない。

 分かっているのは学校の先生か、もしくは家庭教師とかその辺だろうってことだけだ。

 なのでゾルタンに接触しようと思ったら、共通の知人であるシャルを頼るしかない。

 だがリグレットが店を訪れた日、シャルはお休みだった。

 だから明日、明日聞けば良いやと思っていたんだが……。


 ――――翌日も来ませんでした。


 次の日も、そのまた次の日もシャルは店に顔を出さなかった。

 本業の方が忙しいのかもしれない。

 あと、アンヘルも顔を出してないがこっちは貴族だからな。

 何やかんやと忙しいのかもしれない。


 二人が顔を出さぬまま、七日目を迎えた。

 だけどリグレットは七日間、毎日のようにバーレスクにやって来た。

 ゾルタンの言いつけを守っているのだろう。

 とりあえず店に来てキッカリ一時間、食事をして帰るを繰り返している。

 ハッキリ言おう、


 ――――ぼくはもうげんかいです。


 焼き鏝を押し付けられたような熱、頭の中を掻き回されるような痛みに吐き気、眩暈。

 それらに苛まれながら、耳元でデケエ叫び声聞かされてるんだぞ。

 普通耐えられねえよ。一日一時間だとしても七日も続けば……いや一時間でも十分地獄だわ。

 もう無理、もう限界だって、これ以上続けば俺は気が狂う。


 対処としてはゾルタンに文句言ってリグレットを引き取ってもらうのが一番なんだが頼みの綱であるシャルがいない現状、その線は難しい。

 明日、帰ってくるかもしれないが……十日経っても帰ってこない可能性もある。

 不確かな救いを期待できるほど俺に余裕はない。却下だ。


 第二案、リグレットを追い返す。

 二度と来るんじゃねえと罵声と共に塩撒いて追い出すセカンドプランだが――これも却下。

 現状、彼女は俺以外には何の問題もない客なのだ。

 店の看板に傷を付けるような真似はできない。

 ならば今俺に起きている現象――カースのことも含めて説明し引き取ってもらうか。

 無理だ。自身のカースの内容を墓まで持っていくというあの誓いを違える気はない。


 となると対処法は一つ、


(…………結局、こうなるのかあ)


 リグレットの悩みを解決すること。

 いや、一応最初から視野に入れてリグレットの観察はしてきたよ。

 でもなあ。得られた情報も大したものじゃないし、

 一から十まで他人の掌の上で玩ばれてる気がしてムカつくんだよね。


(ひょっとして、ゾルタンが俺をこの状況に追い込んだんじゃねえのか?)


 誰にもカースのことは話していない。

 非現実的な推測だと思うが、それでも現状誰の望み通りに事が運んでるかって言われたらアイツ以外にいねえもん。

 とりあえずあの糞ホモ野郎はいっぺん殴――いや、蹴り飛ばそう。

 一回ぐらいなら殺戮刃叩き込んでも……大丈夫やろ。


「はあ」

「? 兄様、大丈夫ですか?」


 隣で食器を洗っていた庵が気遣わしげな視線を向けてくる。

 和服の裾が汚れないようにと縛り付けてんのが最高にフェティッシュだ。

 少し、気力が回復した。


「何やら日に日に元気がなくなられているようですが……」


 日に日に元気がなくなってますからね。


「ありがとよ。でも、体調が悪いとかそういうんじゃねえからさ」


 心配してくれるな。

 今日で片をつけてくるからよ。ああ、明日からは元気百倍さ――多分な。


「…………あ、あの」

「ん?」

「そ、その……庵に、何かして欲しいことはありますか?」


 もじもじと内股をこすらせながら俺を見上げる和ロリ。

 これは、これは……!


「に、兄様が元気が出るような……その……どんなことでも、頑張りますので……」


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!?!?!


「にいさ――兄様!? 大丈夫ですか兄様!?」

「ダイジョウブダ」

「大丈夫なようには見えないんですけど!? 血涙出てますよ!?」


 クッソァ! こんな健気な誘いを受けたら、そりゃもう即ハメボンバーだよ!

 でも即ハメボンバーするわけにはいかない事情があるんだよ!

 店の片付け終わったらめくるめくフリータイムなんだけど今日は駄目なんだよ!


