シンデレラグレイのベルノライト




 週刊ヤングジャンプで連載中の「ウマ娘 シンデレラグレイ」。


 ウマ娘としてオグリキャップの競走馬人生を描いたマンガで、愛読している方も多いでしょう。


 オグリキャップはカサマツから中央のトレセン学園に転校し、中央や世界中の猛者と戦っており、現在は1989年の有マ記念を戦っている最中らしいです(私は単行本派のため、本誌はまだ読んでないのです)。


 このお話の中で、オグリキャップと共にトレセン学園に転入し、トレーナー六平銀次郎と共にオグリキャップのサポート役となるウマ娘、ベルノライトというキャラクターがいます。


 このベルノライトのモデルとなった競走馬は笠松競馬でオグリキャップと同年にデビューした同じ馬齢の牝馬である、ツインビーと言われています。


 シンデレラグレイのベルノライトは競走ウマ娘としてはそれ程競走能力に恵まれておらず、実家がウマ娘専門のスポーツ用品店で、靴や蹄鉄に詳しいということから、オグリキャップの用具や戦略のサポート役という役割を買って出て、サポート研修生の編入試験に合格してオグリキャップと共に中央のトレセン学園に編入したということになっています。


 この設定を見ると、モデルとなったツインビーもそれほど強くないように思えるのですが、実際の競争成績は笠松競馬で1987年から1990年の4年間で45戦して重賞出走こそ無かったものの10勝を挙げており、決して弱い馬だった訳ではないようです。


 そんな実馬のツインビーですがオグリキャップと特別な接点があった訳ではありません。


 ツインビーとオグリキャップは一緒に走ったレースはありません。

 ツインビーはデビューが少し遅く1987年10月に初出走。デビュー戦は3着で以降2着や3着と勝ち切れないレースが続き、6戦目となった12月31日の3歳戦でようやく1勝を挙げました。

 オグリキャップは1988年1月10日のゴールドジュニアで勝利した後、中央競馬に移籍していますので、同じレースを走るには間に合いませんでした。


 所属厩舎もオグリキャップは鷲見厩舎でしたし、ツインビーは宮下了厩舎でした。

 主戦騎手もオグリキャップは青木達彦、高橋一成、安藤勝己だったのに対しツインビーはほぼ一貫して樋口富男騎手が鞍上を務めています。


 当然、馬主も生産牧場も違います。


 育成牧場は同じ美山育成牧場だったかも知れませんし、日々の調教の中で一緒の馬場にいたことはあったかも知れませんが、見た限りではツインビーとオグリキャップとの間に、創作でパートナーとなる元ネタとなるような繋がりや関りがあったようには見えません。


 ただ、シンデレラグレイの脚本の杉浦理史氏、企画構成の伊藤隼之介氏はTVアニメウマ娘の1期2期に関わり深い競馬愛に溢れた方々です。

 何の根拠も無くツインビーをオグリキャップのパートナーに設定することはないんじゃないかと私は思いました。


 今私が書いている「Different possibilities of a certain reed-haired horse <ある葦毛馬の異なった可能性>」という作品の資料としてよく見ているJBISサーチというHPがあります。

 1986年以降の中央競馬、地方競馬のレースの出走馬や着順が載っており、大変お世話になっているHPです。

 ある日小説の展開に煮詰まり、どないしよ~とJBISサーチを見ていると、競走馬の基本情報ページに「この馬で架空血統表を作成」なる項目があるのを発見しました。


 試しにオグリキャップと同年代で色々と思いつく牝馬で試してみました。


 オグリキャップとフジノノーザン、Palestineの5×5。

 オグリキャップとイソノルーブル、Nasrullahの5×5×5。

 オグリキャップとミヤマポピー、Polynesianの4×5。 

 オグリキャップとロジータ、Grey Sovereignの4×5、Nasrullahの5×5。 

 オグリキャップとマックスフリート、Native Dancerの3×3、Nasrullahの5×5×5。 

 オグリキャップとライデンリーダー、クロス無し。


 ダビスタ3で遊んだ程度の血統知識しかないので、Nasrullahのクロスは気性悪に出るなー、とか、結構Native Dancerのクロスが出る牝馬は少ないなーとか、そんな浅い感想しか出ませんでしたが、意外に時間を忘れてしまうほど面白い。

 オグリキャップといえばNative Dancerの直系に当たるからNative Dancerを生かすにはミスプロ系の牝馬かな、とか考えているうちに、ふと、ツインビーとはどうかなと思いつき、試してみました。


 オグリキャップとツインビー、Native Dancerの3×5。 


 奇跡の血量と言われる4×3のインブリードには足りていませんが、割と入りやすいNasrullahのクロスが入らず、Native Dancerだけのクロスが成立するというのは珍しい。

 この組み合わせ、けっこう見て見たいかも知れない。


 これはつまり、杉浦理史氏と伊藤隼之介氏がシンデレラグレイでオグリキャップのパートナーにツインビーをモデルにしたベルノライトを配したのは、実際の配合でベストパートナーと考えたからなのかな、と思ったのです。


 まあウマ娘の世界で繁殖はさせられないと思いますけども。


 そして実馬のツインビーは繁殖成績はどうだったのかと思い調べてみますと、1990年一杯で競走馬を引退したツインビーは1991年から繁殖に上がり、1992年春に父 コインドシルバーとの第1子となる牝馬を出産。

 1992年はアジュディケーティングを付けるも不受胎。

 1993年はサクラセダンスキーとの子となる牝馬を出産。

 1994年、1995年は リキアイオー を付けるも、どちらも不受胎。

 以降は繁殖牝馬を引退しており、その後は不明です。

 父コインドルシルバーとの間に生まれた第1子の牝馬は、笠松で競走馬としてデビューしましたが、3戦未勝利で登録抹消。どうも繁殖には上がれなかったようで、その後は不明です。

 父サクラセダンスキーとの間に生まれた牝馬は、競走馬にはなれなかったようです。繁殖にも上がれず、その後はやはり不明。


 ツインビーの繁殖成績は、不遇でした。


 もしオグリキャップを付けていたらと思うと夢は膨らむのですが、当初一株5年で3000万円と高額だったオグリキャップは、おそらく手が出せなかったのでしょう。

 ツインビーの最後の種付けとなった1995年辺りなら、おそらくオグリキャップの種付け料も下がっていたと思いますが、それでも高額だったのでしょうか。

 種付け相手のサクラセダンスキーとリキアイオーは現役時の競争成績も今ひとつで、種牡馬成績も産駒から重賞勝ち馬は出していなかったので、種付け料もかなり安かったのではないかと思われますから。


 現実では少し寂しいことになっていたツインビー。


 シンデレラグレイの世界では、今後もオグリキャップを笑顔でサポートする姿を見せ続けて欲しいものです。












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