MONSTER①
帝都を訪れてから早二ヶ月。
そろそろ春の足音が聞こえてきそうな今日この頃、俺は仕事にも慣れてまずまずの日々を過ごしていた。
「伯父さーん! 掃除終わったよ!!」
「……ん……こっちも終わりだ……夕飯を作るから少し待っていてくれ……」
「りょーかい」
開店準備を終えた後の空白の二時間。
この間に食事を済ませるのが俺と伯父さんの日課である。
「ほー、西部のグリューン公爵が何者かに殺害される……ねえ」
飯ができるまでの暇潰しにとカウンターにあった新聞を手にとってみたが中々どうして。
貴族の殺害とは随分スリリングな事件が紙面を飾っているではないか。
しかも殺された貴族は政治に興味のない俺でさえ知っているような大物だ。
確か皇家に自分とこの娘を輿入れさせたりと藤原氏みてえなことしてる奴だったよな?
そんなだから恨みは買ってて当然だろうが……目を引くのはその殺害方法だ。
「真正面から押し入ってバッサリとは」
相応の地位にある人間だ。身の回りの警護には気を遣っていて当然である。
しかし、それをものともせずに真正面から屋敷に乗り込んで邪魔者を皆殺しにしてターゲットの首を獲る。
生半な腕じゃ到底成し得ない芸当だ。
「こんにちはー」
店の雰囲気にそぐわない明るい声が聞こえてきた。
開店前のバーレスクにやってきたのはそう、妖怪下着落としこと”シャルティア・カスケード(偽名)”である。
ちなみに偽名というのは本人が申告してきた。ちょっと事情があって本名は名乗れないらしい。
ただまあ、伯父さんにだけは本名は名乗ってるらしい。
惚れているがゆえに不誠実なことはできないと思ったのだろう。
で、その伯父さんが通報したり追い出したりしてないので少なくとも犯罪者とかそういうんではないようだ。
ならば俺としても偽名についてあれこれ突っ込むつもりはない。
「よおシャル」
さて、何でコイツが開店前にやって来たのかについて説明しよう。
伯父さんとシャルの関係が進展したその翌日のことだ。
開店前にやってきたシャルはこの店で働かせて欲しいと懇願してきた。
給料は要らない、傍にいたいという下心だ。そう堂々と言ってきたあたり彼女の中で何かが吹っ切れたのだろう。
押しに弱い伯父さんは断れずそれを受け入れ、
今では週の四日はウエイトレスとしてバーレスクで働いている。
「こんにちはカール。開店準備はもう終わっちゃったかな?」
「おう」
「そうか……申し訳ない。もう少し早く来れば良かったね」
「別の仕事もしてんだからそれはしゃーねーよ」
つかすげーよ。
普通の仕事もやりつつ夜はバーレスクで働いてんだもん。体力お化けかよ。
「そう言ってくれるとありがたい」
「ありがたがられるようなことは言っちゃいねーよ」
「フフ、そうか。まあ、君がそう言うならそういうことにしておこう」
しかしコイツ、素の喋り方や立ち振る舞いは若干男っぽいんだよな。
それも本当の意味での男らしさではない。女が作った好ましい男性像って言うのかな。
シャルの素性を詮索するつもりはないが、こういう部分から察するに多分コイツ役者が本業なんだろう。
分かるだろ? ヅカ的なあれだよ。だとすれば素性を明かせないのにも説明がつく。
普段は多分、男装――もしくはユニセックスな装いをしているんだろう。
ならイメージとは違う姿をしてるとこ見られたくないものな。後、男に執心してるとこがバレたら文●砲撃たれちまうからな。
「ところで、何を見ているのかな?」
「ん? ああ、これこれ」
「……ほう、これはこれは。中々に刺激的な紙面じゃあないか」
「だろ? ”デリヘル明美”以外にもいるんだな、こういう奴が」
今回はかなりの大物だったが貴族、
それもいわゆる悪徳貴族が殺されたって事例はそれなりにある。
件のグリューン公爵の場合は功罪多過ぎてなあ。
単純に悪徳貴族とは言えないんだが……まあそこは置いておこう。
話を戻すと悪徳貴族が殺された際に真っ先に容疑者として挙がる者がいる。
それが地獄をお届けでお馴染みのデリヘル明美。
帝国に留まらず世界中で悪徳貴族やら悪徳商人を殺して回る仕事人のような女だ。
庶民の間では義賊と囃されているが為政者から見れば頭の痛い存在である。
酌むべき事情はあれども強大な権力を暴力で捻じ伏せる個人なんて国家にとっては頭痛の種でしかない。
「明美のご同類だとすれば……正直、関わり合いにはなりたくないよねえ」
「庶民が関わる機会なんぞねえだろ」
「……それもそうだね」
そういやこの事件で思い出したがオズワルド殺った犯人は見つかったのだろうか?
