第8話  新しい仲間達


事務所開きは二週間後と決めた。

三人分のデスクもパソコン類、その他機材、書類棚、最低限の必需品は、すべて揃った。


「今から十日以内に、事務所開きの案内状とエディットTのパンフレット作成と発送を完了して貰います。」

三つのデスクから見える所にホワイトボードを設置し、遥子はそこに当面の予定を書き込みながら指示を出す。

「挨拶文は私が起こしてあるから、健さんは校正をお願い。同時にパンフレットの文章も進行して下さい。」

桂木のことは、“ 健さん ”と呼ばせて貰うことにした。

「土門君は、パンフレットの写真をグラフィックにして構成を頼むわ。」

土門は、“ 土門君 ”

「時田DR、Webのホームページはどうするんですか?」

土門が尋ねた。

「知り合いにホームページ製作専門の人がいるから頼むつもり。」

「僕、出来ますよ!大学の時にWebデザインもやったんで。」

土門の提案に、遥子は目を見開いた。

「素人の遊びのHPじゃ間に合わないのよ?それもパンフレットと同時進行でよ?」

厳しめの遥子の意見に、土門は自分のデスクのノートパソコンを開きカチャカチャとある画面を出して皆に見せた。

「この情報誌のHP、前の勤め先のものですけど、僕が作りました。どうですか?」

岩橋が眼鏡を押さえながら見入ると感心するように頷き、遥子も小さく口笛を吹いた。

「……合格、土門君に任せるわ。大体の構成と内容は、用意出来てるからこの後渡します。とりあえずは、問い合わせフォーマットが肝心だから、頼むわね。HPは事務所開きまでで構わないから。」

「がってん承知之助!」

土門のおどけた返事に意外にも笑ったのは桂木だった。


それからの二週間は、全員フル稼働だった。

遥子は全ての進行具合をチェックをしながら、同時に元々当てにしていた作家やフリーのライターや出版社などに出来上がった挨拶状とパンフレットを手に、営業を開始した。

約一年半振りに顔を合わす人達は、遥子の独立を喜んでくれ、歓迎してくれた。

元の会社の冬影社の編集部の上司も最近力を入れてるライトノベルズの手が回らない外注部分を回してくれると約束してくれた。


事務所開きは、特に何かセレモニー的なことは考えていなかった。

飲食店などのオープニングならば盛大に花を飾ったりもするのだろうが、ちっぽけな編集下請けの事務所なので、とりあえず、スタートの日付を決める、シンプルにそれだけのことだった。

ところが、その日の午前中に長谷部が胡蝶蘭の鉢植えを抱えてやってきた。

「こんにちは!本日はおめでとうございます!」

土門のデスクで出来上がったHPの細かい修正部分を指示していた遥子は、周りが驚く程の声で長谷部に駆け寄った。

「長谷部さん!!まぁ!わざわざ来て下さったんですか!?」

なかなか豪華な胡蝶蘭を受け取りながら、遥子が笑顔で答えると長谷部もニッコリ頷いた。

「当然ですよ、私も時田さんの事務所開きを今か今かと待ち焦がれていた一人なんでね。」

それから桂木にも声を掛ける。

「桂木先輩、再就職おめでとうございます!」

桂木は、うるさい!と言わんばかりにフンと鼻で答えただけで、パソコンに注意を戻した。

遥子は丁寧に胡蝶蘭を岩橋に渡すと、長谷部を奥の自分の部屋へ誘った。

「長谷部さん、お時間があれば、奥の私の部屋でコーヒーでもいかがですか?」

「それは有りがたい。どのみち、時田さんに御相談もあるので。」

三人のデスクの間を縫って、岩橋には目くばせでコーヒーを頼み、奥の部屋へ案内する。

奥へ入っていく2人を腕組みをして見ていた土門が、岩橋に尋ねた。

「岩橋女史、あれ誰です?」

岩橋は、“ 岩橋女史 ”と遥子が呼び名を決めた。

岩橋は、鉢植えをとりあえずローテーブルに置き、コーヒーの用意をするべくコーヒーマシンへ移動しながら答える。

「私も御会いするのは初めてだけど……時田DRの古いお知り合いで、健さんの元後輩だと聞いているわ。」

「……ふぅん」

やや、不機嫌さを含んだ土門の言葉だった。


遥子の部屋にもデスク前に簡易のテーブルと椅子を置いていた。

「本当に、おめでとうございます。かつて新人だった時田さんと出会った頃を思い出すと、その貴女が独立する日が来るなんて、何か感慨深くて……歳ですかね?」

長谷部が懐かしそうに遠くを見た。

「たしか……初めて御会いしたのは、ヒロ田中先生の所ででしたよね?私が初めて一人で担当を持たせて頂いた先生でした。」

遥子も懐かしそうに微笑み返す。

まだほんの駆け出しの編集者で、他社の人だろうが誰だろうが、その知識や経験を吸収しようと躍起になっていた頃。

「頭の回転が早く、貪欲で、常に全力投球の元気な娘さんでした。仕事にマンネリ感が出てきていた我々も刺激を受けたし、負けていられないと他社の顔見知りとよく話してましたよ」

