オグリキャップ② 言い表せない強さ




『ウマ娘』のゲームアプリは一切プレイしていないのですが、『ウマ娘』についてのYouTube動画はよく見ています。


 その中でユーザーが育成した『ウマ娘』同士を戦わせるチャンピオンズミーティング内でオグリキャップが現時点で滅茶苦茶強いらしく、ゲームのバランス調整が悪いと一部ユーザーに言われているのだとか。

「オグリキャップに関しては、どれだけゲーム内での強さを盛ってもいいとJRAが考えているからだ」「競馬ブームだった頃の競馬知識のない人がオグリキャップが最強馬だと考えているからだ。その後競馬は進化しているのに」という不満の声があるようです。

 ゲームですからユーザーから不満が出ないようにバランス調整はお願いしたいところです。


 ただ、オグリキャップの強さについてはどれだけ盛ってもいい、という部分。

 これは本当にその通りです。

 どれだけ盛ってもいい。

 オグリキャップ登場前とオグリキャップ登場後で馬券の売り上げが2兆円弱から3兆円強へと2倍弱増加してJRAの売り上げに貢献したから、ではありません。

 それまでなかった競走馬のぬいぐるみを世間に定着させ、馬券売り上げ以外の収入方法を提示したから、でもありません。


 本当に強かったからです。

 ただ、強いのですが、どう強いのか、その強さを誰も言い表せません。


 その強さをまずは見てもらいたいと思うので、ここで一つのYouTube動画をご紹介します。お手数ですがURLをコピーして視聴していただければと思います。

 ちなみにこの動画は私が上げているものではありません。広告収入目的ではないことをお断りしておきます。


「オグリキャップ伝説~生い立ちから引退まで~」

 https://www.youtube.com/watch?v=cdExPXTUeAI


 オグリキャップのレース動画は他にも色々と上がっているのですが、この動画をお勧めする理由は、オグリキャップの笠松6戦目以降、全てのレースがフルで収録されているからです。1時間45分ですが、倍速での視聴でも凄さは十分わかると思います。


