第8話

 今日は、どうしたのだろう?

 楓は、ずっと、八木の腕の中に抱かれたままだ。後ろ手にされ、縄で縛られてはいたが、テーブルに並べたプレイ道具を、八木が手にする様子がなかった。不思議に思ったものの、何も言わずに黙って抱かれたままなっていた。

 それでも、大分時間がたった頃、楓はしびれを切らせて訊いた。

「ご主人さま、今日は、楓を縛るだけですか?」

 八木を覗くように見た。彼は何も言おうとせず、楓を見ようとしない。じっと前を見つめるばかりだ。

(どうしたんだろう?)

 心配にならないでもない。でも、何も答えてもらえないものは仕方ない。そうしてまた、時間が経った。

 すると、

「縛られただけじゃ嫌か」

 突然、八木が口を開いた。縄は好き、だった。だから、縄を長い時間感じていられるのは嫌じゃない。

「何かしないとだめかな」

 それは…。

 このまま、終わりの時間が来なければいい、プレイ終了の二十分前コールの電話が鳴らなければいい、そうも、楓は思ったが、責め苦を味わった後の八木のもたらす抱擁は我を忘れた。

 楓には選べなかった。

「ご主人さまがどちらかを選んでください。縛ったままにしておくか、目の前の道具を使うか。私には選べません」

「そうか。では、こうしよう。道具を使うことにする。何を使うか、楓が選ぶんだ。命令だぞ、これは。拒むことは許さないからな」

 どうしよう!

 楓は悩んだ。答えが出せない。思ってもいない八木の言葉だった。

「答えないか。どうした」

 声が出ない。何を選べばいいのか、楓は答えられない。

(どうしよう…)

 命令…答えなければならない。

 どうしよう…

 答えないで居ることは許されない。楓は悩み、口にした。

「縄…」と。

 後ろ手にされ、胸縄が上下にかけられた見慣れた縛りだった。けれど、縄は、長い時間の間に確実にきつまり、縄の存在を主張していた。縄が、楓の背中を押した。

 今、抱いてもらえたらどんな気持ちなんだろう。知りたいと思った。

「このまま、抱いてください、ご主人さま」

 言ってしまってから、恥ずかしくて、八木の胸に顔をうずめた。道具を使われるより、縛られた体を抱いてほしかった。

「抱いて、いただけますか?」

 顔をそのままに、八木を見れなかった。どんなふうに楓に応えるのか。とても気になった。命令とはいえ、楓がこのあとの展開を選んだのだ。道具を拒んだのだ。

 M女の存在は、ご主人さまの言いなりになること。楓は思い、そうやって来たつもりだった。

 でも、八木の命令に背いた。

 楓にはつらいものだった。言うなれば、わがままを受け入れていただく、そういうことなのだから。

 M女がわがまま…。

 罪悪感にかられた。恥ずかしくもあったが、罪悪感から、八木の顔を見れなかった。

 八木が、腕に力を込めた。

「うっ」

 縛られた、縄が食い込んだ、きつまった胸に苦しみを与えた。

「かえで」

「はい、ご主人さま」

 八木は、腕に力を込めたまま口にした。

「決めたよ。楓を私の所有物にする。永遠に私のものだ」

「え?」

 嬉しかった。そんなふうに言ってもらえるなんて思ってみなかった。

「ありがとうございます、ご主人さま。嬉しい」 

「奴隷契約を結ぶんだ、いいね」

「はい」

 縄がかけられた、責められることのなかった体を八木に抱かれた。きつまった縄に、彼の抱擁は心地よかった。とても!

 楓は、抱きたいと思った。八木を自分の手で抱いておきたいと。

 固く縄に捕らわれた後ろ手が、うねうねと蠢いた。

(ああ、こんなときに抱けないなんて)

 縄が好きで、初めて責められないうちに抱かれた体。縄を、恨めしく思った。それだけ、幸せなのだったが…。

 奴隷契約が、プレイを越えた話であることに、楓は気づくことになる。


   




 


 



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