「ところでカール、君、護衛の仕事とか興味ない?」
「護衛ぃ? んだよ急に」
「急ってことはないよ。前々から目はつけてたんだ。君、格闘技やってるだろ?」
「まあ、一応」
まだ過去形ではない。
冒険者になってサクセスするという夢を諦めはしたものの日課の鍛錬は怠ってはいない。
拳の道を究めたいとかそういうあれではなく……うーむ、何て言うのかウンコだ。
俺は朝一でウンコをしないとどうにも落ち着かないタイプなのである。
鍛錬も同じようなものでやっておかないとどうにもケツの据わりが悪くなってしまう。
「でもよ、趣味でやってるようなもんだ。仕事にできるような代物じゃねえ」
芸能人のボディガード的なアレだろうが、それなら相応の人材を雇った方が――いや待てよ。
何某かの条件があってただ強いだけじゃダメなのかも。
ならば俺が選ばれた理由は、
「確かに俺はイケメンだけどさあ」
「君が何を言ってるのかよく分からないけど純粋に腕を見込んでのことなんだけどね」
「素人が何言ってんだか」
「はは……うん、そうだね」
〈私の仕事を引き継ぐと言ってくれェ!!!!〉
う る せ え。
いや、俺以外には聞こえてないんだけどさ。
オート発動したって、お前どんだけ俺に護衛の仕事を――ん? 私の仕事?
(……ああ、そういうことか)
シャルの奴がヅカ系の人気役者なのはほぼ間違いない。
ヅカで言うところのトップスターってやつだ。
そして恐らくは見た目や演技以外にアクションも売りにしていると見た。
だが当人はもう引退したいのだ。
寿退社して伯父さんと一緒にこの店をやっていきたい(まだ付き合ってもいねーけど)。
だが立場がそれを許さない。
――――故、俺に白羽の矢を立てたのだ。
第一に俺はイケメンだ。オッドアイぞオッドアイ。超クール。
立ち振る舞いもそう。
皆が親しみやすいように気取った振る舞いはしてないが本気を出せばヤバイはずだ。
で、演技力。これに関しても問題はない。
俺はジーニアスだからな、軽く勉強すれば本職の演技力を身に着けられるだろう。
アクションに関しては既に下地がある。
おいおいおい、後継者として十分過ぎるじゃねえか。
とはいえいきなり馬の骨を連れて行ってこれ私の後継者ですなんてのは通らない。
かと言って見習いとして地道に下積みからさせるのもじれったい。
あくまで向こう――劇団か事務所か知らんが、
そっちサイドが俺に目をつけたという形にしたいのだ。
そうすれば事務所推しになってトントン拍子で話が進むからな。
だからこそのボディガードのお仕事。
恐らくシャルの護衛ってことでまずは人目に触れさせる。
その上で俺をスカウトさせるつもりなのだ。間違いない。
「参ったな……俺ってホント罪作りな男だわ」
「よく分からないけど君が見当違いなことを考えてるのは分かるよ」
「でもすまん。興味がないわけでもないが、俺は自分の夢を優先させてもらうぜ」
「ああうん……好きにすると良いよ。でも、興味があるならいつでも言ってくれ」
何か投げやり気味だなコイツ……っと、良い匂いがしてきたな。
「……待たせたな」
「お、今日はミートスパか。良いね、好きだよミートスパ。小便が臭くなるのが唯一の難点だけど」
ミートスパゲティにスープ、バゲット、オムレツ、鶏肉のソテー、サラダ。
今日も今日とて良い具合に食欲をそそるラインナップだ。
個人的にスープがポイント高い。
見た感じ薄味っぽいからこれでちょいちょい口の中をリセットしろということだろう。
伯父さんのこういうとこホント好きだわ。
「シャルも来ていたか……今日は早いな……少し、待っていてくれ……」
いつもは仕事の関係で開店ギリギリに来るからコイツの食事は用意されていないのだ。
「いえいえ、お気になさらず。賄いは閉店後のお楽しみにしますのでラインハルトさんの方を優先してください」
「もう飯食ってきたの?」
「いや別に」
「おめー、飯食わんとキツイぞ」
「平気さ。少なくとも七日程度なら最低限の水分だけで十分活動できるしね」
何? 役者ってそんなハードなの?
