偽りのコッペリア④
1.シャルロット・カスタード
アンヘルが隠し部屋を去ってからしばし。
皇帝と幾許かの会話を終えるやシャルロットはゾルタンの首根っこを掴んで挨拶もそこそこに皇宮を後にした。
そして待たせていた馬車を使うのも煩わしいと彼の転移魔法を使い屋敷へ帰還。
即座にアンヘルの部屋まで足を運んだのだが、
「……チッ、結界か。それもやためったら張り巡らされてる。
お嬢様が居るのか居ないのかすら曖昧だったからそうだとは思ってたが……畜生め」
そう毒づきながら腰の愛剣を引き抜くシャルロット。
それを見てゾルタンが一体何をするつもりだと彼女を問い詰めた。
するとシャルロットはスッパリとこう言い切った。
「無理矢理にでも押し入る」
「おい、お前何考えてんだ!?」
「無論、お嬢様のことを」
ゾルタンの制止の声も聞かず真正面から扉を両断。
結界が刃を阻もうとしたがシャルロットの剣を防ぐには強度が足りなかった。
「…………居ない、か」
部屋の中はもぬけの殻だった。
だが、やはり自分の危惧した通り良からぬ事態が起きているらしい。
シャルロットの視線はずたずたに引き裂かれた枕やベッドに向けられていた。
「こ、これは……!」
「困惑してる暇はないよ。それより、お嬢様の居場所を探してくれ。こう、何か良い感じの魔法で」
「ふわふわか!! というか、シャルロット……君は……」
「最初に言っておくけど、私は何も知らないよ」
あの隠し部屋でアンヘルとアーデルハイドが対峙した際、よくは分からないが何かを感じた。
そしてその何かは良くないものだと思った。
そこからは一歩引いて二人を――特にアンヘルをじっと観察していた。
「”ヤバイ”と思った。消える寸前にね。何がヤバイのかは私にも分からないが」
「…………いや、十分だ」
「おや」
「優れた戦士である君が何かを感じ取ったと言うなら、そうなのだろうさ」
そう答えながらゾルタンは空中に魔法陣を走らせた。
その横顔は真剣そのものであり、シャルロットの危惧は彼にもしっかり伝わったようだ。
「私は運が良いな」
頭ではどうしてそうなるのかなんて思いついてもいないのに本能が、肉体が、これから訪れる戦いを予期し静かに熱を帯び始めていた。
「何がだい」
「ちょっと前までさ、頼まれてお嬢様の想い人に稽古をつけてたんだよ」
「ああ……例の彼か」
ゾルタンもカールのことは知っている。
何せ、ゾルタンが皇帝に掛け合ってカールを本選へ捻じ込んだのだから。
そのために悪名高きクジ引き制度が導入され馬鹿だのアホだの無能だのとの謗りを受けることになったがゾルタンは気にしていない。
アンヘルに対し何もしてやれなかったという負い目があるしそのアンヘルを何とかしてくれたというカールへの恩があるので汚名を被ることぐらい何でもなかった。
「そう。この二年、戦いらしい戦いなんて彼との手合わせぐらいだったからね」
帝都に留まるようになって二年、職業が職業だけに戦いとは無縁の日々を送っていた。
自己鍛錬は欠かしていなかったが、それでもどうしたって限界がある。
実戦の勘が鈍ってしまうのは避けられない。
そういう意味でカールとの鍛錬は良い錆落としになった。
もし、錆落としせぬままこれから訪れる戦いに臨んでいたのなら……。
「さて、どうなっていたかな」
死ぬことはないだろう。
死神の足音は聞こえないし、寄って来ても追い返せば良いだけの話だから。
しかし、多大な苦労を強いられることになるのは想像に難くない。
ゆえにシャルロットは運が良いと言ったのだ。
「――――見つけた」
「お嬢様はどこに?」
「…………廃棄大陸だ」
「廃棄大陸? 何だってそんなとこに……時間的に考えて転移だろう?」
一度訪れた場所や、目を飛ばしてしっかり認識した場所に飛ぶのが転移魔法である。
アンヘルは主に後者を用いてピュンピュンとあちこちに跳んでいる。
廃棄大陸に行ったこともないだろうし目を飛ばしていると考えるのが普通だ。
