オグリキャップ③ 時代と環境に翻弄されても走り続けた馬




 さて、オグリキャップは前の話で挙げたように相当な実力を持った強い馬でしたが、実績の割に騎手の乗り替わりが多かったと書きました。

 また、これだけの実績馬ですが使われたレース数も実績馬としてはかなり多いのです。


 レース数を多く使うのは、弱い競走馬の場合は今でも多々あります。

 競争馬を所有する馬主さんが競走に所有馬を出走させたいと考えた場合、必ずどこかの厩舎に馬を預託し競争出走のための調教をしてもらわなければいけません。

 厩舎に競走馬を預託するには中央競馬の場合60~70万円、地方競馬の場合は幅が広く15~45万円が預託料として毎月かかります。これはレースに出走しようとしまいと馬主は必ず支払わなければならない費用です。

 強い馬だった場合はレースに出走したら必ずもらえる出走手当の他に掲示板着内順位に入れば払われる本賞金収入があるため、預託料はさほどの負担とはなりません。本賞金は当然1着が最も高く、出走するレースの条件(未勝利、1勝クラス、2勝クラスなど)が上るたびに本賞金額も上がっていきます。

 ですが掲示板を外す順位が続く競走馬の場合は、まずは1勝を挙げるために間隔をおかずにレースに使われることが多くなります。

 これは、間をおかずにレースに使うことで1か月の間に複数の出走手当を手にして馬主の預託料負担を軽くする意味もありますが、中央競馬の場合は3歳秋まで未勝利のままだと、得られる本賞金が減算になってしまうため、少しでも早く1勝を挙げることが必要になるからです。

 中央競馬でレースに出し続けても勝てなかった競走馬は、引退させるか地方競馬に転籍することになります。地方競馬の場合は勝ち上れなくてもずっとレースに出続けることは可能なのです。

 ですから高知競馬を救ったハルウララのように113戦未勝利なんてこともあります。

 ただ、ハルウララのように負け続けても馬主さんが預託料を払い続けるケースはごく稀です。預託料が安いとはいえ、レースで得られる出走手当や本賞金も安くなってしまいますから、馬主さんはやはり毎月幾何かの赤字を抱えることになり、どこかで見切りをつけることになります。

 多くの競走馬は2年程度勝ち上がれないと競走馬登録を抹消し、観光牧場や乗馬クラブに払い下げられていきます。

 その後は更に転売されて行方不明になってしまうことも多いのですけど。


 そんな訳で、なかなかOPオープンクラスまで上がれない馬の場合は出走数が嵩む傾向にあるのです。


 また、競走馬は生き物で故障と常に隣り合わせな存在。

 競走馬は骨折や屈腱炎などの怪我を発症し競争能力を失うことも多く、レースを多く使えば使うほど故障の可能性は高くなります。

 故障が軽度であれば治るまで休養させることもありますが、重度の故障の場合は良くて引退、悪ければ安楽死処分となります。


 勝てるまで走らせられ、走れなくなれば引退、行方不明。

 これは競走馬としての宿命。

 人の名誉金銭を求める欲によって走らされる存在が競走馬なのです。

 ハルウララのような、純粋にその馬を愛する馬主さんばかりではないのです。


 そしてある程度勝ち上がり馬主さんと調教師が強い馬だと判断した場合は、故障しないように春シーズン4戦、秋シーズン4戦程度の重賞に照準を合わせた大事な使い方に変わって行くものです。現在では更に大事使いするようになり、春3戦、秋3戦程度が多いようですね。

