応接間で昼食を

 壁際に退けられたホワイトボードと、塗装のあちこちに掠れが目立つ応接セット。会議室兼応接室の日当たりのいい下座の席に堂々と掛けていたカシラは、入り口に立ったまま不審げな顔をしていたカガにひらひらと手を振ってみせた。


「ご苦労様。思ったより早く来たじゃないか」


 来ないかと思ってたよと言って、カシラは薄く笑う。見慣れた顔には最初から視線も向けず、カガは上座の革張りソファに所在無さげに座り込んでいる少年をじっと睨んだ。

 容貌には見覚えが無い。恐らくまだ成人してもいないだろう。俯いたままの表情は暗い。縋り付くように自身の肘を掴んだ指先は滑らかに白く、およそ肉体労働とは無縁な手をしているのが分かる。


「そちらはどなたです。来客なら出直しますよ」


 カガの声に少年はびくりと震え、その反応にカシラは一層笑みを深くする。二三度咳払いと含み笑いの混ざったような音を立ててから、カシラは少年に向かって口を開いた。


「そう怯えなくっても大丈夫だ。見た目はとんでもない柄だけど、それほどおっかない人じゃない」

「このシャツ着て来いって言ったのカシラでしょうが」


 用が無いなら俺は帰りますよと焦れたカガ──昨晩の電話で言われた通りに真っ赤な生地に大輪の菊やら葉やらがあしらわれた柄シャツを着てきたのだ──が答えれば、少年はまた身を縮め、カシラは最早晴れやかと言えるほどの笑顔を見せる。


「帰らないでくれ。今日の用件はこれだもの」

「これ」

「面白いもの拾ったって昨日言ったろ。それだよ」


 見せびらかすからご飯にしようと足元の紙袋からがさがさと弁当を取り出すカシラは控えめに言っても大変に上機嫌で、それは恐らくこのひ弱そうな少年がとんでもない厄ネタ面白いものであることと、それに伴って発生するであろう面倒ごとの度合いについて考えて、カガは小さく舌打ちをした。


※   ※   ※


 ぎっしりと詰まった御袈猪飯。その傍らに彩り程度にと尼迦菜の胡麻和えが片隅に押し込まれている。巳児茸の黒唐辛子炒めの側にはまっ黄色い卵焼きが添えられて、主菜であろう大き目の揚げ物は一口齧れば夷棘魚だと正体が知れた。包み紙にはここらではそれなりに名の知れた史曜飯店の屋号が印刷されていて、少なくともこの弁当は普段取る昼食の値段の三倍くらいはするのだろうなとカガは見当をつけた。

 そんなお高い弁当を優雅に突きながら、カシラが言った。


「この世界の人間じゃないんだってさ、この子」


 そのまま流れるような仕草で机の上の湯呑を傾けて、ほんの少し口を尖らせる。カガは言われた内容を反芻してから少年とカシラを交互に見て、箸で掴んでいた卵焼きをもそもそと飲み込んでから、


「人間ではあるんですか。見たとこ五体満足ですけど」

「ここは自分の世界じゃない、異世界なんだって言うんだもの。知らないけど」

「イセカイ──異世界。はあ。家出か捨て子じゃねえんですか。あとは病人でしょうよ。頭の」

「こんな大きい子捨てても戻って来ちゃうしね、ここまで育てたんなら売った方がいいでしょうに……家出でもね、ないっぽいんだよこの子」


 さっきと同じことを聞くよとカシラが言うと、先程から弁当に手も付けずにカガとカシラのやり取りを黙って聞いていた姿勢のまま一際怯えを深くしたような目で、少年はこくりと頷いた。


「名前は」

「工藤明仁あきひとです」

「年齢は」

「十八歳です」

「ここに来る前は何をしていたの」

「高校生なので……学校に通っていました」


 カシラがきゅうと目を細める。少年はひどく怯えた顔をして、痩せた手で自身の片腕を力一杯掴んでいる。


「ね、カガ。面白いだろう」

「カシラ、聞いてもいいすか」

「勿論。そのために呼んだよ」

「コウコウセイっていうのは?」


 少年──工藤がぎょっとしたように目を見開き、カシラはついに口の端から白々とした犬歯を覗かせる。カガは何となくどちらの反応も気に食わなくて、とりあえず工藤を睨んだ。


「高校生っていうのはね、カガ。学校だよ。高等学校に通う生徒のことだ」

「学校は分かりますよ。机に座ってこう、文字書いたり数字並べたりするところだ」

「お前の通ってたのは小学校と中学校だろう。中学校は覚えているかい?」

「……頑丈な服を貰いましたね。あと英語もちょっとやりました」

「まあ、お前頭はそんなに良くないからね。漢字読めて四則ができればまあマシな方だ。驚くだろう工藤明仁君」


 突然にカシラに名前を呼ばれて、工藤はびくりと震える。カシラはその様子を何故か楽し気に眺めて、へこみだらけの薬缶から湯呑と来客用の茶碗に真っ黒な煎弦茶を注ぐ。茶碗をずいと少年の前に差し出して、手を伸ばそうともせずに震えるばかりの様子をにこにこと眺め、カシラは黒手袋に包まれた手を擦り合わせる。


「高校っていうのはね、昔はどこにでもあったのさ、カガ。高等教育を受けて、難しくて立派な仕事ができるような人間を作ろうっていう余裕と資源があった頃の話さ」

「そんな立派なモンがここにある訳ねえでしょうよ」

「そうだね。だから工藤君の言ってることは面白くってしょうがない。こっちじゃ殆ど有り得ないことを、まるで当然のことのように話してくれる」


 嘘でもこれだけ規模が大きければ立派なものだよと乱暴なことを言って、カシラはぐいと湯呑を傾ける。工藤は不安げに視線を彷徨わせて、結局もう一度弁当の蓋を眺め始めた。

 カガはあらかた食べ終えた弁当箱に割り箸を投げ込んでから、工藤にちらりと一瞥を寄越して、カシラの目をじっと見た。

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