教えその37 殺さないというのは存外難しい

「賢者エイヴ殿……」

「ネイクド皇子、手ひどくやられたもんだな」


 エイヴがネイクドの切断された腕に魔導をかける。

 彼の美しい白い腕が、みるみるうちに再生されていくだろう。

 ネイクドはその魔導の腕に感嘆し、同時に身震いした。


「寒いか?服着た方いいぞ」

「これは趣味でして」

「え、そうなんだ……それはどうかと思うなぁ、俺」

「賢者殿は人の趣味を否定なさるのか。しかし、これこそは私が得た風の魔導の境地。全身の肌で風を感じる事により、我が魔導はより細やかな風の操作を可能とするのです……この拘りと快感は譲れません」

「快感いる?」

「師匠、全裸の話はいいから!」

「別に全裸の話はしてねぇ」


 ほとんどボロ雑巾となったまま死力を尽くしたアリルとレツは死んだ目で倒れ伏しており、サーナがあくせくとその治癒をしている。

 サリャカの方が得手であるし早いのだが、ここに本人はいないので仕方がない。

 サーナは治癒の魔導を行使する手を緩めず、自らの師に問うた。


「師匠、これからどうするの?」

「具体的に言う癖つけないと年取った時ボケるぞ」

「ネヴィリーンとか、皇族の事だよ!」

「ああ、その事か。こうする」


 それを聞いたエイヴは、ひょいと皇帝にかけた拘束の魔導を解いた。

 その場にいた者達のほとんどが信じられない物を見る目でエイヴを見る。

 当の本人である皇帝ですらそうだった。


「正気か、エイヴ」

「邪魔させない為に拘束したんだ。ネヴィリーンの治療はとっくに終わってるしな」

「余はネヴィリーンを殺す事、諦めてはおらぬぞ」


 そう言った皇帝は俊敏な動きで膝立ちまで体勢を上げた所で、いつの間にか見上げる程の側まで来ていたエイヴに横面を蹴り飛ばされる。

 誰かがポツリとこぼした。


「うわ容赦ない」


 即座に受け身を取ったが勢いを殺せない自らの身体に、皇帝は愕然として唸った。

 サーナと戦っていた時とは違う、身体能力の低下。

 ただ、原因は分かる。

 皇帝は、自らを蹴り飛ばしたエイヴを見やった。


「何をしたエイヴ」

「お前さんら皇族にかけられる魔導儀式は、まぁ割と高度な魔導だ。皇族と言えど魔導の知識に疎い帝国の人間がホイホイと使えるもんじゃない。帝国創成期に城の地下に設置された魔導陣が、その効果を担保してるんだ」

「まさか」

「俺は、ここに来る前に地下の魔導陣をちょちょいと弄ってきたんだが、中々面白かった」


 エイヴがトントンと床を足でつつく。


「色々不都合はあるだろうからな、外見を維持する効果とかは残しといたぜ」


 それはつまり、身体能力の強化と帝国そのものへ献身させる洗脳を消したという事だ。


「あの人また無茶苦茶やってるよ」

「さすがです師匠」

「今ならシャリアナだって念願の自殺ができるぞ」

「師匠!」

「分かった分かった、冗談だよ冗談……ま、ともかく、グリュケウス。お前さんの心にあるネヴィリーンを害そうとする心はもう無いはずだぞ。引きずられるんじゃない」


 皇帝だけではない。シャリアナやネイクドも、自らの身体や思考を探って、事の真偽を確かめている。

 口を開いたのはグリュケウスだった。


「……分かる範囲では、その様だとしか言えぬが。また、勝手な事をしてくれたなエイヴよ」

「俺は『人を人として扱え』と言ったんだぜグリュケウス。危険だから殺そうなんて人の扱いじゃない。そういうもんをぶち壊して来たのは、お前さんが良く知ってるだろ」

「だが……この洗脳は皇族の結束を強める為のものでもある。皇位争いも無く帝国が統治されてきたのはこの魔導陣の為だとも言えよう。だからこそ、皇族は人である事をやめたのだぞ」

