雨宿り

兎ワンコ

雨上がり 本文

 いつも、僕と彼女が雨宿りする場所がある。


 それを見つけたのはうだるような暑い日だった。

 下校中、喉の渇きを覚えた僕が、自販機に寄るためにいつもの帰り道を外れた時に見つけた場所。

 それはバス停の待合所として使われていたもので、赤く寂れた頼りないトタン板に囲まれて、朽ち始めた古い木のベンチだった。バスは路線が変わってしまったのだろう、時刻表が貼ってあった立て看板は日焼けだけを残して、剥がされていた。


 ある日の帰り道、僕は夕立に見舞われた。粗放な僕は折り畳み傘など持っておらず、どうしようかと考えあぐねた時、あの待合所を思い出した。

 僕は道を外れ、あのバス停へと靴底で水を切りつけるように駆け出した。

 バス停に滑り込む様に駆け込むと、すぐに人の気配に気付き、奥に目を向けた。


「よ、門村じゃん」


 僕が視線を上げると同時に声を掛けられる。そこに居たのは隣の一組の里田香織だった。香織とは中学来の友人で、丸いつぶらな瞳に、少し丸みを帯びた頬。少し栗色の髪の向こうで小さなガラス球のピアスがきらりと光る。


「よ、よう里田」


 僕は思わぬ先客にドキッとし、声が上擦る。

 里田は片手でケータイを握り、僕の事をまるで子犬でも見るかのように微笑んだ。


「なに? 門村も雨宿り?」


「お、おう」


 僕は硬派を気取ってポケットに手を突っ込み、何気ない素振りを見せ付けるように入り口の古びた木枠に寄り掛かった。


「さ、里田も雨宿りか?」


 照れ隠しする為に僕はいう。


「見ればわかるじゃーん。そんな事より、そんな所に立ってたら濡れるよ? こっち座りなよ」


 底抜けた明るい声ですぐ真横をポンポンと手で叩く。僕は恥ずかしさから顔を少し背け、「……悪い」と呟いて、ゆっくりと腰を下ろす。


 里田の顔をあまり見ない様に意識し、僕は簡単な骨組みに打ち付けられているトタン壁に目をやる。

 土砂降りの雨が作りあげる音の中で、隣から微かにケータイの画面を指先で叩く音が耳に届く。

 盗み見たい衝動に駆られながらも、僕は意固地に古びたトタンを見つめ続けた。


「ねえ、門村。どうしてそっち見てるの?」


 隣で里田が尋ねる。


「別に。ただ……こっちを見たい気分だから」


 わざとぶっきらぼうに答える。


「ふーん」と興味なさそうな声が返ってくる。その声色がホントに興味がないのか、僕に何か失望してしまったのかはわからない。でも、それが後者ではないかと考えたくなく、どうにかこの状況を打開出来ないかと思考を巡らせる。


「あ、門村。これちょっと見てよ」


 明るい呼びかけに思わず食い気味に顔を向ける。振り抜いた瞬間、僕の頬に里田の細く、少し冷たい指先が刺さる。

 頬が押され、呆然とする僕の間抜けな顔を見て、嬉しそうにキャッキャと笑い出す里田。


「あはは、引っかかった〜」


 目元に涙を浮かべ、彼女は腹を抱えて笑った。

 僕はからかわれた悔しさよりも、先ほどまで愚かな思考を巡らせていた自分がより恥ずかしいと思えたのだ。

 どう返していい分からず、またそっぽを向いた。


「あれ? ごめん、怒った?」


 含み笑いを浮かべているであろう里田を想像しながら、僕は「べ、別に」とぶっきらぼうを取り繕う。


「ホントに?」

「ホントだよ」

「じゃあ、なんでそんなに耳に赤いの?」


 彼女の指摘に思わず指先を耳に当てる。


「あ、暑いからだよ。さっき走ってきたばっかりだから……」

「そうなんだぁ」


 その声音でからかっているのがわかる。

 しばらくそっぽを向いたままでいると、僕に興味を無くしたのか、里田はまたスマホをポチポチといじり出す音が聞こえる。

 数分程の沈黙が続き、耳に届く雨の音に気持ちが押し潰されそうになり、意を決して僕は口を開いた。


「なあ、仲井と里田って……付き合ってるのか?」


「へ?」


 唐突の僕の台詞にスマホを触る音が止まる。僕は思わず里田に振り返る。


「あ、いや……変な意味じゃないんだ。その、たまに一緒に居たからさぁ……」


 仲井とはクラスでも素行の悪い同級生だ。教師にも反抗的な態度を取るような事もしている。

 僕は言い終えた後に、「変な意味」と告げた自分に後悔を覚えた。そんな台詞、誰が聞いたって変ではないだろうか?

