第二話 喫煙所のルーティーン
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十三時五分
午後の講義に向かう学生達がおしゃべりをしながらゆっくり波のように目の前を通り過ぎる
十三時十五分
午後の講義に遅れた学生が数人走りながら目の前を横切っていく。
十三時二十五分
掃除のおばちゃんが灰皿を変えに来る。
人目につきにくい、いつ撤去されてもおかしくない屋外の喫煙所のルーティーンなどこの程度、俺はいつもそれを間の抜けた面で眺めている。
そして十三時四十五分
ぴょこぴょことはねながら音羽が喫煙所へやってくる。
楽しいお喋りの始まりだ。
「すいません先輩! 煙草無いんで一本ください!」
今日の音羽の言葉はそれだった。
「いいよ、ハイライトでよけりゃな」
そう言って胸ポケットからライターごと煙草を渡す。
音羽はもう慣れた手つきで一本取りだすと火を点け美味そうに煙を吐き出した。
「助かったっすー、今朝から一本も吸ってなくて死にそうでしたよ」
「なに、金に困ってんの?」
おれの何気ない問いかけにぴくっと音羽が反応する。
「なんでそう思うんすか?」
「だってお前常に二箱はアメスピの黄色持ち歩いてただろ? そもそも貰い煙草なんて金に困ってるやつしかしねーよ」
「かー、相変わらずくだらないところだけには目端が利く人っすね! いいっすか? そう思ったなら黙って万札一枚ポケットにねじ込むのが男気ってもんでしょうが!」
「悪かったな、男気も万札も持ち合わせてねーよ」
これはなにも嘘ではない大学にもロクに通えずに喫煙所で管を巻いている男に男気なんてあろうはずもないし財布だってからっけつだ。
俺は何も持ってない。
「まあ当たりっすよ。今月ちょっとピンチなんすよね」
「どれくらい?」
「生活費すら無いっすねー」
意外だった。
音羽はこうして喫煙所で小汚い俺と駄弁りはするもののそれ以外、例えば流行りの服をきちんと着こなすとか、朝食を欠かさず食べるとか、そういった人間力的な観点において〝まともな大学生〟の枠を外れた所を見た事は無い。
間違っても生活費まで使い込んで何かをするという人間とは思えなかった。
「なんでまたそんな事になっちまったんだよ」
「それがまあなんというか恥ずかしい話で……笑わないで下さいよ?」
「いいから言ってみろよ、どうせ何の力にもなれやしないけどな」
「実は……知り合いに頼まれて貸しちゃったんですよ。お金」
「出たよ。言っとくが大学生の金の貸し借りなんていい事ないんだからな。いくら貸したんだ?」
「実は二十万程……」
「あーあ、絶対返ってこねーぞ」
「うう……やっぱりそうっすかねぇ」
そう言ってうなだれる音羽。
二十万と言えば大学生には大金、それをあっさり貸すほど音羽はバカではないだろうが往々にして世の中というのはこの程度の少し賢い人間が一番カモにされるものだ。
俺はこの幼気な大学生女子が必死に貯めた金をかすめ取っていった人間に無性に腹が立った。
「ねえ先輩助けて下さいよぉー」
俺にすがってくる音羽、しかし、喫煙所に住み着く妖怪である俺に何ができる? それに俺は音羽の私生活に首を突っ込んだりしたくなかった。
お互い喫煙所で顔を合わせるだけの関係、それ以上にも以下にもなりたくない。
だからそういった話題は避けてきたし、本音を言えばいつものように中身の無い話をして時間が過ぎればそれでよかった。
「せめて相談だけでも……」
しかしそんな思いは鼻を赤らませ瞳にうっすらと涙を浮かべる音羽の姿を見た瞬間消し飛んだ。
難儀なことに元来俺は惚れっぽい性格なのだ。
「いいよ、話くらいなら聞いてやるよ」
「ほんとっすか! ありがとうございます! そしたらアタシ午後の講義あるんで十八時ごろにこの喫煙所にいてください! 詳しい話しますんで!」
さっきまでの泣き顔はどこへやら一気に晴れやかな顔になって音羽は風のように喫煙所から飛び出していった。
「現金な奴、いろんな意味で」
俺はそう独り言ちるととりあえず煙草に火を点け、十八時まで約四時間、何をして時間を潰すか考え始めた。
*
「左打ちに戻してくれ!」
時刻はもう少しで十八時になろうかという時、眼前の台は確変の終了を告げた。
後ろには積まれたドル箱、今から換金して大学の喫煙所に戻ればちょうど音羽と約束した時間に間に合うだろう。
俺はホクホク気分でパンパンの財布と端玉で交換できた小さな菓子を入れたビニール袋をぶら下げ大学の前の坂を上り喫煙所へ入ると音羽はもうすでに到着しておりふくれっ面で煙草をふかしていた。
「遅いっすよ」
「悪ぃな、コレが止まんなくてよ」
俺はパチンコのハンドルを右手で回す仕草を見せる。
「なんですか? それ」
「パチンコだよパチンコ」
