第12話 戦場とジェラシー
白岡と約束した一週間後よりも二日前に、突然連絡が入った。
大きく内容の変更をしたいからすぐに来てほしいと。
先週よりも嫌な予感が走る。
「土門君、来たわよ、白岡先生からの呼び出し。」
遥子が、作業中の土門に声をかけた。
「約束より2日早いじゃないですか……これっていい展開ですか?」
土門が手を止めて遥子を見た。
すると隣の桂木が唸った。
「……嫌な予感しかしないなぁ……」
「健さんも、そう思います?」
「こういうパターンの変更は、簡単に済んだ試しがない」
桂木が腕組みをしながら口を歪める。
「……ですよね。私も同感です。校了予定まで二ヶ月切ってるんですけどねぇ…」
遥子は頷きながら、出掛ける用意をした。
「土門君、あとどのくらいで出られそう?なんなら私だけでも構わないけど。」
「時田DRは、何で行きますか?」
土門が作業を続けたままで聞いた。
「この時間ならタクシーの方が早いから、そうしようかと。とにかくすぐに来てほしいみたいだったから。」
土門は腕時計にチラと目をやるとまた画面に集中した。
「先に行って下さい。後二十分もしたらキリがつくんで、僕はバイクで追いかけます!」
遥子が到着し、十五分遅れて土門が到着した。
部屋を熊のようにウロウロと落ち着かない様子で待ち構えていた白岡は、遥子が到着するなり
「すべてがクリアになった!犯人を変えることにしたよ!」
その一言に、遥子は軽い目眩を抑え込んだ。
推理ミステリー小説においては、主人公と犯人の心理戦があるパターン、主人公が犯人のパターン、最後まで犯人がわからないパターンなどがあるが、今回の白岡の作品は、犯人がわからないパターンだった。
だが、クライマックスを迎え、三人居た犯人候補から犯人がわかり、主人公と直接対決する……という場面まで進んでいた。
その段階から犯人を変えるということは、少なくとも物語の中盤辺りからの書き直しということになる。
後から到着した土門も、さすがに度肝を抜かれた様子だった。
「そんなに心配そうな顔しないでくださいよ!大丈夫、この五日間でプロットの書き直しはやってあるし、大体の内容は頭の中に出来上がっているから!」
スッキリした顔で笑い飛ばす白岡に、遥子は覚悟を決めて頷いた。
「了解しました。まずはプロットから拝見させて下さい。どの辺りからの書き直しになるかは、それを見て決めましょう」
白岡と遥子の打ち合わせを近くで聴きながら、土門は携帯のメモ機能に細々とメモを取り始めた。
そして、要所要所で質問をする。
「先生、犯罪のトリック的なものは変わりますか?」
「そうだなぁ、犯人の性格が全く違う設定だから、ちょっと変えるつもりだよ。」
「もう具体的に決まってますか?何か資料をご用意しますか?」
「そうだねぇ、例えば、三章のここなんだが……」
白岡は、今度は土門と話し始め、参考意見を求めた。
遥子も参加し、三人での打ち合わせが落ち着いた時、土門が遥子を見た。
「後は、お任せして構いませんか?僕はとりあえず資料集めに行ってきます。何点かはすぐに手に入りそうなので、持ってきます。」
土門を玄関まで見送りながら、遥子は突然両手をグーにして差し出した。
土門は靴を履いて向き合うと驚いたように笑った。
「何の為のグータッチ…ですか?」
「頼むわよ!のグータッチよ。」
いたずらっぽく笑いかけると土門は嬉しそうにグータッチをした。
「がってん承知之助!」
犯人の設定を組み直し、新たに取り入れるエピソードや動機なども決まっているところまでプロットを書き換え、ひと息入れているところに、土門が戻ってきた。
手品やイリュージョンなどの本や、からくり工芸品などの本、それに何点かの風景写真を集めてきた。
中でも、白岡は元より遥子の目を引いたのは、“ 絶望 ” という表題のついた写真集だった。
土門はこう説明した。
「今度の犯人が、存在感のない大人しい絶望感を抱いている人物像だと聞いたので……こういう風景写真で例えば生い立ちや、生まれ育った故郷とか、視点からイメージ出来るんではないかと。」
白岡は、唸りながら感心した。
「土門君、この作品が書き上がったら正式に僕専属のアシスタントになる気はないかい?」
