第7話  彼に似た人 


2日後、朝から事務所開きに向けての準備に追われながら、面接の10時を向かえた。

「さて、岩橋さん、始めましょうか。最初の人に入ってもらって下さい」

「かしこまりました……時田DR。」

「あら!」

朝から一緒に居たにも拘わらず、岩橋が初めて披露したその呼び名に、遥子は即座に反応した。

「DR……ディレクターの略ね?考えたわね、素敵な呼び方!社長とか代表なんかよりよっぽどお洒落じゃない」

「ありがとうございます。昨日頂いた宿題の答えですが、気に入って頂けましたでしょうか?」

控えめに、表情を崩すことなく岩橋は尋ねた。

「とっても!決まりね、ありがとう。」

「とんでもございません、採用してくださってありがとうございます。では、あらためて、お呼びしますね」

「お願いします。」


岩橋に呼ばれ、事務所外の廊下の椅子で待っていた一番目の面接希望者が入室した。

「失礼します!本日は、よろしくお願い致します!」

よく通る声の若者が元気に深々と頭を下げた。

「………こんにちは。どうぞ、お座りください」

息が止まるほど驚いたわけではない。

面接者を席に促し、遥子の隣りに異動する岩橋の歩みを止めるほど、動揺したわけでもない。

ただ、その元気に挨拶をして目の前の椅子に座った若者に、内心、遥子は息を呑んでいた。

背格好は、違う。そこまで長身じゃない。

声も、それほど低くはない。

だが、顔がとてもよく似ていた……あの、江上龍也に。


無意識にまじまじと見つめてしまっていたのだろう。

「あの、何か気掛かりな事でもありますか?」

目の前の彼が不思議そうに尋ねた。

遥子は、内心自分を叱りつけ、事務的に微笑んだ。

「いえ、失礼しました、何でもありません。」

手元の履歴書をあらためて眺める。

今朝からバタバタして、履歴書の確認を怠った事を悔やんだ。

だが、履歴書に張り付けてある写真はそれ程似てはいない。

年齢は27歳。江上に出会った頃の年齢に近い。

遥子はそこで一旦目を固く閉じた。

そうじゃない!そこじゃない!気にするのは、彼がことじゃない!


「えぇと……お名前は、土門どもんさんですね?」

「はい、土門どもん駿平しゅんぺいといいます。」

そう言ってクシャっと笑った顔に、またもや遥子の胸はざわついたが、無視を決め込む。

皮肉なことに、土門の経歴は申し分なかった。

都内の芸大出身、それも写真学科を専攻している。

卒業後、スタジオのカメラマンアシスタントとして三年勤め、その後タウン誌などを扱う小規模ではあるが、情報会社で二年勤務。


「ここに書かれている経歴によると、カメラマンを目指していらっしゃったんですか?」

履歴書から目を離さずに尋ねる。

「はい、最初は。ですが、三年アシスタントとして勤めましたが、自分の中で何か違和感があり、転職しました」

「写真学科を四年も専攻していたのに、ですか?」

「いけませんか?写真学科を専攻していたら、絶対カメラマンになるべきですか?」

そのきっぱりとした言い方に、遥子は思わず彼を見た。

「いえ、そうではありませんが…」

真っ直ぐにこちらを見つめる眼差しにぶつかり、遥子は慌てて履歴書に視線を戻した。

「その後、情報誌の会社で二年とありますが、こちらでもカメラマンを?」

「もちろん、写真も担当しましたが、編集の仕事も学びました」

「お辞めになった理由をお聞きしても?それと、うちに応募された動機も聞かせて下さい」

本来は、なるべくにこやかに面接を進め、相手の動機の核を探るのだが、遥子の言葉は淡々とした事務的な口調になってしまっていた。

「不満があったわけではないのですが、情報誌、タウン誌だけではなく、出版業をもっと深追いしたくなりました。こちらを志望したのは、本作りを一から始めるというところにとても惹かれました。物作りを最初から関われるというところに、特に挑戦したいと思いました。」

