第13話  大人のキス



エディットT開設初めての校了までの大仕事を、無事に完了にこぎ着けたのは、十月中旬を過ぎた頃だった。

長谷部との約束の二週間の延長期日も守り、メンバー一丸となって成し遂げた。

特段、土門が担当した表紙カバーが最後まで手こずった。

白岡のイメージにたどり着くまで、何パターンも何パターンも組みなおし、最終は土門が白岡の仕事場に入り浸って決まった。


「本当に、本当に、皆さんお疲れさまでした!」

事務所から徒歩十分の所にあるイタリアンレストランに席を設けて打上げ会を遥子主宰で開いた。

「いいチームワークだったと思います。この一ヶ月は土曜休み返上で無理をさせてしまったこと……本当にごめんなさい、そしてありがとうございました。」

「そういう時田さんこそ、殆ど無休だったろう?」

桂木がジョッキを持ち上げながらそう尋ねた。

「私は、当然です。代表ですし、今回は絶対校了させないと今後の信用に関わる仕事でしたから。」

遥子は心配してくれた桂木に安心させるように笑いかけると、ビールに口をつけた。

「そうは言っても時田DRが倒れたらうちはたちまちストップしますよ!無理はダメです、無理は!」

向かいに座った土門が怖い顔をして遥子を睨んだ。

「はい、はい。今後は気を付けます!」

両手で降参する素振りで答えると、

「はい、は1回ですよ!」

土門の注意に皆が笑った。


初めての打ち上げではあったが、皆が楽しそうに飲んだり食べたりしている様子を見ながら、遥子はあらためて良いメンバーだと思った。

少数ではあるが精鋭チームだ。

人選に間違いはなかったと実感した。


二時間ほど楽しんだ後、お開きになり、解散した。

桂木と岩橋は、地下鉄へ連れ立って行った。

「土門君は、何線?今日はバイク置いてきたでしょ?」

トレンチ式のコートを羽織りながら遥子が尋ねると、土門はジャケットのポケットに手を突っ込みながら、

「もう一軒行きませんか?」

そう誘ってきた。

だが、遥子は済まなさそうに首を振った。

「……貴方と同じ歳の頃なら二つ返事でオッケーするんだけど……流石に今夜は無理だわ。正直クタクタ!」

土門は、眉を軽く上げるとすぐに微笑んだ。

「僕と同じ歳云々のくだりは、余計だけど……クタクタなのは十分わかるので、一緒に帰りましょう。」

「一緒に?」

遥子が聞き返すと同時に、土門が遥子の手を取り、強引に繋ぐと歩き出した。

「遥子さん、中野でしたよね?僕は荻窪なんで、タクシーで送ります。」

土門に引っ張られるようにして歩かされた遥子は、慌てて断った。

「いいわよ!電車で帰れるし、まだ電車あるし!」

繋がれている土門の手に視線がいく。

大きな男性の手だ。暖かい手だ。

包まれているというより、ぴったりと吸い付くように繋がれていることに年甲斐もなくドキドキする。

土門は遥子の抗議を無視して歩き続ける。

「クタクタな上に、お酒も入っている貴女を一人で帰らせませんよ。」

「だ、大丈夫だってば!こら!」

遥子は手を離そうと引っ張ってみたが、びくともしない。

ちょっとした綱引きの様な引っ張り合いを土門は楽しんでいるようだ。

そんなにガッチリした体格でもないのに、力はかなり強い。

何度か手を引き抜こうと頑張ってみたが、疲れ切っている今はただ体力の消耗のような気がしてやめた。

道路に沿ってタクシーの列がある所まで来ると、土門が一台のタクシーの後ろのドアを軽く叩いて合図をするとドアが開いた。

「はい、先に乗って下さい。」

もう逆らう気力も無く、遥子は黙って乗り込んだ。

土門も乗り込むと遥子の右上にあるシートベルトを引っ張るべく遥子に重なるように近づく。

土門の息がかかるほどの距離と彼の体温、お酒の匂いに遥子は思わず固まった。酔ってるせいなのか疲れ切っているせいなのか……かぁっと顔が熱くなる。

車内が暗くてよかったと、心底思った。

