事件FILE1 妖怪下着落とし 解決編

 存命の世に名高き実力者を十人挙げよ。


 そう言われたら百人中八割強は確実に、

 流浪の騎士シャルロット・カスタードを十人の一人に数えるだろう。

 その強さもさることながら物語の主人公のように、”華”のある振る舞いが人々を惹きつけてやまない。

 遠い未来でも色褪せることなく輝くであろう英雄シャルロット。彼女は今、帝都にてとある主人に仕えていた。

 だが流浪の騎士という二つ名を持つようにシャルロットは本来、特定の主人を持たぬ騎士だ。


 いや、そもそもからして正式な意味での騎士ですらない。

 その振る舞いが衆愚が理想とする騎士像そのものゆえ騎士と呼ばれているだけ。

 各地を放浪し人助けをするのがシャルロットの基本スタイルである。

 一所に留まるとしても、長くて一年。しかし、現在の主人に仕え始めてから既に二年の月日が流れている。

 これは異例極まる事態だ――が、その仔細はまた別の機会に語るとしよう。


 とりあえずは今回の主役がシャルロットであるということ。

 これを念頭に置いて話を読み進めて欲しい。


「はぁああああああああああああああ!!」

「意気は買おう。だけど叫べば何とかなるほど私と君の間に隔たる差は小さくはないよ」


 振り下ろされた剣の腹にデコピンを当て軌道を逸らし、

 相手の身体が流れたところで喉元に切っ先を突きつけ勝負を決める。


「それじゃあ今日はここまで」

「う……あ、ありがとう……ございました……」


 無力に打ちひしがれながら背を向け去っていく少年ドミニクに憐憫の情が沸いてしまうが、


(こればっかりはなあ)


 シャルロットの役目は主人の護衛と、いずれその任を引き継ぐドミニクの育成である。

 しかし、二年経つが後任予定のこの少年は未だ要求した基準にすら達していなかった。

 シャルロットの育成が下手なわけではない、どちらかと言えばそれなりに優秀な方だ。

 問題はドミニクと主人の側にあった。


(責めるのは酷だよね)


 シャルロットの主人は本来であれば相応の数と、質を兼ね備えた者を護衛に就けるべき貴人だ。

 しかし複雑な立場によりそれが適わない。

 ゆえに力と名声はあれども国家とは何の関わりもないシャルロットがとりあえずの護衛に選ばれた。

 いや、選ばれたというより必死に頼み込んできたのでそれを受けたという方が正しいか。

 その際にクライアントから後任の引継ぎを頼まれたのだが、


(この子もそれなりに出来る子ではあるんだけど……)


 問題はその人選だ。

 信の置ける者をということでクライアントが用意した者らの中から選ばざるを得なかったのである。

 しかし、一番才能があるであろうドミニクもクライアントが要求するほどの力量に達するかは……世知辛い話だ。


(ホント報われないなあ)


 ドミニクは主人への純な恋慕を支えに地獄のような鍛錬に勤しんでいる。

 主人の立場を鑑みれば貴人でもワンチャンあると言えばある。

 しかしシャルロットにはどうにもこの少年が報われる未来が見えなかった。


 容姿、性格、才覚、傍目から見ても彼は恵まれた人間だ。

 目指すべき場所さえ誤らなければ剣も恋も十分以上に報われるだろうに……。

 そう考えるとシャルロットはちょっと泣いてしまいそうだった。


(ま、あれだ少年。君がダメでも最悪、私がお嬢様の護衛を務め続けるからさ!)


 少なくとも恋い慕う相手の安全だけは護ってやろうではないか。

 何せこの依頼を受けたから彼と出会うことができたのだし。


 シャルロットは義によって特別に依頼を受けた。

 当初は二年ぐらいは力になってあげようと考えていたのだが、それはもはや過去の話。

 今の彼女は帝都に根を下ろす気満々であった。


「~♪」


 今日の業務は終了、後は自由時間だ。

 護衛は? と思うかもしれないが、そこはそれ。雇われているのはシャルロットだけではないのだ。


「ああでも、今日は早く終わっちゃったし少し時間を潰さなければね」


 ”あの店”の営業時間までまだ間がある。

 入浴時間を差っ引いてもかなり時間が余ってしまうし、少し散歩でもしようか。

 シャルロットは口笛を吹きながらあてどもなく庭を歩き始めた。


「あ」


 敷地の一角にある花壇付近で立ち止まるシャルロット。

 その視線の先では美しい白髪をフワフワのボブにした華奢な少女が花の手入れを行っていた。

 彼女こそシャルロットが仕える主人、アンヘルである。


(…………お嬢様、今日も今日とて可愛いなあ。あれホントに私と同じ性別メスなのか?)