まずまず、ほぼ完璧な答えだった。

遥子が望んでいた条件は全て揃っている。

なんなら、こちらから頼みたい位の人材だ。

なのに、遥子はそこで面接を終わらせようとした。

「……わかりました。参考にさせて貰います。ありがとうございました。採用させて頂く場合のみ、担当からご連絡させて頂きますので、ご了承下さい」

横でメモを取っていた岩橋が、流石に驚いたように遥子を見た。

何より、驚いたのは遥子の目の前の土門だった。

「ちょっと待って下さい!これで終わりですか!?」

履歴書を見たままだった遥子は、渋々顔を上げた。

「はい、そうなります。」

「僕は、まだ名前と志望動機しか言っていません。職歴の細かい情報とか、経験値とか、そういうことを聞かないんですか?」

痛いところを突かれた。

彼の言う通り、こんなのは面接とは言わない。

経歴や経験値から採用の可能性が無いとしても、もう少しあれこれ聞くのが普通だろう。

ただ、彼の顔を見ていたくない……

昔、愛していた男にとても似ているから。

完全に公私混同だけの理由だった。


「ひとつ、お聞きしてもいいですか?なぜ、面接に僕を呼んだんですか?経歴だけでの判断なら、書類審査でよかったんじゃないですか?」

言葉を探していた遥子に、きっぱりとした土門の声が響いた。

彼を見ると、その表情に怒りは感じ取れないが、凛とした意志の強さを感じた。

遥子は、しばし考え込んだ。

今、最優先させないといけないのは事務所の代表としてだけだ。

ましてや、これは面接なのだ。

この青年がどんな容姿であろうと、誰に似ていようと、そんなことは後で考えるべきだ。

遥子は、口元をぐっと引き締めると心を決めて小さく頷いた。

「土門さんの仰る通りです、申し分ありませんでした。あらためて、面接の続きをさせて貰ってもかまいませんか?」

土門は少し黙って遥子を見つめた。

遥子は、もう視線を逸らすことなくこの事務所の代表としての威厳を持って見つめ返した。

「正直に言って、この流れでの続行は、本意ではありません。ですが、このまま帰るのも本意ではないです。ここの仲間として仕事をしたい気持ちに変わりはないので。」

非の打ち所がない答えだった。

面接でも下手に出ることなく、こちらの落ち度はハッキリと意見する。

良い若者だと思う。

なのに……そういう忌憚のないところも似ているのだと、苦々しく思う遥子だった。


あらためて質問を続け、土門のこれまでの経験値、編集や校閲、グラフィックへの関わり方などを聞き、面接は無事に終わり、彼は気持ちの良い挨拶を残して帰っていった。

その日予定していたもう一人の面接者は、営業職からの転職希望者だった。

家電量販店での営業と販売促進を七年やっていたが、無類の本好きで、本の制作や販売に携わる仕事に就くことが学生の頃からの夢なのだと熱く語って帰っていった。


「お疲れ様でした。いかがでしたか?土門さんは、時田DRの希望されていたスキルの持ち主かとお見受けしましたが」

岩橋が履歴書とメモをファイルにまとめながら尋ねた。

「たしかに、スキルだけで言えば、高そうだったわね。」

その言葉とは裏腹な遥子の表情に、岩橋はつと口を噤んだ。

戸惑いを隠さない岩橋の表情に気付いた遥子は、わざと笑って見せた。

「ごめんなさい、ちょっと神経質になっているみたい。初めての事務所立ち上げだし、特に人材選びは失敗出来ないと思い過ぎてるのかしらね……」

「いえ、当然だと思います。とても高度で特殊なスキルが求められる職種だと感じますから。軽はずみな意見を言ってしまい、すみませんでした。じっくり選考なさってくださいね」

珍しく、励ますような笑みを見せた岩橋に、遥子は思わず微笑み返した。

「当然だけど、選考するにあたっては貴女の意見も重要だし、どんどん聞くつもりよ。岩橋さんは今じゃここの唯一の社員なんだからね!」

それを聞いて、岩橋はちょっと嬉しそうに控えめに頷いた。


日に日に物が運び込まれ、殺風景だった事務所もなんとなくそれらしくなっていた。

十二畳程の部屋と、六畳の続き小部屋が扉無しで繋がっている。

遥子のデスクは、続き小部屋に備え付けられた。

岩橋を先に帰らせた後、まだ本棚も無い自分のデスクで、遥子は土門の履歴書を眺めながら溜息をついた。

人材としては、文句無し。

人間的にも合格点のようだ。

後は……自分だけの問題だった。

毎日彼を見ながら仕事にまい進出来るか否か?

顔はもとより、くしゃっとした笑い方、実直な眼差し、自分の意見は忌憚なく発言するところ……

あぁいう顔立ちの者は皆あんな感じになるんだろうか?

自分の笑えない冗談に口元をすぼめた。

ようやく過去に決別が出来て、自力で一歩を踏み出したというのに。

こんなことでつまずくのは、まだ決別出来ていないということなのか?

