オグリキャップ⑥ 可能性の馬




 書き出した時はこんなに長くなると思っておりませんでした。


『ウマ娘』というコンテンツは史実の競馬のレース結果や競走馬にまつわるエピソード等を上手く物語として取り込んでいて、過去の名馬について新規に触れた人が興味を持ってくれる良い入口だと思います。


 オグリキャップに関しても、週刊ヤングジャンプ誌上で『ウマ娘 シンデレラグレイ』として漫画になり現在でも連載中で、オグリキャップの熱い戦いが令和の現在に蘇っています。

 私も単行本で楽しみに読んでいます。


 ただ、『ウマ娘』というコンテンツは、ウマ娘は他の世界の競走馬の魂と名前を引き継ぐ存在であり、トレセン学園に所属しトレーニングを積みながらトゥインクルシリーズのグレードレースを戦い、勝利のウイニングライブを行う半アイドル的存在、という設定のお話なので、どうしても現実世界の競馬を構成する騎手、馬主、世情といった部分は落とし込み切れません。

 史実の競走馬オグリキャップが、どれだけのハンディを背負いつつあれだけの結果を残し、その走りによって何が変わったのか、を自分なりに書いてみようと思い軽い気持ちで書き出したのですが、思った以上に調べるとあれもこれも書きたいとなってこんなに長くなってしまいました。


 ネットでオグリキャップのレース賞金などが載っているデータサイトを見ていると、他の競走馬の結果などもあって面白すぎ、ついついそのサイトを長々眺めてしまったりもしましたし、知ったことをなるべく多く書こうとして乱雑な内容だったり取っ散らかった文章になったりしたことは反省すべき点です。


『ウマ娘 シンデレラグレイ』の単行本最新11巻は、スーパークリークを僅かにとらえ切れなかった1989年天皇賞秋の決着まで描かれていて、ヤングジャンプ本誌では衝撃のジャパンカップの真っ最中みたいです。

 てことはマイルCSはもう本誌では終わってるのか~。

 馬主という存在が無い以上、この秋の無茶なローテーションはオグリキャップ本人の希望かトレーナーの希望という形にならざるを得ないので、どう納得のいく理由付けを『シンデレラグレイ』では描いているのか気になって仕方ないところです。


 一読者としては『シンデレラグレイ』のおかげで、オグリキャップが単なるアイドルホースではなく強い馬だったということが広く知られることは嬉しいことです。


 ところで前項で触れたオグリキャップを認めたくない競馬識者たちは、オグリキャップ引退後にオグリキャップをアイドル的人気のあった馬という形にパッケージすることに成功し、現在の競馬通気取りの間でのオグリキャップの評価は「昔凄く人気があった馬」という評価をしているようです。

 ラストラン有馬記念も、その日同距離で行われた900万下条件戦グッドラックHの勝ち時計よりも遅かったからレベルが低いと。

 有力馬が春秋のGⅠに照準を合わせ年5、6戦しかしない代わりに高速決着も珍しくない昨今の状況を当然と受け入れている競馬ファンにとっては、この論説は非常に受け入れやすいのかも知れませんね。

 ただ、実際のところそのレースに出ていた馬の中で様々な駆け引きの中一番最初にゴール板を通過した馬がレースの勝者であると認めないと競馬は成立しません。

 レースレベル云々は所詮は後付けでその勝者を貶める理由探しの結果なんです。


 実際、有馬記念と同日に同距離の条件戦グッドラックHが開催されるようになった1988年以降、グッドラックHの勝ち時計よりも遅い勝ち時計で決着した有馬記念はそこそこあったりします。


 その例として1990年にオグリキャップが勝って以降に行われたある有馬記念を挙げてみます。

 それは1999年の有馬記念。

 良馬場で行われたこのレースを制した勝ち馬グラスワンダーの勝ち時計は2分37秒2。

 オグリキャップのラストラン2分34秒2より3秒も遅いです。

 更に言えば1999年の有馬記念の直前に行われた900万下条件戦グッドラックHの勝ち時計2分35秒8よりも1秒4遅いのです。

 この結果を受けて、このレースはレベルが低く所詮グラスワンダーは条件戦の馬に勝ち時計で負けるような過大評価の馬である、と言った評論家は居たでしょうか?