「……庵、それはまた後日で頼む。今日は、これから用事があってな」

「は、はあ……別に構いませんが……用事?」

「ああ、野暮用だよ」


 今夜、リグレットが訪れた際、俺は彼女にこう言い含めておいた。


 ゾルタンがお前をここに来させた理由、それが分かった。

 だから閉店後、俺を迎えに来い。

 場所と食事を用意してくれたら話してやる、と。


 そういうわけでね、俺はアフターなんすよ。

 片付け終わったらどっかで一戦やらかさなきゃいけないんすよ。

 庵の誘いはクソほど嬉しいが、今日で決着つけなきゃいけないんすよ。


「あ、あの」

「ん?」

「こ、ここ殺し合いとかではありませんよ……ね?」


 庵の目には俺がどう映っているのか。

 そんな殺気立ってるように見えるのか?

 いやまあ、ある意味殺し合いよりよっぽど緊張感のある立会いだけどさあ。


「んなわけねえだろ。強いて言うならアレだ。悩める子羊に道を指し示す……的な?」


 庵を安心させるように笑顔を作る。


「はあ……よくは分かりませんが……」

「うん、分からなくて良い。あんま察し良くても苦労を背負い込むだけだからな」


 俺、これまで折に触れてラブコメ主人公の鈍感さをディスってきたけどさ。

 ここにきてようやく分かった。鈍感さは自己防衛なんだ。

 変に心の機微に敏かったら地獄じゃん。

 複数の女の子に好意を抱かれてる現状とか地獄ですやん。


 そりゃまだ、この世界なら良いよ? 一夫一妻が基本だけど複数の女を合法的に愛せなくもないもん。

 でも現代日本、必ず誰かを一人を選ばなきゃいけない。

 言い換えるなら自分に純な好意を向けてくれる子の想いをバッサリ斬り捨てなきゃいけないんだ。

 地獄ですよ地獄。あ、あと修羅場とかもそうだな。

 自分と仲が良い女の子たちがさ、自分が原因でギスギスしてるとか胃潰瘍になるわ。


「なあ庵、全部終わったら……クソほどイチャイチャしような」

「い……!? に、兄様……その、あの、もう少し言葉を選んで欲しいです」

「分かった。蛞蝓のようなイチャラブックスしような」

「お馬鹿ッッ!!」


 庵のお陰で幾らか気力が回復した俺はその勢いのままに片付けを済ませ伯父さんに見繕ってもらった酒瓶数本を手に外に出た。

 すると、タイミングを見計らっていたかのようにリグレットが虚空から出現。


(魔道士だったのか……)


 リグレットは定型文的な挨拶をし、俺の手を取って再度転移。

 連れて来られたのは偉く豪奢な部屋の中だった。


「ここは?」

「私室です。まあ、ここしばらく使っていませんでしたが」


 部屋の中央にあるテーブルの上には既に料理とグラスが用意されていた。

 リグレットに促されるまま着席すると、彼女も俺と向かい合うように腰を下ろした。


「早速ですが……」


「そう急くなよ。会話には流れってもんがあるだろう。

食事も用意してくれたのに、それに手をつけさせてはくれないのか?」


「失礼」


 さっさと終わらせたいのは俺も同じなんだ。

 でもな、段階を踏まなきゃ話をそこまで進められないの。


「まずは軽く雑談でもしながら食事をしようじゃないか」

「雑談、ですか。申し訳ありませんが、私はその手の雑談では得手ではありません」

「分かってる。だから、話題を振るのは俺だ」


 振られた話題に応答するぐらいなら出来るだろう?

