第三話 俺の愛車はスーパーカブ

 3


「大石さんは軽音楽部には珍しくまともで優しい人っす」

「もう〝珍しく〟って言っちゃってるもんな、普通の人間とイカれた人間の数が逆転しちゃってるもの軽音楽部」

「先輩うるさいっすよ。いいんすか、そんなこと言ってると、この先輩と私くらいしか知らない穴場の喫煙所の場所、軽音楽部中にばらまきますよ」

「勘弁してくれ。俺の憩いの場を動物園にする気か」

「だったら軽音楽部関連を二度といじらないで私の話に集中してください」

「はいはい、わかったよ」


 諸手を上げて降参のポーズ。

 まさか年下の女に喫煙所を人質に取られるとは思っていなかった。

 大学には長くいてみるもんだ。


「そんな大石さんですがやはりというか奇妙な点がいくつかありまして……」

「というと?」

「まず車をもってるんですよ」

「大学生だ、別に持ってても不思議じゃないだろう」

「それがハマーでもですか?」

「ふっざけんな! 大学生が乗る車じゃねぇ! なにそいつ、実家が金持ちなの⁉」


 ちなみに俺の愛車はスーパーカブだ。


「いいえ、違うっす。むしろ男手一つで育てられて大学も奨学金で何とか進学できたって程の貧乏人っす。今も空いた時間ほとんどバイト入れてて辛そうっす」

「謎だな、どうやって手に入れたんだろう、教えて欲しい」

「次の謎もこの車にかかわることなんですが……実はこの車、傷だらけなんですよね」

「いるいる、身の丈に合わない車を買った事で自分が強くなったと勘違いして運転荒くなるやつ」

「ところがどっこい田野倉先輩の運転は安全そのものなんすよねぇ……次の更新でゴールドになるって自慢してました」

「傷つけて反省したんじゃねーの?」

「それにしては傷の数が多すぎる気がするんですよね、ほら見てください」


 そう言って音羽が差し出してきたスマホを二人でのぞき込む。

 音羽の顔が近くに迫り、煙草の煙に混ざってふわりとしたいい匂いが漂ってくる。

 俺は慌てて少し距離をとってから画面をのぞき込む。

 画面には件の車の全体像と思われる写真が映し出されていた。確かに傷が多い。

 音羽の指が画面をスワイプする度に角度を変えたハマーと傷の写真が現れた。


「あー、もったいない。この傷は多分車庫入れでつけてるな、これはコンクリか何かに乗り上げた傷だろう、フロントガラスは飛び石かな?」

「見ただけで分かるんすか?」

「まあ車好きなら誰でもある程度な」


 ほぉーと感嘆の声を上げる音羽。


「確かにお前の言う通り反省して安全運転に切り替えましたってのは現実的じゃないな。普通だったらもっと早い段階で自分の運転の不味さに気づくレベルだ」

「でしょう?」

「そもそもこんな傷つける運転するような人間はゴールド免許になんかにはならんわな」


 俺は近かった音羽との顔の距離を離し、手に持った煙草の灰を灰皿に捨てた。


「そして大石さんの最後の謎は。奇妙な借金っす」

「借金に奇妙もクソもあるかよ」

「まあまあ最後まで聞いてください。私がそれに気づいたのは大石さんの家で宅飲みをしていた時の事っす。お酒が切れてキッチンに向かったアタシは冷蔵庫の上に乱雑に積まれている督促状に気づきました」

「で、開けて中身を確認したと」

「そこまではしないっすよ。先輩の倫理観どうなってるんですか。でも表面に印刷されていた送り主だけは目に入っちゃったんっすよね。消費者金融、しかもここじゃない、具体的には大石さんの地元から送られてきたものでした」

「へぇ、なんか引っかかるな」

「はい、アタシも気になって遠回しに聞いてみたんですよ。〝最近地元でなんかありました?〟って。でも大石さんは十八歳の時に地元を離れて進学してからは時折帰省するだけで、その帰省もここ数年は全くしてないそうです。曰く地元に帰る理由がなくなったとか。そんな状態で地元に借金ができたりしますかね?」

「だよなぁ、借金するにしてもこっちで借りるし、未だに督促が届くような借金を十八歳でこさえるのもなんだか無理があるよな……」

「以上が大石さんに関する三つの謎っす」

「分不相応な高級車を手に入れる方法、本人は安全運転なのになぜか傷だらけの車体、そして謎の地元での借金、か」


 お手上げだとばかりに俺は煙を吐き出した。


「さーっぱり意味が解らねぇ」

「全くです」


 音羽も同じようにして煙を吐き出す。

 いくつものハテナマークを飲み込んだ二人の煙は混ざり合い夜の空へと消えていった。


 *


 それから数日、音羽は喫煙所で会うたびにこの話題を蒸し返してきた。


「先輩! 大石さんの話! 何か考え付きましたか⁉」

「先輩の勘とかでもいいんです! なにかありませんか⁉」

「先輩! 大石さんの!」

「先輩!」

「先輩!!」

「先輩!!!」


 どうも音羽はこの話題以外で俺との会話をすることをやめたようで、俺の安息の時間は消え去った。

 そもそも音羽のプライベートにすら手を突っ込むことをためらっていた俺がなんで全く知らない大石とかいうやつの事を詮索せにゃならんのだ。元凶となった自らの惚れっぽさを呪う。


