創作論、面白いですね


 本来、この文章を書く予定は無かったんですが、ちょっと思うところがあって書きますね。

 自治体に依頼された研修資料を本来なら纏めてないといけないんですが、現実逃避半分、もやもや解消半分で。


 あくまで私が思ったこと、です。

 それ以上でもそれ以下でもありません。


 カクヨムには様々な創作論があり、けっこう色々な方の創作論を読ませていただいています。


 創作論で人気があるのは書籍化作家さんのものだったりしますが、けっこうライトノベルの現状に警鐘を鳴らす系の創作論も人気ありますね。


 私は正直、書籍のライトノベルは「このすば!」くらいしか読んだことがないのですが、所謂「なろう系」、追放ざまあだったり、少し前なら異世界転移、転生でチートだったり、悪役令嬢物だったり、とにかく似たようなものが多くの作者にWEB上の小説サイトで多く量産されて、読者人気を多く獲得し書籍化されている現状を見ると、どうしても「これはこのままでいいのか」と不安になってしまいます。


 私はもういいオッサンですから、自分が中、高校生の頃に読んでいたものは星新一、小松左京、筒井康隆、平井和正、豊田有恒、眉村卓、火浦功、岬兄悟などでした。大学に行ってから司馬遼太郎や海音寺潮五郎、池波正太郎などの歴史小説に接し、社会人になってから東野圭吾くらいですね。

 うーん、あまり読書好きの方ではないのかな、と自分で思うラインナップです。

 でも、私が読んでいた小説は、登場人物の苦悩と成長、葛藤と対立、苦難の末の理解であったり、屑な人物でも屑なりの人生や哲学があったりする「人間」が描かれていました。


「なろう系」には「キャラクター」は描かれていても「人間」は描かれていないものが殆どです(無職転生は描いてましたが)。

 そして過程を楽しませるのではなく結果の面白さをいかに早く見せるかに重点が置かれているように感じます。


 時代と言えばそうなのでしょう。

 ただ、これらを中、高校生の時に読んで「これが小説だ」と影響されてしまうと、その後他の小説なりを読むことができるのだろうか、読んだとして、ある結果に対する人間の心理の揺れ動き(葛藤)を感じ、想像することができるのだろうか、と言う漠然とした不安が湧いてきてしまいます。

 中、高校生に言わせれば大きなお世話でしょうが。


 ライトノベルの現状に警鐘を鳴らす系の創作論を読むと、そういった現状をバッサバッサと一刀両断にしてくださっているものが人気となっています。

 お名前を出すとご迷惑かも知れませんのでここでは挙げませんが、幾つかの創作論で書かれている内容には非常に共感する部分が多くあります。

 読んで、時々♥を付けたり、ごくたまにコメントを残したりしていました。 


 こうしたライトノベルというか小説界隈への漠然とした不安や不満を表明し、斬り捨てていく文章を読むと、こうした思いを抱いているのは自分だけではないのだ、と感じられて安心できました。

 創作論のコメント欄でも常連の方が色々とコメントを残しておられ、その人数を見ると、結構多くの方が同じような思いを抱いているのだ、と心強くなったものです。


 ただ、8月頃からでしょうか、何となくラノベ一刀両断系の創作論を読んでいて思うことがありました。

 何かに似てるな、と。


 私の通っていた大学は非常に極めて左系の団体が幅を利かせているところで、学生自治会は極めて左系の下部組織の構成員で構成されていました。

 私は大学祭実行委員会になぜか所属させられましたが、大学祭実行委員会の役員も、極めて左系下部組織の構成員が多く、運営の仕方もその団体の組織論で行われていました。

 どんなものかというと、自治は尊い、学校経営者や公権力と闘って勝ち取ったものだ、勝ち取った権利を経営者や公権力は奪おうとする、だから戦い続けなければならない、という「学習」を3か月くらい行うのです。「学習」の内容は経営者、教授陣と学生は対等で、経営者や教授陣、あるいは大学の経営方針に影響を与える文部科学省やその諮問機関、ひいては日本国政府の言い出す内容はこういった理由で学生の自治を脅かす、だから大勢の学生だけでなく世間の同意を集めた「運動」にして対抗する、それが正しい事、正義の行いという価値観、ロジックを徹底的に教えられます。