 そう笑いかけるとリグレットは無表情のままコクリと頷いた。


「ではテーマを掲げよう――――罪とは許されるのか」


 ぴくりと、僅かにだがリグレットの鉄面皮が揺らいだ。

 本人に自覚はないだろうが、これで一歩前進。


「許されるのならば、何を以って許しとするのか」

「……雑談というにはテーマが重過ぎるような気もしますが」

「すまないな。巷で噂のインテリイケメンとはこの俺のことなんだ」


 俺だって雑談するなら軽い方が良いわ。

 痴漢プレイについて小一時間ぐれえ語りたいわ。

 この世界、列車はある……あるんだけど、流石に使えないからな。

 貴族でも車両丸ごと貸しきるのは不可能だろうし、そこまでするならエキストラも欲しい。

 俺が竿役、アンヘルを痴漢される役として、他の乗客ね。

 でも他の男に自分の女の艶姿を見せたくないしな。

 かと言ってエキストラを女だけにすると、興奮はするけど満員電車のリアル感がなくなる。

 うーん、奥が深く難しい命題ですねえ。


「さて、リグレット。どう思う?」

「……法、でしょうか?」

「犯した罪の重さを法に照らし合わせ相応の裁きを与えることでってことか」


 なるほど、実に真っ当な回答だ。


「社会的な許しはそれで得られるだろうな」


 前科者というレッテルは付き纏うだろう。

 だが、裁きを終えた時点で”罪人”ではなくなる。

 罪人は天下の往来に身を晒せない、晒せるようになった時点で社会的な許しは得られたと捉えるのは間違いではないだろう。


「では、法の秤を使えない場合はどうだろうか」


 例えばここに一組の冒険者パーティがあったとしよう。

 彼らは皆、同じ村出身の幼馴染で固い絆で結ばれている。

 苦楽を共にした、掛け替えのない仲間たちだ。

 ある意味では家族よりもその絆は強いのかもしれない。


「だが、ある時、たった一人を除いて彼らはモンスターの罠にかかり操り人形になってしまう」


 実際、そんなことが出来るモンスターが居るかどうかは知らん。


「残された一人は仲間を助けようと東奔西走」


 あっちゃこっちゃ駆けずり回って必死で情報を探すんだ。


「そして操っているモンスターを倒せば皆が解放されるとの情報を得る」


 挑むだろう。

 我が身の危険も省みずにそのモンスターを倒すために、たった一人ででも戦いを挑むだろう。

 だが、


「得られた情報は罠だった」


 彼らを妬む者が流した真っ赤な嘘。


「本当はそのモンスターを倒せば連座で操られていた者らも死んでしまう」


 しかし、彼はそれを知らない。


「さあ、姦計に嵌り仲間を殺してしまった彼を裁く法はあるだろうか?」


 今俺が語ったようなケースであれば、そもそも罪に問われることはないだろう。

 どう考えても不可抗力であると判断されるのが当然だ。


「ありません。今、あなたが語った例はどう考えても不可抗力でしょう」


 リグレットも同じ見解だったようで、そもそも問える罪がないと答えた


「そうだな。だが、そうなると彼の罪はどうすれば良い?」

「だから、そもそも罪ではないと……」

「いいや、罪だよ」


 断言する。


「俺の前提を聞いていなかったのか?」


 苦楽を共にした掛け替えのない仲間だと。

 家族よりも強い絆で結ばれていると。

 そんな者たちを殺めておいて、何も思わないとでも?


「”止むを得ない事情があった”なんて理由で納得できるとでも?」

「ッ……」

「出来るわけがない。彼にとっては紛れもない”罪”なのだから」


 他の誰でもない、彼が彼自身に課した罪の十字架。

 彼は許されるのか。許されないのか。

 法に頼ることはできないぞ。さあ、どうする?


「……」


 許されるとも、許されないとも言わない。

 元々難しい問題ではあるが、リグレットの場合は事情が異なる。

 ここで無言を選んだことの意味、俺にとってはそれが重要なのだ。


「答えられない、か」

「……」


 ワインを口に流し込み、舌の滑りを良くする。

 ここまでも十分億劫だったが、ここからは更に億劫だ。

 人の内面に深く踏み込むのだから相応の苦労はする。

 そう言われてしまえばそれまでの話だが、俺の場合は止むを得なくだから弱音の一つ二つは許して欲しい。


「リグレット」


 厳かにその名を呼ぶ。


「――――お前の”罪”を問おう」


 さあ、ここからが本番だ。


「私の、罪……?」


 六割、いや七割方は砕けたかな? その仮面。

 状況を動かそうとするなら、人形の振りを止めさせないことにはどうにもならない。


「あ、あなたは……知って……」


 わなわなと震えるリグレット。

 どう考えても恐れている、自らの所業を知られてしまったのかと恐怖を抱いている。

 俺とリグレットは友人でも何でもない。

 向こうも、人形になってからはそんな存在を求めたこともないはずだ。

 なのに恐怖を抱いている――よっぽどのことをしたんだろうなあ。


「知らんよ」


 知ってりゃもっと冴えたやり方してるもの。


「ゾルタン氏の望みは分かる」


 分かりたくねえけどな。


「お前がお前に課した罪」


 自ら背負った十字架。


「それに一つの道を示すことを俺は望まれてるんだ」


 迷惑極まりないな。

 ロクに面識もない人間に投げて良いもんじゃねえよ。

 これがまだシャルの奴が持って来た話とかだったら分かるぜ?