 最初から勝ちを重ねた馬の場合はクラシックレース、特にダービー出走を皆狙いますので、本命と言われる存在になれば相当大事に使われることになります。

 なるべく大事に走ってもらい、より多くの名誉と金銭を期待されます。

 最も常に順調にレースに出走できる体調を維持出来る訳でも無いため、結果的にGⅠを取るほどの馬の場合、生涯出走数はそれほど多くはないことが多いのです。


 ここでオグリキャップと同時代のライバルの成績と出走数を見てみましょう。


オグリキャップ 現役期間4年間 32戦 221着62着13着34着以下 GⅠ4勝 有馬記念1988年マイルCS1989年安田記念1990年有馬記念1990年

タマモクロス 現役期間2年間 18戦 91着32着23着44着以下 GⅠ3勝 天皇賞春1988年宝塚記念1988年天皇賞秋1988年

スーパークリーク 現役期間3年間 16戦 81着22着23着44着以下 GⅠ3勝 菊花賞1988年天皇賞秋1989年天皇賞春1990年

イナリワン 現役期間5年間 25戦 121着32着23着84着以下 GⅠ3勝 天皇賞春1989年宝塚記念1989年有馬記念1989年

バンブーメモリー 現役期間5年 39戦 81着72着53着194着以下 GⅠ2勝 安田記念1989年スプリンターズS1990年

ヤエノムテキ 現役期間3年 23戦 81着42着33着84着以下 GⅠ2勝 皐月賞1988年天皇賞秋1990年


 現役期間は、年度中に1走でもしていたら1年と数えています。


 バンブーメモリーというとんでもなく元気な馬が同時代にいるので、オグリキャップの出走数が霞んで見えてしまいますが、バンブーメモリーやタマモクロス、スーパークリークなども、本賞金獲得額で決まるOPクラスに上がるまでにレースを結構使われているためこの数字になっています。

 バンブーメモリーの場合は1987年11月14日の新馬戦でデビューし、3戦目となる12月27日の未勝利戦で1勝目を挙げ、途中で7カ月間の体調調整期間が空いた後1989年4月8日に16戦目となる道頓堀ステークスを勝って4勝目を挙げようやくOPクラスに上がっています。

 タマモクロスも1987年3月1日の遅いデビュー戦後、3戦目となる4月11日の未勝利戦で1勝目。10戦目となる11月1日の藤森特別で3勝目を挙げてOPに。以降はオグリキャップに先着したものの米国馬ペイザバトラーの2着になるジャパンカップまで連勝を続けます。

 こうして見ると後にGⅠを取ることになる馬であっても、OPクラスに上がれる勝ち星を重ねられない限りは中1週で使われることに変わりはなく、そこで出走数が嵩みます。そしてOPに上がり重賞を狙えるようになった後は大事に使われます。

 それでも故障は付きまといますが。


 ではオグリキャップの場合はどうだったでしょうか?


 前の話に記載したオグリキャップの戦績を思い出して下さい。

 オグリキャップは笠松競馬場にて1987年5月19日の新馬戦にてデビューし、この時は2着に敗れたものの、6月2日の3歳戦(現2歳戦)で初勝利。

 そこから12月29日のジュニアグランプリまで9戦を走り、7月26日の3歳戦(現2歳戦)で2着に敗れた以外は全勝。11戦9勝です。

 翌1988年は1月10日のゴールドジュニアを走り1着を取った後、中央競馬へ移籍。

 デビュー時期が相当早かったとはいえ、笠松競馬で12戦。かなり多く感じます。

 勝っている馬がここまで使われる理由はなんでしょう。


 笠松競馬の場合は調教の延長でレースを使いながら馬を仕上げていく傾向があり、調教師が馬の状態が良いと判断すれば中1週でもレースを使っていきます。

 それはお笑いトリオジャンポケ斉藤さんが馬主をしている競走馬「オマタセシマシタ」の使われ方を見ていてもわかりますので、一概に悪いと言えるものでもありません。

 また、笠松時代に2度オグリキャップは負けていますが、どちらもマーチトウショウという馬相手で、前の話で挙げさせてもらったYouTube動画の笠松時代のレースには必ずマーチトウショウやミサトネバーなど同じメンバーが出走しており、オグリキャップだけが特別ひどいローテーションという訳でもなく、当時の笠松競馬では普通だったようです。


 ただ一つ気になったのは、笠松競馬は預託料が安い代わりにレースの本賞金もかなり安いということです。

 何故笠松の賞金の安さを挙げたのかというと、中央競馬で走らせるために初代馬主小栗孝一氏からオグリキャップを買い取った二代目馬主の佐橋五十雄氏が、オグリキャップを最初から中央のOPクラスで走らせるために笠松での賞金を稼いでおく必要があったため結果的に笠松でのレース数が多くなったのではないか、という気がするのです。