「いいや、どれほど取り繕おうと皇族はの範疇をでない。帝室の問題については後で話してやる。大体人をやめるってのは、ああいう奴の事を言うんだ」

「……?」


 エイヴが示したのは、壁の穴だ。

 そこでは、うぞうぞとモルグの肉片が蠢き、少しずつ集まっていく様が見える。

 力尽きたのが穴の近くであったアリルが嫌悪感をむき出しにして叫んだ。


「うげ、生きてんのかあれ!?」

「アンデッドは生きてるのだろうか……」

「どうでもいいよ!嘘じゃん、私、ちゃんと術式解いたのに!」

「死んでも、蘇生する手段をあらかじめ仕込んでおいたんだろ。バラバラにされるのはアンデッドの弱点の一つでもあるからな」


 蠢くモルグの肉塊のうち、腕の部位が一人でに動きだす。

 モルグの腕は少し持ち上がると、その指先をとある一点に指し示した。


「え、何?」

「ネヴィリーンをさしてるのか…?」


 全員の視線がネヴィリーンを向く。

 彼女は目覚める事は無い。

 しかし、呼吸で上下するその胸には、黒い翼の紋様が浮かび上がってきていた。


「ネヴィリーン!」


 それを見てシャリアナが叫ぶ。

 サーナは焦った顔で師を向く。


「師匠、これって」

「ああ、うむ。治したからな。皇帝が破壊した闇の女神の心臓も戻った訳だ」

「し、心臓だけ治さないとか出来なかったの?」

「いや心臓だけ傷付いてるんだから治すしかないだろ」

「うぐぐ、どうすんのさ!?」

「どうってサーナ、お前さん逆にどうすれば良いと思う」

「そんな事やってる場合!?」

「当たり前だろ。おい、甘えるなと言ったよな。魔導師なら、魔導師らしく自分で望む結果を手繰り寄せたらどうだ」

「どうやって!?」

「『想像』しろ。『想像』が全ての魔導を生み出して来たんだ。一人で出来ないなら、そこにはお前さんの弟弟子が二人もいるだろう」

「じゃ、じゃあ師匠も手伝ってよ」

「そりゃ無理だ」

「なんで!」

「お前さん、神様相手に戦えるのか?」


 エイヴは、軽やかな動作でシャリアナとネヴィリーンの下へ行くと、シャリアナを、ネイクドを介抱するリエナの下へ放り投げる。

 軽い悲鳴を上げたシャリアナだが、ネイクドが瞬時に使った風の魔導で柔らかに降ろされるだろう。

 シャリアナが目を上げた時、そこには自分達に背を向けて立つエイヴと。

 髪と瞳の色が、黒に変色したネヴィリーンの姿があった。


『人間……』


 ネヴィリーンの声ではない声が、エイヴと対峙する様に立つ彼女の口から発せられる。

 彼女の足下には、砕けたロザリオが転がっていた。

 ネイクドとリエナには、ルクソルの町で見た記憶がある。

 あれは、闇の女神ネヴィリム。

 ネヴィリーンという人格が呑み込まれた姿。


『醜いな。真に醜い。尊いと自分達で呼ぶ命を弄り回し、だと言うのにそれでなおいがみ合う。気味の悪い生き物共』


 その声は怒りに満ちていた。


『やはり滅ぼさねばならぬ。人間など、一人残らず』


 声は圧となり、誰もが全身からびっしりと汗を流す。

 彼女の前に立ち塞がる、ただ一人を除いて。

 闇の女神は、自らの前に立つ男を睨みつけた。


『誰だ貴様』

「賢者エイヴ、と名乗っている」

『賢者エイヴ………?』


 その時、闇の女神の声音が少し変わった。


『妾の知るエイヴとは、違う様だ』

「そりゃそうだ。神代が終わってどのくらい経ったと思ってんだ。俺は後継者の、そのまた末裔さ」

『そうか』


 闇の女神が、興味を失った様に腕をひと振りする。


「伏せろ!」


 それだけで、城の上部が綺麗に消えてなくなった。


「師匠!」

「お前らは離れてろ!それで考えろ!この状況をどうするか……どうやってネヴィリーンを助けるかをな!今のままじゃ、殺すしか無い。皇帝と同じ結論を取るしかないぞ!」


 エイヴはそれだけ言うと、ネヴィリムに一歩を踏み出す。

 瞬間、サーナ達が天井の無くなった部屋から全て消え去った。


『転移させたか?ふ……一人で戦うつもりか、虫けら同然の分際で』

「悪いんだが」


 エイヴは、いつもの愉快げなギラつきを収めた、真剣な目をしてネヴィリムを見やった。


時代遅れロートルが、現代の魔導師に勝てると思わない事だ」



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