「うえー、今のご時世でまだパチンコやるなんてクズじゃないっすか。えんがちょっす」
「それを言うなら今のご時世パチンコごときで他人の人間性を決めてるやつの方がクズだろ。世のトレンドは多様性だぜ」
「……この二つが両立するのってちょっと面白いですね」
「確かに」
何もパチンコに限った話じゃない。人間は矛盾したものを見事に自分の中に落とし込んで見て見ぬふりでぼんやりさせることが大得意だ。
例えば音羽もっと話していたいのに内面に手を突っ込むことを避ける俺のように。
そんな後ろめたい気持ちを隠すかのように俺はパチンコ屋からもらってきたビニール袋の中から小分けにされたチョコマシュマロを取り出すと口に放り込んだ。
「可愛いもの食べてるっすね」
「おう、貰いもんだがな。お前もいるか?」
「欲しいっすー!」
目を輝かせる音羽にチョコマシュマロを放ってやる。
それをすぐには食べずにしげしげと眺める音羽。
「なんだか見たことが無い菓子ですね」
「パチンコ屋の端玉でもらえる奴だからな。小分けにしたバッタモンの菓子とヤクルトもどき。この手の物が車か家にあればそいつはパチンカス、これ豆知識な。俺式ギャンブルチェッカーだ」
俺の言葉に笑う音羽、小さな袋を破りマシュマロを口にくわえる。
「はぁーあ、アタシの二十万もパチンコとかに使われたりしてるのかなぁ……」
音羽はもぐもぐと口を動かしながら器用に溜息をついた。
「お前が金を貸した相手の家にもあったの? こういう菓子」
「いや、そうではないんですけどね、借金で一番に思いつくのってギャンブルじゃないですか」
「今の世の中借金の理由なんて多種多様だ。この手の菓子を見たことが無いならとりあえずギャンブルはしてないと言っていいぜ。何故かはわからんがパチンコやらずに他のギャンブルに手を出す奴はいない」
パチンコは言わばゲートウェイ・ギャンブルなのだ。
「またいくつか無駄な知識が増えましたよ……しかしギャンブルこそしないにしても私がお金を貸した相手ってのはちょっとばかり謎めいた人でしてね……」
「謎めいた?」
「はい。正直今回貸したお金が返ってくるかどうかより、この謎めいた人について先輩の意見が聞きたいって言うのが本音っす。お金はまた貯めればいいし」
「そりゃまた随分と豪胆なこって。でも俺に言える事なんか大したことないぞ?」
「またまた、喫煙所の妖怪の意見なんて聞こうったって中々聞けるものじゃないっしょ」
「お前喧嘩売ってるだろ」
「全然。むしろ褒めてますよ。先輩ってひねくれてるから喫煙所の妖怪ってあだ名意外と気に入ってるじゃないっすか」
「否定できないのが悔しいとこだな」
「絶賛厨二病の痛い人っすね」
見透かしたような音羽の物言いに歯噛みしながら煙草の煙を吐く。
そんな俺の姿に満足したのか音羽はにやにやしながら話し出した。
「アタシがお金を貸したのは大石信一郎(おおいししんいちろう)という人っす。軽音楽部の先輩で教育学部の三年生っすね」
げ、こいつあの悪名高き軽音楽部の一員なのかよ。
悪の巣窟・軽音楽部。
曰く、何度も警察沙汰を起こしている。
曰く、部室で大麻を吸っている。
曰く、何なら大麻を栽培している。
曰く、ライブ中間違って入ってきた部外者をボコボコにした。
曰く、山に籠って殺人拳の修行をしている。
曰く、入部すると人間性を失う。
曰く、大学の恥部。
曰く、夜な夜な酒を飲んでは火を焚いて怪しげな儀式をしながら爆弾を作っている。
曰く、連合赤軍の生き残りが起こした団体がルーツでその過激派左翼思想は今も受け継がれており虎視眈々と政府転覆を狙っている。
曰く、そのうち一斉摘発される。
曰く、騒音楽部。
等々、学内で密かに流れている噂を挙げれば枚挙にいとまがない。
時々喫煙所で楽器を背負った軽音楽部らしき人間と鉢合わせることもあるが総じて全員目がイッていた。噂はあらかた真実だろうと感じさせるほどに。
「その顔でなんとなく言いたい事の察しは付きましたけど、軽音楽部は極めてまともなただのサークルですからね! ちょっと奇抜な人が多いだけで楽しいところなんですから!」
「じゃあ巷にあふれてる噂はどういう事なんだ。全部根も葉もないって訳か?」
「……正直全部が全部とは言いませんがある程度真実です」
「やっぱりイカれた連中じゃねえか!」
「ち、違くて、全部それなりに理由とかがあるんです! それに今は軽音楽部じゃなくて大石さんの話でしょう?」
確かにそうだ。それにここで軽音楽部の噂を音羽と一々検証していたら朝になってしまう。
それくらいぶっ飛んだ噂が多いんだ。
俺は吸いかけの煙草を灰皿に放り込むと次の一本を咥え火をつけ、言った。
「じゃあ聞かせてくれよイカれた騒音楽部の愉快な仲間、大石って奴の話を」
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