「はぁ、いいか音羽、俺は探偵でも何でもないし、他人様のプライベートを邪推するようなゲスでもないんだ。だからこの話はもうやめてくれ」


 最初ははぐらかしていた俺もだんだん耐え切れなくなり、何度目かの催促の後俺はこうイラつきながら吐き捨てた。


「そんな、先輩、力になってくれるって言ったじゃないっすか」

「話くらいなら聞いてやるって言ったんだ。そんなに気になるなら大石本人に聞いてこい」

「そんなのとっくにやってます。車の事は軽音楽部の人によく突っ込まれてますけどはぐらかすばかりで一つもまともな答えを返してないんすよ。もともと自分の事を喋るような人でもないですし」

「なるほど、あのイッちゃってる集団、軽音楽部が問い詰めても答えないような事をお前如きが尋ねても意味ないって事か」

「馬鹿にされてる気がしますがそういう事っすね。それに借金の事なんて外野の私が効いたって答えてくれるはずがないでしょう。だから先輩に頼んでるんじゃないですか」


 言いながら音羽はアメリカンスピリットの黄色いボックスを鳴れた手つきで取り出し火をつけた。

 煙草を教えた俺が言うのもなんだが中々様になっていてカッコイイ。


「だから言ってるように俺は探偵でも何でもないんだって」

「だったら探偵になればいいでしょうが!」

「なれるか馬鹿!」


 煙と一緒に頓珍漢な事を吐き出す音羽に対してつい声を荒げて反応してしまう。

 俺が探偵とか、勘弁してくれ。

 しかしそんな俺の内心を知ってか知らずか音羽は熱弁をふるう。


「先輩ならなれるでしょ! 二回留年して尚且つ授業に出ず喫煙所の妖怪になり果てたその度胸、半分死んだような目で斜に構えて世の中全てを小馬鹿にしている思想、どうにかこうにか他人と違う自分を演出したいがために論理をこねくり回す歪んだ精神。そのくせ頭の回転は人より早いときてるんですから探偵以外に何になれるって言うんですか! あとは本気で考えてくれさえすればいいんです!」

「何言ってんだか……お前は俺を過大評価しすぎ、俺はただの凡人」

「いいえ、先輩は私が出会った中で一番の変人っす」


 びしりと俺を指さして言い放つ音羽。

 なぜこいつはこんなにも俺を評価しているのだろうか。


「こんな問答してるうちにもある程度大石さんの謎の答え分かっちゃってんじゃないっすかー?」


 音羽は斜め下から俺を見上げるように訝しんだ眼を向けてくる。

 その視線に耐え切れず煙草に火をつける事で視線を切る。


「まあちょっとはこうなんじゃないかなって思う部分はあるよ」


 視線をを切ったまま俺は観念したように呟く。


「やっぱり! それを教えろって言ってんですよ。さ、早く!」

「お前それが人にものを尋ねる態度か」

「私と先輩は礼儀が必要な間柄でもないっしょ!」

「うるせえぶっ殺すぞ」

「やれるもんならやったらいいじゃないっすか。講義に出る度胸もない癖に!」

「ぐ……」


 思わぬ罵声で心をえぐられ俺は押し黙った。

〝講義に出る度胸もない〟まさしく俺はその通りだった。

 大学に入学したての頃は何の抵抗もなく講義に出れていた。しかし生来の怠惰がたたって学校に行かなくなり、留年をしたあたりからそれが出来なくなった。

 気恥ずかしいのだ、友達もおらず年下の生徒に囲まれあまつさえグループワークだの発表だのをすることが、いやもっと言えば講義を聞いているだけで俺は羞恥心に殺されそうになってしまう。

 ここにお前の居場所はない、そう言われているようで呼吸が苦しくなる。

 自業自得と言えばそれまでだがそんなことは肥大化したプライドには関係ない。

 毎日死にたい気持ちで家を出て、なんとか教室の前まで辿り着くがそれまで。

 結局は諦めて時間を潰すために喫煙所に逃げ込んでしまう。

 これが俺が毎日喫煙所で呆けている理由だった。

 この現状を音羽に話した覚えはないのだが、どうやらとっくにバレバレだったようだ。


「す、すいません先輩、言い過ぎました」


 俺の様子に気付いたのか音羽が神妙な声音で誤ってくる。


「いいよ、別に。事実だし」


 最悪だ。

 自業自得の事を指摘され押し黙った挙句、あまつさえ年下の女の子に気を使わせて謝っている。

 しばらく喫煙所の中に気まずい沈黙が流れた。

 それに耐え切れず俺は渋々と語りだした。


「あー、大石の謎の話だったな、俺の考えでしかないけどいいか?」

「も、もちろん! 聞きたいっす!」


 俺は少しでもこの気まずい空気の贖罪になればと思い喋り始めた。

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