 オグリキャップの全戦績です。

 生涯成績は地方の笠松時代も含め32戦22勝、2着6回3着1回。

 G1レースは1988年、1990年の有馬記念、1989年のマイルチャンピオンシップ、1990年の安田記念と4勝しています。



 1987年(昭和62年)馬齢2歳 

        馬主 小栗孝一  笠松 鷲見厩舎 

 5月19日 日付 笠松競馬場 3歳新馬レース名 ダ800m(良距離/馬場状態

   2着着順 0:50.1タイム 青木達彦騎手 マーチトウショウ1着馬(2着馬) 452㎏馬体重

 6月2日 笠松 3歳イ  ダ800m(良

   1着 0:51.1 高橋一成 (ノースヒーロー)450㎏

 6月15日 笠松 3歳イ ダ800m(重 

   1着 0:49.8 青木達彦 (フェートチャールス)456㎏

 7月26日 笠松 3歳イ ダ800m(良 

   2着 0:50.3 高橋一成 マーチトウショウ 470㎏

 8月12日 笠松 3歳イ ダ800m(良 

   1着 0:49.7 高橋一成 (マーチトウショウ)470㎏

 8月30日 笠松 秋風ジュニア ダ1400m(良 

   1着 1:30.3 安藤勝己 (マーチトウショウ)476㎏

 10月4日 笠松 ジュニアクラウン重賞 ダ1400m(良

   1着 1:29.4 安藤勝己 (マーチトウショウ)472㎏

 10月14日 中京 中京盃重賞 芝1200m(良

   1着 1:10.8 安藤勝己 (アーデントラブ)470㎏

 11月4日 名古屋 中日スポーツ杯重賞 ダ1400m(良

   1着 1:29.8 安藤勝己 (ハロープリンセス)476㎏

 12月7日 笠松 師走特別 ダ1600m(良

   1着 1:44.4 安藤勝己 (ヤングオージャ)482㎏

 12月29日 笠松 ジュニアグランプリ重賞 ダ1600m(良

   1着 1:45.0 安藤勝己 (トウカイシャーク)482㎏


 1988年(昭和63年) 馬齢3歳

         馬主 小栗孝一  笠松 鷲見厩舎

 1月10日 笠松 ゴールドジュニア重賞 ダ1600m(良

   1着 1:41.8 安藤勝己 (マーチトウショウ)486㎏


      ~中央競馬へ移籍~

         馬主 佐橋五十雄  栗東 瀬戸口厩舎        

 3月6日 阪神 ペガサスS GⅢ 芝1600m(良

   1着 1:35.6 河内洋 (ラガーブラック) 482㎏

 3月27日 阪神 毎日杯 GⅢ 芝2000m(重

   1着 2:04.8 河内洋(ファンドリデクター) 476㎏

 5月8日 京都 京都4歳特別 GⅢ 芝2000m(稍

   1着 2:03.6 南井克巳 (コウエイスパート)480㎏

 6月5日 東京 NZT4歳S GⅡ 芝1600m(良

   1着 R1:34.0 河内洋(リンドホシ)480㎏

 7月10日 中京 高松宮杯 GⅡ 芝2000m(良

   1着 R1:59.0 河内洋 (ランドヒリュウ)478㎏

 10月9日 東京 毎日王冠 GⅡ 芝1800m(稍

   1着 1:49.2 河内洋(シリウスシンボリ)494㎏

 10月30日 東京 天皇賞(秋)GI 芝2000m(良

   2着 1:59.0 河内洋 タマモクロス 492㎏

 11月27日 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良

   3着 2:25.8 河内洋 ペイザバトラー 494㎏

 12月25日 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良

   1着 2:33.9 岡部幸雄(タマモクロス)492㎏


 1989年(昭和64年、平成元年) 馬齢4歳

         馬主 近藤俊典 栗東 瀬戸口厩舎

 9月17日 中山 オールカマー GⅢ 芝2200m(良

   1着 R2:12.4 南井克巳(オールダッシュ)490㎏

 10月8日 東京 毎日王冠 GⅡ 芝1800m(稍

   1着 1:46.7 南井克巳(イナリワン)498㎏

 10月29日 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良

   2着 1:59.1 南井克巳 スーパークリーク 496㎏

 11月19日 京都 マイルCS GI 芝1600m(良

   1着 1:34.6 南井克巳(バンブーメモリー)496㎏

 11月26日 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良

   2着 2:22.2 南井克巳 ホーリックス 496㎏

 12月24日 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良

   5着 2:32.5 南井克巳 イナリワン 496㎏


 1990年(平成2年) 馬齢5歳

         馬主 近藤俊典 栗東 瀬戸口厩舎

 5月13日 東京 安田記念 GI 芝1600m(良

   1着 R1:32.4 武豊(ヤエノムテキ)496㎏

 6月10日 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(良

   2着 2:14.6 岡潤一郎 オサイチジョージ 500㎏

 10月28日 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良

   6着 1:58.9 増沢末夫 ヤエノムテキ 500㎏

 11月25日 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良

   11着 2:24.1 増沢末夫 ベタールースンアップ 496㎏

 12月23日 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良

   1着 2:34.2 武豊(メジロライアン)494㎏

【タイム欄のRはレコード勝ち。傍点は世界レコード決着】



 前述のYouTube動画を見て頂いた方なら、オグリキャップが強い競走馬というのは理解いただけたと思います。

 直線でスーッと長く伸び続け、そこから更に一伸びする。

 到底届かないと思うところを、気が付けばゴール前までに一気に交わしている。

 特に、1989年のGⅠレース天皇賞秋、マイルチャンピオンシップ、ジャパンカップは2着、1着、2着ですが、オグリキャップの底知れぬ強さが現れていると感じて貰えたのではないでしょうか。