だが、廃棄大陸まではかなりの距離がある。
目を飛ばしたとしても、この短時間では到達できないはずだ。
「……いや、昔あの子にせがまれて連れてったことがあるんだよ」
「お、お前なあ……いや良い。言ってる場合じゃないからね。
それより連れてったってことはゾルタン、君も廃棄大陸まで跳べるんだな?」
「ああ」
「よし分かった。少し待っててくれ」
早足で自室に戻るや否やシャルロットは服を脱ぎ捨てた。
そしてしばらく使っていなかった本来の戦装束を手に取る。
深い紺色のボディースーツの上に胸当て、スカートのような白い腰巻き、手甲、足甲を身に着け準備完了。
軽装に見えるが身体強化や気力増強、状態異常無効など各種能力を備えたこれらはそんじょそこらの防具とは比べ物にならない性能を誇っている。
「う……ちょっと臭うな……横着しないでクリーニングに出しとくんだった……」
少し顔を顰めながらアンヘルの部屋に戻るとシャルロットが斬り捨てた扉がいつのまにか修復されていた。
後のことを考えてゾルタンが直したのだろう。
「結界も張り終わったし、いつでも行けるぞ」
「ありがとうゾルタン、じゃあ早速頼むよ」
「了解」
ゾルタンの転移魔法が発動し、景色が一変する。
「これは、また……」
廃棄大陸は自分の活動内容的に縁のない場所だった。
それゆえ今回が初めての上陸なのだがその感慨を吹き飛ばすような光景がシャルロットの眼前に広がっていた。
屍、屍、屍、屍、夥しいまでの死骸が一面を埋め尽くしている。
無惨に殺され、放置されたこの死体の山。
よくよく見ればどれもこれも、廃棄大陸の外側では特級の脅威として知られる者ばかりだ。
同じことをやれるかと問われたら勿論、と答えられる。
だが、
(……こんな風に怒りを込めて殺すのは無理かなあ)
シャルロットは殺された怪物たちの骸に残留する濃密な怒気を鋭敏に感じ取っていた。
怒りの主が誰かなど語るまでもないだろう。
「……あの子の仕業か」
ゾルタンが苦々しげにそう呟いた。
彼もまた辿った過程こそ違えど同じ結論に辿り着いたらしい。
優れた魔道士ゆえ、その魔力の残滓から下手人を探り当てたとかそんな感じだろう。
「少なくとも半径数キロ以内には居ないようだが……ゾルタン、どうだい?」
この大陸は色々な意味で”淀み”が酷い。
感覚を狂わす様々な気配が混在していて人一人を探すのはかなり難しいように思う。
感覚頼りではアンヘルの発見は困難だ。
そう判断したシャルロットはゾルタンに助けを求めた。
「少し待て。僕もこの大陸じゃ何の準備もなしには――む!」
「良い、あれらは私が対処するから自分の仕事に集中してくれ」
骸の大地を掻き分けるように迫り来るモンスターの群れ、自分たちの存在を感じ取ったから殺しに来たのか。
或いは何かから逃げてきたのか――どちらにせよ無視はできない。
「破ァッ!!」
真一文字に剣を薙ぐ。
切っ先から撃ち出された飛翔する斬撃が異形の津波、その第一波を薙ぎ払う。
だがあれらは理性なき獣と同じ。
この程度ではほんの僅かにしかその進軍は止められない。
どれだけ同族が殺されようとも、その屍を乗り越えて前に進み続ける奴らをどうにかしたいのならば――――
「皆殺し以外に方法はないよねえ」
縦一振り、横に一振り。十字の斬撃が飛ぶ。
だがまだまだ止まらない。
シャルロットは絶え間なく剣を振り続け斬撃を飛ばし続けた。
「よっ、ほっ、そーらよっと」
既に放った飛ぶ斬撃に新たに斬撃を押し当て軌道を変更。
それを幾度か繰り返し形成されたのが――――刃の檻。
張り巡らされた刃の檻はモンスターたちを切り刻み続け、やがて全ての異形を肉片へと変えた。
「次は空かよ」
ようやっと一息吐ける、そう思ったのも束の間、今度は空から敵がやって来た。
億劫そうに再度剣を振るおうとするが、
「雑魚に構っている暇はないだろう」
それよりも早くゾルタンが空の敵を一匹残らず焼き払った。
「終わったのかい?」
