誰もが今まともなバカのふり
九箆大市場での大乱闘から四日後。度重なる暴力沙汰にすっかり寝込んでいた工藤がようやく朝晩の食事を取れるようになったと
カシラはほんの少しだけ書類から視線を動かして、
「何でビール瓶なんか使ったんだ。得物を忘れて行ったのかい」
「あそこ長物の類は店内持ち込み禁止でしょうよ。現場で対応したんだから誉めて欲しいくらいですがね」
必要経費でしょうよと嘯くカガに、カシラは微かな笑い声を上げてから静かな調子で続ける。
「文句は来たけどね、およそは
「口止め料代わりですか」
「仕事分は赤組から出るよ」
赤丸地域自治団体協同組合――アカマル最大の自治組織をいつものように通称で呼びながら、カシラはPCの画面と書類を見比べる。
「向こうとしてもあんなものに入り込まれて大暴れされたなんてのを触れ回るわけにはいかないだろうからね。防犯対策諸々含めて、下手なことを喋られたら今後の客足に関わるもの……」
「九箆はその辺手間も金も掛けてる方でしょう。どうしたんです今回は」
「別に面白くもない理由だよ。最近じゃあ午前中は客もほとんど来ないから、店長が経費削減にって術式切ってたんだってさ。呪具も高くつくから」
説明された情報に、カガは僅かに眉を顰める。確かに歓楽街側という立地で午前中のもなれば客足の見込めない時間帯であることはすぐに納得がいくが、それでもこの土地でその対応は無謀が過ぎるのではないかという、土地の暮らしが長いからこそ信じがたい内容だった。
「無茶だよ。だからこんな目にあったのさ」
カガが思っていたことを見透かしたように、カシラが答える。カガは一瞬だけ片目を見開いてから誤魔化すように煙を吹き上げた。カシラは気にする様子もなく、淡々と言葉を続ける。
「この上ないほどに身から出た錆だから、こっちには皮肉と愚痴ぐらいしか言いようがないんだよ。かわいそうだね」
小銭を惜しむと高くつくんだとカシラはくつくつと喉を詰めて笑った。
カガはその笑声を聞き流しながら、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。そのまま躊躇なく次の一本に火を点け、ぺらぺらと書類をめくるカシラの手元を見るでもなく眺めている。
煙草の煙はゆらりと立ち昇り、その煙越しにカガは部屋の隅へと視線を向ける。居心地悪そうに似合わない極彩色のアロハを着た工藤の隣で、首にぐるぐると呪符じみたものを巻き付けて何事かを話しては上機嫌で馬鹿笑いしているエンをしばらく眺めてから、再び視線をカシラの方へと戻した。
「あいつら呼んだのはどういうつもりです」
「ん、当事者だからね……一応ね、医者とか連れてってやろうと思ってさ。かたや情緒不安定な青少年だし、もう一人は安定した馬鹿だけども首がもげてる」
「あれもビビリで面倒だけども、災難な話でしょうよ。いきなりツラ剥がれかけたかと思ったら、今度は突然首刎ねられかけたんだから」
「まあ、ここじゃあ宣言掛けて殴り掛かってくるやつの方が珍しいから……不意討ち闇討ち得意でしょう、お前だって」
「するのは好きですよ。されるのは吐くほど嫌いだ」
勿論騙し討ちも嫌いですよと言って、一瞬だけ双眸が昏くなる。カシラは平然としたまま、
「心外だな。そりゃあ買い物に付き合わせたのは私の指示だけどね、こうなったのは偶然だよ」
「
「気付いてくれて何よりだ。お前のことだもの、
図星を突かれてカガが派手な舌打ちを返す。実際、店で自分の煙草代を抜き取るときに札びらと一緒に紛れていた霊符に気づいたのだからカシラの予測は正確だったと言えるだろう。だからこそ自分が他人の予想通りに動いたというのが癪に障るのだ。
カガの苛立ちなど歯牙にもかけず、カシラは涼し気な顔のまま続ける。
「偶然だよ。通り魔がうろつくような物騒な状況で、買い出しに出かける従業員にそれくらいの仕込みはするでしょう。心づかいの範囲じゃないかな」
「心づかい?」
「期待したとしたらそうだね、気になるあの人と十字路でぶつかるくらいの確率は期待してたよ。うまくいったんなら運命だったんじゃないかな?」
「当たり屋相手ならそこそこ起きるんじゃねえですかねその状況」
いやな土地だねとカシラが呟く。偶然だろうがエンの馬鹿笑いが部屋の隅から響いて、カガは思い切り目の前の事務机に蹴りを入れる。派手な音に混じって椅子の足が床を擦る甲高い音がしたのは、恐らく工藤が飛び上がったかずり落ちたかしたのだろう。
諸々を視界に入れるのも嫌になったのだろう、煤けた天井を憮然とした顔で眺めて、カガは投げやりに口を開いた。
「あの大笑いしてる馬鹿の首、どうなるんです。ちょっと暴れると取れるまんまじゃ困るでしょうよ」
「うん、その辺も一応……どうもね、物理的な怪我じゃないというかあの鉈がどういうものかっていう話になるんだけどさ」
「調べがつくんすか」
「ちゃんと回収したからね、まあ出処とかその辺は聞けないけども、被害者はそこそこいたから……赤組が呪医回してたからね、一応どうなっているかっていうのはざっくりなら分かったよ」