 4コーナーで不利があり仕掛けが遅れても、直線で猛然と追い込み僅かに敗れた天皇賞秋。

 直線に入っての追い比べで、一度は突き放されつつもジリジリと差を詰めハナ差で差し切ったマイルチャンピオンシップ。

 常識外れのハイペースの中で失速していく他馬をしり目に直線でグングンと伸び、ホーリックスを僅かに捉えきれなかったジャパンカップ。

 続く有馬記念を見ていると、結果はわかっていても「いつもの伸びがまだ出ないな?」と思っているうちに終わってしまい、原因は何なんだとキツネにつままれたような気持ちになってしまいます。原因は直前の、東京と阪神を2往復した上で1か月間でGⅠを3戦したハードスケジュールによる疲労というのが明確ですが。


 目の前の相手を抜かすために必死でゴールまで走るオグリキャップ。

 絶対に勝つ、1着を取る、と馬自身が思っているかのようで、勝負根性を体現していると誰もが感じていました。


 そして、長々とレースを全て上げさせていただいたのは理由があります。

 見て頂ければおわかりかと思いますが、オグリキャップはこれだけの実績を上げた競走馬なのに騎手の乗り替わりが非常に多いのです。


 笠松時代の高橋一成騎手、青木達彦騎手、安藤勝己騎手。

 中央移籍後は河内洋騎手、南井克巳騎手、岡部幸雄騎手、岡潤一郎騎手、増沢末夫騎手、武豊騎手。

 合計で9人の騎手が鞍上を務めています。中央競馬では6人。

 当時は地方競馬所属の騎手は地方招待重賞(オールカマー、勝った場合は天皇賞秋に出走可)と地方馬招待枠2を設けたジャパンカップに地方馬で出走する場合のみ中央で騎乗可能という状況でしたので、中央移籍後に騎手が乗り替わるのは当然でしたが、中央移籍後の6人というのは、多いと言っていいでしょう。


 そして中央移籍後のオグリキャップに騎乗した騎手は、ほとんどの騎手が当時名手あるいは有望な若手と言われている騎手たちでした。

 オグリキャップに乗った騎手は、みな口を揃えて「素直な頭が良く、落ち着きのある馬で力のある馬だった」と証言しています。

 武豊騎手は2022年のNumberインタビューで「乗りやすかったのは断然オグリキャップです。ボクが騎乗したのは最後の年の2回だけでしたが、1600mでも2500mでも、ポンとスタートを切っていいポジションでジッとできて、追えばシュッと伸びてくれました。いま、そんな馬いないでしょう。マイルでも2500mでも同じ競馬ができるなんて。止めるのも簡単で、ウイニングランをパーッとやったけど、池江(敏郎)厩務員を見つけてピタッと止まる。あんな賢い馬はいませんでした」と、数多くの名馬に騎乗した中で、オグリキャップが最も乗りやすかったとも言っています。


 ただ、これまで乗った名馬の中で一番強かった馬は? とオグリキャップに騎乗した騎手にインタビューで尋ねても、オグリキャップと答える騎手は何故かいません。


 河内洋騎手は三冠牝馬メジロラモーヌ。

 岡部幸雄騎手は皇帝シンボリルドルフ。

 南井克己騎手は三冠馬ナリタブライアンか白い稲妻タマモクロス。

 武豊騎手は日本競馬最高傑作ディープインパクトか異次元の逃亡者サイレンススズカ。

 増沢末夫騎手は第1次競馬ブームの立役者ハイセイコーではなく、イシノヒカル。

 岡潤一郎騎手は、将来は武豊騎手のライバルと目されながら、不運にも1993年1月に落馬事故で逝去されてしまい、回答は永遠に不明です。できれば、今現在も元気で過ごしていて、オグリキャップについて語ってもらいたかったと思います。