 いつか雪国で見た新雪に心を奪われた経験があるが彼女の髪はそれよりも美しい。

 染み一つないきめ細かな白い肌と自分のそれを比べると軽く泣きそうになる。

 自分もそう悪くはない容姿をしているという自負はあるがアンヘルには勝てそうもない。


(ああいう儚げな、護ってあげなきゃって感じが男心を擽るのかなあ)


 羨望の眼差しを向けるシャルロット。

 そんな彼女に気付いたのかアンヘルがゆっくりと立ち上がる。


「お疲れ様ですシャルロットさん」

「労いお言葉、ありがたく」

「そうかしこまらずに」

「淑女を前にして礼を取らぬは騎士の恥なれば」


 などと口にはするがシャルロット本人もできればかしこまりたくはない。

 自分で口にしてて何だよこの気障ったらしい物言いはと内心で引いたことは数知れず。

 しかし、正義の味方をやっている内に頑固な水垢並みにこびりついてしまったのだ。


「ああそうだ」

「?」


 ぽんと胸の前で手を合わせるアンヘル。

 何気ない仕草も可愛いなと思いながら言葉の続きを待つシャルロットであったが、


「そろそろ一年になりますがシャルロットさんの恋は成就しそうですか?」

「!?」


 何故、それを……もしや、監視されていた……?