私はまだ江上龍也を忘れられないというのか?

遥子は小さく首を振りながら、もう一つ深い溜め息をついた。


次の週、長谷部から早々に連絡があった。

「お待たせしました、ひょっとしてもう全てのスタッフ選考終わってしまいましたか?」

携帯越しに長谷部の快活な声が響いた。

「いえ、長谷部さんからのお返事を首を長くして待っていました。例の方、どうでしたか?」

「簡潔に申し上げると、かなり乗り気でした。一度お会いして詳しくお話を伺いたいとのことです」

「まぁ!本当ですか!?」

遥子が素直に喜ぶ声に、長谷部はなぜか申し訳なさそうに笑った。

「この前もお話させて貰ったと思うんですが……彼はちょっと変わり者でして、時田さんが大手出版社を辞めて独立にチャレンジしているというところがいたく気に入り…なおかつ、その代表を務めるのが女性編集者ということも、大いに興味を引いたらしく……」

遥子はクスクス笑いながら続きを引き継いだ。

「女だてらに、大手出版社に挑んでる無謀者、みたいに映ったのですかね?」

「コンプライアンス的に、動機に問題有りですかね?」

「別に大手に喧嘩売るつもりもないですし、なんなら元の会社のコネも使わせて貰おうと思ってるくらいですけど、逆に興味を失ってしまわれませんか?」

長谷部はうーんと唸ってから、答えた。

「仕事は、間違いない人物です。責任感も強い男です。どうですか?まずは会って実際に時田さんの目で確かめては?時田さんの方針に合わなければバッサリ切り捨てて貰って構いませんよ」

長谷部の大袈裟な口振りに思わず吹き出した。

「ありがとうございます、そこまで言って頂けると気兼ねなくお会い出来ます。よろしくお願いします」

その変わり者で職人気質な編集のプロだという人物と会う日時を決めて、あらためて長谷部にお礼を告げ、電話を切った。


それから二日後にその人物はやって来た。

スポーツ刈りで全体的に白髪混じり、年の頃は50半ば、顔は気難しそうな印象で、細身な体の背丈は遥子よりも少しばかり低いから167センチくらいだろう。

長谷部が職人だと言ったのは、見た目の印象からも言えることだと思った。

「はじめまして、時田遥子と申します。本日は、ご足労いただきありがとうございます。」

遥子が丁寧に挨拶をして名刺を渡すと、彼は苦笑いのようなものを浮かべた。

「どうも。名刺は持ち合わせていないから代わりにこれを。」

そう言って渡された封筒の中には、履歴書が入っていた。

「まぁ、わざわざありがとうございます。長谷部さんにそれなりに伺った上でご紹介して頂いたので、よろしかったですのに。あ!どうぞお掛けになって下さい」

先週までのパイプ椅子と長テーブルは、シンプルなグレーのソファと栗色のローテーブルに変わっていた。

三つ折りにされた履歴書を開くと、まずは名前を確認する。

「……桂木かつらぎ健三けんぞうさんとお呼びすればよろしいですか?」

「はい。」

「まず、私から自己紹介させて頂きますね。今回、編集、校閲の下請けメインで事務所を立ち上げました。独立という点ではど素人でして……」

端的に説明を始めたが、桂木が途中で手のひらをかざして止めた。

「時田さんの経歴やこの事務所の立ち上げのあらましは、長谷部から聞いてます。重ねての説明は要りません」

「そうですか。……では、何からお話すればいいですか?」

伏し目がちに話していた桂木は、そこで遥子を真っ直ぐ見た。

「わざわざ履歴書を持ってここへ来たということは、仕事を引き受けてもいいという事ですよ。後はその経歴を読んで、貴女が私を雇うか雇わないかだ。」

なるほど、長谷部の言っていた“変わっている”の意味が少し見えた気がした。だが、嫌いじゃない。

「では、私からも。桂木さんの経歴は長谷部さんから伺っております、校閲も編集も職人級だと。その上で、ご紹介して頂きたいとお願いしたんです。ただ……」

「ただ?」

「何点か、確認させて下さい。まず、これは委託契約ではありません。軌道に乗るまでは、正社員として働いて頂きますし、最少人数でのスタートになるので、編集以外の業務もお願いすることになるかもしれません。了承して頂けますか?」

