四ツ辻の黒犬 §2「あらあらあら」
「あらあらあら。御者さん、お久しぶりねぇ」
「ええ、お久しぶりでございます。奥さま」
「今日はねえ、お屋敷までの帰り、お願いできますか?」
「もちろんでございます」
「来る時はねぇ、ウチの幌馬車に乗せていただいたんでけどね、帰りは…」
チャントスルノーラ夫人は気さくな方だが、話過ぎな感がある。
日が暮れてしまう前に終わらせたいが、どうにも話が止まる気配がない。
話をどう切り上げるか考えあぐねる。
連れのメイドのお嬢さんが、夫人の言葉を遮る。
「奥さま、早くしませんと。日暮れまでに帰り着く事が出来なくなります」
「あらあら、ツンデリアさん。そうだったわね」
「さいでございます。ヨーデルさま、馬車をお早く」
「はは、かしこまりました」
助かった。これで間に合うはずだ。
二頭立て二輪の客馬車にお客さんを乗せる。
出発の掛け声をあげる。
すぐに出発する。
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北東の城門を出て街道に合流する頃には、奥さまの取り止めのないお話もひと段落ついたところだった。
今年のブドウの出来具合やら、街のご婦人方の流行りやら、庭師の誰それさんの孫の話やら。
牧歌的な田園風景をひたすら進む。
やがて農牧地がまばらになってくる。
もうじき、例の四ツ辻だ。
四ツ辻を北へ曲がって、エヴァント村へ行く途中に、チャントスルノーラ家の荘園がある。
「あらあら、御者さん、ご存知?この四ツ辻出るんですってよ」
唐突に夫人の話が再開する。
また犬の話か。
「はあ、出ると言いますと…」
「夕暮れになると、黒犬さんが出るんですって!黒猫じゃないのよ!犬なのよ」
「はぁ、犬でございますか」
話を合わせる。
例の四ツ辻が近づく。
犬の遠吠えが…聞こえることはなかった。
代わりに牛の鳴き声が聞こえた。
南の丘陵地にある牧草地から牧童たち。
街道を横切る牛の群れを追い立てている。
しばしの停車。
牧童たちがぺこぺこと頭を下げる。
牛の群れが去り、再び客馬車を動かす。
四ツ辻に至り、北を目指す。
遠吠えが聴こえる。
「………」
「遅くなっちゃったわねぇ」
「さいでございます」
「申し訳ありません、奥さま」
「あら、御者さんのせいじゃないわよ。謝る事ではないわ」
「はあ、ありがとうございます」
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日が暮れる前にチャントスルノーラ家の荘園に着く事が出来た。
しかし、牛の行進で少し遅れてしまった。
「はいこれ、お代よ」
「ちょっと多すぎやしませんか?」
「帰りも大変でしょうし往復分お支払いしますわ」
「いつも、ありがとうございます」
「日も暮れます。帰り気をつけてね」
「それでは、わたくしはこの辺で。今後とも宜しくお願いいたしやす」
奥さまにお礼を申し上げると、そそくさとお暇した。
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帰路を急ぐ。
再び例の四ツ辻が近づく。
またの遠吠え。
「………」
流石に狼はないだろう。
おそらくは野犬だ。
四ツ辻。
西へ曲がり町を目指す。
沈みゆく夕陽が眩しい。
三度、遠吠え。
馬たちを急かし、森の中を進む。
ん?待て!
森?
このあたりの街道沿いに森なんてないぞ!
「ここはどこだ?」
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