 何のかんの言ってもダチだしさ。俺だってやる気も出すさ。

 でも、俺からすればゾルタンは友人の知人だからね。義理も何もあったもんじゃねえ。


「それじゃあ、議論を続けようか」


 嫌々な。


「と言ってもお前は答えられなかったからな」


 俺が勝手にくっちゃべるだけだ。


「まずは俺の意見から述べようか」


 ああ、帰りてえ。


「結論から言うと彼は、彼の罪は許される――だ」


 そう告げた瞬間、リグレットが大きく目を見開いた。

 そんな馬鹿なと言いたげに。

 本当に許されるのかと縋り付くように。


「それは、どうやって?」

「彼が彼自身を許すこと」


 謝罪をし、それを受け取ってくれる者がいないならそれ以外に方法はないだろう。

 罪の十字架を背負わせたのが自分ならば、それを下ろせるのもまた自分だけ。

 自分で抱えた葛藤に答えを出せる者が自分以外に誰がいるというのか。

 俺の答えを聞いたリグレットは一瞬、キョトンとし、直ぐに不快そうに顔を歪めた。


「そんな……そんな簡単に許せるのなら……!!」

「じゃあどうすれば良いんだ?」

「そ、それは……」


 彼が彼自身を許せた時、初めてその罪は雪がれる。

 許せないのならば一生、そのままだ。

 罪を背負い、死ぬまで生きるしかない。

 ああ、自責の念から自ら命を絶つって可能性もあるな。


「そういう意味でお前は既に道の半ばまで来てるんだぞ?」

「え」


 許しを乞うのは何故だろう? 罪を犯したからだ。

 許しを乞うのは何故だろう? 犯した罪を許されたいからだ。

 許されたいと願った時点で、罪の十字架から解き放たれたいと願った時点で既に方向性は定まっているのだ。


「罪に苛まれることを選んだ人間は許しなんか求めやしねえよ」


 そういう意味で、先ほど例に挙げた彼はどうするのかな?

 いや、どうするもこうするもねえな。

 設定考えたの俺なんだから俺の匙加減じゃねえか。


「お前は許しを求めている」

「ち、違う……わた、私は許しなんか求めていない……ば、罰を……罰を受け続けて……!!」


 壊れたお人形さん? どうして分からないんだ?

 カースなんぞなくても、その態度を見れば一目瞭然じゃないか。


「――――俺の目を誤魔化せると思うなよ」


 立ち上がり、リグレットの下まで行きその顔を覗き込む。

 リグレットが顔を逸らした。

 俺は無理矢理その顔を俺の方へと向けさせた。

 視線だけでも逃れようと目を逸らすが、逃がすものかと顔を近付ける。


「お前は許しを求め続けている」


 終始一貫してな。

 今もそう、ガンガンガンガンその声が響いている。

 俺のカースを強制起動させるほどの熱量で、ただただ許されることを願っている。

 初めて顔を合わせた時を思い出すぜ。

 直接対面したわけでもないのに、近くに居たってだけでいきなりだもんなあ。


「ち、違う違う違う違う違う違うちがぁああああああう!!」

〈〈〈〈〈〈〈〈〈〈ユルシテユルシテユルシテユルシテユルシテユルシテユルシテユルシテ〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉


 ん゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!

 許して欲しいのはこっちなんですけど!?

 他の人間にとっちゃそうでもないけど俺にとっちゃ公害レベルなんだよお前の声ェ!!


「いいや、何も違わない」


 目を逸らすな。


「向き合え」


 でなきゃ一生そのままだぞ。


「一生、罪の意識に苛まれ続ける」


 片時たりとて心休まることはないと思え。


「ここで背を向けたらお前に一生救いは訪れない」


 そう、永劫に。


「何もせずに救われるなんて甘ったれた考えは今直ぐ捨て去れ」


 追い詰めるように――違うな。追い詰めるために言葉を連ねていく。

 うじうじしてる奴をどうにかしなきゃいけないって言うならこれ以外に方法はないのだ。

 何とかしなくて良いってんなら無視も出来るんだがなあ! 畜生め!!