 この日グラスワンダーに負けたスペシャルウィーク以下テイエムオペラオーらはどうしようもない出来だったのでしょうか? 或いはグラスワンダーにグランプリ3連覇を成し遂げさせるために他の騎手が手を抜いたのでしょうか?


 このレースに関しては、次の年に古馬GⅠどころか出走レース全勝を成し遂げる3歳馬に対して先輩古馬が貫録を見せたレースだったという言説は聞いたことがありますが、貶める内容を聞いたことはありません。


 このレースは一つの例で、オグリキャップの勝ち時計よりも遅い有馬記念勝ち時計の馬は1990年以降1999年グラスワンダーを含めて5頭いますし、同日同距離の条件戦グッドラックHの勝ち時計と同タイム以下の勝ち時計の有馬記念も1999年グラスワンダーを含めて4回あります。

 それらのどのレースも貶められるような言説はあまり聞きませんし、むしろ名レースに挙げる人もいるようなレースです。


 奇跡のラストランと世間一般に持ち上げられた1990年有馬記念を、勝つはずのない(と競馬識者が確信していた)オグリキャップが勝利したという競馬識者が認めたくない結果を、どうにか競馬識者が自身を納得させるために捻り出した負け惜しみ「レースレベルが低かった」。それが今に至るまで「オグリキャップは大衆人気は凄かったが大して強くはなかった」という偏った見方の要因になっているのではないでしょうか。

 つまり、ラストラン有馬記念の勝ち時計を根拠に「オグリキャップは周囲の馬との力関係に恵まれて何となく強く見えるアイドルホースだった」という一部の論説は的外れということです。


 でも、それくらい当時のオグリキャップは、競馬識者にとっては理解不能な存在でしたが、競馬知識のない一般人にとっては、常に何かをやってくれるという期待に応える存在でした。


 オグリキャップを「田舎者の星」と言ったのは明石家さんまさんでしたが、実際そこまで都会に出てきた田舎者の代表としてオグリキャップを応援していた人は当時それほど居なかったはずです。

 その見方はハイセイコーの頃、中卒後集団就職で都会に出る若者が多かった頃の共感の仕方であって、1988~90年頃の世相とは少し違います。

 明石家さんまさん等関西芸人は、大阪で一度売れても東京に出て来るとまた一から下積みをする苦労をして東京での成功を掴んでいたので、自身の境遇をオグリキャップになぞらえて言った、という面はあったと思いますが、それが当時オグリキャップを応援する人の意見の総意ではなかったかと思います。


 1988年頃は食い扶持を稼ぐために都会に行って一旗揚げてやる、という上昇志向で都会に出る人というのは割合としてはそれ程多くなく、社会に出る前に大学に行って4年間都会で遊ぼうというようなモラトリアムな人が急激に増えた時期です。

 バブル絶頂期の頃ですから、都会には様々な新しい遊びがありましたし、東京発の全国メディアがそれをこぞって発信していました。

 トレンディドラマのような生活に憧れ、上京後けっこうカツカツになりつつ見栄を張った生活をしていた学生は相当居たでしょう。

 それまでの重厚長大な価値観は崩れ、結果の出ない努力や常時の熱血を冷笑し、要領よく立ち回り利益を得る方が現実的というやや刹那的な風潮がありました。

 可愛いものやポップなものがビジュアル的に受け「うる星やつら」や「タッチ」などのラブコメが流行った時期でもあります。

 バンドブームが起こり玉石混合の数多あまたのバンドがデビューし音が溢れていました。

 逆に、女子高生コンクリート詰め殺人事件や、名古屋アベック殺人事件のようなそれまでの社会常識では理解できない意味不明な事件も起こるようになっていました。


 実際のあの頃というのは、ポップで明るく前向きに、お金さえあればそう過ごせるという希望はありましたが、反面、一人一人の根っこが切れてふわりふわりと流されている浮遊感があり、混沌とした見通せないところまで流されていってしまうのではないかという漠然とした不安を大多数の人々は抱えていたのです。


 そうした人たちの前に可愛らしくデフォルメされたぬいぐるみという形で現れたオグリキャップ。

 実馬のオグリキャップもヌボッとした風采の上がらないボヤけた風貌なのに実際に走ると強い。

 まるで「タッチ」の上杉達也のようです。

 自分達と大して変わらないちょっとドジでエッチな高校生が、あるきっかけにより自分に埋もれた能力を発揮してヒーローになる。

 オグリキャップも大して期待されない生まれだったのに、普通に走って勝って行くうちに気づかぬまま周囲の大人の思惑によって走らされ足を引っ張られたりするが、そんな大人の思惑とは関係なく自分自身の能力を発揮し、強敵との勝負に臨んでいく。