 慄くシャルロットであったが、アンヘルはクスクスと笑ってその内心を否定する。


「気付きますよ、それは。だってある時を境にとても綺麗になったんですから」

「き、綺麗になったって……」

「私だって女の子ですもの。未だ恋などというものはしたことはないけれど察せはします」


 琥珀の瞳がシャルロットを見つめる。

 この目で真っ直ぐ見つめられてしまうと罪悪感で嘘など吐けなくなってしまう。


「……お恥ずかしながら、正直さしたる進展はありません」


 生まれてこの方二十五年、物心ついた時には剣を手に暴れまわっていた。

 今胸に秘めている想いこそが生まれて初めて抱いた恋心なのだ。

 ぶっちゃけ、どうして良いか分からない。

 自分なりにアプローチはしているのだが恐らくは届いていないだろう。


「ロクに言葉も交わせぬまま……向こうからすれば常連客の一人程度の認識かと」

「まあ。ところで常連客、とは?」

「ああ、ご安心を。別にいかがわしい店に通っているわけではありませんよ」


 自分が通っているのは普通の酒場だ。

 いや、庶民価格の割りにかなり美味い料理と酒を提供されるので優良な酒場と言うべきか。


「あれでもう少し立地が良ければ帝都でも指折りの――いや、そうなったら困るし今のままで良いか」

「シャルロットさんが慕っている御方はその酒場の……」

「マスターですね。というか従業員はマスターのラインハルト氏だけです」


 実にありがたいことだ。

 同性の店員ならば良い。ラインハルトの負担が減って自分と語らう機会も増えるかもしれないから。

 だが異性の店員はダメだ。一緒に働くとか何それ羨ましい、嫉妬で狂いそうになる。


 シャルロット・カスタード、英雄の素顔は存外乙女なのだ。


「まあそれはさておき、よろしいでしょうか?」

「ええ、何なりと」

「その……殿方に好かれるコツ、というか……そういうものはありませんか?」


 アンヘルは現在十七歳。

 八つも下の少女にアドバイスを乞うのは些か情けなく思う。

 だがもうバレてしまっているのだし自分より雌として格上の主人に頼るのは決して悪い選択肢ではないはずだ。


 シャルロットの期待が籠もった熱視線にたじろぎつつもアンヘルが口を開く。


「ごめんなさい。あまり殿方と接する機会もないのでそういうことは」

「ああいえ、こちらこそいきなり……」

「ただ」

「ただ?」

「一つだけ、そう在りたい。そう在って欲しいと願うことはあります」

「……それは?」


 フッ、と風が吹き抜けていく。


「――――”好き”を隠さない、偽らない」


 どこか遠くを見つめるようにアンヘルは語る。


「生きていれば嘘や隠し事からは逃れられない。それは私も同じ」


 その通りだとシャルロットは頷いた。


「仮面を被ることは悪ではありません。だって、抜き身の刃は危険でしょう?」

それは人間も同じ。剥き出しの己は誰かを傷付けかねないから偽る、覆い隠すのだと思います」


 仮面とは自らだけでなく、他者を護るためのものだとアンヘルは言う。


「それでも裸の自分を知って欲しい、教えて欲しいと願う気持ちもあります。

愛する人にだけは、愛してくれる人にだけは。けれど全ては曝け出せない」


 愛する人を傷付けたくないから。


「ならばせめて想う気持ちだけでも。伝えたい、この”好き”を。惜しみなく惜しみなく」


 胸に手を当て静かに語るアンヘル。

 これまではどこか遠く感じていた彼女の存在が少し身近に感じるシャルロットであった。


「ごめんなさい。あまり参考にはなりませんよね」

「……いえ、お言葉胸に染み入りました。同時に、私の臆病さも」

「その臆病さもまた、愛する上で避けては通れない感情なのだと思いますよ」

「では恋の醍醐味ということで苦くはありますが呑み込むとしましょう」


 気取った物言いをする自分に苦笑を禁じ得なかった。


「ところでお嬢様、花壇の手入れをしておいでか」

「ええ」

「ではお手伝い致しますよ」

「シャルロットさんにそのようなことは……」

「御気になさらず。時間を潰すためフラフラしていただけですから」

「それは……なるほど。では、お願いしますね」


 土いじりで時間を潰したシャルロットは汚れを落とすため浴場へ向かった。

 入浴を終えると自室で身支度を整え、誰にも見られぬよう屋敷を後にする。

 これは別に咎められるようなことをしているからではない。


 いわゆる有名税というやつだ。


 シャルロット・カスタード馴染みの酒場、などという噂が広まればどうなるか想像に容易い。

 ゆえにバーレスクへ赴く際、シャルロットはそうとはバレぬよう必ず変装をする。

 変装をした姿を屋敷の者は知らないし、知らせるつもりもない。

 どこから情報が漏れるか分からないからだ。ゆえに人目を忍んで屋敷を出るのだ。


(…………今日の私は一味違うぞ)


 アンヘルの言葉はこの上なく響いた。

 とはいえ、いきなり今までのやり方を変えて直接ラインハルトにという勇気はない。

 なので今までのやり方で、されどもそこに勇気を加味してアプローチをするつもりだ。

 シャルロットはいつも以上の意気込みを胸に酒場を目指す。


 余談だが普段のシャルロットは民衆の”受け”を意識して男装の麗人風の装いをしている。

 だが受けを意識していると言っても人気が欲しいからではない。

 では何故か、助けられる側が差し伸べた手を掴み易くするためだ。

 想像して欲しい、獣臭を放つ毛皮ファッションの髭もじゃ男を。

 小汚い蛮族風味の男が”お前を助けに来た!”と言って素直に受け止めてくれるだろうか?