 

 どぎまぎしている僕の事など気にもせず、里田は人差し指をアゴに当て、視線を上に向けている。


「うーん。そんな噂流れてるけど、私はそんな事を思ってもなかった。ただ、一緒にいて楽しかったから。それだけ」


 あっさりと言う彼女に、僕は「そ、そうか」とはっきりしない口調で返す。


「じゃあ、門村はそういうのないの?」


 里田が興味津々な瞳で僕を捉える。


「え?」

「だーかーら、門村は彼女とか、好きな子とかはいないわけ?」


 問いかける彼女の顔はニヤニヤと何かを期待している悪戯な顔を向けてくる。

 思わぬ質問に、僕は頭をポリポリと掻き、「えーと」と口籠る。


「いや、その。今は、全然そういう気がないというか……」

「えー、ウソだぁ」

「ホントだって。そういうの……か、考えた事もないよ」


 慌てふためきながら、必死に弁明する。そんな滑稽な僕を、里田は意地悪い笑みを送りつけてくる。


「なんだーつまらないのぉ」


 僕の必死さに呆れたのか、それとも本心だと捉えたのか、里田はどこかふてくされた様に片頬を膨らませる。


「門村、結構いい奴だと思ってたのになぁ」


「へ? どういう、意味?」


 僕の問いかけに里田は外に視線を向け、眉間に皺をよせてうーんと唸る。


「ほら、門村って真面目に勉強してたし、持久走大会でも頑張ってたじゃん。だから中学の時に何人か気になってる子が居たんだよ?」


 遠い目をした里田の目にウソを感じられなかった僕は恐る恐る問いかける。


「それって……ホントの話?」

「……本気にした?」


 その言葉に、先ほどの話が全てウソだったと理解した。気付いたと分かると、彼女は腹を抱えながら笑い出す。

 

「あはは、門村の反応すっごく面白い!」


 またからかわれた僕は今度こそ怒りと羞恥心で顔を紅潮させた。

 ひとしきり高笑いした後、瞳に滲んだ涙を「あー」と気の抜けた声を出す里田。


「ごめんごめん。でもね、全部ウソじゃないんだよ。ほら、私。こういう性格だからさ、勘違いされちゃうけど、門村が真面目に頑張ってて、すっごく頑張り屋だと思ってるのはホントだよ」


 取り付けたような言葉に聞こえ、僕は素直に喜べなかった。でも、嘘だとしても彼女の言葉に悦に入りそうだった。


「そうやってからかってばかりいると、本当に怒るよ?」


 怒りと羞恥心を悟られぬように、僕は穏やかな声音を作っていう。


「でもさ、門村はこうして話を聞いてくれるから嬉しいよ。なんとなく気付いてるけど、ちょっと避けられてる気がしてる」


 唐突な言葉に里田の顔を横目で盗み見た。また外に目を向けて笑窪が作られているが、それがどこか寂しそうだった。耳たぶで揺れているピアスすらも、どこか悲しそうに思えた。

 二秒にも満たない沈黙が拡がる。適当な言葉がすぐに見つからず、もっともらしい言葉を捻り出し、そっと唇に乗せる。


「里田は、いい奴だと思うよ。そんな事、気にしない方がいい。里田は、いつも笑っていてくれた方が、里田らしい」


 言い切った瞬間、なんと臭い台詞だろうと急に恥ずかしい気持ちに襲われる。それを悟られぬよう、僕は唇をぴったりと噤んだ。

 里田は意外そうな表情を向けた後、「ありがとう。ウソでも嬉しいよ」と告げた。

 僕が「ウソじゃない」と言いかけた時、「あっ」と里田が言葉を漏らした。


「雨。上がったね」


 ボソリと呟く里田の言葉につられて外に目をやる。先程までのどんよりとした雲が消え、日差しのカーテンが濡れたアスファルトを輝かせいる。


「そっかあ、もうこれで雨宿りは終わりかぁ」


 名残惜しそうにいうと、里田はすうっと立ち上がった。

 僕は雨が上がってしまったのをひどく憎んだ。


「それじゃあ、そろそろ帰ろうか。もうちょっとだけ、門村と話たかったんだけどな」


 日差しのカーテンを背に、あどけない笑顔を浮かべる里田。

 その瞬間、僕の心臓が跳ね上がるように脈を打ち、先ほどからずっと考えていたあれこれを吹き飛ばしてしまった。

 たった一瞬の出来事だった。何気ないその一瞬の風景に切り取られた彼女が、僕の心で灯った小さな火を、一気に燃え上がらせた。

 入り口の前で空を見上げる彼女に、立ち上がり、グッと拳を握る。


「なあ……この後も、どこかで雨宿りしないか?」


 顔から火が出るんじゃないかと思うほど、顔や胸の奥に熱を感じる。

 驚いた瞳を見せた彼女は、少しの間を置いて、頬を赤らめてクスクスと笑う。


「雨、上がってるのに?」


 力強く頷いてみせる。心臓の音がやたらとうるさい。

 一瞬の間が空いたと思ったら、里田がふふ、と小さく吐息を漏らした。


「いいよ。それじゃあ、また雨を防げる場所を探そう」


 戯けた笑みを浮かべると、彼女は学生鞄を頭に掲げ、嬌声に近い悲鳴をあげて走り出す。

 少し照れながら彼女にならい、頭の上に鞄を掲げて走り出す。


 僕らの頭上には、雨上がりで雲を蹴散らした日差しが降り注いでいた。

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