その言葉に驚いたのは、土門よりも遥子だった。
「先生、引き抜きは困りますよ。彼はうちの次期エースなんですから」
土門が答えるより先に、にこやかに、だがキッパリと遥子が答えた。
「……だそうです。」
土門が照れ臭そうに遥子に続いた。
「いやいや、僕は諦めませんよ…」
意味ありげに笑う白岡に遥子の激が飛ぶ。
「先生!そんなことより、時間が無いことを自覚して下さいね!プロット仕上げて早々に書き直ししていただかないと!」
白岡が頭の中で組み立てている変更されたストーリーや、細かい変更部分も打ち出して、プロットを完成させた。
白岡にはとにかく原稿に集中してもらえる様に段取りを組み、事務所に帰り着いたのは夕方五時を回っていた。
土門のバイクの後ろに乗せてもらうのも三回を数え、ちょっとは要領を覚えた遥子だった。
「今日もありがとう。はい、メット。」
「バイクの後ろ乗りも板についてきましたねぇ」
土門がからかうように笑う。
「まだ三回目でしょ。」
遥子も笑ってたしなめる。
事務所に向かって歩きながら、土門が聞いた。
「なんとか……校了まで乗り切れるんでしょうか?」
「珍しく弱気な発言ね?乗り切れるかどうかではなくて、なんとしても乗り切るのよ。特別珍しいケースでもないわ。そのうちわかると思うけど。」
遥子は腕時計を見ながらエレベーターのボタンを押す。
「もちろん、今から長谷部さんにも報告して相談するけど。彼なら白岡先生の癖や得策を教えてくれるかもしれないし。」
「長谷部さん!やっぱり長谷部さんか!」
「なぁに?長谷部さんがどうかした?」
土門の言い方が気になって聞き返す。
「いや、遥子さんの彼への信頼は絶対的なんだなと思って。」
「そりゃぁそうよ!そもそも今回の依頼先でもあるし、報告するのは必須。それに彼は昔から尊敬してきた編集者よ。」
エレベーターに乗り込むと、土門はズボンのポケットに両手を突っ込み不満げに口を噤んだ。
「なによ?何か言いたそうね?」
「………遥子さんが他の男を尊敬するとか、頼るとか…なんか気に入らない。」
遥子は土門の子供っぽい言い草に目を丸くする、と同時に吹き出した。
「なんでそうなるの!?他の男って……」
「それ以上笑うとセクハラ承知で抱きしめますよ!」
土門はますます口を歪めた。
「……バカね……」
幼稚ではあったが、彼のストレートなジェラシーに遥子は頬を染める。くすぐったくて年甲斐もなくドキッとする。
エレベーターを降りると、振り返って土門を見た。
「無事に校了出来たら、初校了記念としてご褒美あげるわ。何がいいか考えておいて。」
今度は土門が目を丸くした後、クシャっと満面の笑顔になった。
「うおっしゃ!」
背中越しに聞こえてきた気合いを入れる声に思わず笑った。
事務所のドアを開けると、桂木がまだ作業中で、岩橋もコピーや雑務に追われていた。
「ただいま。」
「お帰りなさい!お疲れ様でした。」
岩橋が真っ先に反応してくれた。
「……で、どうだった?厄介な事になりそうかい?」
桂木が手を止めて聞いた。
遥子は鞄を肩から外しながら、桂木のデスクに歩み寄った。
「厄介な事になりました。……犯人変更です。」
「犯人!?……そりゃ難儀だ。大方、半分書き直しかい?」
「おっしゃる通りです。今から長谷部さんに今回の変更のご報告と締め切り延長のご相談しますが……」
「せいぜい二週間てとこか……」
腕組みしながら眉をひそめて予想した桂木に遥子は苦笑して頷く。
「……でしょうね。」
「他の校閲締め切りを早目早目に捲ったとして……時田DRと俺と土門の三人でやればなんとかなるだろうよ。」
「なんとかしますよ、必ずね!」
遥子の替わりに土門が後ろから答えた。
岩橋が三人の顔を見ながら励ますように小さく頷いた。
報告を受けた長谷部は、さして驚きはしなかった。
「白岡先生は、それがくせ者でしてね。前にも同じような書き直しがあったんです。」
「そうでしたか。では……今回も予測可能範囲だったんですか?」
「いいえ、そこの予測や計算はしていません。丸投げの契約でしたから。」
長谷部の淡々とした口調を聞きながら、遥子は彼の真意を読み取ろうとした。
「……締め切りの延長は、どの程度可能ですか?」
今度は長谷部が少し間を空けた。