ひらひらと手を振るシャルに少し戦慄する。
いや、断って正解だったなこれは。
役者ってすげえのな。
前世でも役作りのために歯を全部抜いたみたいな役者さんもいたらしいし……。
(ハードな世界だぜ)
プロの厳しさをしみじみと感じながら食事を摂る俺であった。
「……それじゃあ、店を開けるか」
食後、使った皿やらコップやらを洗い終わったところで伯父さんがそう告げた。
時計を見れば始業時間の五分前、少し早いがこれぐらいなら誤差だろう。
「カールくん、ご指名よ」
「んお?」
CLOSEDの札を剥がしに言っていたシャルの声。
女口調にしているということは……と彼女の後ろを見れば気弱そうな男が立っていた。
この店の、そして俺の”常連客”の一人であるエルネストさんだ。
「や、やあ」
「こんにちは。伯父さん」
「……ああ、構わない」
「ありがと。それじゃエルネストさん、こちらへ」
定位置であるテーブルまで連れて行き俺もまた彼の対面に腰を下ろす。
(カース発動、っと)
ピッチャーからお冷を注ぎつつカースのスイッチをONにする。
カースを得たあの日、俺はこの力を客商売に役立てることを考えた。
そしてバーレスクで働き始めて実際に使ってみたのだが……これがまあハマるハマる。
このエルネストさんもそう。
元気がなさそうな人に注文の品を持って行きがてら話しかけてみたのだが今じゃすっかり固定客だ。
ただまあ、実際にやってみて分かったのだがカースのことは誰にも言えないなこれ。
辛そうな人、話を聞いて欲しい人が求めているのは他人の”理解”だ。
分かってくれる人がいるから心が軽くなるのだ。
カースのお陰ですなんて言えるわけがない。
俺は自分のカースについて真実を語ることはない、墓場まで持っていく。
まあ幸いにして俺は多才で顔も良いからな。カースの件なんぞどうとでも誤魔化せる。
「すまないね、カールくん」
〈僕のためなら、そう言ってくれ〉
「何を水臭いことを。見ての通り俺は顔も良ければ性格も良いパーフェクトな男ですからね」
友人のために割く時間を惜しむつもりはない。
そう言ってあげるとエルネストさんは嬉しそうに笑ってくれた。
「それで? また例のご主人様のことかな?」
「ああ……」
このエルネストさん、とある貴きお家に仕える庭師なのだ。
つっても師匠にくっついて仕事してる下っ端も下っ端らしいが。
ま、それはさておきエルネストさんの主人こそが彼の悩みの種だった。
ああ、悩みの種と言ってもその御主人が悪い奴だとかそういうことではない。
むしろ真逆。素晴らしく優しい人間なのに報われず不遇をかこっている。
だが本人は文句一つ言わず、いつもニコニコしているそうな。
自分を想ってくれている者に心配をかけまいと健気に振舞う姿がエルネストさんには不憫で不憫でならないのだとか。
「この間、お嬢様の兄君が屋敷に来られたのだが……クソッ!!」
「わざわざ厭味でも言いに来たのかい? 典型的な小物だなそいつ」
「ああ、まったくだ!」
何でも彼の御主人様は本来は家を継ぐ条件を満たした後継者だったのだとか。
その条件が何なのかは知らんが人格的にも能力的にも文句のつけどころはなく父親からも大層愛されていたらしいのだが――現実は優しくない。
悪意ある者が”何か”をして後継者としては”欠陥品”になってしまったのだ。
あ、ちなみに何をされたのかはエルネストさんも知らない。
