MONSTER②
「お、お嬢さ……!?」
「はいストップ。私は”ナイン”だよ」
引き攣った顔をしているシャルロットの唇に人差し指を押し付け、アンヘル改めナインは微笑みを返した。
「な、ナインて……」
「とりあえず席に案内してくれるかな? 話はそこでしよう」
「いや、流石に人目のある場所で出来る話じゃ」
「大丈夫だよ」
ナインは入店した時点でバーレスクを覆うように結界を張っていた。
それは認識を狂わせる効果があり、
シャルロットとナインの会話を盗み聞いても普通の世間話にしか聞こえなくなっている。
「魔法を……? でも、それは……」
「完全に使えない、ってわけでもないんだよ。まあそこらは気にしないで」
自分が皇位継承者の座から外れた理由をありのまま告げる気はない。
不誠実なのだろうが、そうすれば彼女は自分に”入れ込み過ぎて”しまうだろうから。
数ある人格の中には話して利用してしまえと告げる者がうんざりするほど存在する。
まあ、そんなことは”出来ないようになっている”ので奴らの打算は意味を成さないのだが。
別に良心につけ込んで利用すること自体はアウトラインには触れていない。
あくまで程度の問題だ。シャルロットの人生を縛り付けてしまうレベルで良心を利用できないというだけの話。
「さ、案内してくれる?」
「…………了解」
こめかみを押さえながらシャルロットはナインを普段自分が使っている席へと誘導した。
「さて、何から聞いたものか。ああそうだ。
とりあえず、流石に変装もなしっていうのは無用心じゃないかな?
その……あー、最後に公式の場に出た頃よりずっと成長しているとはいえ面影とかあるし」
歯切れが悪いのはナインの境遇を慮ってのことだろう。
だが当人からすれば意味のない気遣いだ。
何せそういうことで気分を害することすらできなくなってしまったのだから。
「それも大丈夫。相応の実力者でない限り私の姿は正しく捉えられないから」
見た目を弄っているわけではない。
ただ、ナインの外見を見てアンヘルと繋げることができなくなっているのだ。
まあそれも、今彼女が説明したようにシャルロットのような手合いには無意味なのだが。
「現にほら。あそこに座ってるうちの庭師さんも私を見たけど気付いてないし」
「そうか……それなら良い……いや良くないな。うん。今頃お屋敷は大騒ぎじゃないのか?」
「”先生”が私の代役を作り出してくれているから問題ないよ」
「……アイツもグルか」
「先生を責めないであげてね? 私が無理を言っただけだから」
「それは……いや、良いか。バレてないなら問題はないということにしておこう」
色々言いたいことはあるのだろう。
だが、自分の境遇を気遣って強く出られずにいる。
良心を利用しているようで心苦しいと痛みを訴える人格も多数存在するが、やっぱり意味はない。
だってセーフラインを超えていないから。
「しかし、何だってこの店に来たんだい?」
「それは勿論、シャルロットさんの想い人が気になったから」
嘘、ではない。かと言って真実かと問われたらそうとも言えないが。
ただ、ラインハルトの存在が自分を動かしたのは事実だ。
「あまり愛想が良い人ではないね」
「それは……まあ……うん」
「でも、冷たい人かって言われたらそれも違う。むしろその逆」
「わ、分かるかい?」
想い人が無愛想だと言われ少し顔を顰めるも、
その後に続いた言葉でシャルロットの顔がパァ! っと輝きはじめた。
「足踏みしちゃうんだね」
発言する時は一拍置いて自分の言葉で相手が不快にならないか考えなさい。
そんな教えを一度ぐらいは両親や先生から聞いたことがあるのではないだろうか?
ラインハルトの無愛想さはそれに起因している。
自分の言葉がどう受け取られるか不安で不安でしょうがない。
だからどもるような口調になってしまう。表情なども同じだ。
笑って良いのか? こういう時はどうするのが正解なんだ? どうすれば相手に不快な思いをさせずにすむんだ?