 答えは否。真っ当な感性をしていれば良い印象は抱けまい。つまりはそういうことだ。

 ちょっとあざといぐらい正義の味方感を押し出すぐらいが良いのである。

 もっとも、実力が伴っていなければただの糞気障にしかならないのだが。


 そんなわけで何かと目立つシャルロットだが、変装している今の姿を見てそうと気付く者はまずいないだろう。

 とはいえ別に凝った変装をしているわけではない。

 女性らしい服装に化粧、普段は結い上げている髪も今は自然に流してある。その程度の変装だ。

 だが気付かれない。それは何故か、堂々としているからだ。

 これで変に人目を気にして挙動不審な振る舞いをしていれば勘付かれるかもしれない。

 しかしシャルロットはこれが当然の姿であるとばかりに堂々としている。

 それに加えシャルロット・カスタードがこんな格好をするはずがない。

 そんな衆愚の先入観と相まってこれまで一度として気付かれたことはなかった。


 シャルロットはこれらを全て計算づくでやっている。


「…………いらっしゃいませ」


 やっているのに、


(うぉっふwあ、ダメ、好き。結婚しよ、結婚した、妊娠しそう)


 恋愛に関しては猿以下の性能でしかなかった。


 シャルロットはすっかり桃色に染め尽くされた頭でいつもの定位置へ向かう。

 カウンターではない。カウンターだと緊張でどうにかなってしまいそうだから。

 選ぶのは店の一番隅にあるテーブル席だ。

 別に予約をしているわけではないが元々客が少ないので難なく座ることができた。


(ってあれ? 知らない店員がいるじゃないか)


 二人ほど、見慣れぬ顔があった。

 一人は三十代前半か半ばほど、ラインハルトより少し下ぐらいの中年。

 もう一人は十代半ばほどの少年。


「んあ? マスター、誰その人ら?」


 シャルロットと同じぐらいに入店しカウンターに座った客の一人が疑問を投げかける。


「弟と……甥っ子です……弟はともかく、甥はしばらくの間、ここで働くことになりますので……」

「へえ、いやなるほど。確かに似てるなあ」

「カールと言います。以後、よしなに」


(し、親族?! ちょ、これは……あ、挨拶した方が良いのかな!?)


 まずは惚れた男と会話しろよ。


「こちらお水になります」


 シャルロットが内心テンパっているとカールがお冷を持って近付いて来た。


「ど、どうも」

「……いえ。ご注文はお決まりでしょうか?」

「あ、ええ。ピラフとポトフをお願い」


 普段のシャルロットであればすぐに気付いただろう。

 カールが何かを探るような目をしていたことに。

 しかし気付かぬまま普通に注文をして水を飲み始めてしまった。


(ラインハルトさんの負担が減るのは良いけど、注文を聞きにきてくれなくなったのは辛いな)


 そんなことを考えつつシャルロットは目を閉じた。

 厨房に消えたラインハルトの気配を感じるためだ。

 別段、視覚を封じずとも気配ぐらいは分かるのだがより鮮明に感じたいという乙女心ストーカー・ハートである。


「うぃーっす、お待たせしゃしたー」


 はっと顔を上げるとそこには軽薄そうな中年が。

 シャルロットにとっては将来の義弟であるハインツだ。


「どうも」

「んじゃま、追加のご注文がありやしたらベルを鳴らしてくだせえ」

「ええ、そうさせてもらうわ」


 返答もそこそこに注文の品に手をつける。


(……あぁ)


 琥珀色のスープは今日も今日とて優しい味がした。

 ラインハルトの料理の腕は一流のそれである。

 が、料理の質で言えば更に良いものをシャルロットは幾らでも知っている。

 しかし、彼女にとって一番のスープはラインハルトの作るものだった。


 それは想い人ゆえ――ではない。


 そもそも順序が逆なのだ。

 シャルロット・カスタードは最初、このスープの味に心を奪われたのだ。

 何となく帝都をぶらついていて、たまたま小腹が空いていたからこの店に入った。

 正直な話、店の雰囲気はあまり好ましいものではなかった。

 食事は明るく楽しくが信条ゆえ、静かにしとやかにというのは性に合わないのだ。

 次、ここを訪れることはないだろう。

 そう思いながらスープを口にして、


 ――――涙が零れた。


 まるで郷里の母に抱かれているような。

 今日までの自分を真っ向から労わってくれているような。

 ぽろぽろと零れ落ちる涙と共に心にこびりついていた澱が剥がれ落ちていった。

 それからシャルロットはこの味を目当てにバーレスクに通うようになった。

 だがそれはやがて、この優しい味を作り出したラインハルトへの興味に。

 そして気付けば恋に落ちていた。


 孕みたい、護りたい、孕みたい、抱き締めたい、

 孕みたい、少々性欲過多な気もするが……まあそこは置いておこう。


(おいちい)


