虚ろな目をして​這ってたんだ

※   ※   ※


「冗談でもなんでもねえよ。すげえざっくり言えば、人間の仕業かそれ以外か、っていうのが分かんねえんだ」

「人間以外でこんなことするものがいるんですか」

「いるよ」


 工藤の神隠しを肯定した時と同じくらいに当然のような口ぶりで、カガは断言してみせる。


「昔話であるだろ、あー……瘤取りじいさんとか、天邪鬼と瓜子姫とか、磯良とか、コボレダジャーの化け物とかよ」

「後の方が分からないですけど瘤取りじいさんと天邪鬼は分かります」

「じゃあそれだよ。人のツラから瘤引っぺがしたり押し付けたり、女子供の生皮剥いだりするだろそいつら。イソラはほら、あれだ。女作って逃げたアホ亭主をぶっ殺して髪むしるやつだよ」

「ああ漫画で読んだ覚えがある……雨月物語だ……雨月物語ですよ?」


 自分の言葉で疑問がまとまったのか、しゃんと背筋を伸ばして工藤が言う。


「お化けが出るんですか」

「お前事務所で何見たと思ってんの」

「あれは……ぎりぎりイモリみたいなことができる人かもしれませんし……」

「そりゃあるかもしれねえけどそっちの方が怖いんじゃねえのか」


 カガの物言いにみるみる工藤が萎れていく。ぷかぷかと煙を吐き出しながら、カガは少しだけ眉根を寄せて、


「怪異とかバケモンとか神様とか、変なもんと妙なもんとろくでもないもんが山程いるってだけの話だ。人間だってどいつもこいつもろくでもねえからあいこだろ」

「神様もロクでもないんですか」

「まともだったらお前を攫ってこねえんじゃねえか」


 派手な柄シャツにひっきりなしの喫煙、暴力と脅迫を躊躇無く行えるチンピラを煮しめたようなカガに淡々と諭されて、工藤は泣き笑いのような珍妙な表情を作る。その顔のまま、


「そうですね」


 そう小さく呟いて、再びぐにゃりと萎れるように座り込んだ。


「監視カメラの記録には残ってなかった。侵入した形跡もねえ。怪しい人物も現れた証言はあるがそれだけだ」

「現れたと侵入したは別なんですか」

「入った記録がねえのに居るんだよ」


 謎かけのような一節が唐突に会話に現れて、工藤は身を硬くする。


「監視カメラが一応あんだよ。エレベーターと、廊下と、エントランス。で、たまに映ってんだよ。廊下をべたべた這ってる赤い服の人間とか、エレベーターの記録映像に一晩中映り込む髪の短けえ女とか、エントランスでカメラに向かってげらげら笑ってる子供とかよ」

「どうして怖い話を始めたんですか」

「怖かねえだろこの程度。お前のさっき言ったように、まあ不審者かお化けかどっちか分かんねえが……廊下を這うやつとエレベーターのやつは多分人間じゃねえ。居住者が重なって映ってることがあったからよ」


 ぐうと工藤が異音を立てる。構わずにカガは続ける。


「で、一応被害者は生きてるからよ。話を聞いたわけだ。あんたを食いかけの桃みてえにずる剥けにしたやつを見たかって」

「桃」

「そしたらまあ、大体寝込みか不意を突かれてるせいで細かいことは分からねえけど女じゃねえかっていうやつが三人ぐらいいた。四人中三人なら大体それでいいだろ」


 あとは医者の物言いだよとカガが言う。工藤はもはや蒼白な顔をして、静かに話の続きを待っている。


「傷口がな、どうも刃物じゃねえんだとさ。小さくって細っこい、女の爪とかそういうもんでかっ剥いだみてえな跡だと」


 想像したのか工藤が顔を顰める。カガも僅かに片眼を眇めて、すぐに平然とした調子で続けた。


「で、もう細かいことはともかくとして、危ねえもんがいるんならそいつを始末すればいいってことになった。警察サツは見回りぐらいで話にならねえから、組合通してうちのカシラに仕事が回ってきた。結果、俺がこうして住み込んでた。経歴の上書きも兼ねてな」

「住んでたんですか」

「やり口がこうだからな。こういう暴力に訴えてくるやつ相手なら、荒事になるかもしれねえって二週間前まで俺が詰めてた」

「なったんですか、荒事」

「出てこねえからぶん殴れねえ。ただの別荘住まいみたいになってて埒があかねえって一旦様子見で退いてた位にゃ正直困っちゃいたんだが……」


 カガはそこまで言ってじろりと視線を工藤に向ける。工藤はびくりと姿勢を正して見返すが、それきり詰られも怒鳴られもしない。その内にカガが短く咳払いのような音を立ててから、


「洗面所に最低限の品は揃ってる筈だから、とりあえずそれで何とかしろ。黙って一晩明かせ」


 とりあえず今日の指示はそんなもんだと言って、カガはくるりと背を向けた。


「どこ──どこに行かれるんですか、カガさん」

「隣室。二部屋分貰ったって言ったろ。この階ならどこでも出るらしいから、俺が角部屋選んで何が悪いよ」

「一人だと怖い……です、けど」

「嫌だよ」


 そこまで面倒を見てやる理由がねえと言い捨てられて、工藤は二の句が継げない。なまじ普通の十八歳の少年であるだけに備わった分別と理屈と少々の自尊心が、カガの言っていることに納得してしまうのだ。

 寄る辺も無い異世界アカマルで過ごす初めての夜。化け物も怪我人も盛り沢山の事故物件。辛うじて頼れそうな位置にいるチンピラは煙突のように煙と気の滅入るような情報を吐き出すばかりで、泣いて縋ろうが足蹴にされて終わるのが目に見えている。

 項垂れた工藤の傍らにぽとんと何かが落ちる。見ればそれは小さな鍵で、恐らくこの部屋のものだろうと見当がついた。


「鍵持ってねえと部屋の借主名乗れねえだろ。俺が出てったら鍵掛けろ。一応セキュリティも売りだがよ、鍵掛けねえで寝てたら何されても文句言えねえからな」


 何かあったら何とかして知らせろとぼんやりとしたことを言い置いて、カガはするすると玄関に向かう。そのままがちゃんと音を立てて開いた扉から出て行こうとする背中に、工藤は辛うじて声を掛ける。


「逃げますよ。いいんですか」

「どこに?」


 じゃあなと素っ気ない挨拶だけ残して、ばたんと重たい音を立てて扉が閉まった。

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