そんなことを考え過ぎてしまった結果、あんな風になってしまったのだ。
本末転倒と言えばその通りだが、
「優し過ぎるから」
「ああ! ああ! その通り、その通りだよナイン! 分かってるじゃないか!!」
喜色満面といった様子のシャルロット。
狙い通りの反応だ。
好きな人を褒められて悪い気分になるような者はあまりいないだろう。
ただ、匙加減を間違えてはいけない。
ゆえにナインは予防線を張ることにした。
「お似合いだと思うよ、二人は。だってシャルロットさんも優しいから」
「そ、そうかな? い、いやでも私はそんな……」
「優しいでしょ? だって個人的な理由ありきでも私の傍に居てくれるんだもん」
ありがとう、笑顔を浮かべ感謝の言葉を告げるとシャルロットは頬を染めて目を逸らしてしまう。
これまで英雄として多くの賞賛を浴びてきたシャルロット・カスタード。
だが”最大多数の心を掴むことに特化した”ナインの言葉と笑顔には敵わなかったようだ。
「ラインハルト・ベルンシュタインさん、だっけ? あの人にもお礼を言いたいところだけど……ね?」
「ああ」
あなたのお陰でシャルロットが正規雇用になりました。
そんなことを言われても困るだけだ。
軽く流せるような手合いならともかく、
ラインハルトのような冗談も一々深刻に受け止めるような人には言えたものではない。
「だから感謝の気持ちは売り上げに貢献、って形にさせてもらおうかな」
「ああ、そうしてくれ。何、どれを選んでも後悔はさせないよ。全部美味しいからね」
「うん。こういうお店は初めてだし堪能させてもらうよ。
まずはシャルロットさんがいつも頼んでるのと人気のメニューを何品かお願いしようかな」
「了解」
シャルロットが一旦テーブルを離れたところでナインは静かに目を閉じた。
目蓋の裏に浮かび上がるのは入店した際にこちらを見ていた金髪の少年。
(私を、見ていた)
そして困惑していた。
思い当たる節はある。あるのだが、事情を知らない人間に見抜かれたことはまずない。
あのシャルロットでさえ自分の畸形極まる精神構造について気付かれた様子はなかったのだ。
場末の酒場にいる一店員が気付けるとは思えない。
魔道士特有の空気も感じられない。となれば、
(カース?)
しばし思索に耽っていたナインだがシャルロットが戻ってきたことで一時それを中断。
本来の目的――シャルロットの歓心を買う作業に復帰する。
「……このスープ」
「気に入ったかい?」
「うん。美味しい、美味しいけれど――うん、それ以上にホッとする。優しい味って言うのかな?」
そう表現するとシャルロットの目が輝きだす。
「だよね! 私も最初に口をつけた時、同じ感想を抱いたんだ。
料理は愛情なんて言うけれど、正にその通り。人格がもう滲み出てるよね、スープに。
あれ? じゃあこれ実質、ラインハルトさんの心で出汁を取ったと言えるんじゃないか? どうしよう、排卵しそう」
”美味しい”ではなく”優しい”で正解だったらしい。
予想以上に愉快なリアクションが返ってきたので面食らうナインであった。
その後も幾らかシャルロットが喜びそうな言葉で料理を品評し一息吐いたところで先ほどの少年について情報を得るため話を切り出す。
「そう言えば店に入ってきた時、男の子の姿が見えたんだけど」
「ん? ああ、カールのことだね。ラインハルトさんの甥っ子だよ。私にとっても未来の甥っ子だ」
カールがどうかしたのか?
そう問うシャルロットに向け一番、適した返答を口にする。
「その、何となく気になって」
羞恥を微かに滲ませほんの少し視線を逸らす。
少し赤くなったその頬を見れば、大体の人間が”そう”受け取ることだろう。
シャルロットもまた大多数の人間と同じくナインの表情からそれを読み取り、
「……」
少しキョトンとしてからニンマリと頬を吊り上げた。
「へえ、へえ、へえ!」
「あ、あの……何か誤解してない?」
「いや、してないよね。ただ、御目が高いと言っておこう」
この反応を見るにシャルロットはカールのことを随分評価しているようだ。
「……だがそうなるとドミニクが可哀想な……まあ報われない気配むんむんだったからなあ」
「シャルロットさん?」
「ううん、何でもないよ」
聞こえていない振りをしていたが当然、聞こえている。
曲がりなりにも教え子に対してどうなんだ? と思うが、すぐにどうでも良くなった。
憐憫の情を抱いたのは無数の人格の内の一握り程度で、大多数の人格はカールに対する情報を得るべきだと叫んでいる。
ゆえにナインはそ知らぬ顔で小首を傾げているのだ。
そうすれば向こうがさっさと話を切り替えてくれるだろうから。
「さて、カールの話だったかな? さっきも言ったけど本当に御目が高い。
振る舞いは軽薄だが、その実情に厚い。欲目がないかと言われれば否定はできないが信に足る男だと思うよ」
信に足る男。
あのシャルロット・カスタードからそんな評価を受ける時点で並ではない。
が、欲目という単語から察するに――
(…………想い人との距離が縮まったのは彼のお陰なのかな?)
