四ツ辻の黒犬 §3「母ちゃんごめんよ」

 遠吠えが近づいていた。


 一度停車して周囲を確認したいところだが、どうにも危険な匂いがする。


 あの遠吠え、一体ではない。群れだ。


 仮に野犬の群れだとしても、危ないことに変わりない。

 武器も無ければ、戦う経験すら無いのだから。


 若い頃、減税特権のため、半年程、素人兵メンアットアームズとして兵役に従事したことはある。

 兵役期間・内容に応じて、一年から数年、基本税が減額されるのだ。

 兵役と言っても街道警備隊や城壁の衛兵達にしごかれながら、ちょっとした軍事教練を受けただけだ。


 緩やかな蛇行を続ける見慣れぬ森の道。

 ただひたすら駆け抜けて行く。


 遠吠えが止む。


 撒けたのだろうか。


 いずれにせよ来た道を戻らねば街道に戻ることは叶わないだろう。


「はぁ…母ちゃんごめんよ。今日は帰れそうも無い」


 女房と子どもたちの顔が頭に浮かんだ。


***************************


 唐突に聴こえる獣の雄叫び。


 遠吠えでは無い。


 馬車に並走する黒犬が見えた。


 一体では無い。


 ひい、ふう、みい、よー、いつ、むー、なな、やー…


 キリがない。たくさんだ!


 口元からは泡状のよだれを垂らしながら、じわじわと包囲を縮めてきている。


 冷や汗が流れる。


「母ちゃん、俺死ぬかも…」


 怯える馬たちを鞭打つ。

 なんとか振り切ろうと頑張ってもらう。


「捕まったらお前らも無事じゃすまないんだぞ!頼む!頑張ってくれ!ロシナンテ!キホーテ!」


 黒犬が一匹飛びかかってくるが、慣性に負けて、後方へその姿を消した。


 もう一匹。再び後方へ。


「うおおおおおお!早馬のヨーデルさまを舐めるなあ!」


 若かりし頃の恥ずかしい通り名を、恥ずかしげも無く叫ぶほど、緊迫した状況だった。


 捕まれば喰われる。

 そして死ぬ。


 女房や子どもたちに会えなくなるのは嫌だ。


 生きたい。なんとしても、生き残りたい。


 その刹那、斜め前方から一体の黒犬が飛び掛かる。


 やばい!今度こそ喰いつかれる!


 覚悟したその一瞬、一本の矢が黒犬を撃ち抜く。


 助かった!のか?


 ロシナンテとキホーテとは別に馬の蹄の音が聞こえる。


 後方からもう一本の矢が放たれ、並走していた黒犬をさらに一体仕留める。


「この先に立柱石メンヒルがある!そこまで走れ!」


 あぶみ無し、鞍あり、手綱ありの乗馬法の猟師の男は、器用に手綱と長弓を使い分けながら、そう言った。


 猟師の男は、飛びかかる黒犬を、近接射撃ポイントブランクで撃ち抜く。


「急げ!」


「あ、ああ」


 ひとまず命を取り留めれるようだ。


 だが安心するのはまだ早い。


 猟師の男の言う場所へと急ぎ向かった。


***************************


 猟師の男の言っていた立柱石メンヒルに近づくと、不思議な事に黒犬たちは去っていった。


 そばには、コムジオール市周辺では珍しい丸木小屋が建っていた。


 まさか道を間違えてエヴァント村の辺りまで来てしまったのか?


 そんなうましかな。

 方角が反対だぞ。

 そんなことあり得るのか?


 猟師の男は小屋の飼い葉桶の辺りに自馬を繋ぐ。

 ウチの馬たちもお世話になる。


「旦那のおかげで、命拾いしやしたぜ。感謝してもしきれねえ。本当にありがとうございます」


 ぶっきらぼうな猟師の男に、営業用トークで礼を述べる。


「カザドールだ」


 男の名はカザドールと言った。

 こちらの名乗りを遮り、男は続けた。


「お前の名は、早馬のヨーデルだな。聞こえていたぞ」


 うおおおおおおおおお!


 聞かれてたんかい!


 恥ずかしい!


「ヨーデルで構うますん…ですだよ」


 シドロモドロだった。

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