 若干幼児退行しつつも手は止めない。

 十分ほどで綺麗に皿を平らげたシャルロットはベルを鳴らし追加の注文を頼む。

 まずは食事、食事が終われば酒とツマミを頼んでそれをチビチビやりつつラインハルトを観察する。

 それがシャルロットの週に一回のお決まりであった。


「……なあオイ、カール。ほんとにあれが?」

「見りゃわかんだろ」


(でへへ♪)


「見事なまでの雌顔をしてやがるぜ」

「雌顔言うな。つか、そういうことじゃねえよ。兄貴にホの字なのは分かる。俺が言いたいのは……」

「そっちもだ。俺の嗅覚は誤魔化せんぜ」


(ふへへ♪)


 至福の時間だ。

 しかし、至福であろうと不服であろうと時間は有限。

 シャルロットは他の客が帰り始める少し前に行動を起こすべく席を立った。

 向かう先はお手洗い。トイレで一体何をするのかと言うと、


「よし」


 個室に入ったシャルロットはおもむろにロングスカートを捲り上げた。

 普通の女性であれば捲くり上がったスカートの向こうにあるのは下着だ。

 が、ただの下着ではない。

 機能性よりも夜の戦闘能力に特化した、いわゆる勝負下着というやつだ。

 さて勝負下着などというものを装備しているシャルロットだが別に今日ラインハルトを押し倒して一線を越えようとかそういう意図はない。

 じゃあこの夜戦装備は一体何のために?

 無論、求愛のためだ。ただその求愛の形が些か人とは違うわけで……。


「……」


 しゅるりと布の擦れる音が個室に響く。

 シャルロットが下着の横にあるリボンを外し下着を外したのだ。


「行こう」


 気配を消し、下着を片手に個室を後にする。

 この状態のシャルロットは例え視界に入っていたとしても知覚することはできない。

 もし今の彼女を捕捉できるとすれば同程度の実力者。

 もしくは”気配を消すよりも前からずっと注意を向けていた者”ぐらいだろう。

 まあ後者に関しては当人が注意を向けられていることに気付いていれば意味はないのだが。


(今日はバックヤードにある掃除用具入れ――の裏に置こうか)


 何を置くのか、無論――脱ぎ立てほやほやの下着だ。

 何を言っているのか意味が分からない? 返す言葉もない。

 だがこれがシャルロット・カスタード、渾身の求愛行動なのである。

 OK、簡単にだが説明しよう。


 見知らぬ男に今穿いている下着を渡せる女がいるか? いない。

 では渡しても良いと思えるような男って? つまりはそういうことだ。


 馬鹿じゃねえの?

 常識って言葉知ってる?

 お前の頭には何が詰まってんの?

 言いたいことは多々あるだろう。しかし、本人的には大真面目なのだ。

 大真面目に精一杯の想いを伝えようとしている――――生脱ぎ下着で。


(今日、私は、勇気を出した)


 勝負下着とは誰にでも見せるようなものではない。

 好きな人にのみ見せるもの。

 そんな特別な代物を渡すことであなたを想う女がいると伝えているのだ。

 どうか気付いて欲しい。そして私を見つけてくれ。

 シャルロットは小さな勇気(勝負下着)を手にバックヤードへと進入する。


 アンヘルも自分の言葉がこんな勇気に変換されたとは思いもしないだろう。


「あなたが――蜘蛛ちじょだったのですね」

「!?」


 しゃがみ込み、用具入れの後ろに手を伸ばそうとした正にその瞬間の出来事であった。

 突如、背後から聞こえた声に身を硬くするシャルロット。


(ば、馬鹿な……こ、この私の背を取る……だと……!?)


 断言しよう、気配なんてものはまるで感じなかった。

 声を出して初めてそこに気配が生まれたのだ。

 幾ら気が緩んでいたからとてこのようなことがあり得るのか?