だがまあ、そこはどうでも良い。
利用はさせてもらうが他人の恋愛ごとに興味なぞありはしないから。
「君の反応も悪くないしね、正直私の後釜に据えても良い人材だと思うよ」
聞き逃せない言葉だ。
割と恋愛脳なシャルロットだが、職務や力に関してはかなりシビアな目をしている。
その彼女が後釜に据えても良いと言うのは意外だった。
「カールさん、強いの?」
「強いよ。現段階でも君の御父上が要求するアホ……んん!
些か厳しい条件を力だけで良いなら今の段階でもそれなりに。三割ぐらいかな、今の勝率は」
アホな基準と言い掛けたがこれに関してはナインもその通りだと思っている。
彼女の父が娘の護衛に要求するものはハッキリ言って無茶なものだ。
大前提となる条件が帝国最強の騎士よりも強いこと――この時点で無茶だ。
まあ、探せば在野にそういう人材もいるかもしれない。
いたとしても誰が好き好んで皇位継承レースから外れた女の護衛になぞなりたいと思う?
シャルロットがアホと言うのも無理はないだろう。
だが、大前提となる条件はもう一つある、信の置ける者だ。
この信の置ける者という条件も一見すれば簡単なように思えるかもしれないが、そんなことはない。
ある意味では帝国最強の騎士を越える実力という条件よりもハードルが高いのだ。
「三割って言うのは……」
「そのままだよ。十回やれば三回はカールが勝つだろうね」
ナインは静かにシャルロットの言葉を吟味していた。
これでも、否――”このザマ”だからこそ人を見る目は十二分以上にある。
ゆえに現時点でも帝国最強の騎士に喰らい付けるだけの力量があるなどとは思いもしなかった。
いや、そもそも実力者だとすら思っていなかった。
だがシャルロットの評価が間違っているとは思えない。
”強さ”を見極める眼に限定すれば、どちらの信頼度が上かなど論ずるまでもない話だ。
「天性の格闘センス、良き師の教え――色々あるが特筆すべきは”眼”の良さだね」
「それは動体視力って意味?」
「それも含む、だね。観察眼、察しの良さ、そこらがずば抜けている。
カールの技を見たのは一度きりだが、あれを見る限り彼の師もそれを念頭に仕込んだんじゃないかな」
そうなると自分を見て妙なリアクションをしたのはカースによるものではなく、
カール・ベルンシュタインという人間が生来持つ眼のお陰だろう。
一目でそうと看破されるとは恐ろしい眼力だとナインは感心していた。
「ちなみにシャルロットさんと比べたら?」
「うん? 私かい? そうだね、私も体術それなりに修めてるいるからね。
千回やっても千回、私が勝つだろうさ。技量も身体能力も圧倒的に私が上だ」
だけど、とシャルロットは笑みを深くする。
自分で話しながら戦士としての血が強く刺激されたようだ。
「体術に限定するなら数年、真面目に修行を積めば私を超えようさ」
シャルロット・カスタードは数少ない国家を暴力で制することができる超人の一人だ。
そんな彼女をしてこの評価だ。破格と言わざるを得ない。
ナインはまた一つ、世界の広さを知ったのであった。
「ただ……」
「?」
「本人のやる気がねえ。彼は天才だ、疑う余地はない。
でも、あそこまでやる気と性能が密接になってるタイプも珍しいよ。
普段の彼はそう……中堅どこでたむろしてる前衛の冒険者程度かな?」
「それは追い詰められないと力を発揮できないってこと?」
「いや違うね。私がこの二ヶ月、観察した限りではカールは死に掛けても力を発揮出来ないよ」
死ぬかもしれない、なんて危機感では小揺るぎもしない。
カール・ベルンシュタインを滾らせるのは自らがそう望んだからというプラス方面の目的意識のみ。
例えばそう、世界の命運が懸かった聖戦であろうと気が乗らなければ実力を発揮できない。
しかし、気が乗ったならそれこそガンつけられたからブン殴る程度の動機でもフルに実力を発揮できてしまう。
モチベーションによって性能が左右されるのはそう珍しくはない。
だがあそこまで極端なタイプは初めてだとシャルロットは笑う。
「ある意味で、護衛向きなんだよね。
一度護ると心に決めたのならばどんな局面でも安定して力を発揮できるだろうし」
シャルロットは寿退職(できるかどうかは不明)した後のことを考えているのだろう。
少しでもナインの安全が保てるようにと。
優しい、優しい人間だ。だが同時に弟子であるドミニクには欠片も期待していないあたり、ドライでもある。
「性格、実力共に申し分なし。優良物件だ。好みのタイプとか聞いておいてあげようか?」
「だ、だからそんなんじゃないって!」
顔を赤らめつつ、ナインは心の中では別のことを考えていた。
カール・ベルンシュタインが自分に何を見たのか。何を理解したのか。
その上でどのような行動にでるのか。
(少し、観察してみようかな)
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