桂木は、再び伏し目がちに答える。

「……営業は経験がありません。」

「営業は私が担当するので大丈夫です。グラフィックなどのご経験はありますか?」

「あります。得意ではないが……」

「経験があれば十分です。それから……」

遥子はそこでニンマリ笑う。

「独立はしますが、営業に関しては使えるコネというコネは使う方針です。それでも一緒に仕事をしてくださいますか?」

桂木が顔を上げてあからさまに眉をひそめた。

「どういう意味です?」

「これも長谷部さんからお聞きしたんですけど、桂木さんが今回のお話に興味を持って頂けたのは、私が大手を相手に独立して戦うような印象を持たれているとかいないとか……」

「……あいつ…」

桂木はちょっと苦笑いを浮かべた。

遥子は追い打ちをかけるようにニッコリ笑う。

「私は、ジャンヌダルクになるつもりはありませんので。大手に戦いを挑むつもりもサラサラありません。ただ、編集だけでなくライターにも挑戦したかっただけです。」

遥子のきっぱりとした言葉に、桂木はちゃんと遥子を見てしっかり頷いた。

「いいんじゃないですか?お手伝いさせて貰いますよ、よろしく頼みます。」

彼の“ 頼みます”に、遥子は思わず握手を求めた。

「こちらこそ、よろしくお願いします!桂木さんの力を貸してください!」

桂木は、渋々遥子の握手に応えて笑った。


桂木とは、その日の内に契約を交わした。

何度も来ることが面倒だと主張した彼の希望に沿って、勤務形態から給料、社会保険の手続きまで全てを済ませた。

ただ、仕事の体制を整えないと皆にしてもらう仕事が決められないので、初出勤までの猶予を貰うことで了承してもらったが。


あと一人……

あと一人揃えば、正式に営業をして、仕事を回して貰える所にはお願いをして、取り敢えずスタートが切れる。

だが、最有力候補だった人には、不採用の通知を出した。

そう、やはり踏み切れなかったのだ。事務所の代表を名乗る資格の無い選択だったかもしれない。

彼を雇えば、今後の動き方としてペアを組むことになる。

四六時中時間を共にするのだ。

かつての江上とパートナーとして本やコラムを手掛けていた時のように。

遥子は心の中で手を合わせながら、土門に不採用通知を送ったのだった。


桂木の採用と契約が決まった日の夕方、事務所の戸締まりをしてエレベーターで一階まで降りると、さほど広くないエレベーターホールの壁に土門がもたれて立っていた。

さっきまで思考を占領していた人物が突然目の前に現れ、一瞬声を失う。


「どうも。」

先に口を開いたのは土門だった。

「……こんにちは。」

「少し、お時間貰えませんか?」

「……なんでしょう?」

無表情に答える遥子に、土門は少し苛立だしげに、短めの髪を何度かかきむしった。

「どうしても!」

遠慮の無い大きな声に遥子はビクッとした。

「どうしても!納得がいかないんですよ!なぜ不採用になったのか!」

彼が私に用があるとしたら、それしかないだろうと、遥子は内心思いながらもなかなか言葉が出てこない。

「何がダメだったんですか?何が足りなくて落ちたんですか?僕は何を取得すれば採用して貰えるんですか!?」

遥子は軽く目を閉じ、このまま無視は出来ないと覚悟を決めると再度エレベーターのボタンを押した。

「……土門さん、ここではなんですから、事務所へどうぞ。」


三階にある事務所の鍵を開け、電気を点けるとソファを勧め、向かいに座る。

「土門さんは、とても優秀な方だと思います。先ほど、何が足りないか?とお尋ねになりましたけど……足りないんではなくて、もっと他所でご活躍出来るんではないかと。こんなどう転ぶかもわからないちっぽけな所ではなく。」

なるべく丁寧に、気持ちを逆なでしないように言葉を選びながら伝えたが、土門の表情がどんどん不機嫌になっていくのがわかった。

「何ですか?それ。」

睨むような土門の眼差しに、遥子は怯んだ。

「何の理由にもなってないじゃないですか!?足りないものは無い?優秀?……ならば、雇って下さい!」

土門はそう言うと両手を握り締めながら自分の感情を鎮めるように膝の間に沈めた。

「最初から、違和感があった。書類選考は通ったはずなのに、すぐに面接を終わらせようとしたり、募集要項の条件には間違いなく添っていたのに、経験値すら聞いて貰えなかった。……なぜですか?絶対に何か理由があったんですよね?」