「ああ、あの子はどうやら随分と奥深くまで行ってしまったらしい」
「方角は」
「東だ」
「そっか。じゃあ行こう」
「ああ、でもその前に君に飛行魔法を――――」
言い終わるよりも早くシャルロットは空を蹴って駆け出した。
その光景に唖然とするゾルタンだが、直ぐに再起動し飛行魔法でその後を追う。
「……何だそれは、それも気の力なのかい?」
「ん? ああ、違うよ。ブーツの能力さ。いや、気でも同じことはできるけどね?」
「アーティファクトだったか。確かによく見れば君の身に着けているものはどれも……」
「色々やってたからね」
ダンジョンに潜って手に入れたものだったり悪党をシバいて手に入れたものだったり人助けの報酬として得たものだったりと入手方法は様々だ。
これらの品々はシャルロット・カスタードの足跡そのものと言い換えても過言ではないだろう。
「流石は”流浪の騎士”と言ったところか」
「それはもう廃業さ。今の私は婚活騎士シャルロット・カスタードだからね」
「ドヤ顔で口にする二つ名ではないだろうに……」
緊張感のない会話をしているように見えるが、その実シャルロットもゾルタンも常に気を張り続けている。
ゾルタンは身を以って知っていた。
廃棄大陸は中央へ近付けば近付くほど危険度が跳ね上がることを。
シャルロットは本能で悟っていた。
進めば進むほど死の気配が濃密になっていくことに。
「…………お嬢様は、こんなところを一人で進んで行ったのか」
「昔ならいざ知らず、今のあの子は通常魔法と禁呪を組み合わせた純愛魔法を使うからね」
「純愛魔法――良い響きだ。でも、それはそんなに凄い魔法なのかい?」
純愛魔法、名前を聞いただけでは素晴らしいネーミングだということしか分からない。
だがゾルタンの顔を見るに、相当凶悪な代物なのだろう。
「…………僕たち魔道士が魔法を使う際、燃料とするものが何か知っているかい?」
「馬鹿にしてるのかな? 流石の私でも知ってるよ、魔力だろ」
「そう、魔力だ。魔力が尽きぬ限り魔道士は魔法を使い続けられる」
それゆえ魔力量というのは、ただそれだけでステータスとなる。
多ければ多いほど、素晴らしい。
魔力の尽きた魔道士など、ただの案山子にも劣る存在だから。
「だから僕ら魔道士は如何にして魔力が尽きぬようにするかを考えなきゃいけない」
魔法を使う配分だったり魔力の回復手段であったり方法は様々だが魔道士である限りそれは逃れられぬことだ。
だが、
「あの子には、その心配が一切ない。純愛魔法は理論上、永久に使い続けることが可能なんだ」
「え、永久に……?」
「アンヘルは禁呪によって通常魔法をブーストして使ってるから魔力の減少自体は起こるんだが……」
禁呪は自らを構成する何かを捧げることで様々な事象を引き起こす代償魔法であり傷の治癒、体力や魔力の回復などもそこに含まれる。
効果の程は代償の重さによって変わるのだが、ここで重要になってくるのがアンヘルの支払う対価――つまりは人格だ。
人格は命を捧げるに等しい対価であり、それを以って魔力を回復させようとすれば全開は容易だろう。
「純愛魔法に必要なリソースは通常の魔力と人格」
魔力は禁呪で回復ができる。
では人格はどうだろう? できる、魔力を注げば無尽蔵に人格を生成できる。
注ぎ込む魔力の量で生成する人格の数は変動するが、魔力の回復に要する人格は一つでも十分。
費やされるものより多く補填されるのだから減りようがないのだ。
「身体強化、五感強化を行いながら大魔法を連発しても、
並行して人格の生成とそれを用いた魔力の回復を繰り返してればトータルの消費はゼロ」
並行して幾つもの魔法を扱うという時点でハードルは高い。
使用する魔法が高度であればあるほど難易度は高くなる。
だがそこはアンヘル。その才覚を以ってすれば数十の魔法を同時に行使することなど朝飯前だ。
「弱点があるとすればメンタル――精神力の消耗か」
だがアンヘルの強メンタル、凶メンタル? 狂メンタル?