欠陥品という言葉も御主人を罵る者がよく使う言葉だそうで本人が使ってるわけじゃないのであしからず。
話を戻そう。欠陥品になってしまった御主人は当然、後継者の座を追われることとなった。
父親はそれでも変わらず愛していたようだが立場というものがある。
以前のように可愛がれもせず、泣く泣く別の場所に住まわせることになったそうな。
だが話はそこで終わらない。
御主人の兄や姉、ようは負け犬どもが転落した途端に調子に乗り始めたのだ。
自分の上を行く妹。
忸怩たる思いを抱きながらも後継者ゆえ何も出来ず。
しかし後継者のレールから外れたことで箍が外れた。
厭味やちょっとした嫌がらせ程度はまだ可愛いもので、
中には堂々と自分が家を継いだら家の恥となる妹を排すと公言するものまでいるとか。
(まったく、ジャギ様よりもトキを目指せよな)
「ああいう卑しい奴らが人の上に立とうなんてあり得ないよ!」
カースで適切な相槌を打ちつつ考える。
今日はいつもよりも愚痴が激しい。このままでは長丁場になってしまう。
なので、
「よっしゃだったら仕返ししてやりましょうよ」
「え、仕返しって……いや確かに僕も考えたことはあるよ? でも……」
「お嬢様に迷惑がって? そりゃあ敷地内でやればそうでしょうよ。やるなら公共の場でだ」
俺はエルネストさんが仕えている主人がどこのどなた様かは知らない。
だが会話の内容から分かることもある。
欠陥品になってからは両親や兄弟姉妹と離れて暮らしていること。
エルネストさんが店に来る頻度からして職場=ご主人の屋敷は帝都にあること。
それだけ分かってれば十分だ。
「こ、公共の場……?」
「そう。例えば帰り道とかで、ね。
ここだけの話、俺は地元の領主を悪戯で糞塗れにさせたこともある男ですよ」
そしてバレていない。バレずに悪戯を完遂してのけた。
オズワルドと領主が道の往来で糞塗れになったあの瞬間は今でも鮮明に思い出せる。
ティーツのアホなんか笑い過ぎて顎外れてたっけか。
「とりあえず、これこれこういう感じで……」
「それなら確かに……」
「で、ここをこうして」
思いついた悪戯プランを詳細に伝える。
別に実行されなくても何ら問題はない。
あくまでこの悪戯が成功した際のイメージをエルネストさんに植え付けたいだけだから。
妄想の中とはいえ嫌な奴が酷い目に遭ってりゃ多少はスッキリするだろ?
つまりはそういうことだ。
実際、エルネストさん今は苛立ちで少々過激になってるが根は小心な善人だ。
俺の提案した悪戯が実行されることはないだろう。
「ありがとう、カールくん。君は本当に聞き上手だね。心が随分軽くなったよ」
「どういたしまして。感謝の気持ちにいつもよりちょっとお高い酒でも頼んでみます?」
「はは、商売上手だなあ」
ミッションコンプリート。
とりあえずこれで、今日は気持ち良く飲んでくれるだろう。
「カール、これ三番テーブルに……」
「了解」
小一時間は話し込んでいたからな。
もう他の客も来店していて各々、定位置に陣取っていた。
ただ、顔触れを確認するに今日はこれ以上客は来ないだろう。
改めて説明するがバーレスクは常連によって支えられている。
二ヶ月も働いていれば何曜日に誰が何人くるかぐらいは分かるというもの。
今日はこのままの顔で閉店間際までいくはずだ。
新規の客なんざ俺まだ一人も見てねえからな。
ああでも、春になれば他所から人も来るだろうしちょいちょい現れるのかな?