 これが殺し合いであれば殺意や敵意に反応し反射とも言える速度で迎撃行動に出ていただろう。

 だが、そのような意がまったくないせいでシャルロットは完全に硬直していた。


(声からして、ラインハルトさんの甥だろうが……この隠行は……まさか、実家は暗殺家業とかそういう?)


 いや違う。ラインハルトからはその手の気配が一切感じない。

 あ、いやそうか。カースだ。

 恐らくは気配遮断のカース――それも最上級のものを受け取ったのだ。

 テンパり気味のシャルロットがそう結論付け心を落ち着かせようとするが、


「ふぅ、覗きのために培った技術がこんなところで役に立つとはな」


 全然違った。


「さあ、立ち上がって左手のブツを渡してもらおうか」


「…………何を、言っているか分からないわ。

私はただ、ちょっと酔いが回ってこんなところに迷い込んでしまった迷惑な客よ」


 キツイ言い訳である。


 シャルロットはゆっくりと立ち上がる。

 そして振り向きざま、視認できぬほどの速度で下着をポケットに仕舞おうとするが――――


「な!?」


 僅かばかりカールの方が速かった。

 弧を描くように振り上げられた右脚がシャルロットの左手を掠める。

 垂直に高々と掲げられたカールの右脚、その爪先には勝負下着が絡め取られていた。


「分かるよ、アンタの気持ち」

「な、何を……」


 カールは静かに語り始めた。


「面と向かってさ、好意を相手に伝えるのってすっごく勇気がいることだ。

恥ずかしいって気持ちも、拒絶されたらどうしようって恐怖も」


 分かるんだとカールは真っ直ぐ自分を見つめる。


「でも、伝えなきゃ……苦しいんだ。

好きって気持ちが今にも爆発しそうで。ほんと、ままならねえよな」


 困ったように笑うカール(脚は振り上げたまま)。


「でも、そいつを越えて行かなきゃいつまで経っても前へ進めねえ。もう、十分足踏みはしただろ?」


 そろそろ前に進もう、カールは言外にそう告げていた(爪先に勝負下着を引っ掛けたまま)。


「白黒、つけようぜ」


 カールは自身の爪先に引っ掛けていた下着を手に取り歩き出す。

 着いて来い、その背中はそう告げているように思えた。

 シャルロットは少し逡巡したものの、ことここに至っては腹を括るしかないと覚悟を決めその背を追う。


「お、来たかカール。それで……」


 屋根裏部屋にやってきた二人をハインツとラインハルトが出迎える。


「ほいよ」

「う、うわぁ……ガチだった……」


 カールが下着を突き出すとハインツがわなわなと震え始めた。

 まあ、当然の反応である。

 もっとも下手人であるシャルロットは何だ? と首を傾げているわけだが。


「返すぜ」


 カールが押収していた下着を投げ渡す。

 シャルロットは反射的にそれを受け取りカールを見つめる。


「白黒つけよう。さっきはああ言ったが結局のところ、どうするかはアンタ次第だ」

「……」

「アンタはそいつをどう使う?」


 告白以外に道はなくなったわけではない。しかし、退路は絶たれた。

 もしここで自分がこの場を去ることを選べば彼らは黙ってそれを受け入れるだろう。

 そして何食わぬ顔でまた来週顔を出しても、何かを言われることはないと思う。

 だが他ならぬ己自身がそれを許せない。だって、それじゃあまりにも自分が情けなさ過ぎるから。


「……」


 ギュッと下着を握り締め意を決した面持ちでシャルロットは一歩前に出る。


「あなたは私のことなんて知らないかもしれません」


 でも、私はずっとあなたを見て来ました。


「いきなりこんなことを言われても困ると思います」


 でも、聞いてください。この想いを。


「ラインハルトさん、私、あなたのことが大好きです!!」


 下着を差し出しながらの告白。

 その想いの行方は――――


「……と、とりあえず……お友達から……で……」

「ッ……は、はい! よろしくお願いします!!」


 この恋が実るかどうかはまだ分からない。

 だがこの日、シャルロットの恋路は確実に一歩前に進んだと言えよう。







「ラブレターならぬラブランジェリーか……これは流行る」

「はやんねーよ馬鹿息子」

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