 また、笠松時代の主戦騎手だった安藤勝己騎手は、1995年に中央競馬のGⅠレースに地方競馬騎手が地方所属のまま騎乗できるよう開放された「交流元年」から中央競馬のレースに積極的に騎乗するようになり、紆余曲折の末2003年中央競馬に移籍し、様々な名馬に騎乗しています。

 安藤勝己騎手はオグリキャップについて「自分の未来を切り開いてくれた馬。(オグリキャップの活躍で中央と地方の交流が開け)とても感謝しています」と述べていますが、自身の騎乗した最強の馬は12戦8勝2着4回と生涯連対率10割のGⅠ4勝牝馬ダイワスカーレットを挙げています。


 何故どの騎手もオグリキャップの強さは認めながらも、最強馬に挙げることは無いのでしょうか。


 それは、オグリキャップがどの騎手にとっても「自身のお手馬」ではないと思われたからではないでしょうか。


 騎手にとってお手馬は、多くは3歳クラシックレースを目標にその馬が条件馬の頃などから素質と強さに惚れこんで苦楽を共にする馬で、古馬になってもそれだけ強い思い入れを抱いています。

 メジロラモーヌと河内洋騎手は桜花賞直前のトライアルからでしたが、共に牝馬3冠を勝ち取りました。

 シンボリルドルフは海外遠征含む16戦全てを岡部幸雄騎手が手綱を取っており岡部騎手は「ルドルフに競馬を教えてもらった」とまで言っています。

 武豊騎手にとってのスーパークリークは、OP戦からトライアルを経て優先出走権を勝ち取り菊花賞を制した馬です。オグリキャップのレース騎乗依頼があってもスーパークリークとかち合ったらスーパークリークを取るというのは明言していました。実際1990年の宝塚記念は安田記念から引き続きオグリキャップへの騎乗依頼があったのですが、スーパークリークも宝塚記念に出走予定だったため断っています。ディープインパクトは失格となった凱旋門賞も含め14戦全てで騎乗。

 南井克己騎手とタマモクロスはクラシックの頃はまだ条件戦を戦っていて出走は出来ませんでしたが、条件戦時に3レース他の騎手に手綱を他の15戦は全て南井克己騎手が手綱を取り、重賞勝利、GⅠ3連勝と共に歩んでいました。ナリタブライアンについては4歳春の故障までは条件戦1レースを除き全て手綱を取っており、ナリタブライアンが制したGⅠは全て鞍上が南井克己騎手の時でした。

 安藤勝己騎手はオグリキャップが中央へ移籍した時は、当時地方所属騎手が中央で騎乗できないのは当然のことと受け入れ、未練はなかったそうです。12戦全てで手綱を取り牝馬2冠他GⅠ2勝したダイワスカーレットの方により思い入れがあるのは当然でしょう。


 オグリキャップは2歳時に笠松で走っており、最初の馬主の小栗孝一氏は中央競馬の馬主資格を持っておらず、2歳時に済ませておくべき中央競馬でのクラシック登録ができていなかったためオグリキャップは中央に移籍しても皐月賞、ダービー、菊花賞のクラシックレースには出走できませんでした。

 そのために共にクラシックという大目標を目指すということが出来ず騎手との間にお手馬という信頼関係は最後まで築けなかったのです。

 もっとも、中央で最初にオグリキャップに騎乗した河内騎手は、お手馬でサッカーボーイというクラシック候補がいたのでオグリキャップがクラシックに出走できないなら、ということで騎乗を受けたそうです。

 

 もし中央デビュー時に陣営がオグリキャップと将来を共にする騎手を選ぼうと考えて岡潤一郎騎手に白羽の矢を立てていたならどうだっただろうか?