「あ、あ、あ、あ」


 ぷるぷると小刻みに震えるリグレット。

 完全に怯え切ったその姿に罪悪感を覚えないでもないが、


(俺だって必死なんだよォ!!)


 許せとは言わない。

 だがああ、何とかしてやる。何とかしてやるさ。

 お前をそこから解き放って、どこか別の場所に行けるようにしてやるよ。


「やだ、やだやだやだやだ」


 やだやだ言いたいのはこっちだ!


「わかんない、わかんない! わたしばかだもん! わるいこだもん! だめなこだもん!」


 いやいやと首を振るリグレットを更に強く抑え付ける。


「俺の言葉を聞け」


 脅すように。


「俺だ、俺だけだ」


 諭すように。


「俺だけがお前を救ってやれる」


 悪魔かな?

 我がことながらドン引きだよ。


「わ、私……私は……」


 恐怖がある、怯えがある。

 だが、そこに微かな希望が混ざり始めた。


「俺は手を伸ばしたぞ。それを掴むかどうかはお前次第だ。さあ、どうする?」


 顔を掴んでいた両手を一度離し、再度触れる。

 優しく、優しく頬を撫でてやる。

 優しく、優しく語り掛けてやる――ヤクザかな?


「た、助けて……お願い、助けて……」

「良い子だ」


 リグレットの顔から手を離し、その頭を優しく胸に抱いてやる。

 そして壊れ物を扱うように優しく、優しく頭を撫でてやる――ヤクザかな? ヤクザだわ。


「さて、と」


 席に戻りワインをもう一杯。

 こんなん飲まなきゃやってらんねえよ。


「それじゃ一緒に考えようか」

「……うん」


 可愛いなオイ。


「さっきは自分を許す以外に道はないって言ったが」


 それはあくまで謝罪を受け取ってくれる相手がいない場合は、だ。

 謝罪を受け取ってくれる――自分の行いによって被害を被った誰か、それが存在する場合はその限りではない。

 悪いことをして迷惑をかけた相手がいるなら、ごめんなさいが最初だろう。


「どうだ? お前が罪を背負う切っ掛けになった誰かはまだ存在してるのか?」

「う、うん」

「じゃあ、まずは謝らないとな」

「で、でも! 無理だよ……謝ったからって許してもらえるわけがない……」


 それだけ惨いことをしてしまった。

 そう言って項垂れるリグレットだが、コイツ謝罪の意味を履き違えてやがる。


「お前は何のために謝るんだ?」

「何のためにって……あ」

「気付いたな、そういうことだよ」


 本当に申し訳ないことをしたと誠心誠意頭を下げるのが謝罪だ。

 許されるために謝るなんてのは筋が通ってない。

 もしそんな心持ちで謝罪をしようってんなら今感じている罪の意識は錯覚だ。

 なら後はもう自分はクズだと開き直ってやれば、話はそこで終わる。


「許す許してもらえないなんて二の次なんだ」


 勿論、謝罪してそこで許してもらえるのが一番なんだけどな。

 何にせよ謝らないことには話が始まらないのだ。


「……」

「不安か? まあ、そりゃそうだよなあ」

「うん……私ね、ほんとはただ助けたかっただけなの」


 ぽつぽつとリグレットが語り始める。


 曰く、ある時妹が命の危機に陥ったのだという。

 誰にもどうすることもできなくて時間だけが無情に過ぎていく。

 このままでは助からない。でも、自分ならば助けられるかも。

 そう思ったが、それがある意味ではもっと酷い結果を招いたのだとリグレットは懺悔する。


「命は助かった……助かったけど、でも……」

「その妹さんは、会話できるような状態なのか?」

「うん……私が招いた問題も、誰かが解決してくれたみたいで……でも、私は……」


 終わり良ければそれで良し!

