血塗られた背中は打算まみれ

 不審かどうかはさておいて、凄まじく汚れている。突然の闖入者は今まで見たことがないほどにべっとりと血に塗れていて、変装も何もしていないのに見ただけでは色と手足の数ぐらいしか分からないような有様だ。身の丈が随分大きいのに、それでいてここまで満遍なく血に汚れているのも恐ろしい。アロハシャツはどす黒い血に塗れていてところどころ黄色の地が塗り残しのように見える程だ。その上信じがたいことに、時折裾の方から雫が滴り落ちている。人相も顔全体がべとべとになっているせいでよく分からない。赤黒い血の中で白目だけがぬらりと異様に目立っている。

 一緒に倒れた椅子に杖のように縋りついたまま、恐る恐る工藤が口を開いた。


「お知り合い――あの、所長、そちらの方というか人? は、」

「人だよ。いつも以上に小汚ねえがちゃんと人間だよ。ロクでもねえけど」


 どこで油売ったらそんな風になるんですオトさん――と滅多に聞かないような声音でカガが問う。オトはぎろりと目を剥いて、唸るような声で答えた。


「お前に言われる筋はねえなカガ。各務ちゃんが仕事してんのに下っ端がモクふかしてんじゃねえよ」

「血みどろで事務所駆け込んできた人に何を言う資格があるんです、オトさん。くたばるんなら外でどうぞ」

「言っとくが自前の血じゃねえよ。血被ったくらいじゃ死ねねえんだよ人間ってのは、ヤニ頭に回ってんなことも忘れたかよ馬鹿」


 カガが僅かに片目を眇めながら、それでも悠然と煙を吐き出す。オトの白目がぎゅうと細くなり、目尻からぱらぱらと血の破片が散らばる。


「そこまでにしてもらえますか」


 険悪な雰囲気にカシラの静かな声がするりと割り込む。カガは黙って事務机の上から灰皿を手に取り、すっかり短くなった煙草をもみ消す。オトはきまり悪げに視線を逸らして、ところどころ血で固まった髪をがしがしと乱暴に掻いた。


「とりあえずオトさん、お話はともかくもう少しマシな格好になってもらえますか。二階のシャワー使っていいですから、最低でも血だけ落としてきてください」

「分かりましたよ。湯船ねえと冷えるんだよなあ……」

「血だらけで何を言ってるんですか」


 これ以上事務所を汚されても困るんですよと珍しく嫌悪の滲む声でカシラが言えば、オトはのそりと頷いてみせた。そのままべとべとと血の足跡を残しながら事務所の奥へと歩いていった。

 そのどす黒い背中をしばらく睨んでから、平坦な声でカシラが続けた。


「エンと工藤君は付き添ってやってくれるかい。タオルとか着替えとか、シャワー室の前に置いておかないとそのまま歩き回るだろうから」

「分かりました、あの――」

「物の場所はエンが知ってる。分かるねエン」

「はい! タオルはミニキッチンのロッカー上です」

「そっちは雑巾だね。人間用は更衣室。確か予備の作業着も吊るしてあるから、適当に入りそうなのを持っていってくれ」


 更衣室は分かるねと念を押すようなカシラの言葉にエンは自信満々に頷いてから、


「当たり前じゃないですか。たまに窓の外をジジイが落ちてく部屋ですよね更衣室」


 さらりと述べられた内容に工藤の顔色が白くなった。


「工藤君」

「いえ……大丈夫です。窓の外なら、はい」

「安心してくれていいよ。ブラインドは閉めてあるはずだから」


 見えないだろうから大丈夫だとカシラが至って真面目な顔で言う。工藤は愛想笑いに隠し切れない怯えが入り混じった結果としての痛ましい笑顔を貼りつけて、物も言わずに一礼する。その腕を無理矢理に引きずりながら、エンと共にぎゃあぎゃあと賑やかに血の跡を辿り事務所の奥へと歩いていった。


***


 二人が立ち去った後、血まみれの床を眺めながらカガが口を開いた。


「医者行ったんでしょう。馬鹿だけじゃなくガキも連れて行ったって聞きましたよ」

「ああ、一応ね。工藤君もほら、こっち来てからぶっ倒れたり走りこけたりそんなのばっかりだったから」


 長持ちさせるにはメンテナンスは必要だよねとさらりと言って、モニタを見つめたままカシラは続けた。

 通り魔に首をもがれた馬鹿エンと、神様ミツヒメカミの悪ふざけで体ごと攫われてきた子供工藤という頭の痛くなる組み合わせだ。事情の説明が面倒そうだというカガの考えを見透かしたように、


「面倒ごとは一気に済ませた方がいいだろう」


 割引が効かないのが難点だけどねと澄ました顔でカシラが言えば、カガが僅かに眉を顰める。その様子を面白そうに眺めて、カシラは話を続けた。


「だから工藤君も呪医に診せたよ。エンの首ついでにね。呪医の腕も協会付だからそこそこには保証されてる」

「教えてくれるんですか」

「隠し立てするようなもんでもないからね……まあ、見立ては合ってたよ。すごくざくっと言えば被害者体質っていうかね、そういうやつだよ。目を惹く、癇に障る、気にかかる、どれでも大体同じ意味だ」

「地味なガキでしょうよ」

「ウズラだって地味な鳥だけど食べるとおいしいよ」


 寄せ餌向けの才があるんだよと本人が聞いたら困惑しそうなことを言って、カシラは微笑んだ。


「もともとあったのか、ミツヒメカミ様が余計なことをしたのかは分からないけどね。私もちゃんと見たわけじゃないから」

「仕事でしょうよ。、あんた」


 カガがじろりと淀んだ目を向ける。カシラは眉一つ動かさず、


「目下休業中だよ。引き継ぎが雑だったんでね」


 とりあえずの使い道が分かったから精査は後回しだよと嘯いて、カシラは黒い目をカガに向ける。カガはするりと視線を逸らしながら、黙ったまま新しい一本を咥えて火を点けた。


「カガ」

「何ですか」

「床の血だけ始末しておいてくれるかい。給湯室にモップあるでしょう」


 殺人現場みたいになってるからねというカシラの言葉に、カガの眉間に深々と皺が寄った。


「……吸い終わるまではやりませんよ。今点けたばっかなんで」


 カガは天井を見上げて盛大に煙を吹き上げた。

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