「遥子さん、相変わらずいい匂い。」

土門がクンクンと匂う真似をしてニンマリと笑った。

「…バカ。早くシートベルト閉めなさい!」

「はい、はい。」

「はい、は一回!」

遥子が先程のやり取りを真似ると、二人は顔を見合わせてから吹き出した。

妙な緊張感がほどけ、遥子は力が抜け、後ろにもたれる。

「遥子さん、家は中野のどこら辺ですか?」

「…あ、そっか。運転手さん、青梅街道入って杉山公園の信号右折して下さい。」

「土門君は荻窪のどの辺なの?」

「西荻窪です。」

「そう…」

左隣りの土門を意識しながらも、遥子は窓の外の流れる風景をぼんやり眺めた。

「……何考えてます?」

土門がそっと尋ねた。

「みんな……良く頑張ってくれたなぁって。特に、貴方。カバー決めの最後はよく粘ったと思う。」

遥子は窓の外を眺めながら、そう呟いた。

「前に、言ってくれたこと、覚えてます?無事に校了出来たら…」

遥子は、小さく笑って土門を見た。

「覚えてるわよ。何がいいか決まった?……あ!でも、そんなに高い物は無理よ!」

土門は、遥子の左手にそっと自分の右手を重ねて微笑んだ。

「……物ではなくて、僕とドライブに付き合って下さい。」

「……ドライブ?バイクで?」

遥子は重ねられた手に再び鼓動を早めながら、動揺した。

土門は手を離さずに、どさっと後ろに倒れながら笑った。

「色々考えてはみたけど、欲しい物も思いつかなくて!あるとしたら、遥子さんと仕事以外で一緒に過ごす時間だなぁって。」


本当は、断るべきなんだと思った。ここまで意識して心揺れてしまっている彼と個人的に一緒に居るべきではないと。

だが、この包むように重ねられた手を振りほどけないのも本心だったのだ。

そう、自分はこの五歳下の青年にどうしようもなく惹かれている。


「……いいわよ、約束したものね。」

遥子の返事に、いつものように大袈裟に喜ぶものだと思っていた土門は、静かに体を起こし遥子の左頬にそっとキスをした。

「ありがとう、遥子さん。」

あまりに自然な動作だったが故に、遥子は何の反応も出来ずに小さく息を吸い込み固まった。

その後はどちらも言葉を交わすこともなく、遥子の指定した信号を右折して、マンション前の公園でタクシーは止まった。


土門が先に降りて、遥子を降ろす。

「どっちが遥子さんのマンションですか?」

公園に隣接して東側と南側に高さの違うマンションが建っている。

キョロキョロと見比べている土門に、遥子は小さく笑う。

「内緒よ。」

「ここまで来てどうして!」

「遥子さ~ん!とかなんとか言って押し掛けられたら困るもの」

遥子は意地悪くからかうように土門の真似をして見せた。

「……ちぇ!当たってるけど…」

口を曲げて拗ねる土門に、クスクス笑えた。

「じゃぁね、送ってくれてありがとう。貴方も帰ってよく休みなさい。」

遥子が微笑みながら小さく手を振ると、土門は小さく頷いて名残惜しそうに遥子を見つめた。

切なそうな淋しそうな、それでいて真っ直ぐな瞳。

遥子が初めて会った時から苦手として、だが今は一番心を揺さぶられる瞳だ。

その後の突然の行動に思考は無かった。頭ではなく、心が動かせた動作だったのだと思う。

遥子は土門に近づくと、彼のジャケットの襟元を軽く引っ張り、少し背伸びをして自ら唇を重ねた。

少しの間、その唇の感触を楽しんだ後、ふっくらとした彼の唇の真ん中を軽く甘噛みすると、キスを終わらせた。

仁王立ちになって固まった土門に、遥子は囁く。

「これが大人のキスよ。」

そして土門が我にかえる前に、おやすみを告げて背を向けた。


土門は、あまりに突然の出来事に呆然と顔を真っ赤にしながら唇を押さえ、足早にカッコよく歩き去っていく遥子の背中を見送った。

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