なんて答えれば、納得してくれるだろう?……遥子は困り果てた。

貴方の顔を見たくないから、などと口が避けても言えるわけもなく、かといってハッキリと駄目だし出来る要素もない。

「あの……例えば、土門さんの若さと能力があれば、私がもう少し大手の出版社をご紹介するということも可能ですが、いかがですか?」

遥子の苦肉の策として捻り出した言葉に、とうとう土門はキレた。

「だから!!なぜそこまで僕を排除しようとするんですか!?僕は貴女に一体何をしましたか!?」

当然の怒りだった。

ぐうの音も出ない。

遥子は彼の正当な怒りから逃れるように眼を固く閉じた。

次に土門から飛んできたのは、怒りではなく静かな声だった。

「僕は、誰かに似ていますか?」

遥子はハッと息を呑んだ。

「どんな理由をこじつけてでも顔を合わせたくない程、誰かに似ていますか?」

土門が真っ直ぐにこちらを見ていることはわかったが、遥子は顔を上げて彼と視線を合わせられなかった。

「それしか……理由が見つからなかった。一番最初に顔を合わせたとき、貴女は驚いたように僕の顔を繁々と見ていた。」

段々と、遥子の中に怒りのような感情が沸き上がってきた。

なぜ、理由を言わないといけない?

こちらは採用する側で、彼はされる側で、そこにどんな理由があったとしても、それをいちいち説明する義務はないはずだ。

不採用は不採用なのだから。

こっちがそう判断したのだから。

遥子は沸き上がってきた怒りのままに顔を上げた。

「土門さんが納得しようがしまいが、不採用と決定したのはうちの事務所です。求められたからその理由もお答えしましたし、これ以上お答えする義務はありません。お引き取り願いませんか?」

だが、遥子の言葉はスルーされ、土門は少し身を乗り出して、遥子に近づいた。

「僕と、亡霊退治しませんか?」

「はぁ!?」

遥子は意味不明の言葉と彼の動きに、眉をひそめ少し身を引いた。

土門は、お構い無しに言葉を続ける。

「何も聞きません。もちろん、詮索もしません。でも、僕が時田さんを苦しめている亡霊に見えるのなら、一緒に退治しませんか?」

「……な、何を言ってるの?何の話をしているの?」

困惑して一層眉をひそめる遥子に、土門はにっこり笑う。

「僕は、きっと貴女の役に立ちますよ!全力で、貴女の要望通りに働きます。足りないと言われれば、徹夜してでも補います。こんな逸材、そうそういませんよ!」

遥子の表情は、困惑から驚きに変わり、その瞳は大きく見開かれた。

「そして、僕と仕事することで貴女を苦しめている亡霊もきっと退治出来ます!」

そこで土門は真顔になり、遥子を真っ直ぐ真剣な眼差しで見つめた。

「僕は、絶対に貴女を傷つけません!」

言い返す言葉が無かった。

最後の彼の一言で全身の力が抜けていくような錯覚に陥った。

“ 亡霊 ”とは……上手く例えたものだ。

気がつくと遥子はクスクス笑いだしていた。なんて面白い子!

亡霊退治に、自分を逸材だと言い、最後は私を傷つけないですって!?

なぜか、笑いがなかなか収まらない。

遥子の笑う様子をワクワク顔で楽しそうに見ている彼は、まるで少年のようで、よくよく見れば、江上にも差ほど似ていないような気がしなくもない。

亡霊退治……とはそういうことなのだろうか?

見たくないものに目を瞑るのではなく、真っ向から見れば、実はそれが幻のようなものなのだと気づくということなのだろうか?

遥子はようやく笑いを収め、あらためて土門を見た。

「……最後に、質問しても?」

「もちろん!」

「何故、ここまでしてうちで働きたいの?来月には潰れてるかもしれないような小さな事務所よ?」

「ひとめ惚れです。」

土門はニヤリと笑った。

「ここの募集要項を初めて見つけた時、ここだ!という直感が走った。そして、面接で時田さんを初めて見た時、この人と一緒に仕事がしたい!と強く思った。そういう直感を僕は信じてきたし、つまりはひとめ惚れと同じ感覚です。」

遥子は五秒間黙って彼を見つめた。

そして、土門の言葉とその瞳に嘘はないと確信して、頷いた。

「わかりました。……エディットTにようこそ。」

遥子のひと言に、土門の顔に驚きが広がり、それがすぐに喜びに変わると、はち切れんばかりの笑顔になった。

「やった―――!!!ありがとうございます!!」

無邪気な子供のような喜び方に、遥子もつられて微笑んだが、同時に釘を刺すことも忘れなかった。

「覚悟してね、私と仕事するのはかなりキツイわよ!」

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