 最強の馬として名前を挙げる騎手が一人はいたんじゃないだろうか、などと思ってしまいます。


 また、オグリキャップは中団や後方で足を溜めて直線で勝負するスタイルを多く取っており、差し切り勝ちや僅かに届かずというレースが多く、負けてなお強しという印象を受けますが、先行逃げ切り勝ちこそないものの、2番手集団の好位で折り合いをつけて直線で抜け出しての勝ちというのは幾つもあります。

 これは名手岡部幸雄騎手が騎乗した1988年有馬記念や、武豊騎手が騎乗した1990年の安田記念がこの勝ち方です。オーソドックスな強い勝ち方であり、馬に無理をさせずに折り合いが付けられる上手い騎手であれば、オグリキャップはその乗り方に応える力があるということです。


 そして、騎手ごとにオグリキャップの能力への感じ方というのは違っていて、河内騎手はオグリキャップは血統的に1600mまでの馬であるという思いが強く、中距離GⅠの天皇賞秋とジャパンカップではオグリキャップの距離適性への不安から能力を結果的に引き出しきれませんでした。河内騎手が勝てなかった1988年秋の対タマモクロスとの戦いは直線を向いた時に前に位置取っていた方が先着していますが、オグリキャップは1600mまでの走りしかできないと考えていた河内騎手は天皇賞秋とジャパンカップで直線の伸びに賭けようと足を溜め控えてしまっています。ただ、これはある意味無理のないことでした。2000mのGⅠも2400mのレースも河内騎手が騎乗していた時はオグリキャップにとって初体験であり、未経験の領域でした。河内騎手を責めるわけにもいきません。クラシック競争に出る資格が無かったことで、皐月賞の2000mと東京ダービーの2400mを走ったことが無かった弊害はここにも影を落としています。

 岡部幸雄騎手は、タマモクロスに勝つためにはタマモクロスよりも直線に向いた時に2馬身程前に位置取りしている必要があると考え、想定通りの騎乗をしてオグリキャップ初GⅠである有馬記念を勝っています。岡部騎手もオグリキャップは1600mで最も強いパフォーマンスをすると感じていたようですが、オグリキャップが道中の折り合いに問題がないことで距離は持つと考えたようです。

 南井騎手はファイターという異名の通り、力強く馬を追うスタイルでした。折り合いをつけ気分よく馬を走らせ馬の力を引き出すというよりは、勝負所で馬に気合いを入れて馬の力を引き出すという熱い騎乗が身上です。

 1989年の激闘時、先頭を追い詰める勝負根性の塊のようなオグリキャップの姿は、まさに南井克己騎手のスタイルをオグリキャップが体現した姿だったと言っていいでしょう。特に前代未聞のハイペース決着となったジャパンカップは、おそらく馬優先主義の岡部騎手なら追走するだけでも足を消耗する状況の中、直線であそこまでオグリキャップを追えたのかというと難しかったでしょう。マイルチャンピオンシップからの連闘であることと有馬記念を控えていることなども考慮し、あそこまで追わなかっただろうと思います。

 南井騎手は1989年秋からの騎乗で2200mのオールカマーと1800mの毎日王冠を前哨戦で制していましたし、前年タマモクロスに騎乗しており、相手としてのオグリキャップが1600mまでの馬だとは思っていませんでした。ですから南井騎手はオグリキャップの力を全て引き出そうと全力で追うことができたのです。

 

 つまり、オグリキャップは、どんな騎手が鞍上となってもその騎手の個性に合わせた上で馬場条件や距離なども気にせず強いレースが出来る、そんな強さを持った馬だったのだと私は思います。

 

 ですから、全く未知数の岡潤一郎騎手が、まだミスも許される状況だった中央初戦ペガサスステークスからコンビを組んでいたらどうだっただろうか、と思うのです。

 オグリキャップと岡潤一郎騎手、互いに高め合ってGⅠ制覇に向かっていく、そういったことを許してくれる陣営だったなら、と思わざるを得ません。


 ですが、オグリキャップ陣営というか馬主は、そんな競馬ロマンに夢を託すような人ではありませんでした。


 これがオグリキャップにつき纏う仄暗さでもありました。



 今回も書きたい事が終わらなかったので、また後日に続きを上げます。







 

 








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