四ツ辻の黒犬 §2「あらあらあら」

「あらあらあら。御者さん、お久しぶりねぇ」


「ええ、お久しぶりでございます。奥さま」


「今日はねえ、お屋敷までの帰り、お願いできますか?」


「もちろんでございます」


「来る時はねぇ、ウチの幌馬車に乗せていただいたんでけどね、帰りは…」


 チャントスルノーラ夫人は気さくな方だが、話過ぎな感がある。


 日が暮れてしまう前に終わらせたいが、どうにも話が止まる気配がない。


 話をどう切り上げるか考えあぐねる。

 連れのメイドのお嬢さんが、夫人の言葉を遮る。


「奥さま、早くしませんと。日暮れまでに帰り着く事が出来なくなります」


「あらあら、ツンデリアさん。そうだったわね」


「さいでございます。ヨーデルさま、馬車をお早く」


「はは、かしこまりました」


 助かった。これで間に合うはずだ。


 二頭立て二輪の客馬車にお客さんを乗せる。

 出発の掛け声をあげる。

 すぐに出発する。


***************************


 北東の城門を出て街道に合流する頃には、奥さまの取り止めのないお話もひと段落ついたところだった。


 今年のブドウの出来具合やら、街のご婦人方の流行りやら、庭師の誰それさんの孫の話やら。


 牧歌的な田園風景をひたすら進む。


 やがて農牧地がまばらになってくる。

 もうじき、例の四ツ辻だ。


 四ツ辻を北へ曲がって、エヴァント村へ行く途中に、チャントスルノーラ家の荘園がある。


「あらあら、御者さん、ご存知?この四ツ辻出るんですってよ」


 唐突に夫人の話が再開する。


 また犬の話か。


「はあ、出ると言いますと…」


「夕暮れになると、黒犬さんが出るんですって!黒猫じゃないのよ!犬なのよ」


「はぁ、犬でございますか」


 話を合わせる。


 例の四ツ辻が近づく。

 犬の遠吠えが…聞こえることはなかった。

 代わりに牛の鳴き声が聞こえた。


 南の丘陵地にある牧草地から牧童たち。

 街道を横切る牛の群れを追い立てている。


 しばしの停車。


 牧童たちがぺこぺこと頭を下げる。


 牛の群れが去り、再び客馬車を動かす。


 四ツ辻に至り、北を目指す。


 遠吠えが聴こえる。


「………」


「遅くなっちゃったわねぇ」


「さいでございます」


「申し訳ありません、奥さま」


「あら、御者さんのせいじゃないわよ。謝る事ではないわ」


「はあ、ありがとうございます」


***************************


 日が暮れる前にチャントスルノーラ家の荘園に着く事が出来た。

 しかし、牛の行進で少し遅れてしまった。


「はいこれ、お代よ」


「ちょっと多すぎやしませんか?」


「帰りも大変でしょうし往復分お支払いしますわ」


「いつも、ありがとうございます」


「日も暮れます。帰り気をつけてね」


「それでは、わたくしはこの辺で。今後とも宜しくお願いいたしやす」


 奥さまにお礼を申し上げると、そそくさとお暇した。


***************************


 帰路を急ぐ。


 再び例の四ツ辻が近づく。


 またの遠吠え。


「………」


 流石に狼はないだろう。

 おそらくは野犬だ。


 四ツ辻。


 西へ曲がり町を目指す。

 沈みゆく夕陽が眩しい。


 三度、遠吠え。


 馬たちを急かし、森の中を進む。


 ん?待て!


 森?


 このあたりの街道沿いに森なんてないぞ!


「ここはどこだ?」

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