「どのくらいでなんとかなりそうですか?」
長谷部のその質問で、遥子はピンときた。
自分とこの事務所の実力を問われているのだと。
なんなら独立したての事務所ではなく、自分の実積を信頼して依頼したのだと言ってくれた長谷部の言葉を思い出す。
ならば……遥子は腹を括った。
「二週間、頂けませんか?」
「それで、なんとか校了まで持ち込めそうですか?」
「はい。必ず校了して印刷所へお持ちします。」
迷いの無い遥子の声に、長谷部は気持ちよく笑った。
「それでこそ、時田さんだ!必ず陣中見舞に行かせてもらいますよ。」
それから、遥子達の戦争が始まった。
とりあえず、営業活動をストップし、現在契約している仕事を遥子自身もフル参戦して仕上げていった。もちろん、その傍らで白岡の所へも通い詰め、とにかく進行を早めるよう尻を叩いた。
幸い、迷いの無くなった白岡の筆は予想以上に進み、書き直しをしたにも拘わらず、そもそもの締め切りを八日オーバーで仕上げた。
「ゲラ刷りよ!」
脱稿した原稿を印刷所で一旦仮印刷してもらい、校正、校閲を行う。同時に装丁(表紙デザイン決め)や帯決めも行う。
土門が校正と装丁、桂木と遥子が校閲を行う。
事務所のメンバーには日曜は必ず休んで貰ったが、この三週間、殆ど休日返上で働いていた遥子だった。
懐かしい疲労感だ。
かつて江上とパートナーを組み、尚且つ他にも作家を抱え、毎月のように締め切りに追われ、寝る間も惜しんで仕事に没頭した日々。
あの頃の若さも無限の体力も失いつつあるが、走り回る土門を見ていると、なんだか負けていられない気になるから不思議だ。
来る日も来る日も校閲に追われ、白岡とのやり取りに追われ、肩も腕もパンパンになっていた頃、事務所に長谷部がやって来た。
「こんにちは!陣中見舞に来ました。すっかり秋らしくなってきましたね。」
事務所開きの時は初夏だった季節もいつの間にか10月を迎え、都会も朝晩は空気がひんやりと澄みだした。
「おぅ!長谷部か!陣中見舞なんて気取ったこと言ってないでお前も手伝え!」
桂木が開口一番長谷部を捕まえた。
「先輩……また無茶振りする!」
長谷部が苦笑いしながら岩橋に差し入れの洋菓子の箱を渡す。
声を聞きつけて、奥の部屋から遥子が出て来た。
「長谷部さん!本当に来て下さったんですか!?」
「勿論ですよ!約束は守りますから。」
「長谷部さんだって、お忙しいでしょうに……コーヒーは、お誘いしない方がいいですか?」
「是非とも頂きたいのは山々なんですが……」
長谷部は、残念そうに微笑む。
「私も今から締め切りギリギリの担当作家の尻を蹴飛ばしに行かないといけないんですよ。」
長谷部の表現に遥子は吹き出す。
「相変わらず厳しいですこと!」
長谷部も一緒に笑いながら、桂木と隣の土門に声を掛ける。
「先輩、失礼します!……土門君も、頑張って下さいね!」
土門は長谷部は見ずに小さく頭を下げただけだった。
ドア口に長谷部を見送る為について歩いた遥子に、長谷部はふと振り返った。
「時田さんの夢も……まだまだお預け状態ですね?」
遥子は、にっこり微笑む。
「まずは事務所の安定ですから。来年には、必ず。」
「ですね、楽しみにしています。」
土門は、眉間にシワを寄せながらその会話を聞いていたが、遥子が長谷部を見送り、自身の部屋に戻るのを待ってダッシュで長谷部を追いかけた。
エレベーター待ちをしていた長谷部を捕まえる。
「あの!!」
「…何でしょう?」
「さっきの、遥……時田DRの夢って、何ですか?教えて貰えませんか?」
長谷部は目を丸くしながら
「いや……それは私ではなく時田さんに聞いて下さい。特段、隠しているようなことではないはずですよ。」
にこやかに答える長谷部を土門は不満げに見た。
「……もう一つ、教えて欲しい事があります…」
「どうぞ。」
土門は、ひと息吸って覚悟を決めた。
「……僕は、作家の江上龍也にそっくりですか?」
長谷部はすぐには答えなかった。
「……そうですね、似ているかもしれません。それが何か?」
「二人に、何があったんですか?……と聞いても、教えては貰えないですよね?」
長谷部は、その問いかけ方に苦笑して頷いた。
「当然です。ここに居ない人間のことを君ととやかく話すつもりは無いのでね。」
