紅灯緑酒酒家鬼虫

因縁まみれの人間が血のり垂らしてやってくる

「がさがさ紙散らかして何やってんだお前」

「レシートの分類です。カシラ――所長に頼まれて、とりあえず事務? っぽいことを」

「存外馴染んだみてえな面して地味なことしてやがる」

「そりゃあ……慣れないとほら、死ぬしかないじゃないですか、多分」


 窓際に寄り掛かり悠然と煙草を燻らせながら発されたカガの問いかけに、事務机に行儀よく着いて山のようになったレシートと格闘しながら、工藤はそう言って泣き笑いのような表情をしてみせた。

 各務実業社の事務所。室内には空調の音と微かな作業音が響く。学生服を着たまま机上に積まれた紙類を地道に選り分けている工藤を背後から眺めながら、カガは黙って煙草をふかしている。


「正直言って物凄くありがたいんだよ。書類仕事できるやつなんていなかったからね、この事務所」


 手元の書類から目も上げず、いつもと同じ平坦な声でカシラが言う。カガはじろりと視線を向けてから、


「いいんですか子供ガキに銭関係やらせて。素人でしょうよ」

「難しいことはやらせてないさ。まだそこまで教える時間が取れてない」


 そこそこ忙しかったからねというカシラの言葉に、忙しかった内容顔剥ぎマンションや辻斬りの処理を思い出したのか、カガが顔を顰める。カシラは液晶画面と書類を見比べながら、呟くように続けた。


「文字がそれなりに読めて計算ができて機器も使えるっていうだけでアカマルここじゃ貴重な人材だよ。レシートの区分けだってね、まず雑に分別してくれるだけでどれだけマシか」


 カシラの言葉に工藤が戸惑ったように頭を下げる。カガが無遠慮にその背後に歩み寄り、紙切れが散乱した机の上を覗き込んだ。

 ぺらぺらの感熱紙。手書きの伝票。それらに紛れてけばけばしい色合いのチラシやクーポンの半券にやたらと派手な色合いの名刺などが顔を覗かせている。

 手元だけせわしなく動かしながら、視線も向けずにカシラが言った。


「エンに細かいこと言うと全部隠すからね。事務所に来たらとにかく財布の中の金以外のものを全部出せって言ってるんだけど……言われたことは守るんだあいつは。以上のことも以外のことも一切やらないけども」


 カガが元凶を探して事務所内を見回せば、隅のソファで端に埋まるようにして寝こけている。カガの舌打ちが静かな事務所内にいやに鋭く響いた。


「起こさないでくれるかい。起こしたって工藤君の邪魔するばっかりだからね、静かにしててくれた方がこっちも楽なんだよ」

「あいつ今日何しに来たんです」

「午後から集金行ってもらうよ。午前中はまあほら、置いておいて有事のときにとりあえず突っ込んでもらえればいいかなって……」


 けしかければ飛んでいくでしょうという言葉に、工藤がぎょっとしたような顔でカシラを見る。カシラは予測していたように工藤の方へその白い顔を向けて、にこりと笑ってみせた。

 夜道で猛獣にでも出会ったような動揺を露わにして、工藤は首を痛めるような勢いで机上へと向き直る。そのままぎこちなく手元の紙くずに集中するような仕草をしようとして、掴んだ名刺を逆さにしたままわなわなと震えている。

 カガは工藤のありさまをしばらく眺めてから、咥え煙草のままでぽつりと言う。


「そうやってガキ脅すのやめた方がいいですよ。仕事しくじるように仕向けてどうしたいんです」

「心外だな、そんなつもりはないんだけど……安心していいよ工藤君、そんな有事なんてのはそんなにないから」

「ないとは……ないとは言ってくれないんですね」

「ここのところは落ち着いたものだよ。直近ってなら二ヶ月前にね、正面玄関から鉈持った」

「そういうのをやめろって言ってるんですよ俺は。手止めるなガキ、耳を貸すな。聞くだけ無駄だ」

「はい。仕事をします」


 カガの言葉に消え入りそうな声で返事をして、工藤はぎくしゃくと作業を再開させる。カシラも黙々と液晶画面を見つめている。エンは物音一つ立てずに寝こけており、静かな事務所の中で換気扇だけが微かにうなりを上げ、カガの吐いた煙がゆらゆらと吸い込まれていく。

 ばんと乱暴に重たいものが叩きつけられたような音が響く。方向から事務所の扉が開いた音だと、各々が一斉に顔を上げる。


 眩い夏の陽。通りの喧騒。熱気を帯びた風は音もなく吹き込む。

 盛大に開け放たれた玄関口に血まみれの偉丈夫が堂々と立っていたので、工藤は物も言わずに椅子ごとひっくり返った。


 人物は血みどろのまま物も言わずにずかずかと事務所に侵入し、そのまま真っ直ぐに所長の元へと歩いてくる。床に倒れたままの工藤は起き上がれず、カガも物音で跳ね起きたエンも動こうとはしない。カシラは平然と手元のキーボードで何事かを入力し続けている。

 べたべたと粘つくような足音を立てながら、とうとうそいつはカシラの前に立つ。空調の風に散らされた異様な生臭さに工藤がぐうと喉を鳴らし、カガが嫌そうに煙を吐き出した。

 カシラはようやく画面から視線を外して、正面に立った人間に向き直る。血達磨のそれは一度長く息を吐いてから、


「各務ちゃん。案山子の手配を頼みたいんだけど」

「個人としての頼みですか。それとも仕事としての話ですか」

「中間ってとこかな。私情絡みの仕事」

「……話は聞きますよ、オトさん。その前にですね」


 その恰好を何とかしてくださいと冷ややかなカシラ各務の言葉に、血濡れの偉丈夫――オトと呼ばれた男は破顔する。その拍子に顔からばりばりと微かな音を立てて乾いた血が剥がれて、蛍光灯の光に煌きながら床に落ちていった。

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