「その元気娘もすっかりオバサンです」

遥子が肩をすくめて笑うと、長谷部も動作を真似して笑った。

「なら私はお爺さんになってしまうな」

2人がクスクス笑っていると、土門が入ってきた。

「失礼しまーす。」

岩橋が持ってくるはずのコーヒーを運んできた。

「あら、ありがとう。……岩橋女史は?」

「代わって貰いました。時田DRの伝説の先輩さんにご挨拶したかったんで」

長谷部はフフッと笑うと内ポケットから名詞を取り出し、立ち上がって土門に差し出した。

「光栄ですな。光永出版の長谷部といいます。」

「はじめまして。土門です」

軽く会釈をする自分を真っ直ぐ見た長谷部の眼の中に一瞬の揺らぎを見逃さなかった土門は、内心口を曲げた。

“ この人も、彼女の亡霊の正体を知ってるというわけか……”

それだけを確信すると、土門は退室した。


「彼が、最後の1人ですね?」

長谷部の問いかけに、遥子は微笑んだ。

「はい。カメラもグラフィックも出来る上に編集も噛ってる、なかなかな素材なんです。」

「ほう、それは先が楽しみだ。よく見つかりましたね?」

遥子は土門の事に関してはそれ以上話すつもりはなかった。

なぜなら、彼が江上によく似ていることは長谷部にもわかっている事だろうからだ。

「それより、長谷部さんが私に相談なんて……私なんかでお力になれるようなこと有りますか?」

「あぁ、それそれ!それが一番の目的でした……」

長谷部は、脇に置いた鞄からA4の封筒を出して中から資料のような物を遥子の前に置いた。

白岡しらおか るいというミステリー作家をご存知ですか?」

資料を手に取り、記憶を辿る。

何度か作品を手にしたことがある……それは遥子が本屋でアルバイトしている時の記憶だった。

「お名前だけは。作品は読んでいませんが……」

長谷部の相談事とは、こうだった。

光永出版の白岡専属の編集担当者が交通事故に遭い、長期の離脱になってしまったが、代役の編集者が居ず、他と掛け持ちで出来る編集者もおらない状況で下請けに出すことになったのだという。

「……あの、まさか…その下請けをうちにですか?」

「えぇ。プロット(あらすじ)も企画も出来上がっているので、執筆原稿の編集の校了までをお願いしたいんです。印刷はこちらで引き継ぎます。」

遥子は、長谷部の話と資料を慎重に考慮する。

「まず、うちで構わないんでしょうか?まだ、何の実績も無いような事務所ですが……」

長谷部は、確かにと、苦笑いした。

「本来なら、こういった冒険はしません。こちらの事務所云々ではなく、今回は時田さんの今までの実績を信用して、という依頼です。」

今度は遥子が苦笑いする。

「勿論、光栄で有りがたいお話です!でも…一年半もブランクがあるのも事実です。」

「自信ないですか?十年やっておられた実績が一年半程で、どうにかなりますか?そうならないと確信したから、独立されたんですよね?」

長谷部のその一言は、遥子の闘争心のスイッチを入れるのには十分な言葉だった。

同時に、長谷部の独立したての自分への気遣いと優しさに心底感謝した。

遥子は、手にしていた資料を両手でトントンと整えると、ニッコリ微笑んだ。

「わかりました、細かい契約の条件を聞かせて頂けますか?」


長谷部は、契約書を鞄に入れ事務所を後にした。

エレベーターを降り、外へ出たところでふと事務所のある三階に視線を這わせた。

「それにしても……似ていたな…」

独り言のように呟いたが、すぐに小さく首を振った。

そこは自分が触れる処ではないのだと、あらためてスルーすることを決めた。


「ミステリー小説の校了までの編集が決まったわ。担当は、私が受け持ちます。土門君、編集を学ぶには良い機会だから、一緒に来なさい。資料集めや、時にはあちこちの写真も提供することになるかもしれない。最終的にカバーのデザインを任せるつもりだから。」

「ヨッシャー!!」

土門が即座にガッツポーズをきめた。

「ひとまず、おめでとうございます。全力でフォローします。」

岩橋が控え目に頭を下げる。

「健さんには校閲頼みます。もちろん土門君にも分担させますが。」

「了解。小僧、邪魔するなよ」

どうやら桂木の中では土門は“ 小僧 ”だそうだ。

「それと、営業かけてる所からの依頼も順次受けるつもりなので、当面掛け持ち仕事になるかと思います。年内は、実績を上げることに重点を置くので、皆さん、心してお願いしますね!」

遥子の言葉にそれぞれが頷き、事務所内の熱が上がった。

その一方で、桂木に文句を言っている土門の背中を見ながら、いよいよ亡霊退治も始まるのだと……複雑な心境でもある遥子だった。




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