少年の未来を拾った

「どこで拾ってきたんすか、カシラ」

「三栗神社。宮司が朝起きたら庭に落ちてたんだって、連絡を寄越したのが七時ぐらいだったかな」


 あそこの神社じゃよくあることだろというカシラの言葉に、カガは黙って頷く。最早血の気が引いて蒼白な顔をしている工藤は二人の様子を見て、おどおどと口を開く。


「よくある──よくあることなんですか。神社に人が落ちているの」

「そんなに頻繁じゃあないけどね、時々ある」

「どうしてですか」

「どうしてって……街灯の下に羽虫が落ちてたりするでしょう。そんな具合だよ」


 そういうことが起きやすいところなんだとカシラは楽し気に言って、指先で自分の唇をすいと撫でる。


「神隠しって分かるかい、工藤君」

「分かります。昔話とか、民話とか、事件で……たまに、聞きます」

「そういうやつだよ。私たちが気に入った野花を毟って部屋に飾るように、神様がよそで気に入ったモノを隠してこちらに持ってくるんだ」

「神様っているんですか」

「いるよ」


 こともなげにカシラが告げれば、工藤は口を開けたまま硬直する。カガはちまちまと割りばしの入っていた袋を捩じり畳みながら、カシラが子供をなぶる様を見物している。


「……本当ですか」

「定義とかそういうことを聞かれるとね、困るけどね。何かそんな具合のものはいるよ」


 ちょっとあっちを見てごらんと、唐突にカシラが黒手袋の手でホワイトボードの手前、壁に申し訳程度の広さで開けられた窓を指さす。工藤は素直にそちらを向いて、ひゅっと息を呑む。カガは明らかに面倒そうな顔をして、おざなりに視線だけを向ける。


 何の変哲もないオフィスの窓。そこにべったりと張り付いた笑顔は男女の区別もつかない程ににこにことして、糸のように細められた目は何を見ているのかは判然としない。押し付けられて潰れた頬の肉は、生白い中に血の気を透かした薄桃色をしてぬめるように光っている。

 それだけならまだ脳がお天気な人間の奇行というだけで片付けられる。多少気味が悪いがそれだけの話だ。

 その顔が天地逆さまになってさえいなければ、それで済んだだろう。


 わあッと叫んでソファにうずくまった工藤をじろりと見てから、カガは盛大に音を立てて舌打ちし、ずんずんと大股に窓際まで歩み寄ってから一息にブラインドを閉める。僅かに暗くなった室内で勢いよくカシラの方を振り返って、


「ガキ脅かして遊ぶの止めてくださいよ。うるせえでしょうが」


 てめえもぎゃあぎゃあ騒ぐなとカガが吠えれば、工藤は噛みつかれたようにびくりと身を跳ね上げてから、両手で口元を押さえてみせる。その様を睨みつけながら再び自席へと戻ったカガを見て、カシラは朗らかとさえいえるような笑みを浮かべた。


「だってちょうど良かったからね。いいじゃないか、ちょっと覗くだけのやつだろうし」

「今の……今の何ですか。誰ですか」

「さあ。分からないけどたまにああいうことがあるよ」

「人なんですか」

「ここ一階だからねえ」


 一階の窓を逆さまに覗くって難しくないかいというカシラの言葉に、項垂れるようにゆっくりと工藤が頷いた。


「ああいうのが、よく、いるんですか」

「よく分からないものはね、沢山。今みたいに逆さまに窓を覗くやつだとか、べたべた天井這い回るようなやつもいるし、死ぬのが下手で長々生きてるやつもいる。それくらいの変わり者なら腐るほどいるよ」

「そういうのはお化けっていうんじゃないですか」

「お化けも神様も大差ないだろう。どうせ人じゃないもの」


 大雑把なカシラの物言いに工藤が目を剥く。カシラは涼やかな笑みを崩さずに、するりと黒手袋に覆われた掌を擦り合わせた。


「……じゃあ神様っていうのは、その」

「本当に神様かどうかは知らないよ。けど、神様みたいなことができる連中。じゃあ神様でいいんじゃないだろうか、って結論。どう?」

「分からないけど──納得は、しようと、思います」


 俺は神様にさらわれたんですねという一文を、工藤は絞りだすような声で言い切る。言っている本人が一番言葉の内容に納得していないのがよく分かる、震えて抑揚の薄い声だった。

 カシラはその様子をこの上なく嬉しそうに眺めて、


「だからね、私は工藤君の言うことを信じるとも。よその世界から来たって言うのもその通りだろうし、高校生だったのも本当だろう。なんせ神様のなさることだ、世界の違いなんて些細なことだろう」


 世界の転移ぐらい鉢の植え替えくらいの手間だろうさと言って、ついにカシラはくくりと喉を鳴らして笑う。いよいよ工藤は黙り込んで、ソファに埋まりそうなほどに身を押し付けている。


「あそこの神社の神様は趣味が広くってね、色んなとこから色んなものをちまちま拾ってきちゃあ放り出す……器物なら神社の庭が狭くなるくらいで済むんだけど、君みたいな生き物だとそういう訳にもいかないからね。そういうのは私が一旦引き受けるようになってるんだ」


 君は大人しくて助かったよと優し気な声でカシラが言えば、工藤は意図をはかりかねたのかぎゅうと眉根を寄せて、助けを求めるような視線をカガに向ける。カガは一瞬だけ目を細めて、自前の縁の欠けた湯呑に注がれたきり手つかずのままだった煎弦茶を一口飲んで、


「拾ってきた経緯は十分に分かりましたよ。カシラの仕事で趣味だってのも分かりましたけどね、どうして俺を呼んだんです」


 用がないなら食い終わったんで帰りますよとカガが唸るように言えば、


「少し待ってくれないか……ほら、これ」


 カシラがひょいと無造作に小さなものを投げつけて、カガはそれを叩き落すような仕草で掴み取る。見れば手の中には平たい鍵が一つ納まっていて、次の仕事の話もあるんだよとカシラが続けた。


「倉庫の仕事、ご苦労様でした。次はね、集合住宅マンション。家賃と食費はこっちで持つから、工藤君と一緒に住んできてください」


 予期せぬ物言いにカガが凄まじく凶悪な表情を作る。そのまま怒鳴ろうと口を開いた瞬間、どさりと米袋を取り落としたような音がした。

 見れば工藤は床に滑り落ちていて、背中が小刻みに震えているのが分かる。忙しなく聞こえる呼吸がむやみに速いが、恐らく過呼吸までは起こしていない。諸々の事象を大量かつ一方的にぶつけられたせいで、いい加減精神的な負荷が限界になったのだろうと見当がついて、カガは渋面を作る。


「カシラ。倒れましたよ」

「いい加減全部怖かったんだろうね。かわいそうに」


 本当に普通の子供なんだねと言って嬉しそうに笑うカシラを横目に、この女を問い詰めるより先にせめて介抱ぐらいはしてやった方がいいだろうなとカガは考えて、怒鳴り損ねた分だけ深々と溜息をついた。

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