そう言うと、1度開いて閉じたエレベーターボタンを押した。
「申し訳ないが、急いでいるので失礼しますよ。」
土門はエレベーターに乗り込んだ長谷部を真っ直ぐ見つめ、
「お引き留めして申し訳ありませんでした。」
そう丁寧に頭を下げた。
エレベーターのドアが閉まると、長谷部は一人苦笑して呟く。
「青年よ、彼女に惚れたな……」
その日、遥子は昼から白岡の所に二校目のゲラを持って行き、細かい訂正をして事務所に持ち帰るとすでに七時を過ぎていた。
土門だけが装丁のデザインの為に残って作業をしていた。
「お疲れ様。表紙デザイン順調?」
「お帰りなさい、お疲れ様です。一応、先生から聞いたイメージを3パターン作りました。」
遥子は原稿を置くとデスクに近寄った。
「どれ、見せて?」
画面の中には、全く違うイメージのデザイン画があった。
「……うん、どれもいい感じ。これ、フリー素材?」
「フリー素材といえばそうです。僕の撮り溜めていた物から引っ張りました。」
「フリーじゃなくて、土門コレクションね?いつか見てみたいものだわ。」
「勿論!遥子さんなら特別に。」
土門は嬉しそうに遥子を見上げ、ウインクをよこした。
ふふふ、と軽く笑いながらデスクから離れようとした遥子を土門が引き留めた。
「遥子さん!」
「なぁに?」
「聞きたい事が。教えて欲しい事があります。」
「どうぞ、何なりと。」
遥子は手提げ鞄から原稿を取り出しながら答えた。
「……朝、長谷部さんと話していた、夢って何ですか?それって、遥子さんの夢ですか?そんなプライベートな事をなぜ彼が知っているんです?」
「いっぱい聞くわね……」
遥子は苦笑いしながら土門を困ったように見た。
「まず、夢っていうのは、私がライターにチャレンジしてみたいということ。これは独立を目指した理由の一つでもあるわ。」
遥子は、言葉を続けた。
「長谷部さんには独立する際に相談に乗って貰ったから、その時に話したの。でも、特に秘密にしていた事でもないわ。成りゆきだけど、健さんも知っているし。」
「なんで健さんが?」
不満げに聞く土門に遥子は
「だから、成りゆきだってば!彼にこの事務所に入って貰う時の面接で独立の動機として話しただけよ。」
土門は少し何かを思案するようにして、首を傾けた。
「何を書くつもりなんですか?」
「何をかぁ……」
遥子は少し上に視線を流して考えた。
「……エッセイかな。こう見えて旅好きなの、私。今はそれどころじゃないから行けてないけど、それこそ休みがあれば思い立つように飛んで行くタイプ。」
「旅物のエッセイですかぁ。確かにイメージとは違いましたけど。」
土門の正直な感想に思わずクスクス笑った。
「貴方に遠慮とか気遣いとか求めるのは無理なのかしら?」
土門は、悪びれる風もなくニンマリ笑うだけだった。
「有名な観光名所や隠れた名所的な物は沢山あるから、テーマが難しいんだけどね。」
「なら、僕は遥子さんの夢にも付き合えますね。」
「なんで土門君が?」
普通に聞き返した遥子に土門はギョッとした。
「本気で聞いてます!?」
そして、やれやれと肩をすくめる。
「旅物のエッセイに写真は欠かせないじゃないですか!こんな優秀なカメラマンを連れて歩かない選択は無いでしょう?」
「優秀な、カメラマンね……」
わざと皮肉ってみたが、土門には通じなかった。
「僕と遥子さんは、遥子さんがライターを始めて本当のパートナーになりますよ。良いパートナーになれます、絶対に。」
“ パートナー ”という言葉に、突然心の奥底の痛みのような感情が疼き、微かに眉を潜めた。
その遥子の一瞬の翳りに、土門は気付く。
「始めに言いましたよ、僕は貴女を絶対に傷つけませんって。」
遥子は、その言葉には答えずに原稿を抱えると背を向けた。
「残念でした!私がライターを始めたら写真も自分で撮る計画だから、カメラマンは不要です。」
そして自室の手前で一瞬止まり
「……私は誰ともパートナーは組まないわ。」
そう言い残して部屋に入った。
土門は、何も言わずに辛そうな眼差しで遥子の背中を見つめ、小さく溜息をついた。
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