を見るにそれも弱点とは言い難い。
「ふむ……なるほど」
一部理解の及ばぬ部分もあったが大体は理解した。
その上でシャルロットは偽らざる感想を口にする。
「魔王様かな?」
「……」
コテンと小首を傾げるシャルロットにゾルタンは何も言えなかった。
「いやはや、参ったね。そこまでだったかー……だが、うん。愛の力だね」
アンヘルが魔王と称するしかない領域にまで至ったその理由、
それは間違いなくカールの存在だろうとシャルロットは深く頷く。
「愛ならしょうがない」
「愛という言葉が便利に使われ過ぎていると思う昨今、いかがお過ごしでしょうか?」
「そう言われてもね。実際、愛が根底にあるのは事実なんだからしょうがないじゃん」
「いやまあ……それはそうだけど……」
瞬間、二人の顔が急激に引き締まる。
その原因は三キロ先に突如として出現した直径数十メートルはあろうかという漆黒の球体。
ゾルタンは即座にそれが何なのかを悟った。
「重力魔法?! アンヘルか!」
何もかもを巻き込みながら二人に向けて迫る魔法球。
ゾルタンは即座に迎撃に入ろうとするが、
「私がやる」
シャルロットがそれを手で制し一歩前へ出た。
ゾルタンでも十分に対応可能なのは彼女にも分かっている。
だがゾルタンは魔道士だ。
自分とは違い様々なことが出来る彼をこの段階で消耗させるのは悪手だと判断したのだ。
「いやお前、剣一本で何を……」
「斬る」
「斬れるの!?」
その言葉を無視し、気を用いて足場を形成する。
しっかり踏ん張るためにはアーティファクトの能力だけでは足りないから。
「斬れるさ、私を舐めるなよ」
爽やかに笑みを浮かべ、鞘に収めた愛剣の柄を握り締める。
いつか葦原の人間に見せてもらった居合いを利用した新必殺。
使う機会はないだろうと思っていたが、中々どうして。世の中というのは本当に分からない。
「祈りを刃に」
シャルロットの全身を蒼い炎のようなオーラが包み込む。
それは一際強く燃え上がったかと思うと、薄皮一枚まで凝縮された。
気を扱う心得のない者が見ても一目で理解するだろう。
今、彼女の中には尋常ならざるエネルギーが内包されているのだと。
「我が切っ先は見果てぬ夢の彼方を」
全身に万遍なく行き渡っていた気が、
シャルロットの動きに連動するように刃へと集中していく。
「――――拓け!
ダン! と踏み込むと同時に力を解放。
斬り上げるように放たれた居合い。
刃の切っ先から放たれた巨大な気の刃が真っ向から重力球に衝突。
僅かな拮抗すらなく重力球を切り裂き、魔法を霧散してみせた。
「フッ……またつまらぬ物を斬ってしまった――だっけ?」
「カッコつけてるとこ悪いけどネーミング」
「最高だろ?」
その時である。
’…………ああ、この程度じゃ警告にもならないか’
脳裏に響くアンヘルの声。
いつもと同じような柔らかな声色、しかしゾルタンもシャルロットも気付いていた。
その裏に隠し切れないほどの憤怒を孕ませていることに。
怒りの矛先は自分たちには向いていない。
だが、そうとは分からぬほどに彼女の怒りは深く色濃い。
「とりあえず、姿を見せてくれないかな? 君が心配なんだ。私も、ゾルタンも」
しばしの沈黙の後、アンヘルは数十メートル先に姿を現した。
闇に染め上げられた四肢と瞳。
アンヘル魔王形態を初めて目撃するシャルロットは一瞬、言葉を失った。
「私ね、今ホントに、余裕ないんだ」
「それは分かるよ。八つ当たりしてたんだろ? ここまで来る途中に転がってた奴らにさ」
「うん。発散し終えたら帰るから心配しないで」
こんな状態のアンヘルを放って置けるはずがない。
ゾルタンが何かを言おうとするが、シャルロットは再度彼を手で制した。
「そんな姿じゃ、帰れないよね。そんな顔、好きな人には見せられないよね」
アンヘルは困ったように笑みを浮かべた。
「でも、雑魚相手じゃ何時まで経っても発散出来ないだろ?
私が相手をしよう。私なら七日七夜でも付き合ってあげられるよ」
「お、おいシャルロット!」
ゾルタンの言葉は無視。
彼のことも嫌いではないが、自分は騎士だ。
苦しむ乙女を優先するのは当然だろう。
「君がどうしてそうなったかは問わない」
誰にでもあるだろう。
「話したいなら話しても良いけど」
言いたくないことの一つや二つ。
「こちらから無理に聞きだすような真似はしない」
自分の美意識に反する。
「でも、これだけは言わせてくれ」
一拍置いて、
「私は君の味方だよ、お嬢様」
光差さぬ大陸には、あまりにも似つかわしくない太陽のような笑顔。
その眩さでアンヘルの怒りを祓うことはできなかったが、それでもその心に響くものは確かにあった。
「…………何で?」
女の子を助けるのが騎士だから、アンヘルが主人だから、
理由を挙げようと思えば幾らでも挙げられる。
だが、そう難しく考える必要はない。
ここまで来た理由も、アンヘルの怒りに付き合おうと思った理由も、実にシンプルなものだから。
「――――友達だろう?」
その言葉にアンヘルは一瞬、目を丸くするが、
直ぐに苦笑を浮かべてこれまで抑え付けていた魔力を解放する。
「ごめん、ありがとう」
「いいよ」
こうして、終わりの見えない殺し合いが始まった。
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