 大学祭の各企画もその「運動」を市民に理解して貰うために行う、というロジックでした。


 この「学習」に胡散臭さや抵抗を感じる人は、徐々に大学祭実行委員会からフェードアウトしていきますが、大学生になりたてで右も左もわからなかった当時の私は、非常にフレンドリーな態度で接してきてくれる大学祭実行委員の上級生に上手く取り込まれ、この「学習」を何の疑いもなく……ってことは無かったですが、楽しくての多い大学祭実行委員会に所属していたいな、と思い「学習」も受け入れていました。


 大学祭実行委員会に所属している時に気づいたことは、共通の価値観を持つ集団の中では、共通の価値観に則った発言をすると周囲から認められることと、少し共通の価値観から外れたことを疑問に思い口に出すと、「学習が足りてないんだねー」と優しく無慈悲に再度価値観のロジックを教えられること、そして両親ともに極めて左系構成員の家の子だったり、努力してちょっとやそっとじゃ揺るがない価値観に基づいた切り返しができるようになったは、価値観ロジックの使いこなし方が半端なく、他者を自分の感情で攻撃するのにも一見破綻していない価値観に則ったロジックを駆使し、追い詰めるというものでした。何人かいる中で追い詰めたい対象に対し、乱れない断言を繋げたロジック展開を行い、周囲の人間も同調させながら伝家の宝刀「総括」に繋げるのです。集団で追い込むんですね。

 私の頃は、実際殴る蹴るリンチーは流石にしてなかったようですが、肉体的には無傷でも精神的にはかなり追い込まれるみたいですね。20過ぎの男性でも泣いてしまうくらいには。こりゃ余談でした。


 それで、同じ価値観を持つ集団の中で色々と話していると、徐々に話が先鋭化していきます。先鋭化した意見を言うと気分がスッキリして高揚感を得られるのです。言うのもスッキリ気持ちいいですし、聞くのもモヤモヤがスッキリ一刀両断にされたように感じられて気持ちいいのです。

 大学祭実行委員会の中では流石に先鋭化するといっても大したことはありませんでしたが、学生自治会に出入りしている実行委員の上級生には、なかなかドキリとするようなことを言う方もおられました。

 これも余談ですね。


 長々と私の恥ずかしい大学時代の一コマを綴ってしまいましたが、結局何が言いたいのかと言うと「共通の価値観を持つ集団の中では、気づかぬうちに意見が先鋭化しがちになる」ということです。


 ラノベ一刀両断系創作論の作者様は当然問題提起のつもりで書いておられます。常連読者様も共通の問題意識を持ってコメントを残します。価値観を共有している訳です。

 その中で、少しづつ意見が先鋭化していなかったでしょうか。

 正義が悪を断罪する、みたいな感覚にいつの間にやら浸っていたりはしていませんでしたでしょうか。


 私は己が正義、と口にする人に対しては懐疑的になってしまいます。

 それは先に書いた極めて左系の組織の末端をチラリと覗いた経験からです。

 極めて左系の組織や構成員の方々は自分達が正義と思っています。

 まあ、当時で言うなら間接税の廃止や累進課税の低額所得者負担の減額、などを言っていました。今でも言ってるのかな? 知らんけど。

 でもこれは正義の行いなんでしょうか。低所得者から減らした税負担は大企業から取ればいいというのが彼らの主張でしたが、それが正義の行いでしょうか。まあ私は低所得者なんで彼らの主張の方が助かりますが、今よりも多くの税負担をさせられる大企業は日本でやってけるのでしょうか。そこで雇用されている人々の雇用は守られるのでしょうか。

 そう言う見方もあるのです。


 ですから私は絶対的な正義と言える行いは現実には殆どないと思っています。


 正義の断罪をお手軽に感じさせてくれるから、所謂「なろう系」におけるざまあが流行っているのではないかと思います。主人公に一切の非はなく、仕返し、見返しをするのに一片の曇りもない正当性、「正義」がありますものね。


 ライトノベル一刀両断系創作論、私も楽しく読ませていただいていましたし、これからも読ませていただこうと思っていますが、「なろう系」嫌いの人のための「なろう系作者」とそれを利用する出版業界への「ざまあ前段階」で盛り上がる、みたいなことにはなって欲しくはないなあと願っています。

 気付かぬうちの先鋭化に自覚的で、界隈に対する危機感を持ちながらも、冷静な語り口で記されている創作論もカクヨムには多く存在しますので、頑張っていただきたいと思っています。



 長々書きましたが改めて、一個人の意見です。

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