霊的な切断であって肉体的な切断ではないんだよといやに文学的な一文を投げつける。そのままカシラは自身の頬にべたりと手を当ててから、
「とりあえずね、通り魔自体はただの人。刃物の方が元凶だね、当てられて変質してあんな具合になったんだってさ。文字通りの変質者だよ」
「刃物は何です」
「そこそこの……妖刀でいいのかな。鉈だけども」
カシラは卓上の書類をいくつか繰って、目当てのものだろう一枚を手に取って続ける。
「被害者とエンの有様から考えるとね、ちょっと変わった代物だったみたいだよ。病は気から、みたいなことができるやつ」
「気のせいで首が落ちるんですか」
「魂魄論の話だよ、バーとカーでもいいけどさ」
「何ですかそれは」
「ん……我々は二種類の要素で稼働している、みたいな話」
魂と肉体で一揃えってことだよというカシラの言葉に、少し間をおいてからカガが頷く。カシラは黒手袋に包まれた指先で自身の唇を撫でてから、
「定義とか証明とかそういう話は面倒だからしないけどね、物理的に首を斬ると物理的に死ぬでしょう私たち。物理的に魂には干渉されてないけども、肉体に引っ張られていけなくなるわけだ」
「……水を入れた茶碗を割ると、水が零れて干上がるみたいな話ですか」
「あ、それはいいな。水が魂で茶碗が肉体だとするとそうだね。水に入った茶碗が人間として生きている状態だとするなら、その理解でいいや」
誰かから聞いたのかいというカシラの言葉にカガは黙って煙を吐いた。
「難易度の問題だね。茶碗は割りたくないけど水だけ始末したい、茶碗を砕いて水だけ残しておきたい、茶碗ごと微塵にしてやりたい……需要があるなら供給を試行するだろうね。
やり口は見つけておいて損はないものと言って、カシラは僅かに口先を尖らせた。
「ま、その辺は別の話だよ。要は肉体か魂、どちらかを致命的に損なえば私たちは死ぬってことだね。そして今回の被害者連中は順番が逆だった――魂を斬ったから、肉体の首が落ちた。あの辻斬りの鉈は、物理的にはなまくらでも魂を直接ぶった斬れる代物だったわけだ」
「相当危ねえじゃねえですか。もっとちゃんとした連中が始末するもんでしょうそういうの」
「そうだね。本来ならもっと死者が出てただろうね」
アカマルだったからねえというカシラの呟きに、カガが問いを投げる。
「まさか馬鹿揃いだったからあんまり死ななかった、とか言う気ですか」
「赤組の連中はそんな具合で納得してるよ。私もそうだけど」
二人揃って微妙な顔のまま、再び事務所の隅へと視線を向ける。派手な黄色のアロハの首元には無造作に呪符やテープが巻かれていて、その状態でどこからか引っ張り出した花札に工藤を付き合わせている馬鹿は生き生きと品の無い笑い声を上げている。
「……エンほどのやつはそういないけどね、程度の問題なんだよ。たぶん」
「生き意地が汚えんですか。それとも馬鹿なんですか」
「両方じゃないかな。首切れたくらいじゃ死ぬ気にならない奴が多いんだ」
「ロクでもねえ……」
呆れたようなカガの一言に、カシラは微かな苦笑を浮かべる。机に勢いよく札を叩きつけて場札を跳ね散らかしているエンを眺めながら、世間話のような口調で続けた。
「あとはね、あいつ一回首やられてるだろう」
「ああ何か昔……飲んだときにそんなこと言ってましたね。『土地モノ』に喧嘩売ったんでしょう、そのせいでアカマル落ちだとか。馬鹿が」
「それのおかげで助かったんじゃないかみたいなことを言われたよ」
「……は?」
「何て言えばいいのかな、経験済みっていうかさ。詰めた小指をもう一度詰めるのって無理でしょう。もしくは慣れるでしょう痛いやつ。そういう話」
「既にブチ斬れてるってことですかあいつの首」
「皮一枚だったんだよねえあのとき。流石にあれがいくら馬鹿でも、神様崩れに首落とされたら問答無用で死んでただろうから……そういう点では手加減されたんだろうね、運良く助けに辿り着ければ助かるような
神様らしいバチの当て方だねとカシラが口の端を吊り上げる。カガは何か言いたげに口を開きかけて、諦めたのか盛大に煙を吐き出した。
「しかしエンはあれだね、思ったよりちゃんと工藤君の面倒を見ているね。服も選んであげたようだし」
「ちゃんとかどうかはともかく、えらい構っちゃいますね。何すかあれ」
「年が近いとか後輩だとか、まあ色々あるんじゃない。苛めたりしないならそれに越したことはないけどさ」
これは聞いた話なんだけどねと前置きをして、カシラが言う。
「犬飼ったことあるかい」
「犬と住んでたことはありますよ。朝起きたら庭に尻尾だけ落ちてましたが」
「それは災難だ。飼い犬っていうのはさ、所属する集団の中で自分の位置を下から二番目に置きたがるそうだよ」
あれも兄貴分ごっこが楽しいんじゃないかなと笑うカシラを見て、カガは僅かにげんなりしたような顔をした。
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