まあ常連さんになってくれるかどうかは分からんけど。
「ふーむ」
注文が途切れ手持ち無沙汰になったところで改めて店内を見渡してみる。
基本、ここにくる客はゆっくりと食べるしゆっくりと飲む。
次の注文が来るのは一番早くても三十分後ぐらいだろう。
だからこそ、俺もちょいちょい暇になるのだがこれはこれで悪くない。
これまでは仕事に慣れることを優先してきたが、ここらでもう一歩先に進むべきだ。
俺がバーレスクで働いているのは、いつか自分の店を持つため。
だからこそ、ここに何を足したら自分の理想に近付くかを考えよう。
「やっぱ何はなくてもピアノだよな」
「急に何を言ってるの?」
「ああ、シャルか。いや、こういう雰囲気にしっとりとしたピアノの音を添えたくない?」
「発想が安直だわ。何て言うか、あなた本当に子供っぽいわよね」
うるせえ殺すぞ禿。
「当ててあげましょうか? あなたの妄想の中でピアノを弾いている人の姿を」
「ほう……できるかな?」
「できるわよ、多分ね」
コホン、と咳払いをしてシャルは語り始める。
「性別は女」
当たってるがこれぐらいはね、何てことない。
「年齢は二十代後半から三十代前半」
まあこれも……うん。
「どこか陰のある美人で、髪は色は黒で長さはロング」
これもね。
「表情はけだるげな感じで……ああ、片目とか隠れてそう」
……ま、まあね。
「ドレスは髪に合わせて黒を基調としたもの」
……
「露出はそこそこある。でも肘から下はアームドレスで……」
「よし、そこまでにしておこう。仕事の最中にお喋りはいかんよ、うん」
「あなたって人は……」
呆れたように溜息を吐きシャルは入り口近くへと歩いて行った。
と、同時に扉が開かれる。
店に入って来る客の気配を察知したのか? いや、まさかね。
(っと、催してきた。ちょっと小便に……)
トイレに行こうとしたが、
「いらっしゃいま――せぇ……!?」
シャルの素っ頓狂な声に思わず足を止めてしまう。
一体何があったのかと振り返るが入り口に立っていたのは至って普通の女の子。
いや、普通ではないな。超がつく美少女だ(年齢は多分、十七~八ぐらい?)。
全体的に白い華奢で儚げな少女、ひょっとして同じ事務所か劇団の後輩?
だがまあ、そういうことならなっと――――
「ヅゥ……!?」
焼き鏝を押し付けられたような熱が背中に奔った。
脳みそをスプーンで掻き混ぜられたような痛みと不快感が襲う。
一体何が……と困惑するよりも早く、それは”聞こえた”。
〈愛して〉
〈殺して〉
〈痛い〉
〈気持ち良い〉
〈悲しい〉
〈嬉しい〉
〈苦しい〉
〈犯して〉
〈憎い〉
〈好き〉
〈嫌い〉
〈認めて〉
〈否定して〉
〈生きたい〉
〈死にたい〉
〈許して〉
〈許さないで〉
なん……だ……この、声……!?
(カース……? いや、だとしてもこれはおかし……!)
ダメだ、思考がまとまらない。
明滅する視界の中で見えたのは伯父さんの心配そうな顔。
それが途切れかけていた俺の意識を繋ぎ止めてくれた。
「お、おい……かか、カール……? びょ、病院に……」
「だ、大丈夫。眩暈がしただけだから。ちょっと、上で休んでて良いかな?」
「あ、ああ……だが……」
「大丈夫。やばかったら直ぐに助けを求めるから」
逃げるようにしてその場を去り、屋根裏部屋へと逃げ込んだ。
まだ声は聞こえている。
だが、少し距離を取ったからだろう。これぐらいならば抑え付けられる。
気合で無理矢理捻じ伏せるようにカースをOFFにして”声”をシャットダウンする。
「…………ふぅ」
ようやっと一息。
時間にすれば十分も経っていないが酷く重い疲労が圧し掛かっていた。
「しかし、何なんださっきのは?」
あの感覚からしてカースが発動し”白い女の子”の心の声を拾ったのは確かだ。
しかし、だとしてもアレは異常だ。
俺のカースは限定的な読心能力と呼ぶべきもの。
その人が今、欲している言葉が声となって聞こえてくる。
と言っても言葉単体で聞こえてくることはまずない。
俺が受け取った言葉を誤解しないようにしっかり……そう、補正がかかるのだ。
伯父さんのを例に挙げよう。
”甥っ子……甥っ子……おじさん、伯父さんか……伯父さんって呼んでくれるかな……?”