 オグリキャップが中央競馬に移籍した当時、中央の条件戦クラス分けは400万下、900万下、1400万下となっていたと思います。獲得した本賞金に特定の値を掛けた数値でその馬の条件クラスが決まったはずですが、3歳時点では賞金額が2000万円あれば余裕をもってOPクラスを維持できたと記憶しています。

 これは中央の馬ならば3歳新馬戦あるいは未勝利戦を勝ち、その後3歳GⅢ重賞で1着を取ればクリアできます。

 ちなみに1987年当時の中央競馬の賞金額は3歳新馬戦(現馬齢標記だと2歳新馬戦)1着賞金が510万円、未勝利戦1着賞金が420万円、3歳重賞GⅢ1着賞金が2400万円となっていました。


 そして、笠松競馬の場合はどうだったでしょうか?

 オグリキャップ初代馬主さんの小栗孝一氏が杉本清氏との対談の中で、笠松の賞金は60万円と大したことはない代わりに預託料も安い、と発言されています。

 1987年当時、オグリキャップが走ったレースの賞金額を調べて見ると3歳戦(現馬齢標記だと2歳戦)は1着85万円で3歳重賞(現馬齢2歳重賞)は賞によって額は変わるものの最高で360万円。古馬混合のOP競争が150万円でした。

 これは小栗さんの記憶が間違っている訳では無く、おそらくですが中央競馬と同じように賞金から調教師、担当厩務員、騎手に20万円ほど支払われていて、純粋に馬主さんの手元に残った金額を発言されていたのだと思います。

 笠松競馬の賞金額は中央競馬の5分の1から6分の1程度なのです。

 結果オグリキャップが笠松競馬の12戦で獲得した賞金の合計金額は2281万円でした。

 12戦かかってやっと中央2歳戦GⅢ1着賞金に少し満たない金額を獲得できたのです。


 余談になりますが、笠松競馬は2000年代に入ってから経営状態が悪くなり、2005年に岐阜県議会に廃止検討を上程され存続が危ぶまれましたが、その際に賞金額の減額などのコストカットを行いどうにか存続できているという経緯があり、1987年当時よりも2023年現在の方が賞金額は安くなり、未勝利戦扱いのC組競争は1着30万円となっています。


 さらに余談ですが、同じく地方競馬大井競馬場出身だったイナリワン。

 イナリワンはオグリキャップよりも1歳年上ですが中央入りは1年遅く、古馬になった現馬齢5歳で迎えた1989年からとなります。

 イナリワンは大井競馬場の足かけ3年間で、途中怪我によると思われる休養もありましたが14戦を戦い9勝。オグリキャップの1年間弱で12戦とは違いゆったり使われています。

 これはイナリワンの馬主さんが中央競馬の馬主資格も持っており中央入りを急がなかったことに加え、大井競馬の方が笠松競馬よりも賞金額が高いことも関係しています。

 イナリワンが勝ったサラ系新馬の1着賞金は150万円。その後の条件戦賞金は110万円、120万円でしたがOP戦は200万円、240万円、500万円。、初重賞の東京王冠賞は1800万円。更に大井最後のレースとなった東京大賞典は4000万円と、中央入り後のために急いで賞金を稼ぐ必要もなかったのです。


 賞金額の違いは競争レベルの違いと言う事もできます。

 同じ地方競馬でもレベルの低い笠松で勝ち続けていたオグリキャップは、まだ恵まれた環境だったイナリワン以上に中央競馬のOPクラスで走り出すために苦労し無理をさせられたということになるかと思います。

 ただ、オグリキャップ自身は無理をさせられているとは思っていなかったかも知れません。


 おそらく初代馬主である小栗孝一氏が中央競馬の馬主資格を持っていたならば、ここまで地方時代にレースを使うことはなかったと思えるのです(旺盛な食欲のため馬体重が増え過ぎレースを使わないと馬体重を落とせない、ということはあり得ますが)。