 これが家柄やコネに恵まれない自分達と同じ等身大のヒーローとして多くの人に受け入れられたのではなかったかと思うのです。


 競馬ブームのもう一方の立役者の武豊騎手は「魔術師」武邦彦の息子という2世で最初から騎乗馬にも困らず「天才」の名を欲しいままにするというエリート的な存在でした。

 そんなエリートとGⅠの舞台で何度も戦い打ち負かすオグリキャップは、まだ何者にもなれていない庶民の代表者でありヒーローだったのです。


 オグリキャップの活躍に熱狂した、競馬に疎かった多くの人たちは何を見ていたのか。

 それは、まだ何者でもない自分(たち)の可能性でした。


 ブラッドスポーツと言われ、血統が強さの要因として語られることの多い競馬の世界で、それまで誰もが見向きもしなかったパッとしない血統から、突然物凄く強い馬が誕生する。

 京都でマイルGⅠを勝った次の週には東京で世界レコードタイムを出す。

 それも、華麗な走りなどではなく、じわっじわっとにじり寄るように差を縮め、瞬間的に伸びて僅かでも前に出ようとする。

 まるでオグリキャップ自身が負けたくないと思っているかのような。

 そんな必死さを見る者に感じさせる。

 普段は熱血を冷笑している自分達だけど、競走馬の必死さを笑うことなんて出来やしない。

 人間社会以上に血筋が全ての競馬でそんなことが起こるのなら、今は燻っていて何者でもない自分達でも、何か大きなことがやれる可能性があるんじゃないだろうか。

 いや、競走馬のオグリキャップがやれてるんだから、自分達だってやれるんだ。


 そういう夢を皆がオグリキャップに見たのです。


 おそらく、その当時の人たちは、オグリキャップが見せてくれた現実の激闘の感動以外にも、オグリキャップのIFの可能性も考えたりしたことでしょう。


 例えばクラシック登録が特例で認められクラシックレースに参戦できていたら。

 例えば笠松時代主戦騎手の安藤勝己を背に中央に挑んでいたら。

 例えば馬主がもう少しオグリキャップの体調に気遣ったローテーションを組んでいたら。

 例えば佐橋氏以外の中央馬主へ譲渡されていたら。

 例えば、アーリントンミリオンに順調に参戦できていたら。


 数年遅れでオグリキャップに触れた私でも、色々と妄想することはあります。

 オグリキャップのレースビデオを私に見せてくれた松山くんも、クラシック2つは行けたよな~、と言って惜しがっていたのを思い出します。


 そして今、改めて思うのは、オグリキャップが凱旋門賞に行っていたらおそらく相当いい勝負が出来たんじゃないか、ということです。


 理由はいくつかあります。

 欧州挑戦のハードルとしてまず輸送のストレスと環境変化への適応が上げられますが、オグリキャップは輸送を苦にせず、環境が替わっても苦にしません。

 食が細くなる心配は24時間密着され7日間寝かされないなんてことがない限り、まずありません。

 そして、走り方が力の要る馬場に向いていること。

 オグリキャップに乗った騎手は皆、オグリキャップの走り方が力馬の走りだったと証言しています。全身の力を使って地面を掻き込む走り方は、欧州の粘り強い芝にも合っていたのではないかと思わずにいられません。


 ロンシャンの長い直線を、日本のヌボッとした見てくれの悪い葦毛馬が、ジリジリと先頭との差を詰めて行き、ゴール板を通過する直前に突然の伸びを見せて2頭並んで―― 


 ということが十分有り得ただろうな、と思うのです。


 現役時代、人間の都合に振り回されつつも全身全霊で3年半を駆け抜けたオグリキャップ。

 今『ウマ娘』となって、最強のライバルタマモクロスや平成3強のスーパークリーク、イナリワンらと楽しく学園生活を送っていることは、幸せなのではないかな~と思います。


 さて、駄文に長々のお付き合いを頂き、ありがとうございました。


 最後にもう一度、オグリキャップ現役時のほぼ全てのレースが見れる動画のURLを貼っておきます。


 オグリキャップ伝説~生い立ちから引退まで~

 https://www.youtube.com/watch?v=cdExPXTUeAI










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