オグリキャップ① リアタイ当時についての話




『ウマ娘 プリティーダービー』のおかげで、再び競馬が盛り上がっていますね。

 ゲーム自体はプレイしていません(おそらくハマるから)が、dアニメストアにあった『ウマ娘』シーズン1とシーズン2、全4話の「ROAD TO THE TOP」は視聴しました。YouTubeに上がっている関連動画も多く、目にする機会も多いです。

『ウマ娘』はフィクションでありながら、モデルになった競走馬のレース展開や結果をそのまま踏襲し、様々な小ネタを入れながらドラマを構築しているのが本当に上手く、モデル競走馬が現役で走っていた姿を見て知っている人でも違和感なく視聴でき感動を再体験できる、そんなコンテンツになっているのがこのヒットの要因の一つでしょう。

 過去の名馬が今また『ウマ娘』となって蘇り、最近の競馬ファンに過去の偉大な実績に目を向けてもらうきっかけの一つになっているのも感慨深いところです。


『ウマ娘』の映像作品に出て来るオグリキャップは、食堂等のシーンの背景で、山盛り大量の食事をモリモリ平らげるモブウマ娘としての出演が殆どです。

 レースを走っているシーンは1期番外編の人気実力を兼ね備えたウマ娘だけが出場出来るEXレース「ウィンタードリームトロフィー」のみ。出場するウマ娘は誰が勝ってもカドが立つため、結果ははっきり描かれず曖昧になっています。

 こうしたことから『ウマ娘』で初めてオグリキャップを知った人は「遥か昔に人気があった大食いの競走馬」という印象なのではないでしょうか。

 この大食いも、競走馬オグリキャップがレース後もカイ食いが落ちず、普段は他の馬の1.5倍ほどの飼葉を食べていたというエピソードが基となっているので間違ってはいないのですが。


 オグリキャップは競走馬でしたが、現役で走っていた頃の人気ぶりというものは単なる強い競走馬の人気という以上のもので、まさに社会現象でした。

 馬券を購入しない層の一般人にも競馬をスポーツ観戦と同等のコンテンツとして根付かせたのです。


 私の住む長野県北部。

 最も近くの競馬場は群馬県の高崎市か新潟県の三条市にあった地方競馬場で、どちらも当時車で2時間はかかる場所にあり、当然レースを実際に見たことなどなく、まったく競馬は身近なものではありませんでした。

 私が小中学生の頃、競馬は完全なギャンブルだったのです。

 当時はTVでダービーや有馬記念などのG1レースの競馬中継は放送していた筈ですが、中継以外の番組で競馬が取り上げられることは殆ど無かったと思います。活字媒体でもスポーツ新聞の競馬面に載っている程度。

 周囲の大人で競馬を話題にする人というのはちょっと如何わしい人が多く、馬券購入は知人に頼んで群馬や新潟に行ってもらっている、というテイになっていました。

 つまりは知人=ちょいとヤクザに近しい人に馬券購入代金を預け、馬券が当たったらその知人に払い戻しに行って換金してきてもらうというプロセス。

 実際はちょいヤクザさんは馬券売り場に馬券を買いに行ったりはせず、馬券代はポッケに収め、客の買い目が当たった時だけ配当金と同額を客に支払うというノミ行為で、ヤクザの資金源になっていたのです。

 必然的に一般の人、特に小中学生にとって競馬はいかがわしいもの、あまり口に出して触れてはいけないものという、ほの暗い雰囲気を纏っていました。


 競馬=いかがわしいもの。

 当時の田舎の競馬に対するこの認識を一変させたのがオグリキャップでした。

 とはいってもオグリキャップの出現によって競馬のノミ行為が全く無くなったという訳ではありません。

 ノミ行為が減少し暴力団の資金源足りえなくなったのは、JRAが全国どこでも誰でも馬券購入が可能になるシステム(グリーンチャンネルの電話投票会員など)を作り馬券購入ユーザーの利便性を向上させる努力を続けたことや、暴対法の制定で、暴力団への規制と社会的な監視が強くなったことなど、様々な要因とある程度の時間が必要でした。

 ですがオグリキャップは競馬を見ない田舎の小中学生、高校生の前にぬいぐるみという形でまず現れて競走馬の可愛らしさ少しづつ意識させていき、スポーツグラフィック「Number」などの一般スポーツ雑誌で取り上げられて競走馬のアスリートとしての一面に興味を持たせ、週刊少年雑誌でもオグリキャップやその最初のライバルとなったタマモクロスをモデルにした漫画の連載が始まり競馬の持つドラマ性やストーリー性を植え付けるなど、競馬の仄暗いイメージを払拭し、競走馬の名前を言ったりレース結果をあれこれ言ったりすることについての忌避感を晴らしていったのです。

 長野県北部の田舎ですらそうでした。

 関東、関西の都市部では競馬場に若い女性が詰めかけるなど、確実に競馬を取り巻く環境は大きく変わったのです。

 1990年有馬記念。

 オグリキャップの引退レースで中山競馬場に集まった18万人の万感の思いを込めたオグリコール。史上初の競走馬名コールでした。

 私はその様子をNHKの夜7時のニュースで見ました。

 通常のニュース枠で競馬の、競走馬の引退とレース内容が映像で報じられるということも史上初でした。


 この時第二次競馬ブームというムーブメントが一つの頂点に達し、更なる熱量が投下されたのだと思います。


 第二次競馬ブームは単独で起こったものではなく、同時期に各分野で若いスターが現れてきたムーブメントの一つでした。

 1988年のソウルオリンピックで活躍した水泳の鈴木大地やシンクロナイズドスイミングの小谷実可子、体操の池谷幸雄、西川大輔。

 野球では桑田・清原のKKコンビ、大相撲では若貴兄弟、将棋界では羽生善治。

 これらの若いスターたちがそれぞれの分野で出現、台頭してきており、それらとの相乗効果で起こったことだったように記憶しています。

 競馬界でのスターというのがオグリキャップと武豊騎手でした。


 武豊騎手はオグリキャップの引退レースとなった1990年の有馬記念でオグリキャップに騎乗し勝利しているので、後年知った人からするとずっとオグリキャップの主戦騎手を務めていたように思うかも知れませんが、実は1990年の安田記念と引退レースの有馬記念の2回しか騎乗していません。

 武豊騎手はこの2回ともに勝利しているのでオグリキャップとは相性が良かったように思いますが、その当時はむしろオグリキャップと武豊騎手は、相容れないライバルとして見られていました。

 1989年のG1戦線においてオグリキャップに立ちはだかったライバル馬スーパークリークとバンブーメモリーの鞍上が武豊騎手だったからです。

 競走馬のライバルが騎手。

 つまりオグリキャップは、単なる競走馬ではなく人格すら見ている者に感じさせる「スーパースター」という存在になっていたのです。


 まだ書きたい事の半分も書けていないのですが、一旦終ります。

 続きは近日中です。





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