 元々小栗孝一氏は、オグリキャップを中央で走らせることは全く考えていませんでした。

 オグリキャップを生んだホワイトナルビーは小栗孝一氏が所有し、稲葉牧場に預託していた繁殖牝馬で、産んだ子は全て小栗孝一氏が買い取り笠松競馬で走らせており、小栗氏の夢は東海地区で毎年6月に開催される3歳グレードレース「東海ダービー」をホワイトナルビーの子で取ることでした。

 最初から中央の馬主資格を取ろうとは考えたこともなく、ホワイトナルビーの6番目の子であるオグリキャップも、他の兄弟のように笠松で走らせることが当然だったため、その当時は生まれた次の年、1歳の6月15日までにしておかなければならない中央競馬のクラシック登録をしていなかったということは小栗氏にとっては自然な流れでありました。

 オグリキャップが次々に勝ちだし中央入りを勧められたとしても、小栗氏が中央馬主資格をもしも持っていたならば、目標だった「東海ダービー」を蹴ってまで中央入りさせる必要はなかった筈で、イナリワンの馬主さん保手浜弘規氏のように地方での大目標を達成してからという選択をしたのではないでしょうか。

 そして「東海ダービー」挑戦後、タラレバになりますが1着になっていれば1着賞金の1200万円が加算されることとなり、改めて次の夢として中央にOP馬として挑戦するということになったのではないかと思います。


 そもそも、一刻も早く中央競馬に移籍させるべきという佐橋氏の口説き文句は、一体誰のためだったのでしょうか。

 オグリキャップを中央に、という申し出は何人かから小栗氏は受けていたようです。

 その中で最も熱心に口説き落としたのが二代目馬主の佐橋五十雄氏ということですが、佐橋氏が本当に小栗氏の心情を汲んでいたのなら、東海ダービー後にオグリキャップを買い取り中央の秋競馬でデビューさせることも出来た筈です。

 だってオグリキャップは多くの競走馬の目標となる中央のクラシックレースは出れないのです。急ぐ必要は本来ありません。

 古馬混合戦のGⅢで、メンバーが手薄なところから使って行けばよいのです。

 なのに何故佐橋氏はそうしなかったのかというと、やはりオグリキャップを強いと言いながらも、所詮は笠松競馬レベルで中央ではそう簡単には勝てない、3歳重賞の一つでも取れれば御の字というという冷徹な計算があったのだろうと思います。

 ですから3歳重賞が多く開催される春シーズンの中央入りに拘り、小栗氏を急かしたのではないでしょうか。

 小栗氏が「最も熱心に申し入れてきた」と言っていましたが、熱心さ=買い取り金額だったはずです。

 何故なら、やはりいくら連勝している2歳馬とはいえ、笠松と中央とでは競走馬のレベルが天と地程に違うと誰もが思ったはずで、佐橋氏の提示した2000万円(異聞で3000万円説もあり)という金額は、オグリキャップが笠松で稼ぎ出した金額と同等かそれ以上で、いつ故障して走れなくなるかも知れない競走馬に対してそこまで思い切った値段はなかなか付けられません。

 買い取るに当たり、小栗氏に中央で走らなければ笠松の小栗氏に戻す、競走馬名はオグリキャップのままで変更しない、等の条件を提示し小栗氏は絆されたようです。

 

 ただ、中央競馬の馬主資格を持つ二代目馬主佐橋五十雄氏は、これまでも地方で勝ち星を挙げている競走馬を買い取り中央で走らせ、中央で走らなければ大井や川崎などのより賞金の高い地方競馬で走らせるということをずっと繰り返し行っている人でした。

 佐橋氏にとっては、オグリキャップが中央で1勝でも挙げてくれれば御の字で、中央で勝てなくなったら笠松に戻す前に大井などで走らせれば2000万円の元は取れるという計算づくだっただろうと思います。


 ただ、オグリキャップは、そんな二代目馬主佐橋氏の思惑以上の馬だったのです。




 いや~、馬主編も全然途中なんですが、どうもまた文字数が多くなってしまいました。

 続きはまた近日中に上げますね。











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