 なーんて割り切れる人間だったらリグレットもここまで拗らせちゃいねえよな。


「ほんとは許して欲しい、そして昔みたいに……」


 仲の良い姉妹に戻りたいってところか。

 まあ、それが理想だわな。

 だが、俺はその妹がどんな人間か知らない。

 あっさり謝罪を受け入れる聖人君子か割り切れずにリグレットを拒絶する普通の人間か、

 その人となりが分からないので無責任に”戻れるさ”なんて気休めは言えやしない。


「なら、それが罰になるんだろう」

「え」

「謝っても受け入れてもらえるとは限らない」


 なら、謝り続けるのが正解なのか? それも違うだろう。

 そのために一生を費やせるのは罪に苛まれたままでいることを選んだ者だけ。

 許しを求めるのであれば、先に進まねばならない。


「関係の修復は不可能で、もう二度と道が交わらない」


 例えリグレットがどれだけ妹を愛していたとしてもだ。

 ならば、それが一つの禊になるんじゃねえかな。


「痛みと喪失、それがお前が受けるべき罰なんだろうさ」

「私が受ける、罰……」

「そうだ」


 直ぐには割り切れないだろう。

 だが、これからも生きていこうというのであれば。

 死を以って償うという選択をしないのであれば。


「進まねばならない」


 生きねばならない。


「どこかで自分を――――許さなきゃいけない」


 厚顔だと、恥知らずだと罵られようともな。

 それが許しを求めるってことなのだから。

 例え相手が許してくれなかったとしても自分で自分を許すことができたのなら、


「少しは息もしやすくなると思うぜ」

「そう、でしょうか」

「ああ、きっとそうさ」


 息をするのも苦しい、そんな顔も少しは見れるようになるだろうさ。

 そう言って俺はニヒルに笑った。

 自画自賛するようで恥ずかしいが、今の俺、かなりキマってたと思う。


「「……」」


 場に沈黙が満ちる。

 これ幸いにと俺は冷めてしまった料理を楽しむ。

 すっかり忘れてたが、俺仕事終わりだからね。

 お腹減ってるし眠いしでもうコンディションは最悪だ。

 唯一の救いは、俺のヤクザ論法が功を奏したってことだけか。

 未だ声は聞こえているが、その声量は最初に比べたらずっと小さい。


(しっかし……ここ、どこなんだ?)


 転移魔法で連れて来られたから場所、分からねえんだよな。

 窓の外から見える景色も見覚えないし。

 足繁く通ってたし、帝都に住んでるであろうゾルタンの知り合いなら帝都の人間だと思うんだが……。


(コイツ、魔道士だからな)


 転移魔法なら距離なんぞ意味を成さない。

 ああ、そういえばシャルロットやアンヘルの家も知らねえなあ。

 帝都に住んでるってのは聞いてるが後者は十中八九貴族街だとは思うんだが……縁ないしな。


(って貴族街?)


 軽く周囲を見渡す。

 馬鹿みたいに広い部屋、クソ高そうな調度品の数々。

 ひょっとしてリグレットも貴族なのか?

 だとすればゾルタン、貴族相手に家庭教師やってるのか。

 はー、凄いで御座いますねえ。


「…………ベルンシュタインさん」

「何だ?」


 困惑? 期待? 両方?

 よく分からない表情をしたリグレットが俺を見つめている。


「私はあなたとは無関係の人間です。なのに、何故……」


 それな。

 俺も溜まってた鬱憤を吐き出してしまいたいが……我慢だ。

 ここで話を拗らせても良いことなんて一つもない。


「ゾルタン先生に頼まれたからですか?」

「なわけねーだろ」


 これはホント。

 俺がここに来たのは徹頭徹尾自分のためだ。

 俺を苛むものをどうにかするため、頑張ってここまで来たんです。


「ゾルタンとは話したことはあるが一度だけだ。

一度、店を訪れただけの相手のために何かしてやれるほど俺は人好しじゃないよ」


「では、何故……」

「俺はお人好しじゃない」


 でも、と強く言葉を区切る。


「――――辛そうな女を無視するほど鬼畜でもねえのさ」


 決まった、完全に決まった。

 見ろよリグレットの顔を、雌のそれになってやがるぜ。

 へへへ、イケメンってのは罪だなあ。


「だからまあ、謝って駄目だった時は俺を頼れ。胸を貸してやるからさ」


 そうリップサービスをしてやるとリグレットは嬉しそうに笑った。


「そうですか。なら、そうさせてもらいますね」

「リグレット?」

「向き合って参ります。私が目を逸らしていたものから」


 え、ちょ、


「駄目だった時は――――慰めてくださいね?」


 悪戯な笑みと共にリグレットは消え去った。


「え、あの……い、今から……?」


 もう良い時間ですよ? こんな時間に出向くの無礼じゃね?

 っていうかこれ、俺どうすりゃ良いの?

 正規の客じゃないから、この部屋を出て誰かに見つかったら即通報されるよね?


「と、とりあえず隠れる場所を探しておくか……」

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