初対面の時、伯父さんからこんな声が聞こえた。
単に”伯父さんと言って欲しい”だけでも通じると言えば通じる。
だが、伯父さんと言ってだけだと誤解が生まれる余地がある。
例えば自分の名前が嫌いだからラインハルトではなく伯父さんと呼んで欲しい、などだ。
そんな誤解の余地が生じないような形で”声”となるのだ。
伯父さんの例で言えば可愛い甥っ子に伯父さんと呼ばれたいから”伯父さん”という言葉を欲したって感じだな。
だがあの女の子はどうだ?
「補正が皆無だったのもそうだが……」
欲している言葉かと問われると首を傾げてしまう。
いや、中にはそうと取れるものもあったが全体を見渡すと単純に――――
「あの子の中で渦巻く強い感情が声になったって感じだよな」
明らかな異常だ。
だが、そんなカースの異常すらも霞んでしまうほどの異常がある。
あの子の”精神構造”だ。
強い感情が発露した際、人の心はそのひと色で染め上げられる。
分かり易く例を挙げよう。
君には自分の命を犠牲にしてでも護りたいと心底から想う婚約者がいて、
その婚約者が心無い外道に陵辱され人としての尊厳を奪われ殺されたとしよう。
下手人を憎まずにいられるか?
否、真っ当な感性をしていたら憎まずにはいられない。
さて、憎い憎い腐れ外道が君の前に現れたとして――平静を保っていられるか?
君の心は憎悪の黒で塗り潰されるんじゃないか? 良い、それが常識的な精神構造だ。
――――なら、あの子は何だ?
燃え狂うような感情を吐き気がするほど宿すあの子は何なんだ?
憎悪と憤怒のような、共存、あるいは重なり合う近似の感情ならば理解できる。
しかし、どう足掻いても両立し得ない感情というものがあるだろう。
さっきの例で言えば外道に対し身を焼く憎悪と胸焦がす愛情を抱くようなものだ。
一応、一応理屈はつけられるぞ?
そう、
「多重人格」
それならばまだあり得る。
だがそれにしたって聞こえた声の”数”がおかしい。
トップアーティストのライブ会場に叩き込まれたのかと錯覚するような喧騒だったぞ。
正直、俺がしっかり認識できた”声”なんて二十もないんじゃないか?
おめー、ダークエンジェルさんでも七つしかねえんだぞ。
しかもあれ、状況や用途に応じて人格切り替えてるし。
だがあの子はどうだ? 総ての人格が同時に表出している。
していなければ聞こえた声は一つだったはずだからな。
でもさ、
「…………何で真っ当に振舞えてんだ?」
一つの身体に無数の人格、しかも総てが主人格だ。
どう足掻いても真っ当な社会生活を送れるとは思えない。
他者と触れ合いたいと願う人格と他者を殺害したいという人格が同時に成立し得るか? しねーよ。
心がぶっ壊れて廃人になるのが普通だろう。
だが、見た感じあの子は普通だった。
「つか、どういう知り合いだ?」
あんなやべー……いや、そうか。気付いてないのか。
普通に振舞えてるのならば気付けるはずがない。
俺のようなカースを持っていなきゃ、あの畸形極まる精神構造を見抜けるわけがない。
「うぉぉおお……怖い怖い怖い怖い」
あんな生き物が徘徊してるとか都会怖過ぎだろ。
「……とりあえず今日はもう寝よう。どうせ一見さんだしな」
今日ばかりはバーレスクが人を選ぶ店で良かったと心底思うぜ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます