第4話・行商のお婆さん


「殿下も殿下だよ。人の意見も聞かずに勝手に判断してさ。しかもマダレナさまと婚約破棄って何だよ。一体、どうしてしまったんだよ。あー、イライラする」


着の身着のまま聖殿を追い出されてしまい、あてもなくトボトボ歩いていると愚痴しか出てこない。主にイギアル殿下の、イギアル殿下の、イギアル殿下。

あー、信用していただけに辛いわ。


「マダレナさま。どこ行っちゃったんだよ」


白猫熊のパペットを神官服の胸元に忍ばせれば、「むにゃ」と、何か音が聞こえたような気がしたが気のせいだよな。


「さあて。これからどうするかなぁ」


 俺には頼れる家族などない。産まれた時から聖殿で暮らしてきた。いきなり聖殿を放り出されたって行き場も無いし、頼れる親戚も無い。

マダレナの行方をすぐにでも追いたいが、何の手がかりもないし。ないないづくしかよ。はああ。ため息しか出ない。


参ったなぁと思っていると、前方からコロコロと掌大のオレンジが転がってきて靴のつま先にコツンと当たった。拾い上げると、前方に大きな籠を背負った小柄なお婆さんが坂道を登ろうとしているのが見えた。行商らしい。このオレンジはそのお婆さんが落とした物に違いなかった。


 俺が今いる王都は山を切り崩して築いた都なので坂道が多い。お婆さんが登ろうとしている坂道はその中でも傾斜が特にきつい道だ。

お婆さんの後を追って「落としましたよ」と、声をかけると前方から「すまないね。籠の中に入れておくれ」と、声が返ってきた。お婆さんはそう言いながらも足を止めようとはしない。


背中に背負っている籠には山盛りにされたオレンジがあった。相当な重さだと思う。それを背負ってこの坂道を登るのはかなり堪えるだろうと、手伝いを申し出ることにした。



「お婆さん。持って上げるよ」

「いいのかい? 助かるよ」



 お婆さんは汗だくで真っ赤な顔をしていた。お婆さんの背から籠を下ろし、代わりに背負うとビシリとした重みが肩に掛かる。思ったよりも重かった。



「お婆さんはどこから来たの?」

「トルフから来た」

「トルフ? 王都の外れの? 随分遠くから重いのを持って来たね」

「夜も明けないうちから歩いて来た」



 重い籠を背負い、坂道を登るのは容易なことではなかった。気を抜けば坂下に籠ごとひっくり返ってしまいそうだ。足を踏ん張って一歩一歩踏みしめて歩く。籠の重みから気を逸らす為にお婆さんに話しかけた。

隣に並んだお婆さんは、薄布で汗をかいた顔や首もとを拭きながら着いてきた。



「ここまで大変だったでしょう? 辛くない?」

「まあな。でも毎日来てるから平気だ」

「毎日? こんなに重い籠を背負って?」



 お婆さんはこんな重い荷物を背負って、毎日トルフから通ってくるのだと言った。感心した。なかなか出来ることじゃない。



「このオレンジを買ってくれるお客さんが待っているからね。お客さんが待っていると思ったら止められないさ。毎日の積み重ねだ」

「お婆さんは凄いね。俺にはとても真似できそうにないよ」

「そういうあんただって同じだろうよ」

「俺?」

「あんた神官だろう? 神官は簡単になれるもんじゃないだろう? 毎日辛い修行をしているんじゃないのかね?」

「……まあね」



 お婆さんの言うとおりだけど、今の俺は聖殿を追われた身。神官を名乗っていいのか微妙なところ。

 でも、体一つで追い出されたから神官服を着たままだった。その神官服を見てお婆さんは俺が神官だと察したようだ。



「あんたは聖殿の神官さまだろう? 聖女さまはどんな御方かね? 綺麗な人だと聞くけど優しい御方なんだろうね?」

「聖女マダレナさまは綺麗な御方だけど、心根も綺麗な御方だよ。常日頃から国民の皆の幸せを考えている」

「そうかい。そうかい」

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